↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
258/299

第258話:竜海域


海は穏やかだった。


あれほど荒れていた波は嘘のように静まり、

船は竜の領域へ向けて、ゆっくりと海の上を進んでいく。


その横を、

巨大な海王鯨が並ぶように泳いでいた。


背には、

アーダ達の姿がある。


「我らはここまでだ」


アーダが静かに告げる。


「この先は、

 竜達の海域だ」


俺は頷いた。


「あぁ。船の手配とか、色々ありがとう」


海王鯨の背から、

マリエルが船へ向かって大きく手を振る。


「みんなー!またねー!」


ミリカも、

ぶんぶんと手を振り返した。


「今度は遊びに行くにゃー!」


「待ってるわ!」


マリエルが笑う。


その隣では、

セレネリアがそっと微笑みながら手を振っていた。


「また、いらっしゃいね」


マリスも、

小さく手を振る。


「……ありがとう」


リリシアも、

少し照れ臭そうに頭を下げた。


「皆さんも、お元気で」


セレスも静かに一礼する。


「…世話になった」


アーダは、

一度だけ頷いた。


「達者でな」


それだけだった。


だが、

その表情は最初に会った頃より、

ずっと柔らかく見えた。


海王鯨が、

ゆっくりと方向を変える。


「いや〜ねぇ、一生の別れじゃあるまいし?」


ダルーが大きく手を振った。


「また会いましょうねぇ!」


その横では、

レギスとサリスも手を振っている。


「そうそ!、エア!あんたとの冒険も面白そうだ!」


「用事が済んだら、あたしたちとも冒険しようねぇ!」


その時だった。


海王鯨が、

大きく尾を持ち上げた。


「……ん?」


ダルーが首を傾げる。


次の瞬間。


―――ザバァァァァァッ!!


巨大な尾が海面を叩いた。


跳ね上がった大量の海水が、

そのまま船へ降り注ぐ。


「きゃっ!」


「にゃああ!?」


「……!」


逃げる暇もなく、

全員がまともに水を浴びた。


「ぶはっ!」


ダルーは全身びしょ濡れになり、

その場で固まった。


髪の先から、

雫がぽたぽたと甲板へ落ちていく。


「……」


ゆっくりと拳を握る。


「だから嫌なのよぉぉぉぉ!!」


両手を振り回す。


「言いなさいよぉぉぉ!!」


髪を押さえながら叫ぶ。


「アタシの毛並みがぁぁぁぁ!!」


船の上へ、

一斉に笑いが広がった。


海王鯨は、

まるで悪戯でも成功したかのように、

低い鳴き声を響かせる。


そのまま身体を沈め、

青い巨体は少しずつ海の奥へ消えていった。


やがて、

アーダ達の姿も見えなくなる。


「……」


俺達を乗せた船だけが、

静かな海を進み始めた。


甲板を、

潮風が吹き抜ける。


俺は船首に立ち、

遠ざかっていく海を眺めていた。


「エア!」


後ろから、

慌ただしい声が飛んでくる。


振り返る。


ユーリスだった。


さっきまで別れを惜しんでいた顔はどこへ行ったのか。


今の目は、

完全に何かを調べる時のものになっている。


「ちょっと見せてください!」


「何をだ…?」


「腕です!」


半ば強引に、

腕を掴まれた。


「……」


俺の腕。


腹。


胸。


首筋。


そこにはまだ、

青い波紋のような紋様が残っている。


ネレイディアの波紋によく似ているが、

同じものなのかは俺にも分からない。


ただ、

形を目で追っていると、

水そのものの流れを身体へ刻んだようにも見えた。


「やっぱり……」


ユーリスが目を輝かせる。


「まるでネレイディアの…」


指先で、

紋様をなぞる。


「しかも……」


少し首を傾げる。


「マリスや、マリエル達の王家の波紋に似てる……?」


「……」


その言葉に、

隣にいたマリスがそっとこちらを見た。


青い瞳が、

俺の腕へ向く。


それから、

自分の腕へ。


「……」


ほんの少しだけ、

口元が緩んだように見えた。


「お揃い……」


小さく漏れた声は、

潮風に紛れそうなくらいだった。


「どうしてこうなったんですか!?」


ユーリスは止まらない。


「海底で何かあったんですか?」


俺は少し考える。


「……治療だ」


「治療?」


「ああ」


自分の腕を見る。


「あのあと、底殻の毒にやられてな。

 マリエルに治療された」


ユーリスが瞬きをする。


「でも、それだけで……?」


「違う」


静かに首を振る。


「あの水を通して」


少しだけ目を閉じる。


あの時。


毒で動かなくなっていく身体の中へ、

マリエルの水が流れ込んできた。


その奥で見たものを、

今でも覚えている。


「ネレイアを見た」


甲板から、

声が消えた。


「……え?」


「ネレイアが見せてくれた」


あの時の流れを思い返す。


ただ押すだけじゃない。


止めるだけでもない。


自分へ来たものを受け、

そのまま次へ渡していく。


「海の中でも水の流れを教えてくれた。

 押さえ込むんじゃなく、流す、受け止める。

 そういう在り方だった」


「そんなことで……」


ユーリスが呟く。


「適正以外の属性を……」


その時だった。


「当然だね」


後ろから、

聞き慣れた声がした。


振り返る。


さっきまでそこにいたマリスの姿はなく、

代わりに長い金の髪が潮風へ揺れていた。


「ルクナス?」


「おはよ」


軽く手を振る。


「エア、また面白いことになってるね?。

 まぁ、当然ではあるんだけど」


ユーリスが振り向く。


「当然って……」


ルクナスは笑う。


「エアは火だから特別なんじゃない」


「……?」


「前にも言ったろ?」


ルクナスの視線が、

静かに俺へ向く。


「エアは世界へ干渉する力、君たちの魔法の原点」


潮風が吹く。


「ネレイアは水を生み出した人じゃない。

 水という在り方へ辿り着いた人」


少しだけ笑う。


「そしてエアは、その在り方を理解した。

 だから取り込めた」


ユーリスが目を丸くする。


「そんなことが……」


ルクナスは頷いた。


「派生したものを理解し、自分のものとして扱える。

 それだけじゃない。

 君たちが枝分かれしたように、まったく別の力も手に入れるかも?」


少しだけ意味深に笑う。


「旅を続ければ、まだまだ増えるかもしれないね」


俺は何も答えず、

海へ目を戻した。


潮風が身体を抜けていく。


腕に残った青い紋様が、

陽の光を受けて静かに輝いていた。


「……エア」


それまで黙っていたセレスが、

口を開く。


「何だ?」


「今のお前は、火、土…そして」


俺の腕へ残る、

青い紋様へ目を向ける。


「水まで扱えるということか?」


「……たぶん、そうなんだろうな」


答える。


実際に使える。


海王鯨を助けた時にも、

水は俺の意思に応えた。


けれど。


どこまで出来るのか。


何が出来ないのか。


今の俺には、

まだ何も分かっていない。


セレスは、

小さく息を吐いた。


「そうか……」


そのまま、

しばらく黙り込む。


甲板には、

潮風の音だけが残った。


「教会がお前を知れば……」


そこで言葉を切る。


「どう動くのか、もはや私にも分からん…」


その声には、

呆れだけではなく、

はっきりとした警戒が混じっていた。


銀の瞳が、

静かに俺を見る。


「神として崇める者もいれば…」


ほんの僅かに、

その目が細くなる。


「異端として討とうとする者もいるだろう」


「どっちも面倒だな…」


「……ああ」


セレスは苦笑した。


「その点だけは同感だ」


その時だった。


船頭の隣にいたネレイディアの男が、

突然、進行方向の海を睨んだ。


「……来る」


低い声だった。


すぐに振り返る。


男は海から目を逸らさないまま、

声を張り上げた。


「全員、船室へ!」


突然の怒声だった。


「え?」


ユーリスが目を瞬かせる。


「海は穏やかですよ?」


「今だけだ!」


船頭が叫ぶ。


「ここから先は竜海域だ!、

 油断して甲板にいたら海へ放り出されるぞ!」


その声と同時に、

周囲の船乗り達も一斉に動き出した。


帆を調整し、

縄を締め直し、

甲板に置かれていた荷を固定していく。


さっきまでの穏やかな空気が、

一瞬で消えた。


「行くにゃ!」


ミリカが慌てて船室へ飛び込む。


ユーリスも後を追う。


俺達も続いて中へ入り、

最後の一人が滑り込むと、

すぐに扉が閉められた。


その直後だった。


―――ゴォォォォォッ!!


船全体が、

突然持ち上がった。


「うわっ!?」


ユーリスの身体が浮く。


次の瞬間。


―――ドンッ!!


反対側の壁へ叩き付けられた。


「いたたたっ!」


「にゃああああ!?」


ミリカも床を転がり、

そのまま反対側まで滑っていく。


船が止まらない。


右へ傾いたと思えば、

次には反対側へ振られる。


船首が跳ね上がり、

直後には腹の中まで浮くような勢いで落ちた。


まるで巨大な何かに掴まれ、

船ごと振り回されているようだった。


「くっ……!」


セレスが壁へ手を突く。


足へ力を入れて踏ん張るが、

それでも身体が床を滑っていく。


「これが……竜の海域か……!想像以上に…ッ!?」


船首が、

さらに大きく傾いた。


その瞬間。


―――ゴォォォッ!!


外から、

凄まじい轟音が響いた。


俺は目を閉じる。


身体を揺さぶられながら、

海の流れへ意識を向けた。


まだ、

遠くまで見渡せるわけじゃない。


海墓域でやった時ほど、

はっきりと何もかも分かるわけでもない。


それでも。


さっきまでとは違う。


海の中を走る、

大きな水の動き。


それだけなら、

ぼんやりと感じ取れる。


「……」


船が進んでいた場所のすぐ先で、

大きな流れが幾つもぶつかっている。


そこへ別の流れが入り込み、

海水そのものが下へ引き込まれていく。


次の瞬間。


船の進行方向へ、

巨大な渦が口を開けた。


海面そのものが裂けるように沈み込み、

その周囲から白い飛沫が天へ噴き上がる。


「……やばい」


ユーリスが息を呑む。


「見えてるんですか……?」


「流れを読んでるだけだ!、みんな捕まれ!」


さらに外から、

船乗りの声が響いた。


「前、三つ!」


船頭が舵を慌てて切る音と同時に、

船が横へ跳ねた。


大波ではない。


海流そのものが、

別々の生き物のようにぶつかり合っている。


窓の外では、

さっきまで穏やかだった海が、

まるで別の場所へ入ったかのように姿を変えていた。


巨大な波が、

幾重にも重なる。


流れ同士が正面から衝突し、

砕けた海水が白く弾ける。


その横では渦が生まれ、

船が近付くより先に形を崩して消えていく。


一つとして、

同じ場所に留まっていない。


その僅かな隙間を縫うように、

船は激しく揺れながら進み続けていた。


「普通の船じゃ……」


ユーリスが、

身体を起こしながら息を呑む。


「絶対に越えられませんね……」


轟音。


大波。


船は何度も持ち上がり、

何度も海面へ叩き落とされた。


壁へ固定されている荷物まで軋み、

船体のあちこちから嫌な音が響く。


誰も、

まともには立っていられない。


壁や柱へ身体を預け、

揺れに耐えるしかなかった。


どれくらい続いただろう。


時間の感覚まで、

揺れの中へ消えていた。


やがて。


荒れ狂っていた船の動きが、

少しずつ弱くなっていく。


右へ傾かない。


身体も浮かない。


床を転がっていた小物が、

ようやく止まった。


「……抜けたか?」


誰かが呟く。


ようやく、

全員が肩の力を抜いた。


そこへ、

外から声が届く。


「甲板へ出ても大丈夫だ」


扉を開ける。


潮風が、

船室の中へ吹き抜けた。


俺は甲板へ出る。


そして。


目の前に広がっていた景色を見て、

足を止めた。


後ろから出てきた皆も、

誰一人として声を出さない。


そこには。


今まで見てきた海とは、

まるで違う景色が広がっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。