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第249話:まずは海を


マリエルの手が、

膝の布を強く握る。


「……ずっと考えてたわよ、

 そんなこと…」


小さく、

息を吐く。


「……今なら分かる」


窓の外へ、

目を向ける。


荒れた海。


その向こうに、

セルネレイアがある。


「何を言われても、

 怖かったの…」


サリスは、

黙って聞いていた。


「お母様が昔のままなら」


少しだけ、

笑う。


「また、『あなたは王女です』って言われるかもしれない」


握った指へ、

力が入る。


「そしたら私は…。

 また同じことを、言ってしまうかもしれない…」


静かに、

首を横へ振る。


「でも」


少し、

間を置く。


「もし、お母様が変わっていたら」


声が、

僅かに震えた。


「『帰ってきてくれてよかった』って。

 『ずっと待ってた』って。

 そう言われたら……」


目を閉じる。


「私は七年間。

 何をしてたんだろうって、思っちゃうでしょ…」


誰も、

口を開かなかった。


「帰れなかったんじゃない」


苦しそうに、

笑う。


「帰る勇気が、なかった」


その一言だけが。


部屋へ、

静かに落ちた。


「それに……」


少しだけ、

視線を動かす。


ダルー。


レギス。


サリス。


一人ずつ、

ゆっくりと見ていく。


「七年も一緒に、旅をしたのよ?」


少しだけ、

笑う。


「喧嘩もしたし。

 馬鹿なことも、いっぱいした」


ダルーが、

照れ隠しのように鼻を鳴らす。


「私にとって……」


マリエルは。


三人を見つめたまま、

続ける。


「みんな、家族だもん」


レギスが、

視線を逸らす。


サリスも、

少しだけ笑った。


「でも、セルネレイアへ帰ったら……」


小さく、

息を吸う。


「私は、王女に戻るしかないかもしれない」


一度、

言葉が止まる。


「そうしたら……」


少し俯く。


「この旅も、終わっちゃう……」


指先が、

震えた。


「また四人で、

 馬鹿みたいな依頼を受けたり」


少し笑う。


「夜通し、

 焚き火を囲んだり。


 そういう毎日も、

 終わっちゃう気がして……」


唇を噛む。


「それも……怖かった」


部屋が、

静まり返る。


ダルーは、

何も言わなかった。


ただ。


大きな手を、

マリエルの頭へ乗せる。


ぽん。


優しく、

一度だけ撫でた。


「……馬鹿ねぇ」


その声は。


どこまでも、

優しかった。


「そんなの」


頭へ置いた手で。


もう一度だけ、

ゆっくりと撫でる。


「帰ってから、考えればいいでしょう?」


「ダルーの言う通りだ」


レギスが。


壁にもたれたまま、

頷いた。


「……は?」


マリエルが、

顔を上げる。


「お前さ」


呆れたように、

頭を掻く。


「誰が、『帰ったら二度と旅に出るな』なんて言った?」


「え……」


「王女に戻りたいのか、お前?」


「ち、違っ……」


「違うんだろ?」


レギスは、

肩を竦めた。


「だったら、答えは簡単じゃねぇか」


当然のように言う。


「一回帰れ。

 家族に顔見せて」


指を一本、

立てる。


「ちゃんと謝って」


もう一本、

立てる。


「話したいこと、全部話せ」


そこで、

鼻を鳴らした。


「それで旅に出たきゃ。

 また出りゃいいだけだろ」


「……」


マリエルが、

固まる。


「七年前とは違う」


レギスは、

静かに続けた。


「お前は、

 もうガキじゃねぇ。


 一人で生きて。


 自分の足で帰れるくらいには、

 成長した」


少しだけ、

笑う。


「今度は家出じゃなくて。

 ちゃんと話して。

 ちゃんと出発すりゃいい」


肩を竦める。


「それだけの話だ」


部屋が、

静まる。


マリエルは。


ぽかんと、

レギスを見ていた。


「……」


サリスが、

くすっと笑う。


「ふふっ」


レギスが、

眉をひそめた。


「何だよ?」


「いやぁ」


サリスは、

肩を竦める。


「一番子供みたいなお兄ちゃんに。

 『もうガキじゃない』って、

 言われてるなぁって」


「はぁ?」


レギスが、

目を剥く。


「誰がガキだ!」


「少なくとも。

 マリエルより、兄ちゃんの方が子供だよ」


「おい!」


「この前だって。

 宿代のことで、ダルーに怒られてたじゃん」


「それは、別の話だ!」


「どこが?」


「全部だ!」


ダルーが。


呆れたように、

深いため息を吐いた。


「はいはい」


腕を組む。


その大きな身体から落ちる影の中で。


レギスとサリスを、

ゆっくり見た。


「そこまでにしなさい?

 じゃないと……」


「「……はい」」


二人が、

同時に口を閉じる。


その様子を見て。


マリエルの口元が、

ほんの少しだけ緩んだ。


俺は、

静かに口を開く。


「レギスの言う通りだ」


マリエルが、

ゆっくりこちらを見る。


「今すぐ、全部決める必要はない」


窓の外へ、

視線を向ける。


荒れ狂う海。


白い波が、

絶え間なく岸へ叩き付けられていた。


「だが」


短く続ける。


「今は。

 この海を、放っておけない」


部屋の中が、

静まる。


「お前も」


マリエルを見る。


「それが心配で、

 ここまで戻ってきたんだろ?」


「……」


返事はない。


けれど。


否定もしなかった。


「なら」


俺は、

窓の外を見る。


「まずは海を元へ戻す。

 話の続きは、それからだ」


マリエルは、

しばらく黙っていた。


やがて。


小さく、

笑う。


「……本当」


肩の力が、

少しだけ抜けた。


「あなたって。

 変なところで、真っ直ぐね」


「そうか?」


「そうよ」


マリエルが、少しだけ笑ったまま頷く。


「…」


窓の向こう。


荒れた海を、

見つめる。


「まずは」


静かに、息を吸う。


「私の故郷を、助けよう」


その言葉に。


ダルーが笑った。


「よし」


レギスは立ち上がり、

腰の剣へ手を添える。


「話は決まりだな」


サリスも小さく頷いた。


「まずは海ね」


ーーーーー


部屋を出る。


城の中は。


さっきまでとは、

まるで違っていた。


近衛達が、

足早に廊下を行き交う。


伝令が走り。


何人ものネレイディアが。


海図や書類を抱えたまま、

部屋を出入りしていた。


誰もが、

忙しそうだった。


海墓域。


海流の異変。


調査隊の編成。


城全体が。


慌ただしく、

動き始めている。


「……」


私は立ち止まらず。


客人用の部屋へ、

向かった。


扉の前まで来る。


軽く、

ノックする。


「……ユーリス?」


返事を待って。


静かに、

扉を開けた。


部屋には、

ユーリス達がいた。


「マリス?」


最初に気付いたのは、

ユーリスだった。


肩には、

新しい包帯が巻かれている。


ミリカも、

寝台へ腰掛け。


耳を、

少しだけ動かした。


セレスは。


窓際に立ったまま、

こちらを見る。


「……大丈夫?」


思わず、

口から出た。


ユーリスが、

小さく笑う。


「はい。

 傷も手当してもらいました。

 毒の反応も出ていないそうです」


「あたしも大丈夫にゃ!」


ミリカが。


尻尾を、

軽く振る。


「いつでも動けるにゃ!」


私は。


少しだけ安心して、

息を吐いた。


「よかった……」


その時だった。


廊下の向こうから。


慌ただしい足音が、

響いてくる。


「調査隊は西海域へ!」


「第二隊は、

 海墓域周辺の警戒を!」


「海中の商荷は、

 全て帰港させろ!」


城中が、

騒がしく動いている。


ユーリスも。


その声へ、

耳を傾けた。


「……始まりましたね」


私は、

静かに頷く。


「うん」


返事をすると。


部屋の中へ、

また静けさが戻った。


窓の向こうでは。


淡い光を帯びた魚の群れが、

城壁の上を横切っていく。


「……」


いつもが、

どのくらいなのかは分からない。


それでも。


どこか。


追い立てられるように、

一つの方向へ流れているように見えた。


私は、

ユーリス達へ視線を戻す。


肩の包帯。


ミリカの、

まだ伏せ気味の耳。


それでも。


さっきよりは、

顔色も良くなっていた。


「マリスは?」


ユーリスが聞いた。


「大丈夫ですか?」


「うん……」


身体へ、

手を当てる。


痛む場所はない。


「私は、

 何ともないから……」


「それなら、

 よかったです」


ユーリスの表情が、

少しだけ緩む。


ミリカも。


寝台の上で、

尾を揺らした。


「エアも、

 きっと大丈夫にゃ」


「……うん」


短く返す。


その名前を聞くと。


また、

胸の奥に。


あの温かさが、

浮かんだ。


抱えられていた腕。


何度も、

呼ばれた名前。


そして。


さっき、

リリシアに聞かれたこと。


「……ねえ」


三人が、

こちらを見る。


「何ですか?」


私は、

少し考える。


どう聞けばいいのか。


でも。


考えても、

他の言い方は浮かばなかった。


「さっき」


胸元へ、

手を添える。


「リリシアに聞かれた」


「リリシア様に?」


「うん……」


「何をにゃ?」


三人の顔を、

順番に見る。


「私が……」


少しだけ、

言葉を止める。


「……エアを、

 好きなのかって」


ミリカの耳が。


ぴんと、

立った。


ユーリスの目も、

僅かに開く。


窓際では。


セレスの肩が、

目に見えて強張った。


「なっ……」


短い声が、

漏れる。


私は、

首を傾げた。


「変なこと?」


「へ、変というか……」


ユーリスが、

困ったように言葉を探す。


セレスは窓から離れ。


こちらへ、

半歩近付いた。


「お前は……」


少し間を置く。


「…何と答えた?」


声は、

落ち着いている。


けれど。


返事が、

少し早かった。


「分からないって」


「……そうか」


セレスの肩から。


僅かに、

力が抜けたように見えた。


「でも……」


続ける。


「エアがいなくなるのは、

 嫌……」


セレスの指が、

動きを止める。


「無事でいてほしい……」


胸の中へ落ちた言葉を。


そのまま、

口にする。


「それしか、

 分からないって言った……」


誰も、

すぐには答えなかった。


城の外から。


低く。


長い、

海王鯨の声が響いてくる。


床を伝うような、

深い音だった。


「だから……」


三人を見る。


「みんなは?」


「……私達、ですか?」


ユーリスが、

自分を指差す。


「うん。

 エアが好き?」


「好きにゃ」


ミリカが、

即座に答えた。


あまりに早くて。


ユーリスとセレスが、

同時にミリカを見る。


「何にゃ?」


耳を動かしながら。


不思議そうに、

二人を見返す。


「あたしは最初から。

 エアが好きだから、ついてきたにゃ」


「最初から……」


ユーリスが、

小さく繰り返す。


「助けてもらったからだけじゃないにゃ」


ミリカは、

胸を張った。


「一緒にいたいから。

 一緒にいるにゃ」


迷いがない。


「そう……」


分かりやすい。


私とは、

違う。


ミリカは。


自分の気持ちを、

知っている。


「ユーリスは?」


「わ、私ですか?」


ユーリスの背筋が、

伸びた。


「はい……あ、いえ」


視線が、

少しだけ泳ぐ。


「えっと……。

 好きでは、あります」


「では?」


「でも、それが……」


胸元で、

両手を重ねる。


「憧れなのか。

 大切な仲間だからなのか」


少しだけ、

俯いた。


「それとも。

 別の気持ちなのか……」


返事が、

途切れる。


「私には、分かりません……」


「私と同じ?」


「そうですね……」


ユーリスが。


少し困ったように、

笑う。


「多分、

 マリスと少し似ているのかもしれません」


その答えを聞いて。


胸の奥が、

僅かに軽くなった。


分からないのは。


私だけでは、

ないらしい。


最後に。


セレスを見る。


「……」


セレスは。


既にこちらから、

顔を逸らしていた。


「セレスは……?」


「何故、私まで答える必要がある」


「二人には、聞いたから……」


「それは、理由になっていない」


白い髪が。


水の流れに、

僅かに揺れる。


耳が、

少し赤く見えた。


「好きじゃないの?」


「なっ……!?」


今度は。


さっきより、

はっきりと声が裏返った。


ミリカの目が、

僅かに細くなる。


ユーリスも。


何も言わず、

セレスを見ていた。


「私は……」


セレスの指が、

外套の端を掴む。


しばらく言葉が出ない。


やがて。


「……嫌いなら」


低く、

漏らす。


「ここまで、

 共に来ていない」


それだけ言って。


また、

窓の外へ向き直った。


「好きなんだ……」


「違う!?」


すぐに、

返ってきた。


けれど。


否定したあと。


セレス自身も、

何かに気付いたように口を閉じる。


ミリカが。


にやりと、

口元を上げた。


「好きにゃ?」


「黙れ!」


「好きなんだにゃ?」


「黙れと言っている!?」


ユーリスが慌てて。


二人の間へ、

手を出す。


「こ、ここで喧嘩しないでください!」


少しだけ。


部屋の空気が、

緩んだ。


その時だった。


廊下の向こうから。


いくつもの足音が、

こちらへ近付いてきた。


「通してくれ!」


鋭い声。


「海墓域調査隊からの、

 緊急報告だ!」


セレスの表情が。


一瞬で、

変わった。


ミリカも。


寝台から、

腰を上げる。


扉の前を。


一人のネレイディアが、

近衛に支えられながら通り過ぎていく。


腕には、

傷。


呼吸も、

荒い。


その後ろから。


別の声が、

響いた。


「海墓域の生物が、

 上層へ移動しています!」


「魚も魔物も!

 一斉に、底から逃げています!」


足音が、

遠ざかる。


そして。


最後に聞こえた言葉で。


部屋の空気が、

凍り付いた。


「底殻が一体!、

 城下付近まで上がってきました!」


「底殻……」


ユーリスが、

呟く。


私は、

扉を見る。


アーダは言っていた。


底殻は。


海墓域から出ない。


生きている者を、

襲わない。


それなのに。


「……影、なのかにゃ」


ミリカの耳が。


ゆっくりと、

伏せられた。


誰も、

答えなかった。


私の胸の奥で。


また。


冷たい流れが、

小さく渦を巻き始めた。

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