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第224話:最後の警告


角牛を倒した後。


俺達は、

マリスのいる場所へ戻った。


だが、雨は止まらない。


空を覆う黒雲も、

少しも薄くなっていなかった。


その時。


神木の方角から、

淡い緑の光が伸びた。


森の奥へ。


何かを示すように。


俺達は光を追った。


その先にあったのは、

地面から突き出した一本の石柱。


アンカーだ。


ひび割れた表面から、

黒い影が漏れ続けている。


マリスの身体を借りたルクナスが、

俺の火を使い、

その入口を閉じた。


赤い火と、

金色の文字が石柱を包む。


暴れていた黒が押し戻される。


最後の一文字が刻まれた瞬間、

アンカーは完全に沈黙した。


やがて。


雨が弱くなる。


黒雲が割れ、

その隙間から光が差し込んだ。


木々の枝葉が、

濡れた光を受けて輝く。


だが。


封印を終えたルクナスは、

マリスへ戻ると同時に力を失った。


そのまま。


俺の腕の中へ倒れ込んだ。


ーーーーー


森を抜ける。


片腕には、

意識を失ったマリス。


もう片方の手には二本の槍。


少し歩きにくいが、

仕方がない。


二本とも俺しか持てない。


隣を、

セレスが歩いている。


「私が運ぶが?」


「いや、軽いから平気だ」


「……そうか」


雨は止んでいた。


葉から落ちる雫が、

時折肩へ当たる。


濡れた土の匂い。


焦げた木々の煙。


戦いの痕は、

森の至る所に残っていた。


だが。


遠くから聞こえる声は、

もう悲鳴ではなかった。


「戻ってきたぞ!!」


誰かが叫ぶ。


顔を上げる。


神木へ続く道。


その先に、

獣人達が集まっていた。


戦士。


避難していた民。


火を持っていた者達。


俺達の姿を見つけると、

一斉に声が上がった。


「火竜の男だ!」

「やっぱり、あんただったのか!」

「影を全部焼いたって聞いたぞ!」

「また神木を守ってくれた!!」


歓声が、

雨上がりの森へ響く。


拳を掲げる者。


武器を打ち鳴らす者。


隣の者と肩を叩き合う者。


俺は何も言わず、

その間を進んだ。


マリスの身体は軽い。


だが、

腕の中から伝わる体温はちゃんとある。


呼吸もしている。


それだけ確認できれば、

今は十分だ。


道の端。


一人の狼族の戦士が、

俺を見たまま動きを止めた。


確か、

族長会議の建物にいた者だ。


少しだけ目を見開く。


次の瞬間。


片膝をついた。


頭を下げる。


「……」


その隣にいた戦士も、

戸惑いながら膝をつく。


さらに。


一人。


また一人。


理由を理解している者ばかりではない。


それでも。


原初の存在だと知っている者。


神木が迎えた者だと聞いた者。


ただ命を救われた者。


それぞれが、

異なる形で頭を垂れていく。


歓声の中。


道の一部だけが、

妙に静かになった。


視界の端へ、

その姿が入る。


「はぁ……やめてくれ」


小さく漏れる。


ため息が混じった。


止めても、

たぶん聞かない。


説明しても、

もっと面倒になる。


俺はそのまま歩き続けた。


今は。


英雄だの神だのより、

先に確かめたいことがある。


「ユーリス達は?」


近くにいた戦士へ聞く。


男はすぐに顔を上げた。


「中央広場です!」


「そうか」


短く返す。


歩調を少し速める。


神木が近付いてくる。


雲の切れ間から差す光が、

巨大な枝葉を照らしていた。


ーーーーー


広場へ出る。


燃え残った松明。


泥だらけの避難用の荷車。


その周囲で、

獣人や旅人達が負傷者を運んでいた。


その時だった。


「……戻ったか」


低い声が響く。


前を見る。


最長老だった。


その両脇には。


狼族の族長。

熊族の族長。


そして。


猫族の族長、

ミレイア。


四人とも、

俺達を真っ直ぐ見ていた。


俺は足を止める。


最長老が静かに頷く。


「皆、無事だったようじゃな」


「ああ」


短く答える。


熊族の族長が、

腕を組んだまま口を開く。


「……魔物は」


「全部倒したはずだ」


俺が答える。


広場が静まる。


誰もすぐには口を開かなかった。


狼族の族長が、

ゆっくりと息を吐く。


「そうか……」


その一言だけだった。


だが。


肩から力が抜けたのが分かった。


ミレイアの視線が、

俺の腕の中へ向く。


「その娘は?」


「疲れただけだ」


マリスを見る。


「少し休めば起きる」


「……そうか」


ミレイアも、

それ以上は聞かなかった。


最長老は、

俺の顔を見つめていた。


しばらく。


何も言わず。


ただ静かに。


やがて。


杖を握る手へ、

少しだけ力が入る。


「……言葉では信じると言うたが。

 まさか、実際にこの目で原初の闇を見るとは」


ぽつりと漏らす。


熊族の族長も、

ゆっくり頷いた。


「見た」


低い声だった。


「我らも、この目で」


狼族の族長が続ける。


「神木は、お前へ応えた」


「そして」


ミレイアが静かに言う。


「影を焼き払った」


誰も否定しない。


広場にいた戦士達も。


族長達も。


全員が見た。


今まで神話でしか語られなかった災厄を。


そして。


それを真正面から焼き払った者を。


熊族の族長が、

静かに片膝をつく。


「……」


狼族の族長も続いた。


最長老も、

杖を胸の前へ立てる。


ミレイアも、

静かに頭を垂れた。


その動きを見て。


周囲の戦士達も、

次々と膝をつく。


広場が静まる。


誰も命令していない。


それでも。


自然とそうなっていた。


俺は思わず眉を寄せる。


「……勘弁しろ」


小さく息を吐く。


「やめてくれ」


静かな声だった。


「俺はそんな大層なもんじゃない」


誰も顔を上げない。


「頼むから普通にしてくれ」


それでも。


誰一人、

動かなかった。


「……困ったな」


頭を掻く。


セレスが隣で、

小さく肩を竦めた。


「諦めろ」


「嫌だ」


即答する。


「こんなの落ち着かない」


「だろうな」


珍しく、

セレスが少しだけ笑った。


その時だった。


「エア!!」


聞き慣れた声が響く。


広場の向こう。


ユーリスだった。


その隣を。


「エアぁぁぁ!!」


ミリカが全力で駆けてくる。


二人は族長達の前まで来ると、

ようやく立ち止まった。


「よかった……」


ユーリスが、

心から安心したように息を吐く。


ミリカも、

マリスの姿を見て胸を撫で下ろした。


「マリス!?生きてるにゃ……?」


「寝てるだけだ」


そう答えると。


「あ!エア!」


ユーリスが何かを思い出したように声を上げた。


「これを」


腰の袋を探る。


布に包まれた何かを取り出した。


「見てください」


俺へ差し出す。


黒い石だった。


親指の先ほどの大きさ。


表面には、

黒い筋のような模様が浮かんでいる。


「魔物が消えた後に残っていました」


ユーリスが言う。


「既に族長の皆さんにも見ていただきましたが……」


少し困ったように笑う。


「誰も分からなくて」


熊族の族長が腕を組む。


「見たこともない石だ」


狼族の族長も頷く。


「神木にも反応はなかった」


最長老も静かに続ける。


「じゃが……あれほどの災厄の後に残ったものじゃ」


「無関係とは思えぬ」


俺は黙って石を受け取った。


黒い石は。


冷たかった……。


影に似た、

嫌な冷たさだった。


「……」


角牛を倒した後。


地面へ散らばっていた石と、

まったく同じだった。


その瞬間だった。


『――聞こえているな』


声。


頭の奥へ直接響く。


低い。


男の声だった。


落ち着いている。


だが……どこか戦場に似た、

そんな重さだけがあった。


『貴様がエアだな』


俺は黙ったまま石を見る。


周囲は誰も反応しない。


俺だけか。


『返事は要らん』


男は続ける。


『時間が惜しい』


短く息を吐く音。


少し間。


『最後の警告だ』


空気が変わる。


『ルクナスを渡し、槍を置け』


命令だ。


『これ以上、反抗するな』


淡々としている。


だが、

一切の冗談がない。


『お前は知っているはずだ。

 このまま進めば何が起こるか』


俺は静かに口を開く。


「知ってる」


「エア?」


男は少しだけ黙った。


『なら話は早い。従え』


ユーリス達は、

状況が飲み込めないように顔を見合わせている。


『それがお前自身のためでもあり、

 守ろうとしている者達のためでもある』


俺は首を横へ振る。


「黙れ。

 俺の子供達は、貴様らの器じゃない」


短く言った。


『……そうか』


男は驚かない。


最初から、

分かっていたようだった。


『なら貴様は』


少しだけ声が低くなる。


『排除する。

 必要なら、その世界もろとも』


俺は石を強く握った。


「好きにしろ」


静かに答える。


「俺は昔から変わらない」


拳へ力を込める。


「守りたいものを守る。

 それだけだ」


バキッ。


石へ亀裂が走る。


―――パリン。


石が砕け散った。


「ッ!?」


ユーリスが目を丸くする。


「エア!? 急にどうしたんですか!?」


俺は砕けた石を見下ろした。


「……何でもない」


そう言って、

足元へ散った黒い欠片を見る。


嫌な気配は、

まだ消えていなかった。


「ユーリス」


「は、はい」


「悪いが、その欠片はなるべく遠くへ捨てておいてくれ」


ユーリスが首を傾げる。


「え?」


「気分が悪い」


正直に言う。


「直接はあまり触るな」


「……分かりました」


ユーリスは頷き、

砕けた欠片を集め始める。


俺はその中から、

一番小さな欠片だけを拾った。


親指ほどの大きさ。


まだ僅かに、

嫌な冷たさが残っている。


懐へしまう。


「エア?」


セレスが見る。


「全部捨てるんじゃないのか」


「いや」


小さく首を振る。


「念のためだ」


懐を軽く叩く。


「ルクナスにも見せておく」


あいつなら、

何か知っているかもしれない。


俺は腕の中のマリスを見る。


まだ眠ったままだ。


「起きたら聞いてみる」


誰に言うでもなく、

小さく呟いた。


神木の枝葉が揺れる。


雨上がりの風が、

静かに広場を吹き抜けていった。

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