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第272話:分かれた道


服はユーリス達の荷物から何とかすることになった。


「これを使ってください」


差し出されたのは、

予備として持ってきていたらしい大きめの布だった。


服というより、

野営の時に身体へ掛けたり、

荷物を包んだりするためのものらしい。


「これか…」


「あるだけありがたいと思ってください!」


「いや、別に文句は言ってない」


腰へ巻き付ける。


長さは十分だった。


上半身はどうにもならないが、

少なくともこのまま歩くよりはましだろう。


布の端を結び終えて顔を上げると、

ユーリスが妙な顔で俺を見ていた。


裸の上半身。


腰へ巻いただけの布。


手には一本の槍。


その視線が何度か俺の格好を往復したあと、

ユーリスの口元が少し緩む。


「……何だ?」


「いえ」


「言えよ、気になる」


少し迷ってから、

ユーリスが笑った。


「なんだか…懐かしいなって」


「懐かしい?」


「初めて会った頃のエアみたいです」


言われて、

自分の姿をもう一度見る。


「……こんなんだったか?」


「もっと酷かったですよ」


「おい」


「毛皮を頭から被って、槍を持って。

 森からいきなり出てきたんですから」


そう言われると、

確かに今よりは酷かったかもしれない。


あの頃は、

今の時代の服なんてろくに知らなかった。


森で狩った獣の毛皮をそのまま使い、

槍一本で港まで歩いていた。


そんな俺を見て、

ユーリス達も最初は、

魔物か盗賊か何かだと思っていた。


「……あの時もユーリス、

 服より俺の火ばっかり見てたな」


「だって無詠唱だったんですよ!?」


急に声が大きくなる。


「あんなもの見せられたら服なんて後回しになります!」


「そこまでかよ」


「そこまでです!」


ミリカが横から、

俺の姿を覗き込む。


「じゃあ今のエア、昔の格好に戻っただけにゃ?」


「戻ってない」


「槍持って布一枚にゃ」


「むしろ減ってるだろ、これ」


「じゃあ退化したにゃ!」


「やかましい!」


ミリカが楽しそうに笑う。


その少し後ろでは、

セレスが何か言いたそうにこちらを見ていたが、

結局口には出さなかった。


さっきまで散々服のことで言い合ったせいか、

もう触れないことにしたらしい。


マリスだけは、俺の格好より、

身体に残った青い紋様へ意識を向けていた。


光はもうかなり弱くなっている。


胸元から腕へ伸びていた青い線も、

今では注意して見なければ分からない程度だった。


それでも、

完全には消えていない。


(……まだ流れてるのか)


身体の内側へ意識を向ける。


胸から腹。


腕。


脚。


そこを何かが巡っている感覚は、

今も残っていた。


火は落ち着いている。


水も。


土も。


それぞれを別々に動かしているというより、

身体そのものが必要なことを勝手に続けている。


一つずつ命令しているわけじゃない。


だからこそ、

どこまでが自分でやっていることで、

どこからが身体に染み付いたものなのか、

まだ掴み切れなかった。


「行くぞ」


若い竜の声が響く。


見ると、

もう試し原の出口へ向かって歩き始めていた。


「早いな……」


「待つ理由がない」


「こっちにはあるんだよ」


「服は得た」


「服って言っていいのか、これ?」


腰の布を指で摘まむ。


竜は一度こちらを振り返ったものの、

それ以上は何も言わなかった。


多分、

本当にどうでもいいんだろう。


「行きましょう」


ユーリスが杖を持ち直す。


「せっかくここまで来たんですし。

 私も、その……古く生きる竜には興味があります」


「だろうな」


むしろ、

こいつが一番行きたそうだった。


さっきまで竜と殴り合っていたことより、

この先で何を見られるのか、

何を聞けるのか。


もうそっちの方へ、

意識が向いているように見える。


ミリカも、

緊張はかなり抜けていた。


「古い竜って、どれくらい古いにゃ?」


歩き始めた若い竜へ、

そのまま聞く。


「知らぬ」


「またそれにゃ」


「我が生まれる前から生きている」


「それは分かるにゃ」


「ならばよい」


「よくないにゃ!」


ミリカの声が、

試し原へ響く。


若い竜は気にせず歩き続け、

俺達もその後を追った。



ーーーーー



試し原を離れると、

景色は少しずつ変わっていった。


焼けた地面が減り、

乾いた草が戻ってくる。


その先では巨大な岩が幾つも地面から突き出し、

隙間を縫うように、

草だけが押し潰された筋が続いていた。


道と呼ぶには広すぎる。


人が整えた跡もない。


竜が何度も同じ場所を通った結果、

自然に出来たものなのだろう。


前を行く若い竜が一歩踏み出すたび、

俺達との距離がかなり開く。


さっきまでは少し合わせていたはずなのに、

試しが終わって忘れたらしい。


「おい、もう少しゆっくり歩け」


声を掛けると、

巨大な脚が止まった。


竜が振り返る。


「遅い」


「お前がでかいんだよ」


少し間があった。


「そうか」


それだけ答えると、

今度は本当に歩幅を小さくした。


「案外……素直なんですね」


ユーリスが隣で呟く。


「…」


最初に崖で会った時より、

ずっと話しやすくなっている。


口数が増えたわけじゃない。


今も、

必要なことしか言わない。


それでも少なくとも、

こちらへ合わせようとはしている。


試しが終わったからなのか、

さっきの火を見たからなのか。


そこまでは読めなかった。


すると。


「やっぱり乗せてくれた方が早いにゃ」


ミリカが、

前を歩く竜の背中を見上げながら言った。


「まだ言ってるのか?」


「だって、あれだけ背中広いにゃ。

 みんな乗っても余裕にゃ」


若い竜の歩みが止まる。


首だけが、

こちらへ向いた。


「断る」


「ケチな竜にゃ」


「我は人を運ぶものではない」


ミリカの耳が横へ倒れる。


「ケチんぼにゃ」


「何故、我がお前達を運ばねばならぬ」


「楽だからにゃ」


また始まった。


そう思っていると、

若い竜は前を向いたまま、

低く続けた。


「我らは、そう在ることを選ばなかった」


「……?」


その言葉に、

ユーリスが反応した。


「どういう意味ですか?」


竜は少し歩いたあと、

岩の間を抜けながら答える。


「遠い昔。

 我らがこの姿に至る前、分かれた」


足が、

一瞬だけ止まりかけた。


俺は何も言わない。


竜は続ける。


「我らはより大きな身体と翼を得た。

 戦い、前へ立ち、己の力で守る道を選んだ」


巨大な翼が、

歩く動きに合わせて僅かに揺れる。


「もう一方は、

 翼を持たず、人の傍に残った」


ユーリスの顔から、

少しずつ笑いが消えていった。


「……翼を、持たず?」


「ああ」


「人の傍に……?」


「人と共に歩き。

 人を背へ乗せ。

 遠くへ運ぶものになった」


そこで、

ユーリスの足が止まった。


「……え?」


俺は横を見る。


ユーリスは前を歩く竜ではなく、

何もない地面の先を見ている。


頭の中で、

何かを繋ぎ始めた時の顔だった。


「ちょっと待ってください……」


杖を握る手が少し上がる。


「人を背に乗せて……翼がなくて……」


視線が、

俺へ向いた。


「エア」


「なんだ」


「それって……」


言い掛けて、

一度止まる。


「輸送鳥、では……?」


やっぱり、

ユーリスもそこへ行ったか。


今の時代。


街道や交易路で、

何度も見た。


馬車の馬みたいに車を引くもの。


高速輸送便で、

荷物や人を背へ乗せて走るもの。


翼は小さく、

ほとんど飛べない。


脚が太く、

走ることに特化した鳥。


今の輸送鳥は、

ダックよりずっと小さい。


大きくても、

馬くらいだ。


けれど、

初めて見た時から俺には分かっていた。


姿そのものは、

あいつによく似ている。


「……多分な」


俺が答えると、

ユーリスが目を見開いた。


「多分って……エア、知ってたんですか?」


「最初から」


「何で言わないんですか!?」


「聞かれなかった」


「聞かれなかったって!?、エア〜!」


「何だ?」


「ズルいですよぉ〜!」


声が岩の間へ響く。


ミリカが、

俺とユーリスの間から顔を出す。


「何の話にゃ?」


ユーリスは興奮したまま、

今度は前を歩く竜を見る。


「じゃあ……竜と輸送鳥は、

 ずっと昔は同じところから分かれたってことですか?」


若い竜が、

少しだけ首を動かした。


「今の名は知らぬ」


「今の名……」


「だが、我らと同じものから分かれた者が、

 人の傍に残ったことは伝わっている」


俺は黙って、

その言葉を聞く。


同じもの。


こいつにとっては、

そこまでしか残っていないのだろう。


ダックという名前。


俺やルゥ。


リヒトやナハト。


あの頃の姿。


どこまで覚えているのかは分からない。


それでも、

あいつから続いたものが、

長い時間の中で分かれた。


一方は、

巨大な身体と翼を得て、

戦い、前へ立つ道へ進んだ。


もう一方は、

あいつに近い形を残したまま、

人の傍へ残った。


今の輸送鳥がダックより小さい理由までは、

俺には分からない。


長い時間の中で、

人と共に生きる形へ変わっていったのかもしれない。


ただ、

ダックは今の輸送鳥より遥かに大きかった。


人を一人、

背中へ乗せる程度の大きさじゃない。


頭の上だけでも、

俺が腰掛けられるくらいだった。


それでも、

飛ばなかった。


翼らしいものを広げて、

空へ上がったことなんて一度もない。


代わりに、

走るのは馬鹿みたいに速かった。


森を抜け。


雪山を登り。


道なんてなくても、

あいつは平気で進んだ。


今の輸送鳥を初めて見た時、

小さくなったなとは思った。


けれど、

それでも。


あいつから続いた何かが、

今も人を乗せて走っている。


それだけ分かれば、

俺には十分だった。


「……そういうことだったんですね」


ユーリスが、

小さく呟いた。


まだ頭の中では、

色々なことが繋がっているらしい。


「竜と輸送鳥が……」


「ユーリス」


「はい?」


「歩け」


「あっ」


いつの間にか、

俺達だけ遅れていた。


前では、

ミリカが手を振っている。


「置いてくにゃー!」


「今行きます!」


ユーリスが慌てて走り出す。


その背中を追いながら、

もう一度若い竜を見る。


翼。


大きな身体。


強い脚。


火。


ダックとは、

もう似ても似つかない。


それでも、

どこかに残っている。


あいつから続いたものが。


別の形で。


竜は、

戦い、前へ立つことを残した。


輸送鳥は、

人の傍にいることを残した。


思い返せば、

ダックはそのどちらもやっていた。


何かあれば、

俺達の前へ出て。


何もなければ、

当たり前みたいに俺達の傍にいた。


「……」


随分と、

違う姿になったものだ。


それでも。


あいつから続いたものは、

ちゃんと今の世界にも残っている。


そう思うと、

胸の奥へ少しだけ温かいものが残った。

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