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第265話:竜の物差し


―――ゴォォォォォッ!!


平原を横切るように、

巨大な炎が走った。


倒れていた竜へ向かって一直線に伸び、

草を焼きながら真正面から襲い掛かる。


「ッ!」


ユーリスが息を呑む。


避ける。


そう思ったが、

竜は翼を畳んだまま動かなかった。


むしろ、

その場でさらに身体を低くする。


次の瞬間。


炎が直撃した。


―――ドォォォンッ!!


赤い火が一気に膨れ上がり、

竜の巨体を丸ごと包み込む。


かなり離れているはずなのに。


熱を孕んだ風が平原を抜け、

ここまで頬を撫でてきた。


「直撃だ…」


セレスが聖杭槍杖を握り直す。


燃え盛る炎の中で、

黒い影が動いた。


「……!?」


大きな翼が開き、

そのまま力任せに振るわれる。


―――バァンッ!!


まとわりついていた炎が、

爆ぜるように吹き散らされた。


燃えた草と火の粉まで風に巻き上げられ、

赤い光を撒き散らしながら空へ舞っていく。


その中心に、

竜が立っていた。


鱗の一部から煙は上がっているが、

倒れる様子はない。


それどころか、

火を振り払った直後には地面を蹴っていた。


「速っ――」


ユーリスの声が途中で切れる。


あれだけの巨体が、

一気に距離を詰めた。


翼を広げ、

炎を吐いた竜へ向かって、

そのまま肩からぶつかっていく。


―――ズドォォォンッ!!


再び、

足元へ大地の揺れが届いた。


二頭の巨体が絡み合い、

爪が鱗の表面を激しく擦る。


尾が地面を叩くたびに土が跳ね、

広げられた翼が平原の風を巻き込んでいく。


片方が相手の首へ噛み付こうとすれば、

もう片方は前脚を割り込ませ、

力ずくで押し返した。


「ちょ、ちょっと……!?」


ユーリスが青い顔のまま、

一歩前へ出る。


「本当に止めなくていいんですか!?」


「俺に聞くな」


「でも!」


―――ガァンッ!!


言い終わるより先に、

一頭が横へ投げ飛ばされた。


巨大な身体が草を削りながら平原を転がり、

その先にあった岩盤へ激突する。


岩が耐え切れず、

大きく砕け散った。


「……」


さすがに、

俺も黙った。


試し原。


さっきの竜は、

確かにそう言っていた。


力を交えるための場所。


だったら、

目の前でやっているこれも、

あいつらにとっては同じものなのか。


俺の隣で、

セレスが低く呟いた。


「……殺し合いにしか見えん」


「あぁ、同感だ」


ミリカも耳を伏せ、

戦っている二頭を遠巻きに見ている。


「痛そうにゃ……」


さっきまで竜に乗せろと言っていた奴まで、

少し引いていた。


その間にも、

岩へ叩き付けられた竜が身体を起こす。


大きく首を振ると、

鱗や角へ付いていた岩の欠片が次々と落ちた。


あれだけ派手に吹き飛ばされたのに、

まだ終わる気はないらしい。


喉の奥が、

再び赤く染まり始める。


今度は、

向かいに立つ竜も同じだった。


二頭の口元で、

赤い光が膨れ上がっていく。


「おい……」


嫌な予感がした。


―――ゴォォォォォッ!!


―――ゴァァァァァッ!!


二本の炎が、

平原の中央で真正面からぶつかった。


赤い光が一気に膨張し、

周囲の景色まで飲み込んでいく。


―――ドンッ!!


炎が爆ぜた。


平原の草が衝撃に押され、

一斉に地面へ伏せる。


土煙と火の粉を巻き込んだ風がここまで届き、

ユーリスがローブの袖で顔を隠した。


「これが普通なんですか……!?」


「知らん」


「竜ってもっと……こう……」


「なんだ?」


「静かで威厳があって……!」


「目の前で殴り合ってるな」


「はい……」


どうやら、

知っていた竜と実物の竜には、

かなり違いがあるらしい。


炎が少しずつ薄れ、

向こう側の二頭が再び見え始める。


どちらも、

まだ立っていた。


そのうち一頭が、

相手へ向かって歩き出す。


「まだやるのか?」


セレスが目を細める。


だが、

今度は攻撃しなかった。


目の前まで近付くと、

竜は巨大な頭を僅かに下げる。


「……?」


向かいの竜も、

同じように頭を下げた。


それだけだった。


次の瞬間には、

片方が翼を大きく広げる。


舞い上がった風に草がなびき、

その巨体が空へ浮かんだ。


残った方も、

傷付いた翼を一度大きく伸ばすと、

何事もなかったように平原の奥へ歩いていく。


「……終わったにゃ?」


ミリカが呟いた。


「みたいですね……」


ユーリスも、

まだ理解出来ていないような顔で二頭の背中を追っていた。


俺も同じだった。


あれだけ火を吐いて、

殴り合って、

岩まで砕いた。


それで、

頭を一度下げて終わりらしい。


「何だったんだ……?」


再びセレスが呟いた。


そして…。


「試しだ」


背後から、

聞き覚えのある低い声がした。


「っ!?」


ユーリスが飛び上がる。


俺達も振り返った。


少し離れた岩盤の上に、

さっきの竜がいた。


いつからそこにいたのか分からない。


あれだけ大きな身体をしているのに、

羽音一つ聞いた覚えがなかった。


翼を畳み、

前脚を揃えたまま、

こちらを見下ろしている。


「……お前か」


「遅い」


第一声がそれだった。


「飛べる奴と一緒にするな」


竜の視線が、

俺達の後ろへ動く。


崖。


そして、

そこから遥か下へ続く、

俺が作った石の階段。


しばらく、

その形を追うように見ていた。


「……それを作りながら来たのか」


「ああ」


「…土も使うのだな」


「使えるようになった」


竜は何も返さなかった。


火。


槍。


そして、

今度は土。


何か一つ知るたびに、

俺を見る時間だけが長くなっている気がする。


こいつの中で、

俺が余計に分からないものになっているようにも見えた。


「それより」


俺は、

平原の奥を指差す。


「今のは何だ?」


「言ったはずだ…」


竜の答えは短かった。


「試しだ」


「……あれが?」


ユーリスが思わず聞き返す。


竜の目がそちらへ向いた。


「そうだ」


「火を吐いてましたよ?」


「…我も見ていた」


「岩に叩き付けてましたよ?」


「それも見ていた」


「……殺し合いじゃないんですか?」


今度は竜の方が、

本当に意味が分からないように首を僅かに傾けた。


「何故殺す?」


「いや、あれだけやったら普通は死ぬんですよ!」


「竜はあの程度では死なぬ」


「そういう問題なんですか……?」


ユーリスの顔が引きつる。


ミリカも、

さっき戦っていた竜達の方を見ながら小さく唸った。


「竜、丈夫すぎるにゃ……」


「戦うためだ。

 そして、今の己を知るためでもある」


若い竜が答える。


「戦うとは…何とだ?」


セレスが聞いた。


竜の視線が、

今度はそちらへ移る。


「人は…忘れた者だ」


「何だと?」


「試しは、

 誰が前へ立てるか。

 誰の火が強いか。

 誰が今、どこまで戦えるかを知るために行う」


竜の声には、

何か特別なことを説明しているような響きがなかった。


むしろ、

そんなことも知らないのかとでも言いたげに聞こえる。


「力は変わる」


竜は、

平原へ目を向けた。


「若き者は強くなる。

 古き者は衰える。

 昨日までの強さが、今日も同じとは限らぬ」


「だから……戦って確かめる?」


ユーリスが呟く。


「そうだ」


「もっと安全な方法ないんですか?」


「何故?」


「何故って……」


そこで言葉に詰まったユーリスを見て、

少しだけ分かった気がした。


こいつらは、

あれを危険だと思っていない。


人間なら命の取り合いにしか見えない攻撃も、

竜にとっては耐えられる範囲の力でしかない。


だから実際にぶつけて、

今の自分がどこまで戦えるのかを確かめる。


誰が前へ立てるのか。


誰の火が強いのか。


言葉や想像ではなく、

身体で確かめる。


人とは、

そもそもの物差しが違う。


改めて、

平原へ目を向けた。


焼けた岩。


深く抉られた大地。


巨大な爪に削られたような、

長い傷。


木がほとんど残っていない理由も、

さっきまでより分かる気がした。


何度も、

何度も。


ここで竜達が、

こうやって力をぶつけてきた。


俺達には戦場にしか見えないこの平原も、

こいつらにとっては、

今の自分を確かめる場所の一つに過ぎないのかもしれない。


「……じゃあ」


俺は竜を見る。


「お前が俺に火を吐いたのも、

 これと同じか?」


竜は少しだけ黙った。


「近い…」


「近い?」


「お前は竜ではない」


「当たり前だ」


「故に、どこまで耐えるか分からなかった」


「それで火を吐くなよ…」


「…耐えた」


「結果論だろ」


竜が黙る。


俺も黙る。


「……」


すると、

横からミリカが口を挟んだ。


「じゃあ、あの時エアが吹っ飛んで死んでたらどうしてたにゃ?」


「死なぬと思った」


「なんでにゃ?」


竜が、

真っ直ぐ俺を見る。


「火を見たからだ」


「……」


またそれか。


俺の火。


こいつらにとって、

やっぱり相当特別なものらしい。


どこまで正確に分かっているのかは知らない。


それでも、

ただ似ているというだけでは済まない何かを、

こいつらは俺の火から感じ取っている。


「それに」


竜が続ける。


「死ぬ者へは、あの火は向けぬ」


「……そういう加減もあるのか」


セレスが僅かに目を細めた。


「当然だ」


「なら最初から説明しろ」


俺が言うと。


「聞かなかった」


「聞く前に吐いたんだろうが」


「……」


今度は竜が黙った。


ミリカが吹き出す。


「エアの勝ちにゃ」


「…何の勝負だ?」


「知らないにゃ」


「……」


竜はしばらく俺達を見ていた。


それから、

岩の上で身体を起こす。


「来い」


「まだ行くのか?」


「試し原は先だ」


「ここじゃないのか?」


周囲を見る。


巨大な竜が二頭、

火を吐きながら暴れても余裕があるほど広い。


俺から見れば、

戦う場所としては十分すぎるくらいだ。


だが、

竜は平原の奥へ顔を向けた。


「ここはただの平地だ、若い者が戯れる」


「……」


これで、

ただの平地なのか。


ミリカも同じことを思ったらしい。


「これだけ燃えてるのにゃ?」


「試す者がいるからな」


当然のように返された。


「じゃあ試し原って、

 どんな場所なんですか……?」


ユーリスが聞く。


竜は答えず、

岩盤から飛び降りた。


―――ドンッ。


着地しただけで、

足元へ振動が伝わってくる。


「…来れば分かる」


そのまま、

竜は大陸の奥へ歩き始めた。


今度は翼を広げない。


俺達が歩くことを、

ようやく理解したらしい。


「……最初からそうしろよ」


小さく呟く。


前を歩く竜の耳らしき部分が、

僅かに動いた。


聞こえたようだ。


だが、

返事はなかった。

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