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第223話:蘇る古き魔物


雨が頬を打つ。


それでも。


胸の奥で燃え上がる火は、

少しも冷めなかった。


巨体を見つめる。


黒い影が、

身体へまとわりついている。


生きているが――生きていない。


忘れるはずがない。


俺は何度も見た。


何度も立った、あの夜。


そして……。


獣だったものが、

怪物に変わった存在。


倒しても終わらない。


身体を焼いても、

今度は中から影が溢れ、支える。


何匹も。


何度も。


命を喰い潰して。


ただ壊すためだけに歩く。


「……こんなものが、また」


火竜が低く唸る。


まるで俺と同じように、

目の前の存在へ怒っているようだった。


ズシン。


巨体が一歩踏み出す。


濡れた大地が沈む。


角がゆっくり下がる。


俺へ向けて。


黒い息が、

雨の中へ溶けていく。


ズシン。


また一歩。


木々が左右へ押し退けられる。


太い前脚。


黒く濡れた蹄。


一本ではない。


二本の巨大な角が、

雨空へ突き出ていた。


角牛だ。


だが、

知っている姿じゃない。


身体中を黒い影が這う。


筋肉は異様なほど膨れ上がり、

皮膚の下で何かが蠢いている。


目は――ない。


あるべき場所は、

黒く沈み。


ただ影だけが揺れていた。


鼻先から漏れる息は黒い。


吐くたび、

雨が弾ける。


ズシン。


また一歩。


大地が震える。


火竜が低く唸った。


俺は槍を握り直す。


「来い!」


次の瞬間。


牛型の巨体、その蹄が地面に沈み込む。


――ゴォォォォォッ!!


火竜が吠える。


一直線。


炎が走る。


赤い炎を纏ったまま、

巨体へ喰らい付く。


肉が裂け、

牙が肩へ食い込む。


焼ける匂い。


確かに焼いている。


だが。


―――ズシン。


巨体は止まらない。


火竜を引きずったまま、

一歩。


また一歩。


焼け落ちた肉の奥から。


どろり。


黒い影が溢れる。


肉を埋める。


骨を繋ぐ。


「……また、それか」


喉の奥から、

低い声が漏れた。


身体を焼いても。


中から溢れた影が、

また身体を支える。


「なら――」


言い切る前だった。


角牛が、

首を大きく振る。


―――ゴォンッ!!


火竜が力任せに弾き飛ばされた。


赤い炎が、

木々を薙ぎ倒しながら森を転がる。


「ッ!」


次の瞬間。


角牛が地面を蹴った。


―――ドォンッ!!

―――ドドドドドドドッ!!!


大地が砕ける。


一直線。


雨を弾き飛ばし。


木々を薙ぎ倒しながら。


巨体が、

俺へ迫る。


「ッ!!」


身体を捻る。


角牛が、

紙一重で横を通り過ぎる。


突風。


突進の風圧だけで、

木々が軋んだ。


「速――」


言い切れない。


その横。


茂みが弾けた。


咆哮と共に、

真横から飛び掛かる。


「なッ!」


黒い影を纏った…、

角熊だ。


地面がぬかるみ、

踏ん張りが利かない。


足が滑る。


避けられない。


仕方なく槍を放す。


両手を伸ばす。


―――ガァンッ!!


角を掴む。


凄まじい衝撃。


腕が軋む。


足が地面を滑る。


「ぐっ……!!」


止まらない。


角熊はそのまま押し込んでくる。


―――ズガァァァン!!


背中から大木へ激突する。


木が折れる。


だが勢いは止まらない。


二本目。


三本目。


次々と木を突き破りながら、

身体ごと押し流される。


「ッ……ッ……!」


土が抉れる。


腕が震える。


掴んだ角が、

木に当たるたびに少しずつ手の奥へ食い込んでいく。


その向こうで。


―――ズシン。


―――ズシン。


角牛がゆっくりと向きを変えた。


俺を押さえつける角熊。


その正面へ。


再び、

巨大な二本角が下がっていく。


「ッチィ……!」


両腕へ力を込める。


角熊は止まらない。


押し込まれる。


足が地面を抉る。


「クソッ……来いッ!」


左手を離す。


開いた手を、

森の奥へ向けた。


その瞬間。


赤い火が弾ける。


木々を転がっていた火竜が、

炎となって砕け散る。


火は一本の線となり、

地面へ突き刺さった槍へ集まった。


―――ゴォォォォォッ!!


槍が燃え上がる。


赤い軌跡を描きながら、

一直線に俺の手へ飛んだ。


「ッ!」


握る。


熱い。


馴染む。


そのまま。


片手だけで槍を振り上げた。


「どけぇぇぇッ!!」


―――ズガァァァッ!!


穂先が、

角熊の額へ突き刺さる。


火を流し込む。


赤火が、

頭蓋の奥へ一気に駆け抜けた。


―――ギィィィィィィィッ!!


角熊の絶叫と、

影の悲鳴が重なる。


黒い影が、

傷口から噴き出した。


身体が大きく仰け反る。


俺を押さえ付けていた力が、

一瞬だけ緩んだ。


その時だった。


―――ズドドドドドドッ!!


正面。


角牛が、

再び地面を砕きながら迫る。


速い。


避ける時間はない。


「ッ!」


槍を構える。


(真正面から受けるしかッ)


その瞬間。


「穿て!」


白火と共に声が響いた。


横殴り。


―――ドォン!!


火をまとった白銀の槍が、

角牛の脇腹へ深々と突き刺さった。


衝撃。


巨体が大きく傾く。


そのまま地面を削りながら、

横へ倒れ込んだ。


土と泥が、

雨の森へ舞い上がる。


「……間に合ったか」


聞き慣れた声だった。


白い炎を従えて、

セレスが槍を構えたまま俺の隣へ降り立つ。


土煙が雨に叩かれ、

すぐに低く沈んでいく。


倒れた角牛が、

低く唸る。


すぐに起き上がろうとしていた。


俺は槍を構える。


その横へ。


白い火が揺れた。


セレスが、

静かに並ぶ。


互いに視線は前。


見るのは、

目の前の怪物だけだった。


「……何だ、あれは」


ゆっくり立ち上がる角牛と、

頭を振る角熊を見る。


黒い影を纏い。


尋常ではない巨体。


焼けた傷口ですら、

影が蠢き塞いでいく。


俺は短く答えた。


「魔物だ」


セレスの目が細くなる。


「ただし、大昔のな……」


「……なるほど」


角牛を見据えたまま、

静かに槍を構え直す。


「随分と……大きいな」


ズシン。


角牛が立ち上がる。


角熊も、

頭を振りながら唸った。


二体。


雨の森で。


俺達は、

並んだまま槍を構える。


角牛が前脚で地面を掻く。


角熊も、

低く身体を沈めた。


「来るぞ」


セレスの声が落ちる。


同時に。


手の中の槍が――唸った。


低い振動が、

掌から腕へ伝わってくる。


「……?」


槍を見る。


赤い火が、

穂先の奥で収縮していた。


さっきまでとは違う。


もっと深く。


もっと遠くまで、

貫けると言っているような……。


「お前……」


きっと、

他の奴では扱えない。


大地まで焼ける。


森も。


その先も。


だが……槍は、

そこまで広がろうとはしなかった。


俺が望んでいないから。


狙うものだけを、

消し飛ばそうとしている。


「……よしッ」


角牛が地面を蹴る。


巨体が動き出すより早く、

槍を引いた。


狙う。


角牛の中心。


「行けぇぇぇッ!!」


全力で投げ放つ。


―――ドォォォォォォンッ!!


赤い閃光が森を貫いた。


音が遅れて届く。


角牛の上半身が、

背後の木々ごと消し飛んだ。


肩。


胸。


頭。


巨大な角すら、

赤い軌道の中へ飲み込まれている。


残ったのは。


下腹部と、

四本の脚だけだった。


そのまま数十本の大木が抉れ、

森の奥まで一直線の空白が生まれる。


「……な」


隣で、

セレスの声が止まった。


だが。


角牛の残骸が倒れない。


四本の脚が、

地面へ踏ん張ったまま残っている。


断面から。


―――どろり。


黒い影が噴き上がった。


骨の代わりに柱を作り。


肉の代わりに広がり。


失われた上半身を、

再び形作ろうとしている。


「馬鹿な……」


セレスが、

僅かに目を見開く。


だが、

見ている暇はない。


角熊が走り出していた。


俺は先に地面を蹴る。


槍はまだ戻っていない。


それでも。


「ぼーっとするな!!」


セレスへ叫ぶ。


「今のうちに片方を仕留める!!」


角熊へ真正面から突っ込む。


わざと懐へ潜り込み、

角を掴む。


―――ガァンッ!!


肩が沈む。


足元の泥が弾けた。


だが動かない。


地面から蔦が足へ絡み付き、

俺の身体を支えた。


「止めたぞッ……!」


腕へ力を込め、

角熊の頭を地面へ押さえ込む。


「セレス!!」


背後で白火が膨れ上がった。


気配が上へ抜ける。


セレスが跳んだ。


俺の背後から頭上へ。


雨の中。


白い炎を纏いながら、

聖杭槍杖を振り上げる。


空中へ、

白い光が次々と生まれた。


一本。


二本。


十本。


白火が圧縮され、

無数の槍へ形を変えていく。


角熊の背中を覆い尽くすほどの数。


「そのまま押さえていろ!」


セレスが槍を振り下ろす。


「跪け!!」


白い槍が、

雨のように降り注いだ。


―――ドドドドドドドドッ!!


肩。


背。


前脚。


腹。


無数の白杭が巨体を貫き、

そのまま大地へ縫い付けていく。


角熊が絶叫した。


黒い影が傷口から噴き上がる。


だが、

白火は逃がさない。


形を保ったまま、

影ごと身体を地面へ固定していく。


俺は角を掴んだまま叫んだ。


「まだだ!!」


森の奥。


投げた槍が、

赤い光を引きながら戻ってくる。


その向こうでは。


上半身を失った角牛が、

黒い影だけで新しい身体を作り始めていた。


赤い光が、

一直線に戻ってくる。


俺は角熊を押さえ込んだまま、

右手だけを後ろへ伸ばした。


槍が手に飛び込む。


―――ガァンッ!!


衝撃が肩まで抜けた。


だが、

止めない。


戻ってきた勢いを、

そのまま身体へ流す。


足に絡み付いていたツタを、

力任せに引き千切った。


土が跳ねる。


身体を捻る。


白い杭に貫かれ、

地面へ縫い付けられた角熊。


その口が、

苦しむように大きく開いていた。


「これで――終わりだッ!!」


槍を突き出す。


―――ズガァァァッ!!


穂先が口から入り、

喉の奥へ深く突き刺さった。


角熊の身体が跳ねる。


だが、

白杭が逃がさない。


俺は柄を両手で握り、

さらに奥へ押し込んだ。


「燃え尽きろ!!」


赤火を流す。


槍を通り。


喉を焼き。


身体の中心へ。


火が一気に走った。


―――ギィィィィィィィッ!!


角熊の咆哮と、

影の悲鳴が同時に聞こえる。


巨体が内側から膨らんだ。


皮膚が張る。


黒い影が、

傷口という傷口から噴き出す。


だが遅い。


逃がさない。


「焼き尽くせッ!!」


次の瞬間。


―――ドォォォォォンッ!!


角熊の身体が弾け飛んだ。


肉。


骨。


黒い霧。


それらを突き破り。


赤い火竜が、

真上へ噴き上がる。


雨雲へ届くほど、

長い身体を伸ばした。


火竜は空中で身を翻す。


飛び散った影へ、

次々と食らい付く。


黒が逃げる。


だが。


赤い顎が追い付き、

一つずつ噛み砕いていく。


悲鳴。


赤い火。


白い雨。


それが森の上で入り乱れた。


やがて。


角熊がいた場所には、

何も残らなかった。


再び形を作る影も。


動く肉も。


黒い残滓すらない。


「残るは……一体」


セレスが低く言う。


俺も槍を引き抜き、

向き直った。


残る一体。


角牛。


上半身を失っていたはずの巨体は、

既に黒い影で輪郭を作り始めていた。


角。


頭。


肩。


肉ではない。


影そのものが、

牛の形を取り戻していく。


セレスが槍を構え直す。


白火が、

雨の中で強く燃えた。


俺も隣へ並ぶ。


火竜が頭上を回り、

低く唸る。


角牛が前脚を踏み込んだ。


―――ズンッ。


大地が震える。


再生した二本角が、

こちらへ向けられた。


俺は槍を握り直す。


「次で終わらせる」


セレスは答えない。


ただ。


白銀の穂先が、

角牛の中心へ向く。


角牛が低く吠えた。


影で形作られた不安定な上半身が、

大きく沈む。


二本の角が下がる。


片方は俺へ。


もう片方は、

セレスへ向いていた。


「仕留めるぞ」


「ああ」


短く返す。


次の瞬間。


―――ドォンッ!!


四本の脚が大地を蹴った。


巨体が、

雨を弾き飛ばしながら迫る。


さっきまでとは違う。


肉ではない。


骨でもない。


上半身のほとんどが、

黒い影そのものだ。


だからこそ。


「ここで」


槍を構える。


隣で、

白火が一段強くなった。


「右は私が取る」


「なら左だ」


俺達は同時に地面を蹴った。


真正面。


角牛の突進へ向かう。


距離が潰れる。


二本角が、

目の前まで迫った。


俺は身体を捻り、

左の角へ槍を突き立てる。


セレスも反対側から、

右の角へ白銀の槍を叩き込んだ。


―――ガァァァンッ!!


衝撃。


腕が押し戻される。


足元の泥が爆ぜ、

身体ごと後ろへ滑る。


重い。


さっきの角熊とは比べものにならない。


だが。


「うぉぉぉぉぉ!!」


踏み込む。


土が足元から盛り上がり、

俺の身体を支えた。


隣では、

セレスの白火が杭のように地面へ伸びている。


互いに敵を押さえつける。


二本の槍は、

角から離れない。


黒い影が穂先へ絡み付く。


押し返そうとする。


喰おうとする。


だが。


今の身体に、

火を遮る肉はない。


守る骨もない。


「セレス!」


「分かっている!」


白火が爆ぜた。


角へ刺さった槍から、

圧縮された火が内側へ走る。


黒い上半身が歪んだ。


俺も遅れず、

赤火を流し込む。


「「燃えろ!!」」


赤と白。


二つの火が、

左右の角から侵食していく。


影が悲鳴を上げた。


―――ギィィィィィィィッ!!


角牛が首を振る。


俺達を振り払おうと、

巨体を暴れさせる。


だが、

もう遅い。


二本の槍は影へ深く食い込み、

逃さない。


木々が砕ける。


土が飛ぶ。


それでも離さない。


俺は槍をさらに押し込んだ。


「もう邪魔な皮はねぇぞ!!」


赤火が角を焼き、

頭部へ到達する。


反対側から、

白火も同時に食い込んだ。


二つの火が、

影の中心でぶつかる。


―――ズンッ!!


角牛の動きが弱まった。


「エア!」


セレスが叫ぶ。


俺達は同時に槍を引いた。


そして。


俺はもう一度、

角の根元へ向けて全力で突き出す。


「燃え尽きろォォォッ!!」


―――ドォォォォォンッ!!


同時に。


その上から、

白火が降り注ぎ、

影の形をその場へ固定する。


「逃さん!!」


逃げようと広がった影を、

白い杭が縫い止める。


そこへ赤火が流れ込む。


逃げ場を失った黒が、

内側から燃え上がった。


角牛の巨体が膨らむ。


四本の脚が地面を掻く。


だが、

もう前へは進めない。


影が身体の外へ溢れようとする。


そのたびに。


白火が塞ぎ。


赤火が喰らう。


「押し切るぞ!」


「言われるまでもない!」


二人で槍を握り込み、

さらに火を注ぎ込む。


赤。


白。


二つの色が、

黒い巨体の内側を走った。


次の瞬間。


―――バキンッ!!


二本の角が、

根元から砕け始める。


そのまま火に焼かれ、

形を失っていく。


続いて。


頭。


肩。


胸。


影で作られた上半身が、

内側から歪む。


―――ギィィィィィィィィッ!!


最後の悲鳴。


それすら。


赤と白の火に飲み込まれ、

途中で途切れた。


角牛の巨体が、

四本の脚から崩れ落ちる。


黒い影が地面へ散る。


だが、

もう集まらない。


火竜が上空から降り、

逃げる黒をまとめて喰らう。


白い杭も地面から伸び、

残った影を次々と貫いた。


やがて。


雨だけが落ちた。


角牛がいた場所には、

焼けた地面と。


砕けた何かの黒い欠片だけが残っていた。


「……終わったか」


セレスが、

構えていた槍を引き戻す。


雨の中で細く揺れていた白火も、

同時に消えた。


俺も槍を下ろす。


赤い火が穂先へ戻っていく。


火竜は一度だけ空を回り、

そのまま槍の中へ消えた。


「ひとまず、な」


短く答える。


森を見渡す。


動く影はない。


獣の唸りも聞こえない。


あるのは…雨音。


焦げた土の匂い、倒れた木々。


その中で。


俺とセレスの二本の槍だけが、

最後まで火を残していた。

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