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第226話:荒れる海


大きな音だった。


ここからでも分かる。


木が軋み、

へし折れる音。


―――バキバキバキッ!!


悲鳴が上がる。


「危ないぞ!!」


港の方から怒鳴り声が響いた。


「桟橋が!!」


俺達は顔を見合わせ、

そのまま港へ駆け出した。


ーーーーー


人だかりが出来ていた。


波打ち際。


港の桟橋が途中から折れ、

海へ沈んでいる。


白い飛沫。


黒く荒れる海。


波が押し寄せる度、

残った桟橋まで軋んでいた。


「離れろ!」


屈強な船乗りが腕を広げる。


「港へ近付くな!」


「次が来るぞ!」


人々が一斉に後ろへ下がる。


その直後。


―――ザァァァァァン!!


巨大な波が岸へ叩き付けられた。


水飛沫が舞う。


荷箱が転がる。


皆、

慣れたように身を伏せてやり過ごす。


やがて波が引く。


「……くそ」


船乗りが舌打ちした。


「また桟橋が一本持ってかれた……」


近くにいた老人がため息を吐く。


「今月だけで何本目だ?」


「修理しても追い付かねぇよ」


俺達は群衆の後ろで、

その様子を見ていた。


「この様子じゃあ、

 今日も船は無理だな」


商人らしい男が肩を落とす。


「今日も交易中止か……」


「魚も来ねぇ」


「海底からの荷も全部止まったままだ」


別の男が苦い顔をする。


「ったく!。

 このままじゃ、港の前に俺達が終わっちまうぜ」


その言葉に、

笑う者はいなかった。


誰もが荒れ狂う海を見つめている。


その横で。


マリスも、

黙ったまま海を見つめていた。


港を離れる。


波の音だけが、

背中まで追い掛けてきた。


「……まずは情報だな」


俺が言うと、

ユーリスが頷く。


「こういう時は酒場です。

 旅人も商人も集まりますから」


俺達は港通りを歩く。


人通りはある。


だが、

どの店も活気がない。


魚屋は品物が少ない。


露店も閉まったままの場所が目立つ。


やがて、

一軒の酒場へ入った。


扉を開ける。


カラン。


小さな鐘が鳴る。


「いらっしゃい」


奥から女性が顔を出した。


四十代ほどだろうか。


俺達を見ると、

少しだけ目を丸くした。


「あら、お客さん?。

 最近じゃ珍しいねぇ」


「珍しい?」


ユーリスが聞き返す。


女将は苦笑した。


「こんな時に、

 この町へ来る旅人なんて滅多にいないよ。

 見てきただろ?」


参ったように肩を竦める。


「海があれじゃ、

 船は一隻も出せやしない」


カウンターを拭きながら、

ため息を吐く。


「商人も来ない。

 漁師も沖へ出られない。

 おまけにネレイディアの人達まで、

 ぱったり姿を見せなくなっちまってね」


よほど暇だったのか、

こちらが聞く前に話を進めてくれる。


「前までは毎日のように海から上がって来て、

 市場で商売してたんだけどさ。

 最近は一人も見てないよ。


 魚も真珠も海底の品も入って来ない。

 このままじゃ、

 本当に商売上がったりさ」


「あ、あの……」


少し戸惑ったユーリスを見て、

女将はようやく我に返った。


「おっと、ごめんよ。

 宿なら空いてるよ。

 今じゃ部屋だけは余るほどあるからね」


酒場の中を見回す。


昼だというのに、

客はまばらだった。


皆、

酒を飲むというよりは、

黙って海の方角を眺めている。


町全体が、

出口の見えない異変を抱えているようだった。


ーーーーー


部屋を取ってから、

下の席に集まる。


開け放たれた窓から、

潮風が吹き込んでいた。


空は青い。


雲も少ない。


なのに。


海だけが黒く荒れている。


波が岸へ叩き付けられる度、

低い地鳴りのような音が響いた。


「……」


俺は海を見る。


その時。


「……変」


小さな声が聞こえた。


マリスだ。


海を見つめたまま、

動かない。


「どうした?」


俺が聞く。


少し間があった。


「……分からない」


静かな声だった。


「私も……海を見るのは初めて」


ぽつりと呟く。


「学院にいたから」


その視線は、

海から離れない。


「でも」


また少し黙る。


「……流れが変」


「流れ?」


ユーリスが聞き返す。


マリスは小さく頷いた。


「波じゃない」


海を指差す。


「もっと……下。

 水の流れ……何かがおかしい」


荒れている。


俺には、

それくらいしか分からない。


だが、

マリスはネレイディアの血を引いている。


海を見たことはなくても、

水の流れを感じ取る感覚だけは、

生まれつき持っているのかもしれない。


「……そうか」


俺はそれ以上聞かなかった。


マリス自身も、

何がおかしいのかまでは分かっていないようだった。


しばらく沈黙が続く。


波が岸へ叩き付けられる音だけが、

酒場の中まで響いてくる。


やがて。


「……それで、どうします?」


ユーリスが口を開いた。


「情報はある程度集まりました」


指を折る。


「港は機能していない。

 ネレイディアも姿を見せなくなった。

 原因はまだ不明です」


俺は頷く。


「目的は変わらない。

 竜の領域へ向かう」


ユーリスも頷いた。


「古い文献や伝承にも、

 竜の領域はこの海の都の先とだけ記されています」


「海の都か」


「おそらく、

 これはネレイディアの国、

 セルネレイアのことです」


ユーリスは続ける。


「学院にあった情報と各地の航海記を照らし合わせれば、

 おおよその方角までは絞れました」


ルクナスも腕を組んだまま口を開く。


「僕の記憶でも、

 その方向で合ってるよ」


俺は短く息を吐いた。


「なら、

 後は船か」


その一言に。


カウンターを拭いていた女将の手が止まった。


「……船?」


こちらを見る。


「今、海の向こうへ行くって言ったのかい?」


「ああ」


俺が答える。


女将は困ったように笑った。


「悪いことは言わないよ」


首を横へ振る。


「普通の船じゃ無理さ」


「無理?」


ユーリスが聞き返す。


「この辺りの海が荒れてるだけじゃないんだよ」


女将は窓の外を見る。


「この海のずっと先。

 昔から誰も近付かない海域があるんだ。


 そこは一年中荒れてる。

 晴れてようが嵐だろうが関係ない。


 海流も風もぐちゃぐちゃでね」


少し間を置く。


「ただの運行船じゃ越えられない」


「……」


「どうしてもっていうんなら、大型の船じゃないとね。

 しかも、ネレイディアの案内が必要さね」


マリスが顔を上げる。


女将は続けた。


「海の流れを読むのは、

 あの人達の領分だからね。

 奥に向かう船乗りは皆そうしてもらってた」


苦笑する。


「でも、そのネレイディアまで来なくなっちまった」


酒場の空気が重くなる。


「今じゃ、海へ出ること自体が難しい。

 まして、その先なんて……誰も行けやしないよ」


俺は窓の外の海を見る。


「なら……まずはネレイディアだな。

 海が荒れた原因を探る」


小さく息を吐く。


「大方……アンカーだろうが」


その言葉に、

ユーリスが少し考え込む。


「私も、それは考えました」


静かに口を開く。


「ですが、

 断定はまだ出来ません。

 アンカーが原因なら、

 各地で同じような現象が起きていてもおかしくありません」


ユーリスは海へ目を向けたまま続ける。


「ですが、

 港で聞いた限りでは異変はこの海域に集中しています」


「ほう?」


「アンカーによる影響なのか。

 あるいは、

 この海域で別の何かが起きているのか」


少しだけ間を置く。


「その判断材料が足りません。

 憶測だけでは判断を誤ります」


しばらく誰も口を開かなかった。


「う〜ん?……」


ミリカが腕を組む。


「なんかめんどくさいにゃ〜。

 ネレイディアを探して聞けばいいにゃ。

 海のことなら一番詳しいはずにゃ」


セレスはミリカを見る。


「お前は何を聞いている。

 そのネレイディアが来ていないと言っていただろう?」


「うるさいにゃ。

 でも模様ある奴らも港にいたにゃ?」


その時、

女将がカウンターから口を開いた。


「あぁ、

 あれはハーフの人達さ」


布巾を置きながら続ける。


「ネレイディアの国じゃなくて、

 この港に住んでる。

 他のネレイディアよりも模様が薄いだろ?」


確かに。


「……」


俺はマリスを見る。


首筋。


襟元から覗く肌。


淡く浮かぶ水色の模様。


港で見掛けた者達にも、

似た模様はあった。


黒く濃い、入れ墨のように見えた。


だがマリスのはちがう。


透き通る水のような、

淡い水色だった。


光を受ける度、

静かに揺らめいて見える。


「……」


見ていると。


マリスがこちらへ振り返った。


俺と目が合う。


「……なに?」


少しだけ首を傾げる。


俺はそのまま答えた。


「綺麗だな」


「……え?」


マリスが固まる。


「その模様だ」


言葉を続ける。


「水みたいだ」


「……あ」


マリスの頬が、

僅かに赤くなった。


視線を逸らしながら、

小さく呟く。


「……ありがとう」


一瞬。


妙に静かになった。


「「「!?」」」


ミリカが勢いよく立ち上がる。


「にゃ!?、にゃんで急に!?」


少し間を置いて。


「う、浮気者ーーー!」


「何がだ?。

 そもそも俺は、そんな関係になった覚えはない」


「にゃあああ!?」


ユーリスは額に手を当てたまま、

小さく息を吐く。


「……そう来ますか」


セレスは黙って俺を見ていた。


そして。


「……本当に、お前は」


小さく呟く。


「?」


俺は皆の顔を見回す。


「何を騒いでいる?」

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