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第242話:毒に沈む


触手が、

一気に伸びた。


「ッ!」


避けようとした。


だが。


腕輪の力が、

もう弱い。


足首へ、

冷たいものが巻き付く。


「エア!!」


次の瞬間。


身体が、

一気に下へ引かれた。


「くっ!」


槍を岩壁へ突き立てる。


―――ガンッ!!


穂先が、

岩へ深く食い込んだ。


腕が伸び切る。


触手はそのまま、

俺を岩山の方へ引き戻そうとしている。


「離せ……!」


足へ絡み付く力が、

さらに強くなった。


その横。


別の触手が、

暗闇を裂く。


「ユーリス!危ないにゃ!」


「きゃっ!」


ミリカが岩壁を蹴って飛び出し、

ユーリスの身体を横へ押し退ける。


直後。


もう一本が、

ミリカへ伸びた。


「うにゃっ!?」


さらに岩壁を蹴り、

身体を捻って避ける。


だが。


次の触手が、

既に回り込んでいた。


このままじゃ。


三人とも、

捕まる。


「二人とも壁へ寄れ!!」


「でもエアが!」


「いいから早くしろ!」


空いている手で、

岩壁へ拳を叩き付けた。


―――ドンッ!!


土の力を、

岩の奥へ流し込む。


硬い岩。


その内側へ力を通し。


押し出す。


形を変える。


「出ろ!」


岩壁が震えた。


―――ゴゴゴゴゴ……。


平らだった壁から、

石が一つ突き出す。


その上。


さらに一つ。


また一つ。


上へ続くように。


岩の段差が、

次々とせり出していった。


「階段にゃ!」


「登れ!」


ユーリスが、

突き出した岩へ手を掛ける。


ミリカも、

その隣へ飛び移った。


「エアも早く!」


「先に行け!」


足首の触手が、

さらに強く締まる。


岩へ突き立てた槍が、

少しずつ抜け始めた。


俺は両手で、

柄を握り直す。


「止まるな!」


二人へ向かって叫ぶ。


「上まで登れ!!行け!!」


足から火を噴き出す。


―――ゴォォォォッ!!


炎が、

巻き付いた触手を包んだ。


まだら模様の皮膚が焼け。


触手が、

大きく痙攣する。


「今だ!」


絡み付いていた一本が、

僅かに緩んだ。


俺は、

足を強く振り抜く。


触手が外れた。


「エア!」


上から、

ユーリスの声が聞こえた。


石の段差から、

身を乗り出して手を伸ばしている。


「そのまま!」


「早く登るにゃ!」


俺も、

手を伸ばす。


あと少し。


そう思った瞬間。


暗闇が、

揺れた。


一本。


二本。


三本。


崩れた岩の隙間という隙間から。


無数の触手が、

這い出してくる。


「……っ!」


全部。


俺の方へ、

向いていた。


火へ反応したのか。


一斉に。


俺へ向かって、

伸びる。


「しまっ――」


避け切れない。


腕。

肩。

腰。

脚。


次々と、

触手が巻き付いた。


そのたびに。


「っ……?」


肌へ、

小さな痛みが走る。


針で突かれたような。


ほんの僅かな、

刺激。


だが。


今は、

それどころじゃない。


さらに一本。


太い触手が、

左腕へ巻き付いた。


腕輪ごと。


強く、締め上げられる。


―――ピシッ。


「……?」


小さな音。


左腕を見る。


赤く光っていた腕輪へ、

細い亀裂が走っていた。


―――ピシッ。


もう一本。


亀裂が、

腕輪の半分近くまで広がる。


赤い光が、

不規則に明滅した。


一瞬。


身体を包んでいた力が弱まり。


海水の重さが、

急に全身へ圧し掛かる。


「ぐっ……!」


息はできる。


けれど。


さっきまでより、

明らかに苦しい。


腕輪は、

まだ砕けてはいない。


亀裂が入ったまま。


辛うじて、

左腕へ残っている。


赤い光も。


消えかけながら、

僅かに灯り続けていた。


「離せ!!」


全身から、

火を噴き出す。


巻き付いた触手を、

焼き払う。


だが。


二本。


三本。


さらに四本。


焼いた以上の触手が、

次々と絡み付いてくる。


そして…。


「エアァアアア!」


ユーリスの悲鳴が、

遠くなる。


岩壁から。


槍が、

抜けた。


―――ガンッ!!


槍だけは、

離さない。


そのまま。


俺は一気に、

暗闇へ引きずり込まれた。


水が唸る。


亀裂の入った腕輪から漏れる、

弱い赤い光だけが揺れていた。


岩壁も。


ユーリス達の姿も。


すぐに、

見えなくなる。


暗い。


深い。


さらに、

底へ落ちていく。


崩れた岩の裂け目。


俺の火と、腕輪の僅かな光が、

その奥を照らす。


黒い。


周囲の闇よりも、

さらに濃い何か。


こっちを。


俺を、

見ている。


「しぶといな……お前」


槍を向ける。


火を放とうとする。


赤い火が、

指先へ集まり始めた。


なのに。


「……?」


腕が、

動かない。


指に、

力が入らない。


集まり始めた火も、

そのまま消えた。


身体中から。


一気に、

力が抜けていく。


息はできる。

意識もある。


…それなのに。


身体だけが、

言うことを聞かない。


「な……んで……」


視界が揺れる。


まぶたが、

急に重くなる。


さっき。


触手が巻き付いた場所。


針で刺されたような痛みを感じたところが。


じわりと、

熱を持ち始めていた。


「……毒、か……」


視界が霞む。


身体が沈む。


崩れた岩の隙間へ。


無数の触手が。


俺を、

さらに奥へ。


奥へと、

引きずり込んでいく。


岩が擦れる音。


暗闇だけが、

近付いてくる。


「……っ」


力が入らない。


槍を握る手も。


少しずつ、

緩んでいく。


「…っちく…しょう…」


その時だった。


―――ゴォッ。


槍が、

震えた。


穂先へ。


赤い火が、

灯る。


小さな火だった。


けれど。


まるで。


『起きろ』


そう言われた気がした。


「……!」


熱い。


握っている手が、

焼けるほど熱い。


その熱が。


手から腕へ。


胸へ。


全身へ、

流れ込んでくる。


「まだ……、終われるかよ……!」


残った力を。


無理やり、

身体の奥から搾り出す。


―――ゴォォォォォッ!!


全身から、

赤い火が噴き上がった。


周囲の水を押し退け。


崩れた岩の隙間を、

赤く染める。


絡み付いていた触手が、

一斉に身をよじった。


「離れろォォォ!!」


火を。


さらに、

膨れ上がらせる。


触手が焼ける。


一本。


また一本。


焼け落ちていく。


その奥。


岩の裂け目。


黒い闇の中で。


一つだけ。


目があった。


「そこか!!」


槍を構える。


残った力を。


全部、

槍へ込める。


「喰らえぇぇぇぇッ!!」


投げた。


赤い軌跡が。


一直線に、

闇を裂く。


―――ズドォォォンッ!!


命中。


次の瞬間。


―――ギィィィィィィィィィィッ!!


耳を裂くような悲鳴が、

海底へ響き渡った。


裂け目の奥から。


紫色の液体が、

一気に噴き出す。


血。


岩の隙間を染めながら。


水の中へ、

激しく広がっていく。


そして。


その中心から。


―――ゴォォォォッ!!


赤い火が、

形を取った。


火竜。


投げ込んだ槍を中心に生まれたそれが。


一直線に、

俺へ向かってくる。


「……!」


火竜が、

身体へ巻き付いた。


―――ドッ!!


次の瞬間。


身体が、

一気に持ち上がる。


火竜は俺を包み込んだまま。


海面へ向かって、

凄まじい勢いで駆け上がっていく。


崩れた岩山が。


一瞬で、

遠ざかった。


「……」


身体が、

熱い。


違う。


火じゃない。


それでも、内側が。


焼かれているように、熱かった。


「ぐっ……!」


傷口が、

脈打つ。


触手が巻き付いていた場所。


腕。

肩。

腰。

脚。


そこから。


鈍い熱が、

身体の中へ広がっていく。


まるで。


何かが血の中を、

這い回っているみたいだった。


「……ぁ」


指先が震える。


力が、

入らない。


火竜に包まれているのに。


身体の感覚は。


少しずつ、

遠ざかっていく。


視界が揺れた。


紫色。


さっき…。


槍があれを貫いた瞬間。


噴き出した紫色の血が、

全身の傷へ付着している。


「……っ」


傷口の熱が、

一気に強くなった。


熱い。


…いや、

…痺れる。


さっきから回っていた毒が。


さらに、

身体の奥へ入り込んでくる。


「く……そ……」


指先が、

もう動かない。


僅かに震えただけで。


感覚まで、

消えていった。


火竜だけが。


俺を抱えたまま、

上へ駆け続ける。


「まだ……」


駄目だ。


まだ。


倒れるわけには、

いかない。


ユーリス達が、

待っている。


そう思うのに。


意識が、

霞んでいく。


火竜の赤い光も。


少しずつ、

ぼやけていった。


「……っ……」


名前を呼ぼうとして。


声に、

ならない。


身体はもう。


自分のものじゃないようだった。


最後に見えたのは。


俺を包み込む、赤い火竜。

…その赤い光さえも。


ゆっくりと、

闇へ溶けていく…。


…俺の意識は。


そこで、途切れた…。


ーーーーー


声が、

出せなかった。


「……」


―――ざぁ……。


音。


近い。


遠い。


また。


―――ざぁ……。


身体が、

揺れている。


冷たい。


息が、

できない。


「――いた!」


声。


(女……?)


「――火竜が――」


何を言っている。


分からない。


身体へ、

何かが触れる。


「……っ」


痛い。


腕。


脚。


どこだ。


「まだ――」


「早く!」


声が、

重なる。


聞き取れない。


身体が浮いた。


違う。


誰かに、

持ち上げられている。


硬い何かが、

当たった。


揺れる。


一度。


二度。


そのたび。


身体の奥が、

軋む。


「……」


声が出ない。


目も、

開かない。


何も見えない。


―――ドン。


足音。


重い。


―――ドン。


また。


さっきまでとは、

違う音。


木……?


分からない。


やがて。


身体が、

下ろされた。


背中へ、

冷たいものが触れる。


「ひどい……」


近くで、

声がした。


「毒が……」


毒。


その言葉だけが。


頭の奥へ、

引っ掛かった。


何かが、

傷へ触れる。


冷たい。


「――水よ」


また、

声。


次の瞬間。


身体の中へ。


冷たさが、

流れ込んできた。


「……っ」


痛い。


違う。


冷たい。


熱い。


どっちだ…、

分からない。


腕の中。


胸の奥。


何かが。


ゆっくりと、

広がっていく。


水。


そう思った。


なぜか。


見えていないのに。


ただ、

触れられているだけなのに。


それが水だと、

分かった。


深く。


暗い。


けれど。


優しい青。


その青は。


冷たいはずなのに、

怖くなかった。


静かだった。


あの海の底とは、

まるで違う。


包まれるような。


どこか、

懐かしい温もりがあった。


胸の奥で。


何かが、

小さく脈打つ。


俺の火が。


その青へ、

触れた気がした。


拒むでもなく。


消し合うでもなく。


ゆっくりと。


重なっていく。


「……」


聞こえる。


波の音。


笑い声。


誰かが歩く、

足音。


遠くから。


誰かを呼ぶ、

声。


どれも霞んでいて。


何一つ、

はっきりしない。


それでも。


そのすべてが。


俺を、

どこかへ導いているようだった。

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