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第221話:火が追う


雨が、

少しずつ強くなる。


地面はぬかるみ、

足元が滑る。


「こっちです!」


叫びながら、

避難民を誘導する。


「子供から先に!」


ミリカも反対側で声を張る。


「走れる人は年寄りを支えるにゃ!」


猫族の若者達も動く。


誰も止まらない。


泣いている子供。

荷車を押す商人。

旅装束の男女。


獣人だけじゃない。


人間。

角族。

耳の長いエルフ。


鎧姿の冒険者までいた。


外から交易へ来ていた者達だ。


「何なんだよ、あれは!」


大剣を持った男が叫ぶ。


結界の外。


黒い塊が走っている。


「斬っても効かねぇ!」


「近寄られるとヤバいぞ!」


別の冒険者が肩で息をしていた。


鎧は泥だらけ。

腕には火傷のような跡が残っている。


「仲間がやられた!」


声が震えていた。


私は足を止めない。


「松明を持ってください!」


叫ぶ。


「火から離れないでください!」


旅人達は顔を見合わせる。


「火?」


「そんなのでいいのか?」


「いいです!」


即座に返す。


「とにかく何でもいいから火を!!」


その一言で、

狼族の戦士達も叫ぶ。


「聞こえただろ!」


「火を絶やすな!!」


松明が配られていく。


燃える枝。

焚き火。


荷車を壊して作った即席の薪。


赤い火が、

少しずつ輪になっていく。


「止まった……本当に来ない!」


誰かが呟いた。


黒い霧が、

火の外側で揺れている。


近付けない。


松明の炎を嫌うように、

距離を取っている。


「……助かった」


冒険者が膝をつく。


周囲から、

安堵の息が漏れた。


だが。


「……違う」


思わず声が出た。


影は逃げていない。


見ている。


火を。

人を。


その時だった。


一体の影が動く。


一直線。


「来るぞ!」


戦士が松明を突き出す。


だが。


止まらない。


「ッ!?」


影が火へ飛び込んだ。


―――ギィィィィィィッ!!!


悲鳴。


黒い身体が燃える。


形が崩れる。


それでも、

火を突き抜けた。


「何ッ!?」


冒険者の肩へまとわりつく。


「ぐぁぁぁぁぁ!!」


男が倒れる。


全身が震える。


皮膚がみるみる青白くなっていく。


「松明を!!」


私が叫ぶ。


獣人達が一斉に集まる。


だが、その前に。


「うおぅりゃああぁあ!」


ミリカが、

影にまとわりつかれた男を蹴り飛ばした。


男だけが火の輪の内側へ転がる。


残された影が、

そのままミリカへ取り付いた。


「にゃ!?冷たッ!?……けど、効かないにゃああ!」


ミリカの身体を、

土の強化が覆っている。


耐えている。


「ミリカ!?、火よ!」


杖を向ける。


火の魔術で周囲を包むと、

影は嫌な音を立てながら蒸発するように消え去った。


「た、助かったにゃ……」


「無茶しないでください!、

 まだ来ます!もっと固めてください!!」


私の声が響く。


戦士達が動く。


松明。

焚き火。

燃える荷車。


火と火を繋ぎ、

円陣がさらに厚くなる。


その様子を。


影は、

じっとこちらを観察するように揺れていた。


そして。


外側。


さらに遠く。


黒い霧が、

静かに集まり始める。


一つ。


また一つ。


焼かれた影の代わりを埋めるように。


黒が重なる。


膨らむ。


大きくなる。


「あれは……まずいです」


喉が鳴る。


あの大きさ。


もし、あれがまとめて突っ込んできたら――。


そう考えた瞬間。


杖を握り締めた。


「近付けさせません!」


術式を展開する。


赤い魔法陣が雨の中へ広がり、

炎が集まる。


「――燃やします!!」


一直線に、

火炎が巨大な黒い塊へ放たれた。


―――ゴォォォォッ!!


炎が雨を押し退ける。


赤い奔流が、

黒へ突き刺さった。


一瞬。


塊の表面が大きく膨らむ。


次の瞬間。


―――ドォンッ!!


内側から弾け飛んだ。


黒い霧が四方へ散る。


「やったぞ!すげぇな、あんた!!」


誰かが叫ぶ。


けれど。


「ッ……!」


耳を塞ぎたくなるような音が響いた。


―――ギィィィィィィィッ!!


古びた大扉を、

無理矢理こじ開けたような。


建て付けの悪い扉が、

床を削りながら動くような音。


身体の内側まで、

ざらざらと擦られる。


影が叫んでいる。


散った黒い霧が、

雨の中で激しく蠢く。


燃えた部分から、

少しずつ薄れていく。


消えた。


一瞬、

そう見えた。


でも。


「……違う」


喉が鳴った。


散った黒は止まらない。


互いへ引き寄せられるように、

再び集まり始める。


「そんな……」


焼かれている。


確かに効いている。


それなのに。


黒は黒を飲み込み、

さっきより大きな塊へ変わっていく。


雨粒が触れるたび、

表面が波打った。


輪郭はない。


けれど。


こちらを向いた。


そう感じた。


「来ます……!」


杖を握り直す。


足を開き、

ぬかるんだ地面へ踏ん張る。


術式はまだ消えていない。


もう一度。


今度は、

さっきより強く。


火を集める。


「俺達も合わせる!」


すぐ横から声がした。


振り向く。


濡れた外套を肩へ張り付かせた、

旅の魔術師だった。


杖の先へ、

赤い術式が浮かんでいる。


その後ろにも二人。


一人は短い杖。


もう一人は、

指の間に火の術式を組んでいた。


「一人で撃つよりましだ!」


旅の魔術師が、

黒い塊を睨む。


「合図をくれ!!」


私は前へ向き直った。


「分かりました!」


黒い塊が沈む。


地面へ押し付けられるように、

低くなる。


次の瞬間。


一気に膨らんだ。


「来ます!」


杖を前へ出す。


隣の術式も強く輝く。


火が集まる。


熱が頬を刺す。


雨が杖の周りで蒸発し、

白い湯気が立ち上った。


「もういいか?!」


「まだです!!」


黒い塊が動いた。


一直線に。


「――いきまッ」


術式を放とうとした。


だが。


「……え?」


方向が違う。


こちらではない。


黒い塊は、

私達の左を抜けるように進んでいた。


斜め前方。


結界の外周へ向かっている。


「なんだ!?あいつら外したのか?」


魔術師が声を上げる。


「違います!」


杖を下げず、

塊の向かう先を見る。


何もない。


そう思った。


けれど。


遠くで、

緑の光が大きく揺れた。


―――ドンッ!!


何かが結界の外側へぶつかった。


淡い波紋が、

雨の中へ広がる。


「……あれは」


黒だった。


もう一つ、別の巨大な塊。


結界へ弾かれながら、

外周を滑るように走っている。


ぶつかる。


弾かれる。


また向きを変え、

次の場所へ激突する。


―――ドンッ!!


―――ドォンッ!!


緑の膜が、

そのたびに大きく波打つ。


こちらの塊が速度を上げた。


「あっ……」


分かった。


私達へ突撃したんじゃない。


あれと合流するつもりだ。


「止めてください!」


杖を向け直す。


「二つが集まる前に燃やします!」


「分かった!」


隣の魔術師達も、

術式を動かす。


だが。


黒い塊は速い。


雨を巻き込み、

地面から僅かに浮くように進んでいく。


間に合わない。


二つの影が近付く。


あれが一つになったら……。


ここにある火じゃ、

しのげない。


「……!」


火を放とうとした瞬間。


森の奥が赤く染まった。


「……ッ!」


熱風が頬を打つ。


雨が一斉に弾け、

白い蒸気が吹き上がる。


遠く。


木々の間を縫うように、

巨大な火が走っていた。


長い身体。


開かれた赤い顎。


大蛇……違う。


「あれは!?」


火の竜。


その前を、

一人の人影が走っている。


槍を握り。


黒い塊だけを見て。


迷いなく、

こちらへ向かってくる。


「エア!」


声が漏れた。


黒い塊が、

もう一つの影へ飛び込む。


二つの黒が重なった瞬間。


―――ズンッ!!


空気が震える。


膨れ上がる。


結界の外周を覆い隠すほど、

巨大な一つの塊へ変わっていく。


だが、そこへ。


それを追ってきたエアが、

赤い火と共に飛び込んだ。


エアが地面を蹴る。


火竜も、

その動きへ重なるように身を起こす。


赤い身体が、

大きく弧を描いた。


エアを押し上げるように、

雨の中を舞い上がる。


「……!」


思わず見上げた。


槍を構えたエアが、

火竜と共に黒い塊の上へ回り込む。


黒が蠢く。


表面から何本もの影が伸び、

空中のエアへ向かっていく。


けれど。


「邪魔だッ!!」


槍が振り下ろされた。


赤い火が、

雨を切り裂く。


火竜が大きく顎を開いた。


――ゴ―ォォォォォッ!!


そのまま、

巨大な影へ喰らい付く。


黒い塊が大きく歪んだ。


まるで本当に肉を食い千切るように、

火竜の顎が黒を噛み砕いていく。


―――ギィィィィィィッ!!


耳の奥が痛い。


黒が暴れる。


火竜へ絡み付き、

押し潰そうとする。


だが。


赤い火は消えない。


影へ食い込んだまま、

内側から燃え広がっていく。


「そのまま……!」


握っていた杖へ、

力が入った。


いける。


あのまま燃やせれば。


そう思った瞬間。


黒い塊が弾けた。


―――ドンッ!!


火竜が噛み付いていた部分を、

自ら切り離すように。


焼かれている場所だけを残し、

大半の黒が一気に離れていく。


「逃げる……!?」


影は再び結界へぶつかった。


緑の光に弾かれる。


だが、

その勢いを利用して外周へ滑っていく。


速い。


焼けた部分を置き去りにして、

残った黒だけで逃げようとしている。


「逃がさないでください!」


私は杖を向けた。


「今です!、あれを撃ってください!!」


「分かった!」


隣にいた魔術師が、

すぐに術式を切り替える。


後ろの二人も続いた。


「外すなよ!」


火が集まる。


私も残っていた術式へ、

もう一度力を流し込む。


「――撃ちます!!」


四つの炎が、

雨の中を走った。


一直線。


逃げる黒い塊へ突き刺さる。


―――ゴォォォォッ!!


最初に私の火。


続いて、

横から二本。


最後の一つが、

黒の後ろ側へ食い込んだ。


影の表面が削れる。


端が燃え落ち、

黒い霧となって散っていく。


「当たったぞ!」


誰かが叫ぶ。


けれど。


止まらない。


塊は結界へぶつかり、

弾かれながら進み続ける。


緑の波紋が、

次々と外周へ広がっていく。


撃ち込んだ炎も、

雨と黒へ飲み込まれるように弱まっていった。


「まだ……!」


もう一度、

術式を組もうとした。


その時。


―――ドンッ!!


エアが私達の前へ着地する。


泥と雨水が跳ね上がった。


赤い火が、

槍の穂先から細く立ち昇っている。


「エア!」


呼び掛ける。


エアがこちらを見た。


けれど、

足は止めない。


「話はあとだ!」


荒い声だった。


「そのまま守れ!」


「でも、あれが――」


「俺が追う!」


短く言い切る。


その視線は、

もう逃げていく影へ向いていた。


私は言葉を飲み込んだ。


止められない。


いや。


今は、

止めてはいけない。


エアが槍を握り直す。


けれど、

すぐには走り出さなかった。


一度、

周囲を見渡す。


松明を持つ獣人達。


火の輪の中へ集まった旅人。


倒れた冒険者。


雨に濡れ、

今にも消えそうな焚き火。


エアの目が止まる。


「……ここも足りないッ」


小さく漏らした。


槍を逆手へ持ち替える。


そのまま、

地面へ突き立てた。


―――ズンッ。


鈍い音。


次の瞬間。


足の裏から、

突き上げるような震動が伝わってきた。


「……え?」


地面が動いている。


ぬかるんだ土が、

内側から盛り上がる。


石が弾ける。


太い根が地表を割り、

何本も絡み合いながら伸び始めた。


「木……?」


違う。


普通に生えているんじゃない。


エアの槍を中心に、

大地そのものが形を作っている。


土を押し固め。


根を組み。


幹に似た、

巨大な柱へ変わっていく。


私達を囲むように、

高い木の柱が立ち上がった。


先端は枝分かれし、

燃やすための薪を抱えるような形をしていた。


「エア……何を……」


言葉が続かなかった。


エアの力は火。


ずっと、

そう思っていた。


学院でも。


火線祭でも。


何度も見てきた。


けれど今。


目の前で、

大地が応えている。


まるで、

ずっと彼の声を待っていたように。


エアが槍を引き抜く。


赤い火が、

穂先へ集まった。


「灯せ!!」


槍を振る。


火が三本の柱へ走った。


―――ゴォォォォォッ!!


一斉に燃え上がる。


雨を押し返すほどの炎。


空へ伸びる、

巨大な見張り火。


熱風が広がり、

濡れた髪が後ろへ煽られた。


暗かった周囲が、

一気に赤く照らされる。


黒い影が、

遠くで身を捩る。


火から逃げるように、

さらに結界の外周へ離れていった。


「す、すごい……何の魔術だ……」


旅の魔術師が、

炎柱を見上げたまま呟く。


松明とは比べものにならない。


雨が降り続いているのに、

火は少しも弱まらない。


燃える木の柱から落ちた火が、

周囲の焚き火へ繋がっていく。


火の輪が、

さっきよりも大きくなった。


エアは一度だけ、

こちらを見る。


「ユーリス!」


「はい!」


「頼んだぞ!」


私は強く杖を握った。


「任せてください!」


返事を聞くと、

エアはもう振り返らなかった。


火竜が低く身体をうねらせる。


逃げていく黒い塊へ、

赤い顎を向ける。


エアが地面を蹴った。


火竜がその背を追うように、

飛び出していった。


私は、

遠ざかっていく赤い火を見る。


さっき大地から立ち上がった柱。


燃え続ける巨大な火。


雨の中でも消えない。


エアが残した火は、

私達を囲むように立っていた。


「ユーリス!」


ミリカの声で、

我に返る。


「まだ負傷者がいるにゃ!」


「はい!」


杖を握り直す。


振り返ろうとした。


その時だった。


足元で、

何かが光った。


「……?」


泥の中。


黒い欠片が落ちている。


さっき、

影へ火を撃ち込んだ場所だった。


魔石。


最初はそう思った。


けれど。


「これは……」


影が消えた時。


灰すら残らなかった。


燃え尽きて。


何もなくなったはずだった。


しゃがみ込む。


泥へ半分埋もれたそれを、

指先で拾い上げる。


「冷たい……」


雨に濡れていたからではない。


指先から、

熱を奪われるような冷たさ。


黒い石だった。


親指の先ほどの大きさ。


表面は滑らかで、

魔石のような濁りもない。


光を当てても、

何も映さない。


ただ黒い。


深い穴を、

そのまま固めたような色。


「ユーリス?」


ミリカがこちらへ駆け寄ってくる。


「何拾ったにゃ?」


「分かりません」


掌へ乗せる。


ミリカが覗き込んだ。


「魔石にゃ?」


「……たぶん」


答えながらも、

違和感が消えない。


魔石なら、

僅かでも魔力を感じる。


どんな魔石でも、

何かしらの流れがある。


けれど。


これは何もない。


空っぽ。


そう思った瞬間。


―――どくん。


「……ッ」


掌の中で、

黒い石が脈打った。


一度だけ。


心臓のように。


思わず手を引きそうになる。


だが、

石はもう動かない。


「今、動いたにゃ?」


ミリカの耳が立つ。


「……はい」


もう一度、

指先で触れる。


冷たい。


ただの石にしか見えない。


それなのに。


なぜか。


遠ざかっていく影の方向へ、

僅かに引かれているような感覚があった。


糸でも繋がっているみたいに。


「……これ」


杖を握る手へ力が入る。


影が残したものなのか。


それとも。


最初から、

影の中にあったものなのか。


分からない。


でも。


「持っていきます」


私は黒い石を、

濡れた布で包んだ。


「エアに見せます」


ミリカは少しだけ嫌そうな顔をした。


「それ、なんか嫌な感じするにゃ」


「私もです」


布越しでも。


冷たさだけは、

掌へ残り続けていた。


遠く。


結界の外周で、

緑の光がまた大きく波打つ。


―――ドンッ。


影が、

どこかへぶつかった音。


その瞬間。


布の中で。


黒い石が、

もう一度だけ脈打った。

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