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第257話:七年越しの、ただいま


部屋は静かで。


お母様の腕の中は、

昔と同じ温かさだった。


最後にこうして抱き締めてもらったのは、

…何年前だっただろう。


ハッキリとは思い出せない…。


それでも、この温もりだけは忘れてない。

何も変わっていなかった…。


「ごめんなさい……」


耳元で、

何度も繰り返される声。


「ごめんなさい……

 マリエル……」


「……」


首を横へ振る。


違う。


謝るのは、

私の方なのに。


そう言いたいのに、

胸の奥が詰まって、

まだ上手く言葉にならなかった。


その時だった。


廊下の向こうから、

慌ただしい足音が近付いてくる。


続いて、

近衛の声が聞こえた。


「こちらです!」


誰かが、

真っ直ぐこの部屋へ向かって来る。


―――ガチャッ!!


勢いよく、

扉が開いた。


「お母様!」


聞き覚えのある声。


身体が、

びくりと震えた。


「いきなり…」


背後で、

言葉が止まる。


さっきまで聞こえていた足音も、

近衛達の気配も、

急に遠くなったように感じた。


恐る恐る、

振り返る。


扉の前。


一人の少女が立っていた。


肩まで伸びた青い髪。


急いできたのか、

息を切らしながら、

大きく目を見開いたまま私を見ている。


「…………」


言葉が出なかった。


最後に見た時より、

ずっと大きくなっている。


背も伸びた。


顔立ちも、

あの頃より少し大人びている。


でも。


間違えるはずがない。


「……リリシア」


小さく名前を呼ぶ。


少女の瞳が、

さらに大きく開いた。


「……お姉…様?」


震える声。


信じられないものでも見るように、

何度も私の顔を確かめている。


「本当に……」


戸惑うように、

それでも少しずつ近付いてくる。


「本当に、お姉様なの……?」


「……うん」


頷く。


それだけだった。


そして、次の瞬間。


―――パァンッ!!


乾いた音が、

部屋へ響いた。


頬へ熱が走る。


何が起きたのか、

一瞬分からなかった。


遅れて、

叩かれたのだと気付く。


目の前では、

リリシアが震える手をそのまま握り締めていた。


「馬鹿!!」


涙声だった。


「お姉様の馬鹿ぁ!!」


肩が震えている。


「どれだけ……」


声が詰まる。


「どれだけお母様が苦しんだと思ってるの!?」


涙が、

次々と頬を伝っていく。


「毎日……毎日!」


「リリシア……」


「お姉様を探して!」


叫ぶ。


「帰ってくるって信じて!

 きっと生きてるって信じて!

 何年も……何年も!」


呼吸が乱れていた。


怒っている。


泣いている。


そのどちらも、

今の私には痛いほど伝わってくる。


「なのに!」


もう一度、

私を睨もうとして。


その瞳が揺れた。


「なのに……」


声が崩れる。


「急に帰ってきて……」


唇が震える。


「そんなの……」


堪え切れなくなったように、

ぽろぽろと涙が零れた。


「ずるいよぉ……」


そのまま、

胸へ飛び込んでくる。


「お姉様ぁっ!!」


強く抱き付かれた。


服を握る手が、

痛いくらいに強い。


胸元へ顔を押し付けたまま、

泣き声が直接身体へ響いてくる。


「ずっと……!」


嗚咽が混じる。


「ずっとぉ……!」


服を掴む力が、

さらに強くなる。


「お姉様ぁ……!」


私は、

何も言えなかった。


ただ、

震える身体へ腕を回す。


「……ごめんね」


掠れた声しか出ない。


「ごめん、リリシア……」


「馬鹿ぁ……!」


胸を叩かれる。


けれど、

ほとんど力なんて入っていなかった。


泣きながら。


子供みたいに。


何度も、

何度も。


「お姉様のばかぁ……!」


「……うん」


私はただ、

その身体を抱き締め返した。


腕の中で、

肩が震えている。


七年前。


別れた時は、

まだあんなに小さかったのに。


今はもう、

抱き締めた時の位置さえ違う。


「大きく……なったね」


思わず漏れた。


リリシアの肩が、

ぴくりと震える。


「当たり前よぉ…」


泣いたまま答える。


「七年も経ったんだから……」


「……そうだね」


七年。


口にすれば、

たったそれだけの数字なのに。


私は、

その間のこの子を何も知らない。


笑った日も。


泣いた日も。


背が伸びたことも。


どんなものが好きになって、

何を嫌いになったのかも。


全部。


私は知らない。


私がいなかった七年間を、

お母様は一人で見守ってきた。


胸の奥が、

強く締め付けられる。


失った時間は、

もう戻らない。


「……ごめん」


また、

同じ言葉しか出てこなかった。


「もういい!…」


リリシアが顔を上げる。


涙でぐしゃぐしゃのまま。


「もう謝らないで!…」


服を掴んだまま叫ぶ。


「帰ってきてくれたんだから!」


「……」


「もう……」


鼻をすすりながら。


「もう、帰ってきてくれたんだからぁ……」


その声を聞いた瞬間、

胸の中で張り詰めていたものが、

少しずつほどけていった。


「……」


背中へ、

そっともう一つの温もりが重なる。


お母様だった。


私とリリシアを、

二人まとめて後ろから抱き締めてくれる。


背中へ回された腕は、

まだ震えていた。


その震えを感じた途端、

また胸の奥が熱くなる。


「ありがとう……」


掠れた声。


「帰ってきてくれ…」


その言葉を聞いた瞬間。


堪えていたものが、

また溢れた。


「……ただいま」


小さく呟く。


お母様の腕が、

僅かに震えた。


「……おかえりなさい」


耳元で。


何度も。


何度も。


その言葉が繰り返された。


「おかえりなさい、マリエル……」


私は目を閉じる。


七年間。


ずっと、

言われたかった言葉だった。


もう。


今だけは、

どこにも行きたくなかった。



ーーーーー



海王鯨が、

ゆっくりと城の前へ身を寄せる。


俺達の姿に気付いた近衛達が、

次々と駆け寄ってきた。


「アーダ様だ!」


「お戻りになられた!」


歓声が広がっていく。


俺はマリスを抱えたまま、

海王鯨の背から降りた。


その向こう。


城の入口からも、

何人もの人影が駆けてくる。


その中に、

見覚えのある青い髪があった。


「……」


隣にいたアーダの足が止まる。


城から出てきたマリエルも、

同じように立ち止まった。


互いに、

言葉が出ない。


七年ぶりだ。


俺には、

二人の間に何があったのか全部は分からない。


ただ。


どちらも、

その場から目を逸らそうとはしなかった。


しばらく見つめ合ったあと、

先に歩き出したのはアーダだった。


マリエルの目の前まで来る。


大きな手が持ち上がり、

そっと娘の頭へ置かれた。


「……帰ったか」


短い一言。


マリエルは、

泣きながら笑った。


「……ただいま、お父様」


「無事で良かった…、マリエル」


それだけだった。


けれど、

アーダの大きな手は離れない。


何度も。


確かめるように、

娘の頭を撫で続けていた。



ーーーーー



一通りの慌ただしさが過ぎたあと。


俺達は、

城の客室でようやく腰を落ち着けていた。


窓の外には、

穏やかな青い海が広がっている。


底殻との戦いが終わったあとも、

まだやることが残っていた。


マリスが動ける程度まで回復するのを待ち、

もう一度、海墓域へ向かった。


目的は、あそこで発見したアンカー。


ルクナスの力を借り、

海底にあったアンカーは無事に封じられた。


その影響なのか。


あれほど乱れていた海流も、

少しずつ本来の流れを取り戻し始めている。


セルネレイアも、

再び地上との交易を行える状態へ戻った。


そして、

もう一つ。


マリエルが話していた箱も探した。


アンカーの根元、

その周囲の海底。


砂の下まで掘り返して調べたが、

箱はどこにも残っていなかった。


誰かが持ち去ったのか。


それとも、

最初から役目を終えれば消えるようなものだったのか。


結局。


それだけは、

最後まで分からなかった。


「……」


俺は客室を見回す。


マリエル。

ダルー。

レギス。

サリス。


ユーリス。

ミリカ。

セレス。


そして、


ルクナスの力を借りてアンカーを封じた疲れから、

再び眠っているマリス。


ようやく、

全員が同じ場所に揃っていた。


「それで」


短く口を開く。


「お前達は、

 これからどうするんだ?」


部屋が静かになる。


マリエルは、

少しだけ困ったように笑った。


「……分からない」


膝の上へ視線を落とす。


「そんな簡単に、

 決められることじゃないもの、それに」


小さく息を吐く。


「七年ぶりに帰ってきたばかりだし」


窓の外を見る。


「少しだけ、

 考える時間が欲しい」


「そうねぇ」


ダルーが腕を組む。


「あたし達もしばらくはここにいるわ」


レギスも頷いた。


「急ぐ旅でもねぇしな」


サリスが笑う。


「マリエルの答えが出るまで、

 一緒にいるよ」


「……ありがとう」


マリエルが、

小さく笑う。


地上へ戻るのか。


この国へ残るのか。


それとも、

別の道を選ぶのか。


七年ぶりに帰ってきたばかりのマリエルへ、

今すぐ決めろと言えることじゃない。


その時。


眠っていたマリスが、

小さく身じろぎした。


ゆっくりと、

瞼が開く。


「起きたか?」


「……うん」


まだ少し、

眠そうな声だった。


その姿へ、

マリエルの視線が止まる。


「……」


マリスも気付いたのか、

ゆっくりとマリエルを見る。


二人とも、

動かない。


「……」


「……」


並んでいるわけでもないのに、

こうして向かい合っているだけで分かる。


似ている。


思っていた以上に。


しばらく、

互いの顔を見つめ続けたあと。


「……えぇ?」


先に口を開いたのは、

マリエルだった。


「本当に私だ…」


思わず頬へ触れる。


「そこまで似てるって言われても、

 半信半疑だったけど」


苦笑する。


「これは……びっくりするわぁ」


ダルーも目を細める。


「いやぁ、でも、ほんと……」


腕を組んだまま首を振る。


「ここまで似てるとは思わなかったわねぇ」


レギスも苦笑する。


「双子って言われても、

 普通に信じるぞ?」


サリスも、

二人の顔を何度も見比べている。


「目も輪郭も、

 本当に同じ……」


マリスは少しだけ戸惑った様子で、

マリエルを見つめていた。


「……初めまして」


静かに頭を下げる。


「私はマリスです」


「っぷ……」


思わず、

マリエルが吹き出した。


「ご、ごめん」


口元を押さえながら笑う。


「だって……」


もう一度、

マリスの顔を見る。


「私の顔なのに、真面目」


肩を竦める。


「私はマリエル」


少しだけ首を傾げた。


「よろしくね、もう一人の私?」


そう言ったあと。


マリエルは、

僅かに目を細めた。


「……いや」


小さく首を横へ振る。


「それも違うか」


マリスが、

僅かに首を傾げる。


「違う……?」


「うん」


マリエルは、

もう一度マリスの顔を見る。


しばらく。


何かを確かめるように、

黙って見つめていた。


「確かに、

 顔は私と同じだけど」


少しだけ笑う。


「あなたは、

 私じゃないもの」


「……」


「エアから、

 あなたのことも少し聞いたわ」


マリスの瞳が、

僅かに動く。


マリエルは、

自分の胸元へ手を当てた。


「私は私」


それから。


マリスへ向けて、

人差し指を伸ばす。


「あなたは、

 あなたでしょう?」


部屋が静かになる。


マリスは、

しばらくマリエルを見つめていた。


「……うん」


やがて、

小さく頷く。


「私は……」


一度、

言葉を止めた。


けれど。


次に出た声には、

迷いがなかった。


「私は…私です」


「……」


思わず、

マリスを見る。


前なら。


自分は作られたものだとか。


誰かの器なのかもしれないとか。


自分が何なのか、

分からないと言っていた。


けれど、

今は違う。


マリエルでもなく。


誰かの器でもなく。


自分を、

自分だと言った。


「……そうか」


小さく漏れる。


マリスが、

こちらを見る。


「何……?」


「いや」


首を横へ振る。


「少し驚いただけだ」


「……変?」


「違う」


すぐに答える。


「いいと思う」


マリスは、

少しだけ目を伏せた。


その口元が、

ほんの僅かに緩んだように見えた。


「そう……」


向かいでは、

マリエルも満足そうに笑っていた。


「なら決まりね」


「何が……?」


「私はマリエル」


自分を指差す。


「あなたはマリス」


今度は、

マリスを指差す。


「顔が同じでも、

 それでいいでしょう?」


マリスは、

少し考えてから静かに頷いた。


「……うん」


同じ顔をした二人が、

互いを見つめたまま、

小さく笑った。


「それで」


マリエルが、

今度はこちらを見る。


「エアの方は、

 この後どうする気?」


「予定通りだ」


短く答える。


「竜の領域へ向かう」


マリエルの表情が、

僅かに引き締まった。


「やっぱりぃ?」


「ああ」


窓の外へ視線を向ける。


海流は戻った。


アンカーも封じた。


箱の行方だけは分からないままだが、

ここで俺達に出来ることは、

ひとまず終わっている。


「アーダも、

 協力してくれると言っていたしな」


竜の領域へ続く海域。


普通の船では、

越えられない荒れた流れ。


そこを進むには、

ネレイディアの力が必要になる。


「なら」


槍へ手を添える。


「このまま進む」


マリエルは、

しばらくこちらを見ていた。


それから、

小さく息を吐く。


「そう」


マリエルは笑った。


「ご先祖様ってのも大変なのね」


「まぁな」


「ふふっ」


肩を竦める。


「じゃあ、気を付けてね」


「ああ」


マリエルは、

窓の外へ目を向けた。


穏やかな青。


そのさらに先。


まだ見えない、

竜の領域。


俺も、

同じ方向を見る。


ここへ来た時には、

荒れ狂っていた海。


今はもう、

何事もなかったように静かだった。


「次は」


短く言う。


「竜の領域だ」

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