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第214話:牙が遺したもの


最長老は、

静かな声で語り始めた。


「民はこう語る。

 牙王ラルドは、巨大な杭を大地へ打ち込み。

 影を退け。

 獣人の国を守った、と」


少し間を置く。


「王となり。

 やがて山となって、今も我らを見守っている、と」


誰も口を挟まない。


最長老は、

ゆっくり首を振った。


「……だが、その全てが真実ではない」


広間の空気が張り詰める。


ルクナスも、

黙って聞いていた。


「神話とは、

 長い年月を経て積み重なった記憶。

 事実もあれば、願いもある。

 混ざり合い、一つの物語となる」


杖が床を軽く叩く。


――コツ。


「だが、一つだけ。

 今も変わらず残っているものがある」


その声が、

広間へ落ちる。


「神器だ」


ルクナスの表情が変わった。


「……神器?」


最長老は頷く。


「あの『杭』だけは、神話ではない」


少しだけ間を置く。


「代々、我ら族長だけが守り継いできた実在の遺物」


熊族の族長が腕を組んだ。


「民にも場所は明かしてねぇ」


狼族の長も続ける。


「知るのは各種族の族長と、最長老のみ」


最長老は、

真っ直ぐルクナスを見る。


「我らは代々、

 あれを牙王ラルドの神器として守ってきた」


ルクナスは、

神木の方へ顔を向けた。


何かを考えるように。


そして、

小さく息を吐く。


「……なるほど」


それだけだった。


だが。


「だからか」


今度は、

僅かに笑う。


「正直、僕はずっとエアの槍にばかり気を取られていた」


視線が、

俺の槍へ落ちる。


「でも違った。

 アンカーとは別系統の防壁」


その顔に、

興味を抑えきれないような色が浮かぶ。


「思っていた以上に、

 この世界は僕達の手を離れて進化している」


「……待て」


熊族の族長が、

低い声を上げた。


「だからって見せるのか?」


腕を組んだまま、

ルクナスを睨む。


「牙王の神器だぞ」


狼族の長も頷いた。


「歴代でも、

 族長以外へ見せた例はほとんどない」


別の族長も口を開く。


「しかも相手は人間だ」


「いや、人間だからじゃねぇ」


熊族の族長が首を振り、

今度は俺を見る。


「こいつらが何者か、

 まだ全部分かった訳じゃねぇ」


誰もすぐには返さない。


その中で。


「……だが」


ミレイアが口を開いた。


広間の視線が集まる。


「神木はエアを迎えた」


短く言う。


「そして実も落とされた」


一度、

台座へ目を向ける。


「ここまで見せておいて、

 一番肝心な物だけ隠すのか?」


熊族の族長が、

鼻から息を漏らした。


「……それもそうだがよぉ」


その時。


ルクナスが小さく笑った。


「安心して」


全員がそちらを見る。


「見れば分かる」


声は穏やかだった。


「少なくとも、

 君達を守ってる理由くらいは」


そして。


神木へ視線を向ける。


「それに」


僅かに口元が上がる。


「もし僕の考えが正しければ」


神木を見つめたまま続ける。


「その神器が、

 この世界を救う鍵になるかもしれない」


広間から声が消えた。


最長老は、

長く目を閉じる。


誰も急かさない。


やがて。


静かに瞼が開いた。


「……よかろう」


――コツ。


杖が鳴る。


「見せよう」


族長達の気配が揺れた。


「ただし」


最長老の目から、

先ほどまでの穏やかさが消える。


「これより先は、

 獣人でも限られた者しか知らぬ場所」


俺達を、

一人ずつ見渡す。


「見聞きしたことは、

 決して外へ漏らすな」


ルクナスは静かに頷いた。


「約束するよ」


俺も頷く。


「分かった」


最長老は、

ゆっくり歩き出した。


「ついて参れ」


誰も言葉を発しない。


広間を抜け、

外へ出る。


巨大樹は、

相変わらず空を覆っていた。


見上げても、

頂は見えない。


最長老はそのまま、

幹へ近付いていく。


その時だった。


――ざぁ……。


風もないのに、

頭上の枝葉が揺れた。


木漏れ日が降る。


淡い緑の光が、

俺の足元へ集まってくる。


「……」


学院の地下と同じだ。


木が、

俺に反応している。


地面を這っていた太い根が、

ゆっくりと持ち上がった。


軋むような低い音。


絡み合っていた根が、

左右へ開いていく。


まるで。


俺達のために、

道を作っているみたいだった。


族長達も黙って見ていた。


熊族の族長が、

呆れたように笑う。


「やっぱり…歓迎されてやがる」


狼族の長も、

僅かに口元を緩めた。


「俺達の時は、

 こんなこと一度もなかった」


根は一本だけではない。


何本も。


何本も。


幾重にも絡み合っていた根がほどけ、

その奥へ続く一本の道を形作っていく。


そして。


その先にあったのは、

木の中ではなかった。


「……」


森だった。


神木の内側に。


もう一つの森が、

広がっていた。


思わず足が止まる。


空がない。


見上げても、

あるのは枝だけだ。


果てが見えないほど太い枝が、

幾重にも重なり。


まるで、

それ自体が空になっている。


隙間から落ちてくるのは、

柔らかな緑の光。


風が頬を撫でる。


葉が擦れる。


どこかで、

水が流れている。


鳥の囀りまで聞こえた。


だが。


妙だった。


森なのに、

獣の気配がない。


牙を持つものも。


腹を空かせているものも。


こちらを警戒する何かも。


何も感じない。


ただ…‥、

静かだった。


「ここは……」


思わず声が漏れる。


最長老は振り返らない。


「神木の胎内」


歩きながら答える。


「代々、

 我らはそう呼んでおる」


俺達もその後へ続いた。


足元には柔らかな苔。


踏むたびに、

僅かな湿り気が靴底へ伝わる。


土の匂いも濃い。


何百年。


いや。


何千年と、

人の手が入っていないような場所だった。


内側なのに、木が生えている。


まるで、もう一つの森。


周囲に生える木も異様に太い。


外で見た巨木ですら、

ここでは幼木に見える。


「……」


その時。


風が吹いた。


「……?」


足が止まる。


今。


何か聞こえた気がした。


葉擦れの中。


水音の中。


『……さ……』


微かな声。


『……ん……』


遠い。


掠れていて、

ほとんど聞き取れない。


だが。


誰かが呼んだ。


そんな気がした。


「どうした?」


ミレイアが振り返る。


「……いや」


首を振る。


聞き間違いか。


そう思い、

再び歩き始める。


その隣で。


ルクナスだけが、

一瞬だけ神木を見上げた。


「……」


何かを感じたのか。


だが、

何も言わない。


また風が吹く。


今度は。


何も聞こえなかった。


やがて、

森が開ける。


そこだけ。


木々が円を描くように途切れていた。


柔らかな光が、

真上から降り注いでいる。


中央には。


小さな石畳。


そして。


その真ん中に――


一本の杭が立っていた。


「……」


思わず目を細める。


拍子抜けだった。


神話に語られるような、

巨大な柱ではない。


村の境界へ打ち込まれていても、

違和感がないほどの普通の杭。


高さは、

大人の胸ほど。


太さも、

腕で抱えられる程度しかない。


長い年月を経たのだろう。


表面は擦り減り。


苔が張り付き。


神木の細い根が、

静かに絡み付いている。


どこにでもありそうな。


ただの杭だった。


「……これが?」


思わず漏れる。


熊族の族長が鼻を鳴らした。


「初めて見る奴は、

 大体そんな顔する」


狼族の長も頷く。


「我らも最初はそうだった」


だが、

ルクナスだけは動かなかった。


杭を見たまま。


目を見開いている。


「……嘘だろ」


珍しく。


ふざけた感じのない、

驚いたような声だった。


誰も返事をしない。


ルクナスは、

ゆっくりと歩き出す。


一歩、また一歩と近寄る。


信じられないものを、

確かめるように。


杭の前で足を止める。


震える手を伸ばしかけ――


「触れるな」


最長老の声が飛んだ。


ルクナスの指が止まる。


我に返ったように、

手を引いた。


「……すまない」


小さく息を吐く。


それでも。


視線だけは、

杭から離れない。


俺も杭を見る。


「ただの木の杭に見える……」


ルクナスは、

ゆっくり首を振った。


「…違う」


その声には、

隠しきれない驚きが混じっていた。


「見た目じゃない」


杭を見たまま、

静かに続ける。


「この杭そのものが、

 外側を遮断している」


誰も口を開かない。


「干渉が、一切届いていない」


そこで。


ルクナスの眉が僅かに寄った。


「いや……違う」


首を横へ振る。


「届かないんじゃない」


低く言い直す。


「拒まれている」


森の静けさが、

一段深くなった気がした。


最長老が、

杭を見ながら聞く。


「お前達には見えるのか?」


「見えるというより……感じる、かな」


ルクナスは、

僅かに苦笑した。


「僕達は世界へ干渉する側だ」


杭から目を離さない。


「だから分かる」


少しだけ間。


「この杭は、

 僕達の干渉だけを拒絶している」


熊族の族長が、

険しい顔になる。


「闇じゃなくて、

 お前達もか?」


「そう」


ルクナスは頷く。


「闇だけなら、

 説明は簡単だった」


僅かに笑う。


「でも違う」


杭の根元。


絡み付く神木の根へ、

視線を落とす。


「僕達も。

 闇も」


静かな声だった。


「どちらも、世界その物には干渉できない」


誰も動かない。


ルクナスは続けた。


「アンカーは違う」


その一言で、

俺は以前見た石柱を思い出す。


「僕が組んだ干渉制御だ」


ルクナスは言う。


「世界へ虚飾が入り込まないよう、

 干渉を拒絶するための仕組み」


一度、

言葉を切る。


「でも、

 あれは固定だ」


杭を見る。


「世界が変われば、

 僕が何度も組み直さなきゃならない」


少し自嘲するように笑う。


「放っておけば、

 いずれ綻ぶ」


そして。


目の前の杭を見る目だけが、

また真剣になる。


「これは生きている」


誰も言葉を挟まない。


「誰かが管理している訳でもない。

 命令を受けている訳でもない」


ルクナスは、

ゆっくりと言葉を繋ぐ。


「なのに世界の変化へ合わせて…、

 …自ら干渉を書き換え続けている」


「そんなことが出来るのか?」


俺が聞くと、

ルクナスは静かに笑った。


「本来なら出来ない」


その笑みは。


何故か少し、

嬉しそうだった。


「だから驚いてる」


杭を見る。


「これは道具じゃない」


少しだけ言葉を探し。


「まるで……自分の意思で」


そして。


「…生きてるみたいだ」


その瞬間。


―――ざぁ……。


また、

風が吹いた。


杭へ絡み付く細い根が、

僅かに揺れる。


葉擦れ。


水の流れる音。


その中に。


『と……さ……』


「……」


息が止まる。


『……ん……』


さっきより近い。


だが。


まだ聞き取れない。


「エア?」


ミレイアがこちらを見る。


「……何でもない」


そう答える。


けれど。


ルクナスだけは、

俺を見ていた。


何かを確認するように。


そして、

すぐ杭へ視線を戻す。


「……なるほどね」


小さな声だった。


「エアの槍とは違う」


「違う?」


聞き返す。


ルクナスは頷く。


「君の槍は、

 長い時間をかけて神話と信仰に焼かれたものだ」


俺の槍を見る。


「人々がそう信じた。

 そう語った。

 そう祈った」


俺も、

手に持つ槍へ視線を落とす。


「だから変質した」


だが。


ルクナスは、

すぐ杭へ視線を戻した。


「でも、

 これは違う」


森を抜けていた風が止む。


「信仰で外側から形を変えられた神器じゃない」


杭に絡む根を見る。


「この神木が起点だ」


その一言に。


周囲の族長達の顔が変わった。


「神木が……?」


最長老が、

低く呟く。


ルクナスは頷いた。


「たぶん、

 この杭は最初から神器だった訳じゃない」


静かな声。


「土地を分けるための杭。

 境界を示すための杭」


少しだけ間を置く。


「ここから先を守る」


そして。


「その意思を示すための目印だった」


俺は、

目の前の杭を見る。


やはり。


どこにでもありそうな、

古い木の杭にしか見えない。


けれど。


神木の根が絡み。


苔が覆い。


それでも腐ることなく、

今もそこに立ち続けている。


「たぶん、

 この神木は覚えているんだ」


ルクナスが続けた。


「誰かが、

 ここで守ろうとしたことを」


風が吹く。


「誰かが、

 ここを境界にしたことを」


そして。


僅かに俺を見る。


「誰かが、

 もう二度と影を入れないと願ったことを」


胸の奥が、

妙にざわついた。


理由は分からない。


「だから、

 これは命令で動いているんじゃない」


ルクナスは杭を見る。


「願いを覚えているんだ」


誰も口を開かなかった。


「記憶か……」


ルクナスは頷く。


「信仰で作られた神器じゃない」


静かに、

杭を見つめる。


「誰かの生きた証が、

 神木の中で今も動き続けている」


そして。


ぽつりと呟いた。


「だから、生きている」

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