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第217話:追いついた気配


森が途切れた。


開けた場所だった。


中央には、

古びた石が一つ。


苔に覆われ、

誰も気にも留めないような岩。


だが。


「……これだ」


狼族の族長が眉を寄せる。


「ただの石にしか見えん」


「君達にはそう見える」


「族長のくせに知らないにゃ〜?」


「黙れ……」


「痛ッ」


調子づくミリカをよそに、

ルクナスは静かに近付く。


石へ手を伸ばす。


「これがアンカーだ」


俺は周囲を見る。


違和感しかない。


神木から続いていた流れは、

間違いなくこの石へ集まっていた。


ルクナスが石へ触れる。


その瞬間。


黒い線が、

石の表面へ浮かび上がった。


「……イカれてる」


ルクナスの表情が変わる。


だが、その理由は俺にも分かる。


黒い線。


そこから、

虚飾……影と同じ気配を感じる。


「かなり食い込まれてる」


ルクナスは右手を石へ押し当てると、

静かに目を閉じた。


「エア、お願い」


「ああ」


俺は石へ手を添える。


神木から流れ込むものが、

この一点へ集まっている。


「今だ」


ルクナスが短く言う。


俺は流れへ触れた。


赤い火が走る。


金色の文字が石を覆い、

黒い線を押し返していく。


影は抵抗するように脈打つ。


だが、

長くは続かなかった。


やがて、

最後の一文字が刻まれる。


黒は静かに石の奥へ吸い込まれた。


葉擦れの音が戻る。


張り詰めていた流れがほどけ、

神木へ続く鼓動も穏やかになっていく。


「……終わった」


ルクナスが息を吐く。


「もうにゃ?、警戒して損したにゃ」


その直後。


石の奥から光が伸び、

ルクナスを貫いた。


「ルクナス!?」


血は流れていない。


傷も見えない。


だが、

聞こえたのはルクナスの声ではなかった。


『見つけたぞ』


全員が顔を上げる。


『今度は逃さん』


感情のない声。


男とも女ともつかない。


『ルクナス』


その瞬間。


マリスの身体へ波紋が浮かぶ。


ルクナスが使う文字と同じ、

金色だった。


波紋は身体全体へ広がり、

弾けるように光を放つ。


同時に、

石は完全に沈黙した。


黒い線も消えた。


そこには、

ただの古い岩だけが残る。


「はぁ、はぁ、はぁ……!?。危なかった〜」


「今の何だったにゃ!?」


「おい、平気か?」


今度はルクナスの声だった。


呼吸を整えながら、

苦く笑う。


「向こうから掴まれた」


一度だけ石を見る。


「もう大丈夫…。

 でも……予想より早いな」


言葉とは裏腹に、

表情だけが僅かに曇っていた。


「戻ろう」


短く言う。


「急いで」


俺達は来た道を引き返した。


森の中を、

ただ駆ける。


「……エア」


ルクナスが前を向いたまま口を開く。


「さっきので」


少しだけ間を置く。


「正確な居場所が向こうへ伝わった」


俺は黙って聞く。


「それと……」


ルクナスの声が僅かに低くなる。


「厄介なものを見た」


悔しそうに息を吐く。


「全部は読めなかった。

 でも何か企んでる」


それだけだった。


「嫌な感じしかしない」


狼族の族長が前を見たまま言う。


「……急ぐぞ」


速度がさらに上がる。


俺達も続いた。


――――――――――


神木が見えた。


巨大な枝葉は、

変わらず空を覆っている。


「戻った!」


誰かが叫んだ。


次の瞬間。


神木の周囲から、

大勢の獣人達が駆け寄ってくる。


「族長!」

「入れたぞ!」

「結界が元に戻った!」


興奮した声が次々と上がる。


その中に、

見覚えのある獣人がいた。


結界の外に締め出され、

言い合いをしていた二人だ。


少し遅れて、

ミレイアがこちらへ歩いてきた。


その隣には最長老もいる。


最長老は静かに俺を見ると、

小さく頷いた。


「よくやってくれた」


短い言葉だった。


「閉ざされていた者達も、

 無事に帰ることができた」


周囲では、

家族同士が抱き合っている。


笑う者。


泣く者。


ようやく戻れた者の肩を、

何度も叩く者。


狼族の族長も、

ようやく肩の力を抜いた。


「礼を言う」


その時だった。


「エア!!」


聞き慣れた声が響く。


勢いよく走ってきたユーリスが、

そのまま俺の胸ぐらを掴んだ。


「勝手に行かないでください!」


珍しく本気で怒っていた。


「昨日ああ言ったばかりで!

 どれだけ心配したと……!」


肩で息をしながら、

真っ直ぐ睨んでくる。


「わ、悪かった。

 だが、ちゃんと言伝は――」


「そういう事じゃありません!!」


その横では、

ミリカも頬を膨らませていた。


「そうにゃ!」


尻尾をぶんぶん振る。


「あたしだって必死に追いかけたにゃ!」


俺を指差す。


「お前は、なんか違うだろ」


「にゃ!?」


その瞬間。


ゴツンッ。


鈍い音が響いた。


「いたぁっ!」


頭を押さえてしゃがみ込むミリカ。


振り返ると、

ミレイアが腕を組んで立っていた。


「お前もだ」


低い声だった。


「修繕はどうした?。

 勝手に騒ぎ、

 勝手に姿を消し、

 勝手について行く」


冷たい視線が落ちる。


「誰に似た」


「う……」


耳がぺたりと伏せる。


「ご、ごめんなさい……」


「帰ってきたからいいものを」


「でも、エアもいるし……」


すかさず睨まれる。


「ん〜?」


「……はい」


ミリカはしゅんと肩を落とした。


その様子を見て、

狼族の族長が吹き出す。


「ははっ、さっきまで威勢が良かったのにな」


「うるさいにゃ!」


涙目で言い返す。


張っていた空気が、

少しだけ緩んだ。


その横で、

セレスが静かに口を開く。


「……馬鹿者」


呆れたような声だった。


だが、

視線は俺へ向いている。


「一人で決めるな」


「心配してるのか?」


「……調子に乗るな」


短い一言だった。


ユーリスも大きく頷く。


「そうです!」


俺を見る。


「次からは、

 ちゃんと相談してください」


「……悪かった」


それから俺は、

最長老の方を向く。


「いきなりだが、これ以上ここには居られなくなった」


周囲のざわめきが、

少しずつ消えていく。


最長老がこちらを見た。


「何が起きた?」


ルクナスは神木を見る。


「特に何かあったわけじゃない。

 でも、向こうは僕達の場所を掴んだ」


短く言う。


「時間がない」


空気が変わる。


「次へ向かう」


ミリカが首を傾げた。


「なんでにゃ?」


ルクナスは苦く笑う。


「次を封じなきゃ、

 この世界そのものが危ない」


「世界?」


「だから急ぐ」


ミリカは黙る。


俺達の事情をほとんど知らない。


何かを聞こうと口を開きかけ、

一度閉じた。


だが次の瞬間。


「じゃあ、あたしも行くにゃ!」


「駄目だ」


ミレイアが遮る。


「えぇっ!?」


「お前は昨日も今日も勝手ばかりだ」


耳が伏せる。


「でも!」


「駄目だ」


短く言う。


「これは遊びではない」


ミリカは悔しそうに俺を見る。


「エア!」


俺は少し考えた。


「危険だ」


「知ってるにゃ!」


即答だった。


「だから行く!」


「……」


ミレイアは娘を見る。


冗談でも、

勢いだけでもない。


そう見えたのだろう。


小さく息を吐いた。


「……昔の私そっくりだ」


誰にも聞こえないほどの声だった。


最長老が苦笑する。


「お前さんも、

 あの目をしている時は止まらんかった」


「そ、それは…。

 …止まりませんでした」


ミレイアも苦笑した。


少しだけ考える。


そして。


「一つだけ約束しろ」


ミリカが顔を上げる。


「必ず生きて帰れ」


「……!」


「それが守れぬなら、

 行かせん」


ミリカは強く頷いた。


「約束するにゃ!」


ミレイアは静かに目を閉じた。


「……なら行け」


「おい」


思わず声が出た。


ミリカはぱっと俺を見る。


「やったにゃ!」


今にも飛び跳ねそうだった。


「危険だ」


「知ってるにゃ!」


そう言って指を差す。


「ユーリスも!」


今度はセレス。


「セレスも!」


最後にマリス。


「みんな行くのに、

 あたしだけ留守番なんて嫌にゃ!」


尻尾を大きく振る。


「ずるいにゃ!」


俺はミレイアを見る。


止めると思った。


だが。


ミレイアは静かにこちらを見返した。


「止めても無駄だ。

 …私の娘だからな」


短く言う。


「置いていきたければ置いていけ」


静かな声だった。


「だが」


少しだけ口元が緩む。


「その娘は勝手について行く」


ミリカは大きく頷いた。


「行く!絶対行くにゃ!」


「……」


ミレイアは小さく息を吐く。


「昔からだ。

 ついてくるなと言っても抜け出して、

 よく後をついてきた」


最長老が懐かしそうに笑う。


「ミレイアが留守の時、

 長女がわしらに泣きついてきた時には大騒ぎだった。

『妹が消えた!!』とな。

 総出で探し回ったのう」


ミレイアは肩を竦めた。


「あの時はまさか、

 森を越えてまでついてくるとは思わなかった……」


真っ直ぐミリカを見る。


「生きて帰る。

 約束だ」


ミリカも、

今度はふざけず頷いた。


「約束にゃ!」


ミレイアはしばらく娘を見ていた。


やがて。


「はぁ……好きにしろ」


「ありがとにゃ!」


ミリカは笑顔で俺の隣へ並ぶ。


「よろしくにゃ!」


俺は小さく息を吐いた。


「……分かった」


どうせ止めても来る。


それはもう、

ミレイア自身が一番理解しているのだろう。


ミリカが拳を握る。


「決まりにゃ!荷物まとめるにゃ!」


嬉しそうに尻尾を振る。


そのまま歩き出そうとして――


「あ」


急に立ち止まった。


全員がミリカを見る。


「そういえば」


首を傾げる。


「旅に出る前に、

 一つ聞きたいことがあるにゃ」


その指が、

すっとマリスへ向く。


「お前……誰にゃ?」


一瞬。


広場から音が消えた。


「……」


「……」


ユーリスが目を瞬かせる。


「そういえば……

 ミリカにはまだ話してなかったですね……」


セレスは小さく目を閉じた。


「今更か」


「あははは。

 そういえば僕は、

 まだその子に自己紹介してなかったね」


ミリカだけが、

きょとんとしていた。


「マリスじゃないにゃ。

 さっきから気になってたにゃ」


ルクナスが穏やかな笑みを浮かべる。


「僕は――」


静かに口を開いた。

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