第207話:神木の答え
大きな建物の中で、
俺は獣人達に囲まれていた。
外から見た時よりも中は広く感じる。
天井は高く、巨大樹の枝をそのまま柱として使っているように見える。
壁も木。
床も木。
円形の広間。
その中心に、俺は立っていた。
周囲には席が並び、各種族の族長達が座っている。
狼族。
熊族。
猫族。
他にも、角の生えた者や、見たことのない獣人達がいた。
全員が、こちらを見ている。
「……」
居心地が悪い。
何もしていない。
今回は本当に何もしていない……はずだ。
「ミリカ……離れろ」
「嫌」
即答だった。
隣にはミリカがいる。
ぴったりとくっついたまま、肩が触れるほど近い。
「お前はあっちだろ」
「こっちがいい」
「そういう問題じゃない」
ちなみに、三回ほど広間の外へ出されたのだが、全部戻ってきた。
最後には最長老が諦めた。
「はぁ……好きにさせておけ」
その一言で終わった。
「……」
正面を見る。
最長老が座っている。
その右に狼族の長。
左に熊族の長。
そして、猫族の族長。
ミレイア。
彼らの前に置かれた台座には、神木の実と迎え花が並べられていた。
広間は静まり返っている。
誰も軽々しく口を開かない。
どこから話し始めればいいのか、
誰にも分からないようだった。
「……始めよう」
最長老が口を開いた。
低い声が広間へ落ちると、
それまで僅かに残っていた衣擦れの音まで消えた。
「まず確認する」
最長老の目が俺を捉える。
「この者を知る者は?」
僅かな間を置き、最初に口を開いたのはミレイアだった。
「学院で会っている」
短く答える。
「娘の関係でな」
「エアは私の――」
「黙れ」
ミリカが口を挟みかけた瞬間、切り捨てるような声が飛んだ。
ミレイアの鋭い眼差しを受け、ミリカの耳が伏せられる。
「他は?」
最長老が周囲を見渡した。
狼族の長が腕を組む。
「結界を抜けた人間。
知っているのはそれだけだ」
熊族の長も続けた。
「俺も同じだ」
それで終わった。
誰も、俺自身のことは知らない。
「……つまり」
最長老がゆっくりと息を吐く。
「素性は学院で確認できる程度。
神木との関わりは誰も知らぬということか…」
異論は出なかった。
「では次だ」
再び、最長老の目が俺へ向く。
「どうやって結界を抜けた?」
「歩いただけだ」
沈黙が落ちた。
聞かれたから答えた。
他に言いようがない。
「歩いただけだと……?」
「それだけだ」
「他に何かした覚えは?」
「ない」
再び、広間が静まる。
熊族の長が頭を掻いた。
「んなわけあるか!普通には入れんのだぞ!」
「そうなのか?」
「そうだ」
狼族の長も続ける。
「外の者は、結界の壁に弾かれる」
「何もなかったが?」
その時。
ミレイアが小さく息を漏らした。
「やはり分かっていないか…」
「分かっていないと言われてもな?」
俺は肩を竦める。
「俺は何もしていない」
「その顔だ…」
ミレイアが俺を見据えた。
「こいつはすぐ顔に出る。
分からない時は、本当に何も分かっていないのだろう」
熊族の長が太い腕を組み直す。
「なら、聞くだけ無駄じゃねぇか?」
「…無駄ではない」
最長老が静かに返した。
「本人が知らぬこともある」
その視線が、台座の上へ移る。
神木の実。
迎え花。
「問題は――」
最長老の声が僅かに低くなる。
「神木が、この者に何を見たかだ」
誰も答えない。
答えられるはずがなかった。
神木が選んだ。
だが、何のために選んだのか。
それだけが誰にも分からない。
沈黙の中、
最長老が杖を鳴らした。
コツン。
乾いた音が、木造りの広間へ響く。
「神木の答えは待つしかあるまい」
反論する者はいなかった。
「ならば、今分かっていることを整理する」
広間の空気が僅かに動く。
「ミレイア」
「……ああ」
ミレイアが応じる。
「お前は学院が何かを隠していると申したな?」
その一言で、族長達の目が集まった。
「白塔同盟、アルケシアで行われた火線祭。
その最中に大規模な騒ぎが起きた」
ミレイアは俺から目を離さない。
「行方不明者も出ている。
それにもかかわらず、学院から届いた報告は異様なほど少ない」
熊族の長が低く唸る。
「行方不明者だと?他の同盟国には知らせていないのか?」
「知らせてはいる」
ミレイアは短く返す。
「だが、肝心な部分だけが抜け落ちている」
狼族の長が口を開く。
「中央絡みか?」
「おそらくな」
ミレイアの尾が、床の近くでゆっくりと揺れた。
「隠された情報を知っている者がいる」
族長達の目が、ゆっくりと俺へ集まってくる。
「学院は、行方不明者の名を公表していない」
ミレイアの声は静かだった。
「だが、私は知っている」
僅かに間を置く。
「その行方不明者が、お前だ」
広間がざわめいた。
熊族の長が目を見開く。
「何?」
狼族の長も険しい顔になる。
「どういうことだ?」
ミレイアは俺を見たまま答える。
「学院では、火線祭の途中から姿を消した生徒として扱われている」
「……」
「つまり――」
ミレイアが僅かに身を乗り出す。
「こいつは当事者だ」
静かな圧が広間を満たした。
「エア」
族長としての声だった。
「何があった?、全て話せ」
俺は少し考えた。
誤魔化すわけにもいかない。
「全部話せば長くなる」
「構わん」
即答だった。
その時。
「母ちゃん」
ミリカが一歩前へ出る。
「そんな聞き方――」
「下がれ」
ミレイアの声が落ちた。
「今ここは族長会議だ」
「でも!」
「お前は私の娘だ。だが――」
ミレイアの目が冷える。
「私は、猫族の族長として聞いている。
これ以上邪魔をするなら、お前でも容赦はしない」
ミリカが言葉を失った。
耳を伏せ、悔しそうに唇を噛む。
それでも俺の袖だけは離さなかった。
「……分かった」
小さく呟く。
ミレイアは一瞬その手を見たが、何も言わなかった。
再び俺を見据える。
「エア…、隠さず話せ」
同じ声で続ける。
「今ここにいる全員が、
その答えを必要としている」
「……その前に」
俺は口を開いた。
「聞きたいことがある」
広間の空気が止まる。
ミレイアが返す。
「何だ?」
「獣人は、どこまで白塔同盟に従う?」
その問いに、何人かの族長が顔を見合わせた。
狼族の長が聞き返す。
「質問の意味は?」
「学院と同じ意思で動くのか」
俺は続けた。
「中央の白が命令で動くのと同じなのか。
…それとも違うのか」
熊族の長が腕を組み直す。
「答えによっては?」
「俺は、全てを話さない」
低いざわめきが起きた。
熊族の長が太い指で椅子の肘掛けを叩く。
「俺達が信用ならんか?」
「当然だ」
視線は逸らさない。
「学院では――」
一度、言葉を区切る。
「俺を助けた奴もいた。
…殺そうとした奴もいた」
さらに続ける。
「どちらもアルケシアの人間で、同じ学院にいた」
広間の奥で、誰かが低く息を呑んだ。
ミレイアはしばらく黙っていた。
やがて、僅かに肩の力を抜く。
「……なるほどな」
腕を組み直した。
「確かに、貴様の立場ならその確認は必要だ」
最長老も静かに応じる。
「答えよう」
杖が床を打つ。
コツン。
「我ら獣族は、白塔同盟の一員だ」
そこで一度、言葉を切った。
「だが」
狼族の長が引き取る。
「学院の配下ではない」
熊族の長も続けた。
「命令に従う義務もねぇ」
最長老が穏やかに言葉を重ねる。
「同盟とは、互いを守るための約定。
従属ではない」
ミレイアが俺を見る。
「我らが守るのは、この里だ。
我らが受け継いできた領域。
そして、ここで暮らす者達だ」
誰も、その言葉を否定しなかった。
「……そうか」
胸の内に残っていた力が、僅かに抜ける。
「なら話せる」
ミレイアが一度だけ顎を引いた。
「聞こう。
火線祭で何があった?」
俺も頷く。
「先に言っておく」
族長達を見渡す。
「俺が話すのは、俺が見たことだけだ」
硬い視線が俺へ集まる。
「誰が何を考えていたのか、裏で何が決まっていたのかまでは知らない」
最長老が答える。
「それでよい」
ミレイアも続けた。
「事実だけで十分だ」
俺は一度、息を整えた。
――そして。
火線祭で起きたことを話した。
槍を求め、学院へ来たこと。
白の陣営へ入ることになり、火線祭が始まったこと。
地下へ呼ばれたこと。
そこで見つけた、古い場所。
白い槍。
そして…、俺が持つ槍。
地下にあった神器が、俺の槍を真似て作られた偽物だったこと。
その後、セレスが襲われたこと。
仮面をつけた者達。
マリス。
学院の裏側で行われていたこと。
俺が見たまま。
聞いたまま。
知っていることだけを話した。
何を考え、学院が本当は何を狙っていたのか。
そこまでは俺にも分からない。
だから、分からないことは分からないまま。
知っている事実だけを並べた。
「……以上だ」
話し終えると、喉が僅かに乾いていた。
広間は、水を打ったように静まり返っている。
衣擦れの音すら聞こえない。
族長達はそれぞれ、険しい顔で考え込んでいた。
最初に沈黙を破ったのは、熊族の長だった。
「……待て」
腕を組み直し、低い声を出す。
「話が大きすぎる」
こちらを見据える。
「学院の地下に神器があることは知っている。
だが、その神器は偽物で、本物は今お前が持っているだと?」
頭を掻きながら、槍へ目を向けた。
「悪いが、簡単に信じられる話じゃねぇ」
狼族の長も口を開く。
「同感だ」
俺の持つ槍を見た後、視線が顔へ戻る。
「しかも貴様は、その槍を昔から知っているような口振りだった」
一拍置く。
「まるで、自分がその時代を見てきたかのようにな」
再び、全員の目が俺へ集まった。
「そうだと言ったら、信じるか?」
誰も答えない。
熊族の長は腕を組んだまま、黙ってこちらを見ていた。
狼族の長も、その目から警戒を消さない。
「……冗談を言っているようには見えんな」
「冗談じゃないからな」
短く返す。
熊族の長が、肺の奥から押し出すように息を吐いた。
「困るんだよ」
頭へ手をやる。
「そんな話をされてもな」
椅子へ深く背を預け、俺を見た。
「今度は神話の時代を知っているときた。
しかも、お前は結界を素通りしている」
低く笑う。
だが、目は全く笑っていなかった。
「どれか一つでも信じ難い。
それが全部、一度に来た」
狼族の長が続ける。
「だから聞いている」
真っ直ぐに俺を見据えた。
「貴様は何者だ」
「……」
僅かに考える。
ここまで話しておいて、隠す意味はない。
だから。
「俺は――」
言いかけた時だった。
「待て」
最長老が手を上げる。
その動きだけで、広間が止まった。
「その答えは重い」
杖を握る指に力が入る。
「今ここで聞けば、我らは二つしか選べぬ」
最長老の声が、ゆっくりと広間を巡る。
「信じるか」
僅かな間。
「狂人として退けるか」
誰も口を挟まない。
最長老は俺を見た。
「どちらにせよ…。
お主の言葉一つで、この先の我ら全てを左右すると知れ」
熊族の長が鼻から息を吐く。
言葉一つ。
確かに、そうかもしれない。
だが、俺の答えは最初から決まっていた。
「俺は俺だ」
熊族の長の口元が僅かに歪む。
「答えになってねぇ」
「そうかもしれない」
短く返す。
「神だとか、神話だとか、原初だとか」
腰にある槍へ目を落とす。
「そんなものは、後から誰かがつけた名前だ」
その柄には、昔から残る傷が刻まれている。
俺が握り、振るい、守るために使ってきた槍だ。
「俺は、俺として生きてきた」
返事はなかった。
俺は前へ進む。
床板が、足の下で低く鳴った。
族長達の視線を受けながら、台座の前まで歩く。
そこに置かれた神木の実を見る。
薄い金色の表面に、淡い光が流れている。
隣には迎え花があった。
あの時と変わらず、柔らかな花びらを広げている。
「……」
僅かに目を閉じた。
あの巨大樹の気配が、今も頭上から降りてくるような気がした。
「お前達にとって、これらが意味を持つなら」
最長老を見る。
「俺を信じなくていい」
広間の空気が震えた。
「神木を信じろ」
その一言が、木造りの広間へ静かに残る。
「俺をここへ入れたのは、俺じゃない」
結界。
神木。
迎え花。
神木の実。
それらを順に見てから、族長達へ向き直る。
「全部、お前達が信じてきたものだ」
息を呑む音が、どこかの席から聞こえた。
「答えは――」
僅かに間を置く。
「もう出ているんじゃないのか?」




