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第266話:試し原


竜の後を追って、

平原の奥へ進む。


さっきまでの崖沿いとは違い、

ここまで来ると風の流れもずいぶん穏やかだった。


背の低い草が足元で波打ち、

ところどころでは黒く焼けた岩が地面から突き出している。


道らしい道はない。


そもそも、

竜には必要ないのだろう。


空を飛べるし、

地上を歩くにしても俺達とは歩幅が違う。


前を行く竜も、

一応はこちらへ合わせているつもりらしく、

さっきまでより明らかにゆっくり進んでいた。


それでも、

一歩がでかい。


「ちょっと待つにゃ!」


後ろで、

ミリカが声を上げた。


「歩幅が違いすぎるにゃ!」


竜が振り返る。


「…遅い」


「だからお前が速いのにゃ!」


「我は歩いているだけだ」


「その一歩があたしらの何歩分あると思ってるにゃ!」


竜は少しだけミリカを見たあと、

本当に僅かではあるが、

歩く速度を落とした。


「……聞くんだな」


俺が言うと。


「何がだ?」


「いや、何でもない」


思っていたより、

話は通じる。


少し面倒ではあるが。


「分かればいいにゃ」


ミリカは満足そうに尻尾を揺らしながら、

また歩き始めた。


その横では、

ユーリスがもう別のものに気を取られている。


「エア、見てください」


「今度は何だ?」


「あそこです」


指差された先を見る。


少し離れた岩壁の途中に、

横へ大きく突き出した平らな岩棚があった。


その上で、

一頭の竜が身体を丸めるようにして眠っている。


翼を畳み、

大きな頭を前脚へ乗せたまま、

本当にただ寝ていた。


「……寝てるな」


「寝てますね」


「それだけか?」


「いや、そうなんですけど……」


ユーリスは、

どこか納得のいかないような顔をしている。


「竜って、ああいうふうに寝るんですね……」


「他にどう寝ると思ってたんだ」


「分かりませんよ!。

 そもそも実物を見る機会なんてないんですから!」


少し声が大きかった。


眠っていた竜の片目が、

ゆっくりと開く。


「……」


そのまま、

こちらへ顔を向けた。


ユーリスの身体が固まる。


「……起こしたぞ」


「むぐっ」


「もう遅い」


しばらくこちらを見ていた竜は、

特に起き上がる様子もなく、

やがてまた目を閉じた。


「……」


ユーリスが、

小さく息を吐く。


「びっくりした……」


「別に何もしてこなかったにゃ」


「分かってても怖いものは怖いんです!」


そんな会話をしながら、

さらに平原の奥へ進む。


しばらくすると、

今度は地面が緩やかに沈み込んだ、

大きな窪地が見えてきた。


完全な谷ではない。


その中央には大きな岩の塊がいくつも並び、

隙間には何頭かの竜がいる。


一頭は、

巨大な獣を前脚で押さえ込みながら、

肉を噛みちぎっていた。


動物なのか、

魔物なのかまでは分からない。


少なくとも、

俺達の知っている獣よりは遥かに大きい。


その少し離れた場所では、

別の竜が翼を広げたまま身体を日に当てている。


さらに、

奥にある岩の上。


小さな竜が二頭、

追いかけ合うように走っていた。


「……」


そこで、

思わず足が止まった。


小さいと言っても、

俺達よりは大きい。


それでも、

さっきまで見てきた竜達と比べれば、

明らかに幼かった。


翼もまだ短く、

身体つきも細い。


片方がもう片方へ飛び掛かり、

そのまま二頭揃って地面を転がる。


「にゃ!?」


ミリカが、

すぐに反応した。


「ちっちゃいのいるにゃ!」


「子供……でしょうか」


ユーリスも、

目を丸くしている。


「竜にも子供はいるだろ」


「それはそうですけど……」


分かってはいる。


それでも、

実際に目の前で見ると妙な感じがした。


片方が立ち上がり、

短い翼をばたばたと動かしながら、

相手へ向かって口を開く。


―――ボフッ。


小さな火が、

口先から飛び出した。


俺達のところまで届くようなものではない。


それでも、

確かに火だった。


撃たれた方は驚いたように飛び退き、

今度はそいつも口を開く。


―――ボフッ。


同じように、

小さな火を返した。


「…子供の頃からあれやるのか」


俺が呟くと、

前を歩いていた竜が答えた。


「遊びだ」


「遊び?」


「あれらは火を覚え始めたばかりだ」


「遊びで火を吐くにゃ?」


ミリカが少し引いたように、

二頭を見ている。


竜は不思議そうに首を動かした。


「何がおかしい?」


「人間の子供がやったら大惨事ですよ……」


ユーリスが、

小声で言う。


「人ではない」


「それは分かってます……」


子竜達は、

そんな俺達の存在に気付いたらしい。


二頭揃って動きを止めると、

こちらを見た。


「……」


そのまま少し迷うように立っていたが、

やがてゆっくり近付いてくる。


「おい」


俺も少しだけ身構えた。


だが、

前にいる若い竜は何も言わない。


止める様子もなかった。


子竜達は、

俺達の少し手前で足を止める。


まず、

一頭がミリカを見る。


耳。


尻尾。


そこが気になるのか、

首を伸ばして顔を近付けていった。


「にゃ?」


ミリカも、

同じように首を傾げる。


大きな鼻先が、

あと少しで触れそうなところまで迫った。


「なんにゃ?」


当然、

返事はない。


もう一頭は、

ユーリスの杖を見ていた。


そこから、

セレスの聖杭槍杖。


マリスの白銀の槍。


最後に、

俺の槍。


それぞれを順番に、

確かめるように見ていく。


「見られてるな」


「珍しいのでしょうか」


「…人がここへ来ること自体がな」


前の竜が答えた。


「…長く、ほとんどなかった」


「ほとんど?」


ユーリスが、

すぐに反応する。


「完全に誰も来なかったわけじゃないんですか?」


「来る者はいる」


「どうやって?」


「海を越えられた者、流れ着いた者」


「それって……」


ユーリスが、

また考え込みそうになる。


「…後にしろ」


竜が言った。


「……はい」


さっき、

俺が言ったのと同じだ。


少し笑いそうになった。


その間に、

子竜の一頭が今度は俺へ顔を近付けてくる。


でかい目。


成竜ほど鋭くはなく、

何かを確かめるように俺を見る。


次に槍へ目をやり、

それから鼻を鳴らした。


「……」


手を伸ばしかけて、

止める。


何となく、

ダックを思い出した。


小さい頃のあいつも、

気になるものがあれば、

こんなふうに勝手に近付いてきた。


匂いを嗅ぎ、

気に入らなければ突いてくる。


気に入れば、

物欲しそうな顔をしながら、

そのまま勝手についてきた。


目の前の子竜が、

もう一歩だけ近付く。


俺は何もせず、

そのままにしておいた。


しばらくこちらを見ていた子竜は、

やがて満足したのか、

もう一頭と一緒に元いた場所へ走っていく。


その背中を見送りながら、

小さく息を吐いた。


「……懐かしいな」


「何がだ」


前の竜が聞く。


「いや」


言葉を濁したまま、

改めて周囲を見る。


眠る竜。


獲物を食べる竜。


遊ぶ子供。


空を飛ぶ竜。


さっきまで俺達が見ていたのは、

戦う竜ばかりだった。


けれど、

当たり前だ。


こいつらだって、

ずっと戦っているわけじゃない。


ここで食べて、

眠って、

遊んで。


そうやって暮らしている。


ただ、

その暮らし方が俺達とは違うだけだ。


さらに先へ進む。


平原は、

思っていた以上に広かった。


草の間には時折、

大きな骨が転がっている。


魔物のものなのか。


それとも、

もっと別の何かなのか。


前を歩く竜は、

気にする様子もなく進んでいく。


その向こう。


少し高くなった岩山の斜面には、

いくつもの大きな穴が開いていた。


自然に出来た洞窟のようにも見えるが、

よく見れば入口の周りだけ、

岩が大きく削られている。


竜の身体が入れるように、

後から広げたのだろう。


「……あれ」


それまで周囲を見ていたマリスが、

初めて口を開いた。


「住んでる場所?」


竜が、

そちらを見る。


「巣だ」


「巣……」


ユーリスの目が、

また輝き始める。


「皆さんにあるんですか?」


「多くはな」


「家族で一緒には?」


「必要なら共にいる」


「必要なら……」


また何かを書き留めたそうな顔。


歩きながら、

頭の中へ必死に詰め込んでいる。


「あれは?なんにゃ?」


今度は、

ミリカが別の場所を指差した。


崖の中腹。


広く突き出した岩棚に、

三頭の竜が並んでいる。


何をするでもなく、

風を受けながら遠くを眺めていた。


「風棚だ」


竜が答える。


「風棚?」


「休む場所だ」


「さっきの寝てたところも?」


「そうだ」


ミリカが、

納得したように頷く。


「竜の昼寝場所にゃ」


「……間違ってはいない」


思っていたより、

名前は単純だった。


人間みたいに、

いちいち立派な名前を付けるわけでもない。


見たまま。


使うまま。


そんな付け方が、

少しこいつららしい気がした。


そのまま、

さらに歩く。


途中で何頭かの竜とすれ違った。


ほとんどは、

まず俺達を見る。


中には足を止める奴もいた。


それでも、

襲ってくる竜はいない。


最初の竜が上げた火が、

本当に効いているらしい。


ただ、

視線だけは強かった。


特に、

俺へ向けられるもの。


そして、

セレス。


マリスの槍。


その辺りを、

何度も見られている。


「…どうにも、居心地が悪い場所だ」


セレスが、

小さく言う。


「慣れろ」


「貴様は気にならんのか?」


「見られるのは慣れた」


学院でも。


獣人の領域でも。


ネレイディアでも。


俺はずっと、

そんなふうに見られてきた。


セレスが、

少しだけ眉を寄せる。


「普通の者が、竜に見られて慣れるわけがあるか」


「そうか?」


「教会で見られるのとは違う」


それは、

分かる気がした。


教会か…。


聞く限り、

その自身というより立場を見る。


白服。


教会。


セレスという存在。


けれど、

こいつらはもっと直接的だ。


火。


武器。


力。


何者なのか。


そこだけを、

そのまま見ている。


「……」


前を歩いていた竜が、

ようやく足を止めた。


「着いた」


その声に、

俺達も立ち止まる。


少し先で、

平原が大きく開けていた。


いや。


元から広い場所だ。


それでも、

そこだけはさらに何もない。


草すらほとんど生えておらず、

剥き出しの土と岩が広がっている。


焦げ跡。


深く抉れた地面。


巨大な爪痕。


熱で溶け、

そのまま固まった石。


そこら中に、

戦った痕跡が残っていた。


周囲は、

少し高い岩壁に囲まれている。


その上。


数頭の竜がいた。


眠っていた奴も。


空を飛んでいた奴も。


さっきすれ違った奴も。


いつの間にか、

少しずつ集まっていたらしい。


「……」


ユーリスが、

嫌なものでも見るような顔で呟く。


「まさか……」


前を歩いていた竜が、

こちらを振り返った。


「ここが、試し原だ」


風が吹き抜け、

乾いた地面の砂を巻き上げる。


俺はもう一度、

目の前に広がる場所を見渡した。


さっきまでの平原にも、

戦いの跡は山ほど残っていた。


けれど、

ここは比べものにならない。


何度使われたのかも分からないほど、

大地そのものが傷だらけになっている。


「……思ってたより」


「何だ」


「本気で戦う場所だな」


竜は、

何を当然のことを言っているのかとでもいうように俺を見た。


それから何も言わず、

ゆっくりと試し原の中央へ歩いていった。

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