第208話:神木の客人
広間が静まり返る。
誰も動かない。
神木の実。
迎え花。
そして、俺。
族長達の視線だけが、
その三つの間をゆっくりと行き来していた。
「……ふっ」
最初に空気を崩したのは、
最長老だった。
ほんの僅かに口元が緩む。
「まったく」
杖を握った手を膝へ置き、
小さく肩を揺らした。
「この歳になって、
一本取られるとはな」
熊族の族長が、
肺の奥から吐き出すように大きく息を漏らした。
頭をがしがしと掻く。
「……結局、分からねぇじゃねぇか」
俺を見る。
「こいつが何者なのか。
結局そこは、何一つ確定してねぇ」
困ったように鼻を鳴らす。
狼族の長も、
わずかに口元を緩めた。
「……確かにな。だが」
腕を組み直す。
「返す言葉がない」
神木を信じる。
その一言で、
議論の土台そのものを動かされた。
獣人達にとって、
神木がどれほど大きな意味を持つのか。
ここまでの反応を見ていれば、
俺にも分かる。
その神木が選んだものを、
自分達の都合だけで否定することは出来ないのだろう。
しばらくして。
最長老がゆっくりと頷いた。
「よかろう」
杖が床を叩く。
コツン。
乾いた音が広間へ響き、
散っていた視線が再び最長老へ集まる。
「この者の素性については、保留とする」
異論は出なかった。
「神木の選択を否定する理由はない」
一度、
俺へ目を向ける。
「だが、全てを鵜呑みにするわけではない」
その時だった。
「ならば」
ミレイアが席を立つ。
「この者は私が預かろう」
広間中の視線が集まった。
「母ちゃん!」
隣にいたミリカの顔が、
ぱっと明るくなる。
「……ほんと!?」
「勘違いするな」
ミレイアは娘を一瞥する。
「お前の知り合いではある」
短く認めた。
「だからこそ、
他の誰より厳しく見る」
今度は俺へ目を向ける。
鋭い。
学院で会った時とも、
さっきまでとも違う。
族長として、
値踏みするような目だった。
「何者か」
一つ。
「何を考え」
二つ。
「何を守ろうとしているのか」
静かな声が、
広間の空気を押してくる。
「それを見極めるまでは、
私は族長としてしか接せん」
腕を組み、
周囲の族長達を見渡した。
「うむ、任せよう。
神木が迎えた以上、無下には扱えん。
とはいえ、正体の分からぬ者を自由に歩かせるわけにもいかん」
熊族の族長が鼻を鳴らす。
「……まあ、それが妥当か」
狼族の長も異論はないらしい。
「俺も構わん」
最長老がゆっくりと杖を持ち上げる。
「では、決まりだ」
再び。
コツン。
「この者は、
しばらくミレイアへ預ける」
そこで俺は口を開いた。
「一つ頼みがある」
最長老が顔を向ける。
「言ってみよ」
「結界の外に仲間がいる」
俺は答えた。
「ユーリス。
セレス。
マリス」
三人の顔を思い浮かべる。
「そいつらも一緒でいいか?」
最長老は少し考えた後、
杖を握り直した。
「許可しよう」
その言葉を聞くと、
ミレイアが首元へ手を伸ばした。
革紐に通された木札が、
何枚も束ねられている。
その中から三枚だけを外す。
木目の間には淡い白の筋が走り、
中心には巨大樹を模したような紋章が彫られていた。
ミレイアは近くに控えていた戦士へ差し出す。
「これを持って行け」
戦士が両手で受け取った。
「結界の外で待つ者達だ」
木札を示しながら、
一人ずつ名を告げる。
「ユーリス。
セレス。
マリス」
少し間を置き。
「事情を説明し、
客人としてここへ迎えろ」
「はっ」
戦士達は胸へ拳を当て、
深く頭を下げた。
木札を懐へ収めると、
すぐに広間を後にする。
その背中を見送りながら、
ミレイアが言った。
「あの札がある限り、
結界は拒まん」
俺は頷く。
「助かる」
ーーーーー
ミレイアの家は、
想像していたよりも大きかった。
巨大樹の太い根に沿うように建てられた、
木造の屋敷。
壁には毛皮や色鮮やかな布飾りが掛かり、
入口の両脇には、
大きな牙のようなものまで飾られている。
木と獣の匂い。
その奥から、
焼いた肉の香りまで漂ってきた。
「……でかいな」
「族長の家だからにゃ」
ミリカが少し得意そうに胸を張る。
その瞬間だった。
屋敷の奥から、
小さな足音がいくつも近付いてくる。
たたたたたっ。
一人ではない。
二人。
三人。
いや、
もっといる。
「ミリカ姉ぇ!!」
「帰ってきた!!」
「人間いる!!」
小さな猫族の子供達が、
一斉に飛び出してきた。
耳。
尻尾。
金色の目。
どれもミリカより小さい。
だが、
勢いだけはよく似ていた。
「な、何だ?」
気付けば囲まれている。
足元。
横。
背後。
子供達が好き勝手な方向から俺を覗き込んでいた。
「これがエア?」
「ミリカ姉ぇの?」
「オス?」
「強い?」
「肉食べる?」
「肉食べにゃい?」
質問が途切れない。
ミリカの尾が、
ぶわっと膨らんだ。
「ちょ、ちょっと待つにゃ!!
変なこと聞くなにゃ!!」
「ミリカ姉ぇがずっと言ってたにゃ?」
「エア探しに行くにゃー!って」
「うるさいにゃあああ!!」
ミリカの叫びが屋敷の入口に響く。
その後ろで。
ミレイアは腕を組んだまま立っていた。
族長会議の時より、
纏う空気は少し柔らかい。
だが。
こちらを見る目の鋭さは、
ほとんど変わっていなかった。
「エア」
呼ばれる。
「何だ」
「以前、家に来いと言ったはずだ」
「ああ」
学院で別れた時のことだ。
ミレイアは短く言う。
「ここが私の家だ」
そして。
僅かに口元を上げた。
「食わせるとも言ったな」
ちょうどその時。
奥から、
肉の焼ける脂の匂いが流れてきた。
子供達の耳が、
一斉にぴくりと動く。
俺の腹も。
――ぐぅ。
小さく鳴った。
「……」
ミリカが聞き逃すはずもない。
にやっと笑う。
「エア、お腹すいてるにゃ?」
「……少しな」
「いっぱい食べるといいにゃ!」
その瞬間。
ミレイアの目が細くなった。
「お前は先に、座り方とその口癖を直せ」
「にゃっ!?」
「未だに直っていないのは、お前くらいだ」
「にゃ……」
ミリカの耳が垂れる。
すると。
「ミリカ姉ぇは子供だから」
「そうそう」
「姉ちゃんだけど子供にゃ」
「お前も子供」
子供達が好き勝手に笑い出す。
「うるさいにゃ!」
ミリカが振り返って追い払おうとする。
その騒ぎの奥から。
「なんだなんだ?」
聞き覚えのある低い声がした。
「母上、戻ったのか?」
続いて、
もう一つ。
少し落ち着いた女性の声。
「そんなに騒いで……何事?」
床板を踏む音が近付いてくる。
最初に姿を見せたのは、
大柄な猫族の男だった。
学院で会った、
ミリカの兄の一人。
相変わらず大きい。
ミリカより、
頭三つほど高い。
俺を見るなり、
僅かに目を見開いた。
「……お前か」
短く呟く。
俺も片手を上げる。
「久しぶりだな」
「そうだな」
それだけだった。
だが男は、
すぐに小さく笑った。
「本当に来たとはな」
「色々あって、連れてこられた」
「そうか」
妙に納得した顔だった。
その後ろから、
もう一人が姿を現す。
長い髪。
猫耳。
ミリカより少し背が高い。
年齢も、
僅かに上だろう。
落ち着いた雰囲気を纏った、
猫族の女だった。
耳飾りや衣装の意匠も、
どこかミレイアに似ている。
女は俺を見る。
次にミリカを見る。
それから、
ふっと笑った。
「この人が?」
柔らかな声だった。
「ミリカがずっと話していた?」
「ね、姉ちゃん!?」
ミリカの顔が一気に赤くなる。
「それは言わなくていいにゃ!」
「何を恥ずかしがっているの?」
姉は不思議そうに首を傾げる。
「今日も元気かな、とか」
指を一本立てる。
「ちゃんとご飯食べてるかな、とか」
二本目。
「怪我してないかな、とか」
三本目。
「手紙が、あれから返ってこないかな、とか」
「やめるにゃあああ!!」
ミリカが飛び掛かる。
だが。
姉は慣れているらしい。
ひょい、と半歩避けただけで、
ミリカの手をかわした。
「ほら」
楽しそうに笑う。
「こんな感じで、いつもいつも」
「うるさいにゃ!!」
兄が額を押さえる。
「相変わらずだな」
「兄ぃまで!」
屋敷の中へ笑い声が広がる。
ミレイアだけは腕を組み、
何も言わずにその様子を眺めていた。
やがて。
「詳しい紹介は後だ」
低い声が落ちる。
「まずは上がれ」
姉が一歩前へ出た。
「よろしくね。
さ、こっちに」
それから。
少しだけ意味ありげに笑う。
「妹が、いつもお世話になっています」
「……」
俺は僅かに黙った。
目の前の姉を見る。
落ち着いている。
声も柔らかい。
動きも静かだ。
それから、
ミリカを見る。
同じ猫族。
同じ家族。
なのに。
「……本当に姉妹か?」
思わず漏れた。
一瞬。
空気が止まる。
姉は口元へ手を添え、
くすりと笑った。
「あら」
ミリカの耳が、
ぴんと立つ。
「どういう意味にゃ!?」
「いや」
もう一度、
姉を見る。
そしてミリカ。
「だいぶ違うな、と」
「失礼にゃあああ!!」
ミリカが再び飛び掛かろうとする。
だが。
ガシッ。
大柄な兄に、
首根っこを掴まれた。
「落ち着け」
「落ち着けるかにゃあああ!!」
足が宙でばたばたと動く。
姉は相変わらず、
にこにこと笑っていた。
「でも、安心したわ」
「何がだ?」
「ミリカが話していた通りの人で」
少しだけ目元を緩める。
「遠慮がないのね」
「褒めてるのか?」
「半分くらい?」
「母ちゃんと同じこと言うなにゃ!!」
屋敷の入口へ、
また大きな笑い声が広がった。




