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第273話:火を見る者たち


頭上では、

何頭かの竜が遠くを飛んでいた。


俺達の上を監視するように旋回しているわけじゃない。


それぞれ別の場所へ向かう途中でこちらに気付き、

そのたびに視線が俺へ落ちる。


一頭だけじゃない。


目が合ってもそのまま通り過ぎるものもいれば、

翼を傾け、

僅かに速度を落とすものもいた。


「人気者にゃ」


ミリカが笑う。


「嬉しくない」


「いっぱい見られてるにゃ」


「だから嫌なんだよ」


「服ないからじゃないですか?」


ユーリスが言う。


「竜がそんなもん気にするか?」


「それは……まあ、気にしてなさそうですね」


「だろ」


若い竜なんて、

俺が布一枚になったところで何の反応もしていない。


そこで、

横を歩いていたセレスが小さく口を開いた。


「……火だろうな」


「何が?」


「見られている理由だ」


聖杭槍杖を持つ手は、

いつもより低い位置にあった。


上空の竜を警戒しているようにも見えない。


ただ俺の少し後ろを歩きながら、

時折こちらへ目を向けている。


「竜との立ち合いの最後、

 あの火を見てから、明らかにこちらを見る目が変わった」


「ああ、そうだな」


俺にも、

それは分かっていた。


「セレス、お前は……どうだった?」


何となく聞いた。


さっき、

本当の火を見せろと言ったのはこいつだ。


なら、

実際に見て何を思ったのか。


少し気になった。


けれど、

セレスはすぐには答えなかった。


歩みだけは止めず、

前方の岩肌へ顔を向けたまま、

聖杭槍杖の柄へ指を掛け直す。


「……今は、言葉にできん」


返ってきたのは、

それだけだった。


「そうか」


「……ああ」


そこで終わるかと思った。


だが、

数歩進んだところで。


「……私は」


セレスが、

また口を開いた。


声が普段より少し低い。


「お前が嘘を言っているとは、

 もう思っていない」


俺は何も挟まない。


「お前の過去も聞いた。

 神器のことも……。

 原初の……始まりの者達のことも。

 私達が神話として教えられてきた出来事の中に、

 お前自身がいたことも」


足元の草が、

歩くたびに靴へ擦れる。


セレスは前を見たまま続けた。


「貴様が学院にいた頃、何度も見てきた。

 詠唱もなく火を使い、

 聖杭槍杖へ干渉し、

 私の知る教義では説明出来ないことをするお前を」


そこで一度、

声が止まった。


横を見る。


セレスも、

こちらへ顔を向けていた。


銀色の目。


そこに浮かぶものを、

一つの感情だけで言い表すのは難しかった。


「だから」


少しだけ間が空く。


「頭では分かっていた」


「……」


「お前が、

 私達の教会で語られている存在と無関係ではないことくらいはな」


その言い方が、

妙に引っ掛かった。


「頭では?」


聞き返すと、

セレスの口元が僅かに硬くなる。


「……ああ」


それ以上、

すぐには続かなかった。


さっきまでいた試し原は、

もう岩山に隠れて見えない。


けれどセレスは一度だけ、

その方角へ目を戻した。


「あれを……見てしまった……」


声が落ちる。


「神話に描かれたものを……目の前で……」


「……」


「私は今まで……。

 火を受け継いだ人間こそが正しく。

 火を持たぬ者は、その下にあると教えられてきた」


以前のセレスなら、

もっと迷いなく言い切っていた言葉だ。


今は違う。


口にするたび、

自分の中へ残っているものを、

一つずつ確かめているように聞こえた。


「けれど、お前は何度もそれを嫌った」


「ああ」


「竜も。

 獣人も。

 ネレイディアも。

 火を持たぬからという理由で、

 分けて見ることを、お前は認めなかった」


セレスが一度だけ唇を噛む。


「そのお前が」


銀の目が、

また俺へ向いた。


「私達が神と呼んできたもの、そのものだった」


返す言葉が、

すぐには見つからなかった。


俺からすれば、

何も変わっていない。


昨日までの俺も。


試し原で燃えていた俺も。


同じ俺だ。


でも、

セレスにとっては、

それだけで片付けられる話じゃないんだろう。


昔から信じてきたもの。


今になって疑い始めたもの。


俺から聞いた過去。


そして、

自分の目で見た火。


それら全部が、

今になって一つの場所へ重なっている。


「……だから今は、聞くな」


セレスが言った。


「自分でも、何をどう考えるべきか整理出来ていない」


「分かった」


それで十分だった。


無理に答えを出させる理由もない。


「でも……」


また続く。


今度は、

ほんの少しだけ声の硬さが抜けた。


「見せてくれたことは……感謝する」


「……そうか」


「ああ」


それだけ言うと、

セレスは前を向いた。


耳が少し赤いような気もした。



ーーーーー



しばらく進むと、

岩山の間へ入った。


左右には巨大な岩壁が続き、

その途中には幾つもの大きな穴が開いている。


「なんだ?

 あれは……穴? 巣か?」


「そうだ」


若い竜が答えた。


岩壁にある穴の一つから、

小さな竜が顔を出す。


小さいと言っても、

俺達よりは遥かに大きい。


頭だけでも、

俺の身体くらいはありそうだった。


「……」


じっと、

こちらを見ている。


特に俺を。


「まただな」


呟くと、

小さな竜が首を傾げた。


その後ろから、

もう一頭。


さらにもう一頭。


三つの頭が並ぶ。


「……かわいいにゃ」


ミリカの声が小さくなる。


「触るなよ」


「分かってるにゃ」


本当か?


そう思った直後、

一頭が穴から身を乗り出した。


鼻先をこちらへ伸ばし、

匂いを確かめるように近付いてくる。


―――スン。


「……」


俺の前で止まった。


近い。


手を伸ばせば、

触れられる距離だ。


若い竜を見る。


「これ、触っていいのか?」


「嫌がらなければな」


「そういう感じか」


槍を反対の手へ持ち替え、

空いた右手を伸ばす。


小さな竜の鼻先へ、

ゆっくり手を乗せた。


硬い。


けれど、

鱗の隙間には少しだけ柔らかさがある。


「……」


ふと、

まだ小さかった頃のダックを思い出した。


卵から出たばかりで、

何でも口へ入れようとしていた頃。


ルゥに口へ手を突っ込まれ、

石だか木の枝だかを吐き出させられて。


それでも懲りずに、

今度は俺の指を噛んでいた。


「……似てないな」


思わず笑う。


見た目は、

全然違う。


鳥と竜だ。


当たり前だ。


それでも、

鼻先を押し付けてくる仕草だけは、

少しだけ似ていた。


小さな竜が、

もう一度俺の手へ鼻を寄せる。


それを見た奥の二頭も、

少しずつ前へ出てきた。


「お、おい」


三頭になった。


「エア、好かれてるにゃ」


「知らん」


「かわいいやつらにゃ」


ミリカが、

羨ましそうに言った。


その時。


奥から、

低い唸り声が響く。


―――グルル……。


三頭が一斉に止まった。


さらに奥。


暗がりの中で、

大きな目が開く。


親か。


「戻れ」


中から声が聞こえた。


小さな竜達は、

一度だけ俺達を振り返ってから、

素直に穴の中へ戻っていった。


「……怒られたな」


「エアが触るからですよ?」


ユーリスが言う。


「許可取っただろ?」


「嫌がらなければって言われただけです」


「同じだろ」


「違います」


言い合いながら、

また歩き出す。


けれど、

少し進んでから何となく後ろを見る。


巣の入口。


三頭の小さな竜が、

またこっそりと顔を出していた。


「……」


その姿に、

胸の奥へ少しだけ懐かしいものが残った。



ーーーーー



岩山を抜ける頃には、

陽が少し傾いていた。


前方で、

それまで続いていた岩肌が途切れる。


その先には、

広い谷が開けていた。


谷の中央。


一本の巨大な岩柱が、

空へ向かってそびえている。


いや。


柱というより、

山そのものだ。


周囲の岩山より明らかに高く、

上の方は雲へ隠れている。


その中腹には、

大きく張り出した風棚が見えた。


若い竜が、

そこで足を止める。


「この先だ」


「いるのか?」


「ああ」


俺も、

岩山を見上げた。


何も見えない。


竜の姿も。


特別な何かも。


ただ、

谷の奥から流れてくる風だけが、

肌の上を通り抜けていく。


試し原とも、

ここまで歩いてきた場所とも違う。


重いわけじゃない。


怖いわけでもない。


ただ、

長い時間そこに在り続けてきたものへ、

少しずつ近付いているような。


そんな感じがした。


「最も古く生きる者……」


ユーリスが、

小さく呟く。


若い竜が一度だけ俺達を見る。


「ここから先、

 我が先に行く」


「俺達は?」


「待て」


「また待つのか」


「ああ」


竜の翼が開く。


「何を伝える?」


俺が聞くと、

若い竜は少し考えた。


それから、

俺を見る。


「人が来た」


「それだけ?」


「ああ」


「火のことは?」


「見ればよい」


「……そうかよ」


本当に、

最後までそれだ。


若い竜が地面を蹴る。


―――バサッ!!


強い風が谷へ広がり、

巨大な翼が大きく開いた。


そのまま身体が空へ上がり、

岩柱の中腹。


雲へ隠れかけた風棚へ向かって飛んでいく。


俺はその背中を見送りながら、

無意識に胸へ手を当てた。


火は、

まだそこにある。


いつも通り。


何も言わず。


ただ、

呼ばれるのを待っていた。

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