第263話:竜への道
竜の姿が、
崖の上へ消えていく。
最後に残っていた翼の影まで見えなくなると、
辺りには再び、潮風と崖下へ打ち寄せる波の音だけが残った。
「……」
火を吐かれ。
こっちも火をぶつけ返し。
挙げ句の果てには、
今度は大陸の中まで来いと言われた。
どう考えても、
また面倒なことになりそうだ。
そんな中。
「ケチなやつにゃ」
「え?」
ユーリスが振り向く。
ミリカは竜が消えていった崖の上を見ながら、
頬を膨らませていた。
「どうせ上まで行くなら、
乗せてってくれてもいいにゃ!」
「いやいやいや!」
ユーリスが、
今度は完全にミリカへ身体を向ける。
「何を言ってるんですか!
あれ、竜ですよ!?」
「だからにゃ?」
「だからって……!」
ユーリスが言葉に詰まる。
その横で、
セレスが呆れたように聖杭槍杖を下ろした。
「お前というやつは…」
「あいつ飛べるにゃ?、楽ちんにゃ」
「……」
セレスの口元が、
僅かに引きつった。
二人のやり取りを聞きながら、
もう一度崖の上を見る。
乗せてもらう、か。
「……悪くなさそうだ」
ふと、
言葉が漏れた。
「え…」
ユーリスは半分呆れたような顔で俺をみた。
マリスも黙ったままみており。
セレスも盛大にため息を吐いた。
「ほら!、エアもそう思うにゃ?」
ミリカだけがその中で頷いていた。
昔は、アイツに散々乗っていた。
森を走る時も、
雪山へ向かった時も、
遠くへ行く時も。
ダックの背中の感触は、
今でも覚えている。
あいつ自身も俺を乗せて走るのが好きだったらしく、
頼んでもいないのに近くへ寄ってきて、
背中を向けることもあった。
そのくせ、
たまに勝手に変な場所へ連れていく。
首を叩いて戻れと伝えても、
聞いているのかいないのか分からないまま、
そのまま走り続けることもあった。
そんな姿まで思い出していたら、
いつの間にかセレスが目の前へ来ていた。
覗き込むように、
俺の顔を見ている。
「……何を笑っている?」
「別に、気のせいだ」
セレスが睨んでくる。
その間にも、
頭上では大きな影がいくつか動いていた。
さっきの火の合図が効いているのか、
岩壁の途中からこちらを監視していた竜達は、
もう降りてこようとはしない。
遥か上空を旋回するだけで、
一定の距離を保っている。
それでも、
見られていることに変わりはなかった。
「本当に……通してもらえるんですね」
ユーリスが小さく呟く。
「一頭が火を上げただけで、
他の竜が全員引いた……」
杖を下ろしてはいるものの、
その目は忙しなく崖の上を追っている。
もう怯えているというより、
気になることが増えすぎて、
どこから考えればいいのか分からないような顔だった。
「命令だったんでしょうか。
それとも、何か決まりが……」
「ユーリス」
「はい?」
「後で聞け」
「あ……はい」
今ここで考えても、
答えは出ない。
それより、
先にどうにかしなければならないものがある。
顔を上げる。
目の前には、
さっきから変わらず巨大な崖が立っていた。
下から見た時も馬鹿みたいな高さだと思ったが、
根元まで来ると余計に酷い。
ほとんど垂直で、
ところどころに竜が身を置けるほどの岩棚はあるものの、
人間が登るための道なんて当然ない。
上まではかなりある。
「……で」
ミリカが俺の横へ来る。
「どうするにゃ?」
「何が」
「上にゃ」
崖の上を指差す。
「竜は飛んでったにゃ」
「知ってる」
「エアも飛べるにゃ?」
「これは…無理だな」
ミリカは耳をぴくぴく動かしながら、
崖を見上げている。
どうやら本気で、
どこか登れそうな場所を探しているらしい。
俺も岩壁へ近付き、
手を当てた。
冷たい。
さっきの火が届かなかった場所は、
潮を含んだ風に冷やされ、
表面には僅かな湿り気まで残っている。
目を閉じる。
土へ意識を向ける感覚も、
前よりは分かるようになっていた。
最初は、
力を流せばとりあえず動く。
それだけだった。
けれど今は、
触れた岩の奥にあるものまで、
少しずつ拾える。
厚さ。
内部へ走る亀裂。
どこまでが一つの岩として繋がっているのか。
どこへ力を掛ければ崩れ、
どこなら形を保ったまま動かせるのか。
まだ火ほど自然じゃない。
それでも、
何も分からず動かしていた頃とは違う。
槍を握る。
「また作るのか?」
セレスの声が聞こえた。
「ああ」
「この高さ…できるのか?」
「他にないだろ」
「……」
セレスも崖を見上げ、
それ以上は何も言わなかった。
さすがに、
面倒なのは分かったらしい。
「階段にゃ?」
ミリカが聞く。
「ああ。前と同じだ」
もう一度、
岩肌へ掌を当てる。
ユーリスとミリカは、
それだけで何をするのか分かったらしい。
特に驚く様子もなく、
少し距離を取った。
その反応を見て、
セレスだけが引っ掛かったようにこちらを見る。
「……前と同じ?」
「何をするつもりだ?」
「登るんだよ」
「それは見れば分かる」
「なら見てろ」
手に伝わる冷たい感触を追いながら、
意識をさらに奥へ沈める。
硬く固まった岩の層。
その奥を走る細かな割れ目。
前に海底で同じことをした時は、
触手から逃げるためだった。
考えている暇なんてなく、
とにかく上へ進める形を作れと、
土へ力を叩き込んだ。
けれど、
今は焦る必要がない。
崖そのものを壊さないようにする。
俺達が登っても崩れない厚さを残す。
足を置けるだけの幅を作り、
一段上がれば無理なく次へ足が届く高さにする。
頭の中で、
一つずつ形を組み立てる。
「……」
岩へ触れた手から、
土の力を流した。
―――ゴゴゴゴゴ……。
低い音が、
足元から身体へ響いてくる。
岩壁が震え、
細かな砂がぱらぱらと肩の横を落ちていった。
その直後。
平らだった岩肌の一部が、
ゆっくりと外へ押し出される。
―――ゴンッ。
一段目。
人が二人並んでも余裕があるほどの幅を持った、
厚い岩が崖から突き出した。
続いて、
その少し上。
―――ゴンッ。
さらに一段。
そこから先も、
岩壁そのものが形を変えながら、
一段ずつ上へ伸びていく。
三段。
四段。
気付けば、
巨大な石の階段が崖の表面へ形を現していた。
「……」
隣で、
セレスが完全に黙った。
けれど、
まだ終わりじゃない。
海面から吹き上がる風を受けながら、
階段は崖に沿ってさらに上へ伸びていく。
真っ直ぐ作れば、
途中の岩棚へぶつかる。
大きな亀裂の上へ作れば、
そこから崩れるかもしれない。
岩の奥を探りながら、
危ない場所は避ける。
岩棚を回り込み、
割れ目を跨ぎ、
形を保てる場所だけを選ぶ。
―――ゴゴゴゴゴゴ……。
絶え間なく続く振動が、
足の裏から身体の奥まで伝わってきた。
「……エア」
後ろから、
マリスの声がする。
振り返らないまま答えた。
「なんだ?」
「すごい、前より……力の流れが、細かく動かせてる」
「分かるのか?」
「……なんとなく」
少しだけ横を見る。
マリスは白銀の槍を持ったまま、
出来上がっていく階段を見上げていた。
その目は、
一段ずつ形を変えていく岩の動きを追っている。
「初めて…崖から落ちそうになったときより、上手」
「あぁ、あれか」
獣人の土地で土に触れ、
その後はネレイアに水を教えてもらった。
まだ、
火みたいにはいかない。
火なら、
考える前に身体が動く。
息をすることと、
ほとんど変わらない。
土はそこまでじゃない。
どこへ力を流すのか。
どの形にするのか。
まだ考えながら使っている。
それでも、
最初に触れた頃よりはずっと近くなった。
「……」
セレスが、
俺と階段を交互に見ていた。
「貴様……さっきもそうだったが、いつの間にここまで?」
「使ってれば慣れる」
「そんな簡単な話ではない!」
声が少し大きくなる。
「火だけでも異常だったというのに。
今度は土をここまで――」
「うるさいにゃ」
ミリカが耳を押さえた。
「階段崩れたらどうするにゃ」
「私の声で崩れるわけがないだろう!」
「じゃあ静かにするにゃ」
「貴様……」
また始まった。
二人を放っておいて、
岩へ流していた力を止める。
―――ゴ……。
最後の一段が押し出され、
長く続いていた振動も少しずつ収まっていった。
見上げる。
階段は、
遥か上まで続いている。
とはいっても、
大陸の上まですべて繋げたわけじゃない。
まずは、途中にある一際大きな岩棚まで。
竜が一頭、
余裕を持って身体を置けそうな広さの場所。
今作ったのは、
そこまでだ。
「……全部じゃないんですね」
ユーリスが、
階段の先を見ながら言った。
「ああ」
「一気に上まで作らないんですか?」
「見えない場所まで動かして崩れたら面倒だ」
それに、
この崖は大きすぎる。
全部を一度に動かそうとすれば、
どこへ力が逃げるのか分からない。
見えないところで、
大きく崩れる可能性だってある。
今の俺なら、
確実に状態を拾える範囲だけを動かす方がいい。
「まず、あそこまで行く」
槍で、
上の岩棚を示す。
「そこからまた作る」
「……」
ユーリスが見上げる。
かなり長い。
首をいっぱいまで上へ向けても、
階段の先は遠かった。
「……結局、歩くんですね」
「だから乗せてもらえばよかったにゃ」
「まだ言ってるんですか!?」
ミリカは尻尾を揺らしながら、
最初の一段へ足を掛ける。
そのまま軽く跳び、
二段、三段と続けて上がった。
「行けるにゃ!」
「そりゃ階段だからな」
俺も、
一段目へ足を乗せる。
体重を掛け、
軽く踏み込んでみる。
岩は動かない。
少なくとも、
この程度で崩れることはなさそうだ。
その後ろでは、
セレスが慎重に足を乗せていた。
「……」
靴底で、
何度か石の感触を確かめている。
「どうした?」
「本当に崩れないのだろうな?」
「たぶん」
「たぶん!?」
「嫌なら下で待ってろ」
「誰が待つか!」
即答だった。
その横から、
マリスが静かに階段へ足を乗せる。
「セレス……大丈夫」
「マリス?」
「流れは……安定してた」
セレスは一度、
マリスを見る。
それから、
少しだけ不満そうな顔をしたものの、
ようやく俺の後ろへ続いた。
「行くぞ」
上を見る。
遥か先。
崖の向こう。
さっきの竜は、
もう見えない。
けれど、
この階段の先には試し原がある。
そのさらに向こうには、
まだ俺の知らない竜達の領域が続いている。
槍を肩へ担ぎ直し、
最初の一段を上がる。
俺達はそのまま、
岩壁から生まれた階段を登り始めた。




