第216話:鼓動
リヒトは静かに遠くを向いた。
ゆっくりと腕を上げる。
その指は、遥か向こうを指していた。
緑の光の向こう。
森を越え。
山を越え。
何かへ導くように。
「父さん……あっちだ」
静かな声だった。
「流れは、あそこへ続いてる」
俺もその先を見る。
何も見えない。
だが、不思議と分かった。
神木の力の流れが集まる場所。
そこに、
何かがある。
リヒトは少しだけ笑った。
「ごめん……」
ぽつりと呟く。
「俺は……ここから先へは行けない」
子供達を見る。
ラァを見る。
そしてもう一度、
俺を見る。
「本当は父さんと一緒に、
もう一度歩きたかった」
少しだけ寂しそうに笑う。
「…馬鹿野郎」
自然と言葉が漏れた。
リヒトが少しだけ目を丸くする。
俺は一歩前へ出た。
「親が子供を守るのは、
当たり前だ」
さらに一歩。
目の前まで来る。
「お前が謝ることなんて、
一つもない」
リヒトは何も言えない。
ただ静かに俺を見ていた。
俺はその身体を、
強く抱き寄せる。
腕の中へ。
俺の知る昔よりも、
身体が大きい。
もう、俺と変わらないくらいだ。
それでも、
抱き締めた瞬間に思った。
やっぱり、
俺の息子だ。
背中を軽く叩く。
「本当に……立派になった」
それだけだった。
それだけで十分だった。
リヒトは声を出さない。
ただ俺の肩へ額を預け、
小さく頷いた。
「……ありがとう」
風が吹く。
緑の光が、
優しく二人を包み込む。
その瞬間だった。
「エ…ア…!!」
遠くから、
ルクナスの声が響く。
肩を強く掴まれる感覚。
世界が揺れた。
光景が崩れていく。
リヒトは最後まで笑っていた。
その姿を見たまま、
俺の意識は現実へ引き戻された。
――――――――――
「エア!!」
肩を強く掴まれる。
「……ッ!」
目を開く。
神木だった。
杭へ触れたまま、
俺は膝をついていた。
「無事かい?」
ルクナスが覗き込む。
その後ろでは、
族長達が固唾を呑んで見守っていた。
「ああ」
息を吐く。
肩で呼吸をする。
だが、不思議と苦しくない。
右手を見る。
杭へ触れていた腕へ、
細い根が絡み付いていた。
神木の根。
ツタにも見える。
淡い緑の光を放ちながら、
ゆっくりと腕を離れていく。
地面へ落ちる頃には、
ただの根へ戻っていた。
「これは……」
ルクナスが目を見開く。
「何があった?」
「……リヒトがいた」
俺は静かに拳を握る。
火じゃない。
熱じゃない。
もっと重く。
もっと静かな力。
大地の鼓動。
木々の息吹。
命が巡る感覚。
神木と同じ鼓動が、
今も身体の奥で脈打っている。
「何か……見つけたみたいだね?」
ルクナスが静かに尋ねる。
俺は顔を上げた。
「ああ、あっちだ」
迷いなく、
神木の西を指差す。
「この先にある」
一瞬の静寂。
ルクナスは小さく息を吐いた。
「……なるほど」
少しだけ笑う。
俺は槍を握り直し、
そのまま踵を返す。
神木の外へ向かって歩き出す。
数歩進み、
足を止めた。
振り返る。
巨大な神木が、
静かに枝を揺らしていた。
俺は真っ直ぐ見上げる。
「俺が守る」
それだけ言った。
神木の葉が、
優しく鳴る。
返事をするように。
「行くぞ、ルクナス」
俺は前を向いた。
ルクナスが頷く。
「ああ」
歩き出そうとした時だった。
「待て」
低い声が響く。
狼族の族長だった。
腕を組んだまま、
真っ直ぐこちらを見る。
「西へ向かうなら俺も行く」
俺は振り返る。
狼族の族長は続けた。
「西は狼族の領域だ」
短く言う。
「山も谷も、
道も全部知っている」
少しだけ口元を上げる。
「それに族長ってのは飾りじゃない」
静かな自信だった。
「一番強い者が立つ。
足手まといにはならん」
「なら俺もだな」
熊族の族長が前へ出る。
だが。
「お前まで来る必要はない」
狼族の族長が遮る。
「何?、足手まといだってか?」
「違う。最悪、うちには親父がいる」
親指で後ろを指した。
最長老。
「一族は親父が守る」
少し笑う。
「俺は族長だ、そしてあっちは俺の場所だからな」
そう言って最長老を見る。
「親父……止めねぇな?」
最長老は静かに目を閉じた。
そして、小さく頷く。
「好きにせい」
短い返事だった。
狼族の族長は笑う。
「よし」
すぐに俺を見る。
「急ぐぞ」
その時。
「……待て」
俺はミレイアを見る。
「ユーリス達に伝えてくれ」
ミレイアが頷く。
「何をだ?」
「俺はアンカーへ向かったと」
短く言う。
「たぶん怒るだろうが、
今は少しでも早い方がいい」
ミレイアは少しだけ笑った。
「分かった」
真剣な顔へ戻る。
「必ず伝えよう」
俺は頷いた。
「頼む」
それだけ言う。
狼族の族長が振り返る。
「話は終わりだな」
俺は槍を持ち直し、
進み出す。
ルクナスも続いた。
――――――――――
三人で森を駆ける。
狼族の族長が先頭だった。
迷いなく進む。
枝を避け、
岩を飛び越え。
細い獣道を一直線に進んでいく。
「もう近い」
短く言う。
「この先は狼族しか入らない森だ」
俺は頷く。
走りながら、
身体の奥へ意識を向ける。
火はある。
こっちは今まで通りだ。
だが、それだけじゃない。
今までとは違う。
もっと深く、
もっと静かな力が残り続けている。
地面へ触れれば、
その先まで分かるような感覚。
神木と繋がった時の鼓動が、
まだ身体の奥で鳴っていた。
「……馴染んでるね」
隣を走るルクナスが言う。
「どういう意味だ?」
「たぶん、君と神木は干渉し合った。おそらく…」
ルクナスは走りながら、
どう説明するか考えているようだった。
「あとで聞く」
「そうだね」
ルクナスも前を向く。
「まずはアンカーだ」
風を切る。
木々が流れていく。
その時だった。
「待つにゃあああああ!!」
後ろから大声が響いた。
狼族の族長が顔をしかめる。
「……何だ?」
全員が振り向く。
木々を掻き分けながら、
一人の影が猛烈な勢いで走ってくる。
猫耳。
長い尻尾。
「ミリカ?」
肩で息をしながら、
一直線にこちらへ飛び込んできた。
「はぁ……はぁ……」
俺の前で止まる。
「やっと追い付いたにゃ……!」
狼族の族長が呆れた顔になる。
「お前、どこに隠れてた?」
ミリカは胸を張る。
「まぁ、ちょっとにゃ!それより!」
悪びれる様子は全くない。
ルクナスが苦笑した。
ミリカは俺を見る。
「勝手に行くなんてずるいにゃ!」
頬を膨らませる。
「途中で神木に入るから見失ったにゃ」
狼族の族長がため息を吐く。
「……帰れ」
「嫌にゃ」
即答だった。
「絶対行く」
俺の腕を掴む。
「エア一人じゃ放っとけないにゃ」
狼族の族長は頭を掻く。
「ミレイアのガキの頃にそっくりだ……」
ルクナスが笑う。
「一人増えても変わらないさ」
狼族の族長は観念したように息を吐いた。
「……好きにしろ」
ミリカの耳がぴんと立つ。
「やったにゃ!」
「行くにゃ、エア!」
そのまま俺の隣へ並ぶ。
そうして俺達は再び走り出した。
狼族の族長が、
前だけを見て走る。
「あと少しだ」
俺も続く。
その時だった。
足元の岩が崩れた。
長年の雨で削られた崖。
狼族の族長が声を上げた瞬間、
地面が割れる。
「危ねぇ!」
狼族の族長が身を捻り、
こちらに手を伸ばす。
岩盤ごと、
地面が谷へ崩れ落ちていく。
「ッな!?」
「にゃ!?」
「うわ!?」
三人で反射的に腕を掴み合ったが、
族長の手までは届かない。
その瞬間だった。
俺の足元へ、
細い根が絡みついた。
「……!」
神木の根。
さっき杭から伸びていたものと同じだった。
意思を持つように、
地面へ潜る。
次の瞬間。
――ゴゴゴ……。
根は地面を掘り進み、
崩れた岩へ絡みつく。
一本。
二本。
三本。
絡み合いながら、
砕けた岩を繋ぎ合わせていく。
まるで、
傷口を縫い合わせるように。
割れた岩盤が、
ゆっくりと元の形へ戻っていく。
土が締まり。
岩が噛み合う。
根はそのまま橋のように絡み合い、
崩落そのものを止めていた。
「……何だ、これは」
狼族の族長が目を見開く。
俺も見ていた。
俺が命じた覚えはない。
助けようと思った。
ただ、それだけだった。
なのに。
俺の意思に応えるように、
地面そのものが動いた。
根は静かに役目を終えると、
土の中へ溶けるように消えていく。
崩れていた場所には、
さっきまで何も起きなかったかのように、
道だけが残っていた。
「エア…、今、何したにゃ!?」
「俺も知らん…」
隣でルクナスが小さく笑う。
「やっぱり、こういう形で現れたか」
俺は前を見たまま聞く。
「さっきの話か」
「予想はしていた」
ルクナスは静かに頷く。
「元々、君の力は火そのものを生み出す力じゃない」
少し考えるように続ける。
「君は神木と繋がった」
木々を見渡す。
「その結果、神木が持っていた『土方向への干渉』に共鳴したんだろう」
「共鳴?」
「ああ」
ルクナスは頷く。
「火も土も本質は同じ。君から始まった。
今の属性と呼ばれているものは、干渉する方向が違うだけ」
俺は足元を見る。
大地が、
妙に近く感じる。
地面へ意識を向けるだけで、
その先まで繋がっているような感覚があった。
「まだ無意識だろうけど」
ルクナスが小さく笑う。
「そのうち、君は思っただけで大地も応えてくれるようになる」
「おい。すごいのは分かるが、
今はその力を確かめる時間じゃない」
狼族の族長が前を向いたまま言う。
「エアがすごいのは当たり前にゃ!」
ミリカの反応は流しつつ、
俺は頷く。
「ああ」
視線の先。
遠くにあるはずの神木と、
身体の奥に残る鼓動が重なる。
俺の中の力と、
神木の流れが共鳴する。
向かう場所は分かっている。
狼族の族長が速度を上げた。
「急ぐぞ!」
俺達も一気に加速する。
「今、無視したにゃ……?」
木々が流れ、
風が頬を打つ。
一歩進むごとに、
流れの濃度が強くなる。
もう近い。
アンカーは、
すぐそこだった。




