第248話:七年の空白
「……ちょっと待ちなさい」
ダルーが、
低い声を挟んだ。
さっきまでの柔らかな笑みは、
消えている。
「あんたが家出してきたのは聞いたわよ?。
でも…」
腕を組み直す。
「その“代償”って何よ?。
そんな物騒な話、
アタシ聞いてないわよ?」
「うん、聞いてない」
サリスが続く。
レギスも壁から背を離し、
マリエルを見る。
「お前、そんなの今まで一言も言わなかったよな?」
「あれ?、そうだっけ?」
「あれ?、じゃねぇ」
「だって」
マリエルは、
困ったように顔を上げた。
「出会った時には、
もう全部終わった後だったし」
「まったく…。
それでも言いなさいよ、そんな大事なこと」
「何て?」
首を傾げる。
「初めまして〜、私は怪しい地図を使って、
犠牲を払って国から逃げてきました。
よろしくって?」
「あ、あんたって子は……」
ダルーは呆れながら、
深いため息を吐いた。
レギスが、
片手で顔を覆う。
サリスも、
半目でマリエルを見た。
「ごめんって」
マリエルは、
肩を竦める。
「今から話すから」
ダルーは、
しばらく睨んでいた。
やがて。
「……全部よ」
太い指を、
マリエルへ突き付ける。
「今度は何一つ飛ばさず、
最初から最後まで話しなさい」
「分かった」
マリエルは素直に返し、
膝の上へ視線を戻した。
「地図に描かれていたのは、
正規の流道から外れた岩穴だった」
窓の外で、
波が長く崩れる。
「地上へ向かう道の途中。
見張りの目が切れる場所に、
細い裂け目があったの」
俺は、
海底で見付けた岩陰を思い出す。
海藻の向きだけが、
周囲と違っていた場所。
外から見れば、
人が通れるようには見えない隙間。
「地図には、
その奥へ入れって書いてあった」
マリエルは、
両腕を身体へ寄せる。
「本当に狭かった。
岩に身体を擦りながら、
奥へ進んだわ。
それで、
途中から流れが強くなって」
指先が、
膝の布をなぞる。
「戻ろうとしても、
引き返せなくなった」
俺達が巻き込まれた、
あの異常な水流とは違う。
それでも。
細い岩穴の中で受ければ、
身体を運ぶには十分な力だったはずだ。
「そのまま流されて」
マリエルは、
遠くを見るように目を伏せる。
「気付いた時には、
海の底にいた」
「海墓域か?」
俺が聞くと。
マリエルは、
驚いたようにこちらを見る。
「知ってるの?」
「あぁ。
そこまで行って、
この有様だ」
「えぇ?」
俺の包帯を見る。
「あそこ、砂と岩しかないし。
そんなに危なくないはずだけど……」
さっきまで歩いていた、
あの海底が重なる。
白い砂。
黒い岩。
生き物の気配が消えた、
暗闇。
「それで?」
レギスが促す。
マリエルは、
ゆっくりと続けた。
「しばらく進むと、
石の柱があった」
胸の奥が、
僅かにざわつく。
「柱?」
「あったの」
マリエルは両手で、
その形を示す。
「海底へ深く刺さってた。
大きな柱」
間違いない。
アンカーだ。
「その根元に」
少しだけ、
声が低くなる。
「箱が置かれていた」
「箱?」
サリスが聞き返す。
「石みたいな材質で、
表面に術式が刻まれてた」
マリエルは、
自分の手を見つめる。
「触れても開かなかった。
でも、
術式があったから。
魔力を流したら、
青く光ったの」
高い水への適性。
王家の血。
最初から。
マリエルが来ることを、
想定した仕組みなのか……。
「それだけじゃなかった」
マリエルの指が、
自分の手のひらへ触れる。
「蓋の中央に、
細い溝があったの」
「そこに」
短く、
間を置く。
「『血を吸わせろ』って、
書いてあった」
ダルーの顔が、
露骨に険しくなる。
「……あら」
大剣の柄へ置いていた指が、
静かに動いた。
「それは、
随分と物騒ねぇ」
「私も怪しいとは思ったわよ」
「なら、
何でやったの」
「他にも文字が書いてあったから」
「何て?」
マリエルは、
少しだけ目を閉じた。
「地上へ行きたいのなら、
王家の血を示せ」
部屋の中から。
波の音以外が、
消えたように感じた。
「それから」
マリエルは続ける。
「『血を捧げれば、道は開かれる』って」
「……それで?」
俺が尋ねる。
マリエルは、
僅かに口元を歪めた。
「やったわ。
溝へ、
血を流し込んだ」
術式が、
血を求める理由。
いや…。
血を回収するため、
だったとしたら。
以前。
アルケシアで地下へ移動した時、
転移に血なんて使っていなかった。
王族本人に。
疑われず、
自分から差し出させる。
「血をしばらく吸わせてたら」
マリエルは、
片手を握る。
「箱の術式が全部光った。
そしたら柱にも光が走って、
海底の砂が足元から浮き上がった」
潮風が吹き込み、
窓枠が小さく軋んだ。
「次に気付いた時には」
マリエルは、
窓の外へ顔を向ける。
「地上の海岸に倒れてた」
俺は、
左腕の腕輪を見る。
あのアンカーまで。
俺も、
行った。
柱の周囲も見た。
砂だけだった。
「……箱はなかった」
「え?」
マリエルが、
俺を見る。
「俺も、その柱まで行った」
暗闇。
白い砂。
青く明滅するアンカー。
「お前が話している場所と、
多分同じだ」
少しだけ、
記憶を辿る。
「だが。
根元には、
何もなかった」
「箱も?」
「ああ」
首を横へ振る。
「術式の跡もな」
少なくとも。
俺に見える範囲には、
何も残っていなかった。
レギスの顔から。
僅かに、
気の抜けた色が消える。
「誰かが回収したってことか?」
「その可能性はある」
俺は、
マリエルを見る。
「行商人は、
その箱のことまで知っていたのか?」
「……分からない」
返事は、
すぐに返ってきた。
「地図を渡されただけ。
箱のことも。
血を使うことも」
首を横へ振る。
「何も聞いてなかった」
地図を渡した人間。
王家の血で起動する箱。
アンカーを利用した転移。
そして。
その直後に生まれた。
王族の血を持つ、
人工的に作られたネレイディア。
偶然で済ませるには。
繋がりすぎている。
十中八九。
アルケシアの裏に潜んでいた連中と、
何かしら繋がっている。
「その行商人」
低く尋ねる。
「今、どこにいる?」
マリエルは、
少しだけ首を傾げた。
「さぁ?」
あまりにも、
軽い返事だった。
レギスが、
すぐに顔をしかめる。
「さぁって、
お前な……」
「だって、
七年も前よ?」
マリエルは、
肩を竦めた。
「今も同じ場所にいるとは、
限らないでしょう?」
「名前は?」
俺が聞く。
「覚えてないわ。
城に来てたことだけ」
「どこから来ていた?」
「知らない」
返事に、
迷いはなかった。
「地上と海を行き来してたけど。
どこに住んでたのかも、
聞いてないし」
ダルーが、
こめかみへ指を当てた。
「あんた……」
呆れた声だった。
「そんな相手から、
地図を受け取ったの?
怪しいと思ってなかったの?」
マリエルが、
少しだけ口を尖らせる。
「昔から城に来てたし。
地上の話も、
たくさん聞かせてくれたし」
「信用していたんだな」
俺が言うと。
マリエルは、
すぐには答えなかった。
窓から入った風が、
青い髪を頬へ掛ける。
それを指で払ってから。
小さく、
頷いた。
「……うん」
短い返事だった。
「少なくとも、
あの時は…。
実際、
私はこうして冒険者にもなれたし。
悪い人じゃないとは、
思うんだけどなぁ~」
部屋の中へ。
波の崩れる音が、
届く。
俺は、
マリエルを見る。
嘘を吐いているようには、
見えない。
本当に、
知らなかったのだろう。
利用されたことも。
血を取られたことも。
その先で。
マリスが作られたかもしれないことも。
「顔は覚えているか?」
「もちろん」
「なら。
後で詳しく聞かせろ」
マリエルが、
僅かに目を見開く。
「探すつもり?」
「ああ」
短く答える。
「そいつが、
何者だったのか」
「箱を、
誰が用意したのか」
左腕の腕輪へ。
指先で、
そっと触れる。
冷えた石は、
もう光っていない。
「マリスを作った連中へ、
繋がるかもしれない」
その言葉に。
マリエルの表情が、
ゆっくりと消えた。
「……ねえ」
少し間を置いて、
俺を見る。
「そのマリスって、誰なの?」
「仲間だ」
「それは、
最初に聞いた」
すぐに、
返される。
「そうじゃなくて」
マリエルは。
自分の頬へ、
指先を当てた。
「さっきから、
何度も名前が出てくるけど……」
少しだけ言いづらそうに、
言葉を選ぶ。
「そんなに、
私に似てるの?」
「ああ」
迷わず、
答える。
「顔はほとんど……」
少しだけ考え。
首を振る。
「いや。
お前と同じだ」
「同じ……」
マリエルの指が、
頬の上で止まった。
ダルー達も、
黙って俺を見ている。
「髪は、
少し違う」
俺は。
記憶の中のマリスを、
思い浮かべる。
「だが、目も、輪郭も。
怖いくらい一緒だ」
少し考える。
「初めてお前の顔を見た時、
マリスだと思ったくらいにはな」
「……そこまで?」
マリエルの声が、
僅かに低くなる。
「でも」
俺は続ける。
「中身は、
だいぶ違うな」
「中身?」
「ああ」
マリエルは、
真っ直ぐ俺を見ていた。
「どんな子なの?」
その問いに。
少しだけ、
考える。
何から話せばいい。
学院に作られたこと。
神器を扱うための器として、
育てられたこと。
自分の命さえ。
役目の一部だと、
思っていたこと。
それでも。
ユーリスを守ろうとした。
セレスへ向かい。
自分の役目のためなら、
死にかけても一人で立っていた。
「……不器用だ」
最初に浮かんだ言葉を、
そのまま口にした。
「多分、
あいつはまだ……」
少しだけ、
言葉を探す。
「自分のことを、
よく分かってないんだろうな」
マリエルの目が、
僅かに揺れる。
「自分は作られた道具だって。
何の疑問もなさそうだった」
部屋の中へ。
波の音が、
静かに届く。
「役目のために……」
言葉を続ける。
「自分が傷付くことを、
何とも思っていなかった」
「……」
「だから」
マリエルを見る。
「お前とは、
真逆だ」
自分の人生を選ぶために。
国を出た、
マリエル。
与えられた役目だけを。
自分の人生だと、
思っていたマリス。
同じ顔をしていても。
歩いてきた道は、
まるで違う。
「でも」
少しだけ、
間を置く。
「優しい奴だ」
マリエルは、
何も言わなかった。
頬へ触れていた手を下ろし。
膝の上で、
ゆっくり握る。
「……そう」
短い声だった。
その顔からは、
何を考えているのか分からない。
けれど。
さっきまであった、
軽い戸惑いはもう消えていた。
「その子が」
マリエルは、
確かめるように口を開く。
「私の血から、
作られたかもしれないの?」
「ああ」
「……」
窓の外で。
大きな波が、
岸へ砕けた。
マリエルは、
しばらく何も言わなかった。
やがて。
「……ふーん」
短く零す。
思っていたより、
軽い声だった。
「どんな反応をするかと思ったが。
意外と普通だな」
俺が言うと。
マリエルは、
少しだけ首を傾げる。
「だって、
まだ会ってないもの」
それから。
自分と同じ顔を、
思い浮かべるように。
僅かに、
目を伏せた。
「でも……」
口元が、
ほんの少しだけ緩む。
「会ってみたいかも」
「そうか」
「あまり、
期待しないでよ?」
「何をだ?」
「感動の対面とか?」
マリエルは、
肩を竦める。
「同じ顔をしてるって言われても。
私には、
妹が増えたような実感なんてないし」
ダルーが、
またため息を吐く。
「それ、
妹ではないでしょう……」
レギスも、
妙な顔でぼやく。
「妹っつうか……
なぁ?」
「えぇ?、
私に振らないでよ」
サリスも、
反応に困ったように眉を寄せた。
「まあ、
こんな感じだから。
会ってみないと分からないってこと」
もし。
マリスが逆の立場だったら。
同じような反応を、
するかもしれない。
顔を見比べ。
少し考えて。
『似ていますね』
それだけ、
言いそうだった。
「はいはい」
ダルーが、
軽く手を叩いた。
「マリスちゃんのお話も気になるけど。
それは、会ってからにしましょう」
マリエルが、
顔を向ける。
「今は」
ダルーは。
逃がさないように、
その肩へ手を置いた。
「この子が七年も帰れなかった理由を。
全部、吐かせる時間でしょう?」
「全部話したわよ?」
「家を出て来たところまではね?」
太い指が、
マリエルの額を軽く押す。
「アタシ達が聞きたいのは、
その後」
「その後?」
「どうして一度も、
戻らなかったのかよ」
ダルーは、
腕を組み直した。
「最初の何年かは、
分かるわ」
真っ直ぐ、
マリエルを見る。
横から。
レギスが壁にもたれたまま、
続ける。
「意地もあっただろうし。
戻る顔も、なかったんだろ?」
マリエルの口元から。
さっきまでの笑みが、
消える。
「だけど、七年だ」
レギスは続けた。
「俺達と旅をして。
いくつも、
町を回って。
海の近くへ来たことだって、
一度や二度じゃねぇ」
サリスも。
マリエルへ、
身体を向ける。
「帰ろうと思ったことは。
本当は、何度かあったんだよね?」
「……うん」
「なら」
サリスの声は、
穏やかだった。
けれど。
その目は、
マリエルから逸れない。
「そのたびに。
何が、怖くなったの?」
マリエルの指が、
膝の上で止まる。
窓の外から。
湿った風が、
吹き込んだ。
青い髪が、
頬へ掛かる。
けれど。
今度は、
払おうとしなかった。
「……怖かったわけじゃない」
「嘘ね」
ダルーが、
即座に返した。
マリエルが、
少しだけ顔をしかめる。
「七年も、一緒にいるのよ?」
ダルーの手が、
肩から離れる。
「強がってる時くらい、
分かるわ」
「……」
「本当に帰りたくなかったなら」
静かに続ける。
「この港へ来ることだって。
最後まで、
嫌がったはずでしょう?」
マリエルは、
答えない。
「でも来た」
ダルーが、
窓の外を見る。
荒れた海。
その向こうにある、
セルネレイア。
「海がこんなことになってるって聞いて。
文句を言いながらも」
マリエルを見る。
「結局、
戻ってきた」
レギスが、
鼻を鳴らす。
「国が、
心配だったんだろ」
「……」
「家族もな」
マリエルの唇が、
僅かに動く。
だが。
声は、
出なかった。
サリスが椅子を引き。
その隣へ、
腰を下ろした。
「ねえ、
マリエル」
近い距離から、
顔を覗き込む。
「本当は」
少しだけ、
間を置く。
「帰って。
お母様に何て言われるのが、
怖かったの?」
マリエルの手が。
膝の布を、
強く掴んだ。
さっきまで。
何度も見た、
同じ仕草。
だが今度は。
指先が白くなるほど、
強く握られていた。




