第252話:海の戦い方
アーダ達との距離が、
一気に縮まる。
城下の外縁。
建物の向こう。
山のような殻が、
ゆっくりと動いていた。
「……」
底殻。
近くで見ると、
想像していたよりも大きい。
城の一角が、
そのまま動いているみたいだった。
殻の表面は岩よりも分厚い。
長い年月を重ねた傷と、
海藻の残骸に覆われている。
そして。
殻の隙間からは、
まだら模様の触手が何本も伸びていた。
その表面を覆うように。
黒いものが、
絶えず滲み出している。
…影。
脈打つように蠢きながら、
触手の周囲へ纏わり付いていた。
近衛達が、
底殻を取り囲んでいる。
槍を構え。
触手が伸びるたびに、
隊列を崩さず迎え撃っていた。
「右から来るぞ!」
「二列目、前へ!」
「近付かせるな!」
水を切る音。
槍が触手へ叩き込まれる、
鈍い衝撃。
黒い影が散る。
だが。
触手は止まらない。
殻の内側から、
次々と新しいものが伸びてくる。
終わりがない。
アーダが、
先頭にいた。
長い槍を振るい。
正面から伸びてきた触手を、
一息に切り払う。
その横を。
カイルが抜けた。
尾を大きくしならせ、
底殻の側面へ回り込む。
手にした槍が、
殻の隙間へ突き込まれた。
―――ゴォンッ!!
重い音。
穂先は、
僅かに食い込んだだけだった。
「硬い……!」
カイルが離れる。
直後。
殻の下から、
新たな触手が伸びた。
「カイル!」
アーダが叫ぶ。
カイルは、
身体を捻った。
尾が水を押す。
触手の先端が、
胸元を掠める。
そのまま、
アーダの横へ戻った。
「父上!内部まで届きません!」
「無理に狙うな!」
アーダが、
周囲へ声を飛ばす。
「まず触手を落とせ!
城下から引き離すぞ!」
その時。
アーダが、
こちらを見た。
目が見開かれる。
「マリス!?」
私は速度を落とさず、
そのまま近付く。
「何故来た!」
「私も戦える……」
「そういう問題ではない!」
アーダの声が、
強くなる。
けれど。
その間にも。
背後から、
黒い触手が迫っていた。
「後ろ……!」
私が声を上げる。
アーダが振り向く。
でも。
少し遅い。
白銀の槍を出す。
握る。
尾へ力を込める。
「……っ!」
水を蹴るように、
強く尾を振った。
身体が、
一気に前へ出る。
速い。
陸で踏み込む時とは、
比べ物にならない。
触手との距離が、
一瞬でなくなった。
槍を、突き出す。
けれど。
穂先が触れる寸前。
身体が、
後ろへ押し戻された。
「……!?」
踏ん張ろうとする。
でも。
足はない。
長い尾が、
水の中で大きく揺れた。
姿勢が崩れる。
白銀の穂先は、
触手の横を滑っていった。
そのまま。
黒い影を纏った触手が、
視界いっぱいに広がる。
「マリス!」
アーダの声。
避ける。
身体を捻る。
尾を振る。
けれど。
思った方向へ、
動かない。
触手が、
脇腹を掠めた。
「……っ!」
衝撃が走る。
身体が回った。
上も。
下も。
一瞬、
分からなくなる。
水の中を弾かれ。
遠くへ押し流される。
槍を強く握る。
離さない。
身体を戻そうと、
尾を何度も動かす。
でも。
動かすほど、
姿勢が崩れていく。
「……何で」
陸なら。
足を着けば、
止まれた。
地面を蹴れば、
進めた。
身体を捻れば、
向きを変えられた。
でも。
ここには、
何もない。
掴める地面も。
踏み込める床も。
「無理に動くな!城に戻れ!」
アーダの声が、
遠くから届く。
「連れて行け!」
近衛が一人。
こちらへ、
向かってくる。
けれど。
その動きは、
私とは違った。
尾を強く振っていない。
身体を斜めに傾け。
水の流れを受ける。
腰からゆっくり捻り。
尾の先で、
僅かに水を押した。
それだけで。
身体が、
滑るように曲がる。
迫ってきた触手を避け。
その脇を、
すり抜けた。
「……」
違う。
尾は。
地面を蹴るための、
脚じゃない。
水の中で、
無理やり身体を押し出すものでもない。
流れを掴む。
向きを変える。
そのためのもの。
近衛が、
私の腕を掴もうとする。
私は、
首を横に振った。
「大丈夫……」
自分で戻る。
槍を握ったまま。
身体の力を、
抜く。
水が。
頬を。
腕を。
尾の表面を、流れていく。
今までは、
ただ身体へ当たっているだけだと思っていた。
けれど、違う。
場所によって。
速さも。
重さも違う。
尾を、
ゆっくりと曲げる。
水が。
鱗の上を、
滑っていく。
その流れを。
尾の先で、
僅かに押す。
「……っ」
身体が、
横へ滑った。
思っていたよりも、
ずっと速い。
もう一度。
今度は、
腰から身体を捻る。
尾を振るのではなく。
水を受ける角度を、
変える。
視界が回る。
でも。
さっきとは違う。
自分で、
回っている。
近衛が。
少し驚いたように、
私を見る。
「今の動き……参考になった」
前を見る。
底殻。
アーダ達。
そして。
こちらへ向かってくる、
一本の触手。
速い。
今度は。
避けるだけじゃない。
槍を構える。
水の流れへ、
身体を乗せる。
尾を返す。
一気に、
加速する。
触手が迫る。
正面からは、
行かない。
身体を傾ける。
そのまま。
触手の下へ、
滑り込む。
黒い影が、
頭上を通り過ぎた。
勢いを殺さない。
槍を振るうのではなく。
進む先へ、
穂先を置く。
「……!」
白銀の槍が、
触手の側面へ食い込んだ。
そのまま。
尾で、
水を押す。
身体ごと、
横へ滑る。
―――ズバッ。
触手の肉が、
途中から裂けた。
纏わり付いていた黒い影が、
水の中へ散る。
「……できた」
初めて。
自分の尾で。
自分の身体を動かして。
斬った。
だが、
すぐに次の触手が伸びてくる。
今度は二本。
私は槍を握り直す。
怖くない。
まだ。
完全には、
慣れていない。
でも、少しずつ分かってきた。
尾をただ振るのではない。
水を見る。
流れへ乗る。
自分の身体も。
この海の中にあるものとして、
動かす。
「マリス!」
アーダが、
もう一度こちらを呼ぶ。
私は触手の間を抜けながら、
アーダ達のところへ戻る。
今度は。
流されない。
自分で進み、アーダの隣へ滑り込んだ。
「来るなと言ったはずだ」
「もう来た……」
「……」
アーダが、
一瞬だけ黙る。
その向こう。
底殻の隙間から。
さらに多くの触手が、
溢れ始めていた。
私は槍を構える。
「私もやる……」
アーダが、
こちらを見る。
何かを言おうとして。
やめた。
「無茶はするな」
「……うん」
短く答える。
底殻が、
低く震えた。
―――ゴゴゴゴゴゴ……。
海底から。
身体の奥まで響く、
重い音。
殻の周囲で。
黒い影を纏った触手が、
一斉に持ち上がった。
私は尾を曲げる。
水の流れを感じる。
今度は、さっきよりもはっきり分かった。
触手が一斉に襲い掛かってくる。
正面。
左右。
さらに上から。
「散れ!」
アーダの声が響いた。
近衛達が隊列を大きく開く。
一か所へ固まらない。
互いの間へ。
触手が通れるほどの、
隙間を作る。
一本。
こちらへ、
向かってくる。
さっきまでなら。
触手だけを見て、
避けようとしていた。
今は違う。
触手が動けば。
周囲の水も、
押し退けられる。
その流れが。
先に身体へ伝わってくる。
「……来た」
尾を曲げる。
触手が迫る、
その直前。
押し出された流れへ、
身体を預けた。
視界が、
横へ滑る。
黒い触手が。
頬のすぐ横を、
通り過ぎる。
その勢いを使い。
身体を、
反転させる。
白銀の槍を。
触手の根元へ、
向けた。
「……そこ」
突き出す。
今度は。
身体を固定しようとは、
しない。
槍を突く反動も。
触手が押し退ける流れも。
全部。
尾へ逃がす。
穂先が、
触手の肉へ突き刺さった。
―――ズブッ。
鈍い感触。
触手が、
大きく揺れる。
槍を引き抜こうとして。
やめた。
そのまま。
身体ごと、
回る。
白銀の槍が。
触手の内側を、
深く抉っていく。
―――ブツンッ。
触手が、
途中から千切れた。
切断面から、
黒い影が溢れ出す。
『マリス』
ルクナスの声がした。
『それだけじゃ、
あれは倒せない』
「……」
『火を使うんだ』
「火……」
知っている。
影との戦い。
エアが。
どうしていたのかも。
エアの火を、
思い浮かべる。
その時。
視界の隅で。
別の触手が、
近衛の背後へ迫っていた。
「あぶない!…後ろ!」
近衛が、
振り返る。
でも。
間に合わない。
私は尾を返し、水を押す。
身体が、
斜め上へ滑った。
近衛と触手の間へ、
入り込む。
白銀の槍を、
横へ払った。
―――ガァンッ!!
硬い感触。
切れない。
太い。
先程までのものより、
肉も影も濃い。
槍を通して。
重い力が、
腕へ伝わってくる。
体が押される。
でも。
今度は、
流されない。
押し返される力を。
再び体から尾へ、
流していく。
「……っ」
耐えられる。
陸で踏ん張るのとは、違う。
水の中で。
力を、
受け流す。
「今……!」
近衛が動いた。
私の横から。
槍を、
突き出す。
穂先が、
触手の付け根へ食い込んだ。
もう一人。
反対側から、
加わる。
三本の槍が。
触手の動きを、
押さえ込む。
「切る……!」
白銀の槍へ、
力を込める。
白い火が。
穂先へ灯った。
水の中で。
白火が、
小さく揺れる。
身体の表面を流れる水が。
火から伝わる熱を、
すぐに運び去っていく。
陸で使う時より。
ずっと、
身体が楽だった。
「いける……」
尾で水を押し、進む力を、
そのまま槍へ乗せる。
白火が、
触手の内側へ走った。
―――ボゴォッ!!
大量の泡が、
弾ける。
白銀の槍が、
一気に触手へ食い込んだ。
「……!」
今までとは、
違う。
槍で肉を斬るだけじゃない。
その内側に絡み付いた影を。
白火が、
焼いている。
「これなら……」
尾を返す。
水の流れへ、
さらに身体を乗せる。
白火が、
一段強くなる。
―――ズバァンッ!!
太い触手が。
根元近くから、
断ち切られた。
黒い影が、
水の中へ溢れる。
けれど。
形を作り直すより先に、
白火がその中を走った。
黒い塊が。
小さく縮みながら、
消えていく。
「今のは……」
近衛が、
驚いたように私を見る。
私も。
自分の槍を、
見ていた。
白い火。
その周囲を、
流れていく水。
槍そのものが、
変わったわけじゃない。
私も。
急に強くなったわけじゃない。
ただ、この身体で。
この海の中を、
どう動けばいいのか。
少しずつ、
分かり始めている。
「マリス様!」
近衛の声で、
顔を上げる。
新しい触手が。
殻の隙間から、
持ち上がっていた。
一本。
二本。
さらに。
その奥から。
「来る……」
槍を握り直す。
今度は、
焦らない。
右。
僅かに、
下。
「そっち……!」
私が声を上げる。
近衛達が、
同時に槍を構えた。
触手が、
迫る。
けれど。
届く前に。
隊列が、
左右へ割れる。
黒い触手が。
その間を、
通り抜けた。
「今……!」
両側から。
近衛達の槍が、
触手の肉へ突き込まれる。
動きが止まる。
私は、
二人の間を抜けた。
白銀の槍へ、
白火を流す。
「……切る」
触手の下へ回り込み。
根元へ。
槍を、
滑らせる。
―――ズバッ!!
触手が、
斜めに裂けた。
内側から溢れ出した影へ、
白火が触れる。
―――ボゴッ。
火が、
弾けた。
また、黒い塊が。
小さく縮みながら、
消えていく。
「効いている!」
近衛の一人が、
声を上げた。
「マリス様の火なら、あの黒いものを消せる!」
周囲の視線が、
私へ集まる。
「……」
少しだけ、
落ち着かない。
けれど。
今は、
気にしている場合じゃない。
「押さえて……」
近衛達を見る。
「私が切る」
二人が、
一瞬だけ顔を見合わせた。
すぐに頷く。
「承知!」
「合わせます!」
別の触手が。
海底を抉りながら迫る。
近衛達が、
正面から受け止めた。
私は触手の側面へ、回り込む。
「そこ……」
白火を纏わせた槍を。
根元へ、
突き込んだ。
―――ドンッ!!
触手の内側で。
黒い影が、
大きく脈打つ。
「離れて……!」
近衛達が、
槍を引き抜く。
私も尾を返し。
その場から、
離れる。
次の瞬間。
触手の内側で、
白火が膨らんだ。
―――ボゴォォンッ!!
黒い影が、
内側から弾け飛ぶ。
触手が崩れ。
細かな黒い粒となって、
水の中へ消えていく。
「やった……!」
近衛達の声が、
上がる。
その向こう。
アーダとカイルも。
底殻の正面を、
押し返していた。
アーダの槍が。
複数の触手を、
まとめて絡め取る。
「カイル!」
「はい!」
カイルが、
下へ潜る。
底殻の下。
殻と海底の、
僅かな隙間へ。
槍を、
差し込んだ。
「上げます!」
巨大な殻が、
僅かに傾く。
「今だ!」
近衛達が、
一斉に前へ出た。
槍が、殻の隙間から伸びる触手へ、
次々と突き込まれる。
―――ゴゴゴゴゴゴ……。
底殻が、
低く震える。
黒い影が、
激しく蠢く。
触手を、
伸ばそうとする。
でも。
出た端から、
近衛達が押さえる。
私は。
その間を泳ぐ。
一本。
白火で焼く。
次。
根元を切る。
さらに、
もう一本。
―――ボゴォンッ!!
影が弾ける。
底殻の周囲から。
黒い触手が、
少しずつ減っていった。
「押せ!」
アーダの声が、
響く。
「城下から引き離せ!」
近衛達が、
声を上げる。
底殻へ、
槍を突き立て。
尾で水を押す。
山のような巨体が。
ゆっくりと。
城下とは反対側へ、
動き始めた。
「動いた!」
「このまま押し切れ!」
近衛達の声が、
重なる。
私も。
底殻の側面へ回る。
殻そのものは硬い。
白火でも、
表面を僅かに焼くだけ。
けれど。
殻の隙間から出てくる影は、
確実に減っていた。
このままなら、止められる。
そう思った。
その時。
底殻の震えが、
不意に止まった。
「……?」
触手が動かない。
切り残されていたものまで。
水の中で、
ぴたりと静止している。
近衛達も。
槍を構えたまま、
動きを止めた。
「何だ……?」
カイルが、
底殻を見上げる。
アーダは、
答えない。
目を細め。
殻の中央を、
見ていた。
「全員離れろ!」
低い声が、
響く。
けれど。
その直後。
底殻の隙間から伸びていた触手が。
一斉に、
引き戻された。
殻の奥へ。
吸い込まれるように、
消えていく。
「……っ」
胸の奥が、
冷たくなる。
…海の流れが、
変わった。
さっきまで、
底殻を押し返していた海水が。
今は全部。
底殻へ向かって、
流れ始めている。
「下がって……!」
同時に。
底殻の中央が、
ゆっくりと開いた。
殻と殻の間。
海よりも暗い、
巨大な穴。
その奥で。
黒い影が、
脈打っている。
一度。
また一度。
まるで。
口を開けたまま、
呼吸しているように。
『マリス!』
ルクナスの声が、
響く。
さっきまでの、
軽さがない。
『離れた方がいい!』
その瞬間。
―――ゴォォォォォォォォッ!!
海が、底殻へ向かって…。
一気に流れ始めた。




