第205話:神木の迎え花
獣人達に囲まれたまま進む。
森の道だった。
最初は、
両脇を岩肌に挟まれた谷だった。
木々は深く、
空は細い。
獣人達は、
黙ったまま歩いている。
俺も黙っていた。
しばらく進む。
すると。
前方が、
少しずつ明るくなった。
谷が開いている。
風が吹く。
冷たい。
高い場所から、
流れてくる風だった。
「……」
顔を上げる。
そして――
足が止まりそうになった。
山だと思っていた。
ずっと。
森へ入る前から見えていた。
遠くにある巨大な山。
そう思っていた。
だが、
違った。
「……は?」
思わず声が漏れる。
あまりにも大きい。
山と同じほどの大きさを持つ――巨大樹だった。
幹が見える。
山の斜面だと思っていた部分は、
その木の葉だった。
広がった枝が、
周囲の山々と重なっているせいで。
遠くからは、
山にしか見えなかった。
だが。
近付けば分かる。
生きている。
巨大な一本の木だった。
幹だけで、
街が入りそうだ。
そんな大きさだった。
「……」
言葉が出ない。
根元を見ると、
街があった。
木の根に沿うように。
段々に。
無数の建物が建っている。
屋根が並んでいる。
橋が架かっている。
巨大樹から滝が落ちて、
水路が流れている。
煙が上がっている。
人がいる。
山の中に、
街があるのではない。
巨大な木の根元に。
街そのものが、
抱かれていた。
風が再び吹く。
見たことのない花びらが、
流れてきた。
薄い桃色。
白。
淡い紫。
空を舞っている。
「……綺麗だ」
森で暮らしていた頃。
大木は、
見たことがある。
だが。
こんなものはない。
森そのものが、
一本の木になったみたいだった。
獣人達は、
当たり前のように歩いている。
誰も驚いていない。
つまり。
この景色が、
彼らの日常なのだろう。
「歩け」
狼族が言う。
俺は視線を上げたまま、
歩き出した。
ーーーーー
巨大樹へ続く道を下る。
近付くほど、
街の姿がはっきりしてきた。
最初に見えたのは、
屋根だった。
木で組まれた建物。
斜めに伸びた屋根。
段々に並び、
巨大樹の根へ沿うように広がっている。
やはり木だ。
壁も。
橋も。
階段も。
全てが、
木で作られていた。
「……」
不思議な感じだった。
自然を切り開いて、
作った街じゃない。
街が、
木に寄り添っている。
そんな風に見える。
さらに進む。
やがて、
音が聞こえてきた。
人の声。
鐘の音。
何かを叩く音。
獣の鳴き声。
風に混じって、
流れてくる。
さらに根元へ近付く。
巨大な根が。
まるで城壁のように、
地面から盛り上がっていた。
その隙間を利用するように、
建物が並んでいる。
店も見えた。
道行く者達が、
足を止めてこちらを見る。
「……人間?」
誰かが呟く。
「何でここに?」
「行商じゃないよな?」
「何だ、何だ?」
視線が集まる。
珍しいのだろう。
俺も逆だった。
ここまで多くの獣人を見るのは、
初めてだった。
「前を見て歩け」
狼族が低く言う。
周囲の視線を散らす。
俺は小さく肩を竦めた。
そして、
再び街を見る。
水路に流れているのは、澄んだ水だった。
巨大樹の途中から落ちてくる滝が、
そのまま街を巡っているらしい。
橋の上では、
子供達が走り回っていた。
花びらが舞う。
笑い声が響く。
木漏れ日が揺れる。
全てが、
巨大樹と共にある。
切り開いた感じが一切ない。
最初からそこにあったものへ、
街を合わせたみたいだった。
巨大な一本の木が、
そのまま一つの国になったように。
「……」
俺龍が歩いてるところから少し上。
根の間を、
人が歩いている。
「あいつか?」
「結界を抜けたって?」
「人間だろ?」
「あり得るのか?」
どうやら、
噂が届いたらしい。
「人の足よりなんとやら、か……」
「黙って歩け」
狼族の獣人が、
睨むような目を向ける。
俺はまだ、
槍を持っている。
取り上げられてはいない。
敵意はないが、
警戒している。
そんな感じだ。
街の中心だろうか。
木の幹に近い、
根元の辺り。
広場のような場所の真ん中に、
大きめの建物が立っている。
そして、その時。
――カサ。
小さな音。
巨大樹の上から、
花が落ちてきた。
薄い桃色の花びらを持つ、
綺麗な花。
それがゆっくりと舞いながら落ちてきて、
俺の手に収まった。
見たことのない花だった。
すると。
――コツン。
今度は、
別の音がした。
「痛っ!?」
頭に、
何かが当たる。
それは手の中の花と入れ替わるように。
すぽっ。
俺の手へ、
入り込んできた。
丸い実だった。
拳より少し大きい。
薄い金色。
表面には、
淡い模様が走っている。
果実というより。
磨かれた木の実に、
見えた。
甘い匂いがする。
少なくとも、
毒には見えない。
「……?」
木の実を眺めていると。
周囲が静まり返っていることに、
気付いた。
獣人達が、
立ち止まっていた。
誰も喋らない。
全員、
固まっている。
「……何だ?」
俺は実を見る。
美味そうだ。
腹は減っている。
一口くらいなら、
問題ないだろう。
そう思い、
口元へ持っていく。
そして。
「あーん……」
「待てぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
絶叫だった。
鼓膜が震える。
思わず止まる。
俺を囲んでいた獣人達が、
一斉に飛び込んできた。
狼族。
熊族。
猫族。
「食うな!!」
「何をしている!?」
「馬鹿か、貴様!!」
「止めろぉぉぉ!!」
広場中が、
大混乱になる。
狼族の戦士が、
息を荒げながら俺の手から木の実を取り上げた。
肩で息をしながら。
大事そうに、
両手で抱えている。
「食べたらまずかったか?」
その一言で。
何故か全員が、
頭を抱えた。
「まずいとか、
そういう話じゃねぇ!!」
狼族が叫ぶ。
「お前、自分が何を持っていたか分かっているのか!?」
「実だろ?」
「そうだが違う!!」
意味が分からない。
熊族の戦士が、
額を押さえた。
「何で落ちた……」
猫族も、
青い顔をしている。
「あり得ない……」
周囲では、
ざわめきが広がっていた。
「神木の実だぞ……」
「本物か?」
「見間違いじゃないのか?」
「馬鹿。
あの色を見ろ」
誰も近付こうとしない。
だが。
目だけは、
実から離れない。
神木。
やはり、
食べたら駄目だったのか。
すると。
上から声が落ちた。
「何事だ」
低い声だった。
広場の空気が変わる。
獣人達が、
一斉に振り向く。
俺もそちらを見る。
階段の上、大きな建物の入口。
そこに。
一人の獣人が、
立っていた。
年老いている。
白かった。
耳も。
眉も。
雪のように白い。
だが、
弱そうには見えなかった。
背筋は伸びている。
曲がっていない。
杖を持っている。
戦士ではない。
なのに。
雰囲気だけでも、
周囲の戦士達よりよほど大きく見えた。
狼族だった。
静かで。
全てを見ているような目だ。
周囲の獣人達が、
道を開ける。
誰も、
命令されていない。
なのに、
自然に道が出来る。
「あ……」
誰かが声を漏らした。
「最長老様……」
広場が静まる。
狼族の老人は、
ゆっくり階段を降りてきた。
杖の音だけが響く。
コツ。
コツ。
コツ。
やがて。
俺の前で止まった。
視線が合う。
「……」
不思議だった。
初めて会うはずなのに。
どこか、
懐かしい感じがした。
老人の目が、
僅かに細くなる。
そして。
狼族の戦士が抱えていた、
実を見る。
その瞬間。
初めて。
老人の表情が崩れた。
「……何?」
本当に小さな声だった。
だが。
その場にいた全員が、
固まった。
老人は実を見る。
俺を見る。
もう一度、
実を見る。
「……どこで落ちた」
狼族の戦士が、
震える。
「こ、この者の手に……」
沈黙。
長かった。
老人はしばらく、
何も言わなかった。
やがて。
ぽつりと呟く。
「馬鹿な…」
その声だけは、
本当に驚いていた。
周囲の獣人達が、
ざわつく。
最長老と呼ばれた者が取り乱すところなど、
誰も見たことがないのだろう。
老人は、
実から目を離さない。
やがて。
ゆっくりと、
俺を見る。
その視線が。
今度は、
花へ向いた。
俺の手に残っている。
先ほど落ちてきた、
花だった。
老人の目が見開かれる。
「……花まで」
掠れた声。
周囲が静まり返る。
狼族の戦士が、
恐る恐る聞いた。
「最長老様……?」
老人は答えない。
ただ。
俺と花を、
交互に見る。
そして。
震える声で呟いた。
「実だけではない……」
誰に言うでもない。
独り言のようだった。
「迎え花まで落ちた……」
空気が変わる。
周囲の獣人達から、
血の気が引いていく。
「ま、待て……」
「迎え花……?」
「嘘だろ……」
老人は、
ゆっくりと顔を上げた。
巨大樹を見る。
その姿は。
何かを確かめているようだった。
そして。
「息子を……族長達を呼べ」
静かな声。
だが。
逆らえる者はいない。
「全員だ」
広場が凍る。
全員を呼ぶ。
それがどれほど異常なことなのか。
周囲の反応だけで、
分かった。
それぞれの戦士達が、
広場から走り去っていく。
老人は。
もう一度だけ、
俺を見る。
その目には、
警戒も敵意もなかった。
代わりにあったのは。
理解出来ないものを見た時の、
戸惑いだった。
「……あり得ん」
小さく呟く。
「この数百年……一度もなかった」
風が吹く。
花びらが舞う。
巨大樹が。
静かに揺れていた。




