第241話:殻の下
―――ゴゴゴゴゴゴ……。
海底が震える。
巨大な殻が、
暗闇の中を進んでくる。
遅い。
そう見えた。
あれだけ大きければ、
すぐには追い付けない。
そう思った瞬間。
貝の口が、
大きく閉じた。
―――ドンッ!!
海底が爆ぜる。
砂と砕けた岩が、
一斉に後方へ吹き飛んだ。
「なっ……」
巨大な殻がその場から消える。
速い。
こちらへ向かって、
海底を滑るように突っ込んできている。
「二人とも離れろ!!」
ユーリスとミリカを押し退ける。
直後。
山のような殻が、
目の前まで迫った。
「くっ!」
背中から火を噴き出し、
岩壁から離れようとする。
だが、完全には間に合わない。
―――ドゴォォォォォンッ!!
巨大な貝が、
岩壁へ激突した。
視界が揺れる。
岩が砕け。
押し退けられた海水が、
爆発したように押し寄せた。
身体が吹き飛ぶ。
背中から、
岩肌へ叩き付けられる。
「がっ……!」
衝撃で、
息が抜けた。
左腕の腕輪が、
一瞬だけ弱く明滅する。
目の前を、
砕けた岩が流れていく。
その向こう。
巨大な貝が、
岩壁へ深くめり込んでいた。
速すぎる。
「あの大きさで、これか…」
「エア!」
ユーリスの声がする。
「大丈夫ですか!?」
「俺はいい!」
岩肌を蹴った。
今は、あの吸い込みが、
止まっている。
口を閉じたからか。
なら、近付ける。
槍を構え。
背中から、
一気に火を放つ。
赤い光と大量の泡を引きながら、
距離を詰める。
火が、
槍へ集まっていく。
「来い!!!」
槍の奥へ、
意識を向け、呼び出す。
火竜を。
―――ゴォォォォッ!!
穂先から。
赤い光が、
海水を押し退けながら伸びていく。
火竜の頭が現れた。
長い顎。
赤い牙。
けれど。
いつもより細い。
輪郭も、
絶えず揺れている。
水の中だからか。
地上にいる時ほど、
形が安定しない。
それでも。
「やるしかない……!」
槍を、
強く握る。
巨大な殻へ向け。
投げる。
「貫けッ!!」
火竜が、
大きく顎を開いた。
赤い牙が。
巨大な殻へ、
正面から食らい付く。
同時。
―――ガァンッ!!
硬い音が、
海底へ響いた。
槍が弾かれる。
「なに……」
火竜の勢いに乗せた、
俺の槍が。
……弾かれた。
火竜の牙も。
殻の表面を、
滑っただけだった。
傷すら、
付いていない。
「硬すぎる……」
巨大な殻が動いた。
今度は。
横向きのまま、
俺へ迫ってくる。
手元へ戻った槍を掴み。
そのまま、
殻へ突き立てた。
―――ゴンッ!!
受け止めた瞬間。
両腕が軋む。
身体ごと、
押し流された。
足元から火を噴き。
無理やり、
姿勢を戻す。
その横から。
「土壁にゃ!!」
海底が、
一気に盛り上がった。
厚い岩の壁が。
貝と俺の間へ、
突き上がる。
―――ドンッ!!
激突。
岩壁が砕けた。
それでも。
巨大な殻の動きが、
ほんの一瞬だけ止まる。
「エア!、下がるにゃ!」
ミリカが、
岩陰から飛び出してきた。
土の力で、
身体を強化している。
両腕と脚へ。
土色の光が、
薄くまとわり付いていた。
「殻が硬いなら、
ひっくり返すにゃ!」
「流石にそんなの無茶ですよ!?」
ユーリスの声が飛ぶ。
だが。
「いや、それだ!」
ミリカの耳が、
ぴんと立った。
「本当にひっくり返すにゃ?」
「ああ」
俺は、
巨大な貝を見る。
殻は硬い。
火竜でも、
貫けない。
なら。
正面から、
壊す必要はない。
「ミリカ」
槍を握り直す。
「もう一度だけ、
止められるか?」
「やってみるにゃ!」
ミリカが、
両手を海底へ向ける。
土色の光が。
指先から、
地面の奥へ流れ込んでいった。
巨大な貝が。
再び、
こちらへ動き始める。
―――ゴゴゴゴゴ……。
砕けた岩を押し退けながら。
横向きの殻が、
迫ってくる。
「まだだ……」
ミリカは、
動かない。
耳を伏せ。
迫る殻との距離を、
じっと見ている。
「まだ……」
近い。
さらに。
近付く。
ここだ。
「ミリカ!」
「今にゃ!!」
ミリカが、
両腕を振り上げた。
「土壁にゃあああ!!」
―――ズドンッ!!
巨大な貝の前へ。
岩壁が、
一気に突き上がる。
殻が激突した。
―――ドゴォンッ!!
岩壁へ、
巨大な亀裂が走る。
崩れる。
だが。
貝の動きが、
また一瞬止まった。
「十分だ!」
俺は。
槍を、
海底へ突き立てた。
目を閉じる。
土の感触を探す。
少し前までなら。
どう動かせばいいのかさえ、
よく分からなかった。
だが。
今は違う。
ミリカの力も何度か見た。
土を押し上げる流れ。
地面の奥から、
岩が形を変えていく感覚。
全部を理解したわけじゃない。
それでも。
僅かだが。
俺の中にも、
その感覚が残っている。
「起きろ!!」
地面の奥へ。
力を、
叩き込む。
―――ゴゴゴゴゴゴッ!!
巨大な貝の真下。
海底が、
大きく盛り上がった。
太い岩の柱が。
殻の片側だけを、
下から突き上げる。
「やったにゃ!」
巨大な貝が、
傾いた。
だが。
まだ足りない。
殻の重さに、
岩が軋む。
先端から、
少しずつ崩れ始める。
「ミリカ!、押せ!!」
「分かったにゃあああ!!」
ミリカが、
海底を蹴った。
土色の光をまとった両手を。
傾いた殻へ、
叩き付ける。
―――ドンッ!!
貝が、
さらに浮いた。
俺も。
槍を握ったまま、
海底から岩を押し上げる。
「倒れろ!!」
―――ズズズズズ……。
巨大な殻が。
ゆっくりと、
傾いていく。
「ユーリス!!」
叫ぶ。
「押さえてろ!」
「はい!!」
ユーリスが、
杖を突き出した。
青い術式が、
水中へ広がる。
「水よ!!その流れを束ね――!」
激しい水流が。
傾いた巨大な殻へ、
巻き付いた。
起き上がらせないために。
幾重もの流れが、
殻を押さえ付ける。
「まだです!」
貝の内側で。
黒いものが、
激しく蠢いた。
殻が。
僅かずつ、
持ち上がり始める。
「エア!!これ以上は!!」
「分かってる!」
槍を、
岩肌へ突き立てる。
土の流れを掴む。
狙うのは。
巨大な貝じゃない。
その後ろ。
切り立った、
岩壁だ。
「ミリカ!崩すぞ!!」
「一緒にやるにゃ!」
二人同時に。
岩壁へ、
力を流し込む。
―――ゴゴゴゴゴゴ……。
切り立った岩壁が、
震え始める。
一本。
また一本。
巨大な亀裂が。
下から上へ、
走っていった。
「おぉおおおおお!!!」
「うにゃああああああ!!!」
さらに。
力を込める。
岩盤の奥で。
何かが、
大きく軋んだ。
「もう!……少し!!」
ユーリスが叫ぶ。
水流が、
殻を押さえ続けている。
それでも。
黒い影が。
殻の隙間から、
少しずつ溢れ始めた。
その時。
―――バキッ!!
今までとは違う。
岩盤の奥まで、
何かが割れた手応え。
「!?、
やったにゃ!!」
ミリカが、
両手を離して飛び退いた。
「落ちるにゃあああ!!」
俺も。
最後の力を、
岩壁へ叩き込んでから離れる。
「崩れろォォォォッ!!」
―――バギィィィィッ!!
岩壁全体へ。
巨大な亀裂が、
一気に走る。
次の瞬間。
―――ゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!
山のような岩盤が。
轟音と共に、
崩れ落ちた。
巨大な岩塊が。
傾いた貝へ、
次々と降り注ぐ。
―――ドォォォォォン!!
岩。
さらに。
岩。
砂と砕けた石が、
一気に巻き上がる。
巨大な貝の姿が。
その向こうへ、
埋もれていった。
「離れろ!」
三人で、
後方へ飛ぶ。
直後。
最後の岩盤が崩れ落ちた。
―――ドォォォォォン……。
巨大な岩塊が、
海底を揺らす。
やがて。
あれだけ響いていた轟音も、
少しずつ遠ざかっていった。
崩れた岩壁は。
巨大な岩山へ、
姿を変えている。
貝は。
もう、
どこからも見えなかった。
「……終わったか?」
息が漏れる。
張り詰めていた肩から。
僅かに、
力が抜けた。
「やったにゃ……」
ミリカが、
その場へ座り込む。
耳も。
尻尾も。
ぐったりと、
垂れていた。
「生きてます……」
ユーリスも。
胸へ手を当て、
小さく息を吐く。
杖を握る手が。
まだ、
僅かに震えていた。
俺は、
左腕を見る。
橙色。
時間は、
もうあまり残っていない。
「休んでる暇はない」
二人を見る。
「上へ行くぞ」
「はい!」
「分かったにゃ!」
俺は、
崖へ向き直った。
切り立った岩壁が。
暗闇の上まで、
続いている。
顔を上げる。
腕輪が、
淡く光った。
それだけで。
周囲の水が、
身体を持ち上げる。
足を動かさなくても。
水の中を、
上へ進める。
岩壁から少し距離を取り。
そのまま、
上昇していく。
ユーリスとミリカも。
すぐ後ろから、
付いてきた。
「最初は変な感じでしたけど……」
ユーリスが、
腕輪へ目を落とす。
「慣れると、本当に自由に動けますね」
「疲れなくて助かるにゃ……」
ミリカが。
力なく、
尻尾を揺らした。
さっきまで荒れていた海水も。
今は、
静かだった。
身体を引っ張る流れもない。
巨大な貝が埋もれてから。
あの吸い込みは、
完全に止まっている。
「……」
下を見る。
崩れた岩壁も。
巨大な岩山も。
もう闇へ紛れ。
ほとんど、
見えなくなっていた。
あれだけ響いていた音もない。
聞こえるのは。
腕輪が、
微かに明滅する音と。
俺達が動くたびに、
水が流れる音だけだった。
「このまま上まで行ければ……」
ユーリスが、
頭上の暗闇を見上げる。
「あぁ」
上へ行けば。
今いる場所も、
少しは分かる。
帰る方向も探せるはずだ。
そう思いながら。
俺達は、
岩壁に沿って上がっていった。
その時だった。
左腕の光が、
不意に…強く脈打った。
「……?」
橙色だった腕輪が。
ゆっくりと、
赤へ変わっていく。
同時に。
身体を持ち上げていた力が、
急激に弱くなった。
「っ……」
上へ進む速度が、
落ちる。
水に支えられていた感覚も、
薄れていく。
これなら自分で泳いだ方が、まだ早い…。
「腕輪が……!」
後ろで。
ユーリスが、
声を上げる。
ミリカも、
自分の腕へ目を落とした。
「赤くなったにゃ!」
「急げ!」
俺は、
岩壁へ手を掛ける。
腕の力で、
身体を引き上げ。
足で、
水を蹴った。
だが。
―――ゴ……。
下から。
重い音が、
響いた。
「……」
動きが止まる。
聞き間違いじゃない。
―――ゴゴ……。
岩が…。
…擦れている。
さっき埋めた、
あの場所から…。
「そんな……」
ユーリスの声が、
震えた。
俺は、
下を見る。
暗闇の底。
崩れた岩山は、
もう見えない。
だが、その闇の中で。
何かが、動いた…。
細長い影。
一本。
また、
一本。
岩の隙間から。
ゆっくりと、
這い出してくる。
「触手……?」
まだら模様の皮膚。
黒と灰色が。
水の中で、
脈打つように入れ替わっている。
その先端が。
俺達の方へ、
向いた。
「来るぞ!?」




