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第277話:守る者へ


ルクナスは、

古い竜へ自分達のことを語った。


この世界がどう生まれたのか。


自分が何を作り、

何故ここへ逃げてきたのか。


今、

世界の外側にいる者達が何を求めているのか。


俺とルクナスだけじゃない。


俺の槍まで含めて、

向こうが「回収する」と言ってきたことも。


全部を細かく話したわけじゃない。


古い竜が判断するために必要なところだけを、

ルクナスは選んで話していた。


俺達が今、

アンカーを巡っていること。


神木で一つを封じた時、

逆に向こうから俺達の位置を掴まれたこと。


そして。


そこへ……影を差し向けられたこと。


その言葉が出た時だった。


―――ギギギギギッ。


岩が軋んだ。


何の音かと思い、

古い竜を見る。


巨大な前脚。


その爪が、

さっきまで触れているだけだった岩へ深く食い込んでいた。


表面が割れる。


押し潰された石が砕け、

細かな欠片となって斜面を転がっていく。


「……影」


低い声だった。

さっきと同じ喉から出たとは思えない音だった。


腹の底よりもさらに深い場所に、

何千年も沈んでいたものを、

無理やり押し上げたような響きだった。


古い竜の唇が持ち上がる。


並んだ牙の隙間から。


―――ボッ……。


赤い火が漏れた。


吐いたわけじゃない。


口の中。


喉の奥。


抑え切れない熱が、

そのまま外へ滲み出している。


金色の瞳も変わっていた。


俺の火を見た時とも。


ダックの記憶を辿っていた時とも違う。


そこにあるものを、

俺は知っていた。


嫌悪。


怒り。


憎悪。


奪われたものを忘れていない目。


二度と許すつもりのないものを見る目だった。


―――グルルルルルッ。


谷の上から、

低い唸りが返った。


一頭じゃない。


岩棚に伏せていた竜が身体を起こす。


空を旋回していた竜が大きく翼を傾け、

こちらの上空へ戻ってくる。


俺と戦った若い竜まで、

翼を半ば開いていた。


その口元。


牙の奥からも、

赤い火が細く漏れている。


別の岩棚でも。


さらに向こうでも。


暗くなり始めた谷の中へ、

小さな赤い光がいくつも灯った。


誰かが命じたわけじゃない。


それでも。


「影」という一言だけで。


ここにいる竜達全てへ、

同じものが走った。


空気が熱い。


火を吐いているわけでもないのに、

谷全体の温度が上がっていく。


古い竜の鼻先から、

焼けたような息が漏れた。


「まだ……あれが残っているのか…」


ルクナスは、

さっきまでの軽い調子を消したまま答えた。


「難しいところだね…。

 元々、全てを消しきれていたわけではないからね。

 形を変え、魔物として存在している残滓もあった。

 ただ……今話した君達の知る影は、

 世界の外側からアンカーを通して送り込まれている…。

 …君等の知るところの影だ」


―――バキッ。


古い竜の爪の下で、

今度は岩そのものが割れた。


牙の間から漏れていた火が強くなる。


細い炎が息に合わせて揺れ、

そのたびに古びた鱗が赤く照らされた。


「……」


俺は何も言わず、

その顔を見ていた。


ダックから続いている。


そう知ったばかりだった。


なら、

これも残っているのか…。


…ルゥを奪ったもの。


俺達の家へ入り込み、

家族を壊したもの…。


全てを奪った…、俺が守り切れなかった。


そして最後には、

俺自身が燃え尽きることになった戦いも、

元を辿れば同じ黒いものへ繋がっている。


ダックは全部を見ていたわけじゃない。


俺が最後に消えた場所へ、

あいつはいなかった。


でも。


俺が戻らなかったことは、

知ったはずだ。


待っても。


日が変わっても。


季節が過ぎても。


いつまで経っても、

俺が帰らなかったことを。


古い竜は言っていた。


名前は薄れる。


声も。


形も。


それでも、

強く刻まれたものは残ると。


だったら。


これほど残るものが、

他にあるだろうか。


家族を奪われた、

その事実が。


「我らは、多くを忘れた…」


古い竜が言う。


牙の間では、

まだ火が燃えている。


「名も、声も、時と共に薄れた。

 だが……忘れぬ」


―――グォォォ……。


周囲の竜達の唸りが、

一段深くなる。


岩壁が震えた。


「我らから…奪った」


古い竜の声が沈む。


「父を、母を。

 我らの前から……奪ったッ」


最後の言葉と同時に。


―――ゴォッ!!


牙の間から火が噴き出した。


一瞬だけ。


古い竜の顔の前へ炎が膨らみ、

すぐに口元へ吸い戻される。


呼吸と一緒に漏れただけだった。


それでも。


岩肌が赤く染まるほどの火だった。


その声に応えるように、

谷の上でも次々と火が灯る。


若い竜の口から。


岩棚の竜から。


空を舞う竜から。


炎そのものを吐く奴はいない。


けれど、

全員が抑えている。


抑えなければ、

今すぐ何かを焼き尽くしてしまいそうなほどの怒りを。


残された側から見れば、

同じだったのかもしれない。


ルゥが消えた、

俺も帰らなかった。


俺があの時、

俺が自分の弱さを憎んだように。


あれを二度と近付けないと決めたように。


同じものを、

ダックも抱いた。


その子も。


その先も。


何代も。


何代も。


「影は……残してはならぬッ!」


古い竜の喉の奥で、

火が轟いた。


その言葉を聞いた途端。


胸の奥にあった熱が、

はっきり形を持った。


違和感なんてない。


俺も同じだ。


あれが家族を奪うなら。


消す。


何度来ても。


どんな形になっても。


残さない。


俺の指先に熱が集まった。


出そうとしたわけじゃない。


それでも右手の周囲へ、

赤い火が細く滲む。


古い竜を見る。


「……ああ」


自分でも、

声が低くなっているのが分かった。


「俺も同じだ。

 あれは……残さん」


金色の瞳が、

俺を捉えた。


その向こう。


牙の奥で炎が揺れている。


俺の手にも火がある。


一瞬だけ。


互いの間に、

説明のいらないものがあった。


あいつらも奪われた。


俺も奪われた。


だから。


そこだけは。


何千年離れていても、

何も違わなかった。


ルクナスは、

そんな俺達を見比べたあと、

小さく息を入れた。


「……そこは、僕も同意だね」


俺も古い竜も返さない。


周囲の竜達も、

まだ低く喉を鳴らしている。


ルクナスはそれ以上触れず、

俺の槍へ目を移した。


「エアが槍を持ち続ければ、

 人間だけじゃなく、

 世界の外にいる連中にまで狙われるものを、

 一か所へまとめることになる」


谷へ風が戻った。


夕暮れの光は、

もうかなり低い。


岩肌の赤は、

少しずつ山から伸びる影へ飲まれていた。


「向こうだって、

 世界の中へ好き放題に手を出せるわけじゃない。

 エアと槍、別々に置けば、

 一度に全部を狙うのは難しくなる。

 だから……君達に、この槍を預かってほしい」


古い竜は答えなかった。


牙の奥にあった火も、

完全には消えていない。


呼吸するたび、

赤い光が鱗の隙間を照らしている。


爪も、

砕いた岩へ食い込んだままだ。


それでも。


さっきまで影へ向いていた怒りを、

そのまま何かへぶつけることはしなかった。


金色の瞳が、

俺とルクナス。


それから、

俺の手にある槍を順に追う。


考えている。


今度は、

昔を辿っているんじゃない。


これからどうするかを、

決めようとしているように見えた。


俺も口を挟まなかった。


預けたいとは言った。


でも。


ここへ置けば、

こいつらまで狙われる可能性がある。


それを聞いた上で断るなら、

そのまま俺が持っていくつもりだった。


元々は俺の槍だ。


面倒まで押し付ける気はない。


やがて古い竜が、

俺ではなく空を見た。


谷の上。


何頭もの竜が、

岩棚や空からこちらを見ている。


若い竜。


さらに大きな竜。


全身へ古い傷を残したもの。


遠くで伏せていた奴まで、

今は身体を起こしている。


その口元には。


まだ。


消え切らない火が残っていた。


「……父」


低い声が落ちる。


「何だ?」


古い竜の目が、

俺へ戻った。


「我らは、長く父が守ったものの上で生きてきた」


「俺が守ったもの?」


「この大地、空、海、そこに生きるもの。

 父は、この世界を奪わせぬために前へ立った」


「……」


少し、

引っ掛かった。


俺は、

世界を守ろうとして戦っていたわけじゃない。


ルゥがいた。


リルがいた。


リヒトとナハトがいた。


ダックも。


あいつらが生きていた。


そして今は、

その先の命がある。


だから、

こいつの言っていることも、

間違いではないのかもしれない。


でも。


俺の中にあるものとは、

少し違う。


その違和感を残したまま、

古い竜は続けた。


「我らは、それを覚えている。

 父が消えた後も影を退け、

 世界を壊すものがあれば前へ立つ。

 その意志が、今の我らとなった」


金色の瞳が、

強く俺を捉える。


「……そうか」


返事はなかった。


ダックが見た俺。


何かが来れば前へ立つ。


影を焼く。


家族を後ろへ置く。


理由の細かな部分は薄れても、

行動だけは残った。


それが、

長い時間の中で。


竜という種族の形にまでなった。


古い竜が、

俺の手の槍を見る。


「世界の外より来る者が、

 この槍を求め、父を求め、

 この世界そのものを変えようとするのであれば、

 それは我らにとっても無関係ではない」


岩へ食い込んでいた爪が抜ける。


深い穴が残った。


「なにより、

 父がそれを我らへ預けたいと望むのなら、

 我らは預かろう」


「……いいのか?、

 狙われるかもしれないぞ?」


「なればこそ、我らだ」


古い竜は、

真っ直ぐ俺を見続ける。


「我らは父の火を知り、

 それを追い、強く在り続けた。

 再びそれが争いの中へ戻らぬように。

 世界を壊す者の手へ渡らぬように。

 …我らが守る」


その言葉を聞きながら、

俺は周囲を見た。


岩棚を埋める巨体。


空を回る影。


そして、

少し離れた場所にいる、

試し原で俺と戦った若い竜。


前脚一つ。


尾。


翼。


火。


あれは試しだった。

殺し合いでもなかった。


それでも俺は、

今の自分がどこまでやれるのか確かめるところまで、引っ張り出された。


しかも。


あれは、

ここにいる竜の一頭に過ぎない。


目の前には、

あいつより遥かに長く生きた古い竜がいる。


その周囲にも、

同じような巨体が何頭もいる。


これだけの奴らが、

本気で一つのものを守る。


そう考えると、

不思議なくらい不安はなかった。


外の連中が何をしてくるのか。


全部知っているわけじゃない。


どんな手を使ってくるかも、

分からない。


それでも、

少なくとも。


人間が軍を連れてきた程度で、

どうにか出来る場所じゃない。


何より、

こいつらの強さは。


俺自身が身体で確かめたばかりだ。


それに。


影へ向ける怒りまで、

同じだ。


なら、任せられる。


胸の奥に残っていたものが、

そこでようやく落ち着いた。


俺だから従う。

父だから守る。


そうじゃない。


こいつら自身が。


何千年も、

そう在り続けてきた。


「……そうか」


槍へ目を落とす。


ただの鉄だった。


俺が使った。


狩りをした。

影を刺した。

家族を守った。


神器と呼ばれ。

戦争へ使われ。


人を殺した。


それでも、

また俺の手へ戻ってきた。


取り戻したらどうするか。


ずっと考えていた。


壊す。


隠す。


俺が持つ。


どれも、

簡単には決められなかった。


でも、

今は違う。


「……頼んだ」


槍を持ち直し、

古い竜の前へ歩く。


「お前達に預ける」


古い竜も、

大きな前脚を俺の前へ差し出した。


爪だけで、

俺の身体より大きい。


その中央へ。


俺は槍を置く。


―――コトッ。


思ったより、

小さな音だった。


国を動かし、

大陸を裂き。


神話そのものにまでなった槍。


それが今。


古い竜の手の上にある。


「確かに…、預かった」

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