第201話:この世界に残るために
村へ戻る。
太陽は真上に差し掛かっていた。
森を抜けると、
すぐに村が見える。
朝とは違う。
人が動いている。
水を運ぶ者。
壊れた柵を直す者。
荷を運ぶ者。
子供の声。
生きている村の音だ。
井戸の周りには、
まだ人が集まっている。
誰もが忙しそうだった。
だが、
絶望した顔はしていない。
「戻ったか」
入口の近くで、
セレスが腕を組んでいた。
俺は頷く。
「終わった」
短く答える。
セレスは何も言わない。
ただ、
こちらを見た。
傷がないか、
血が流れていないか。
確認するみたいに。
それから、
小さく息を吐いた。
「そうか」
それだけだったが、
少しだけ肩の力が抜けたのが分かった。
「どうした?」
俺が聞くと、
セレスはすぐに視線を逸らした。
「別に」
だが、
前とは違う。
嫌な感じではなかった。
「…遅かったからな」
そう言う割に、
さっきより表情は柔らかかった。
ルクナスが横で笑う。
「心配してたんだね」
「黙れ」「…焼くぞ」
即答だった。
ルクナスが吹き出す。
「あはは、息ぴったり」
セレスの眉間に皺が寄る。
見慣れた顔だった。
少しだけ安心する。
「ユーリスは?」
俺が聞く。
セレスは村の中央を顎で示した。
「村長の家だ」
「起きたのか?」
「一度だけ」
少し間。
「腹が減ったと言っていた」
「それで?」
「食べて寝た」
ルクナスが笑う。
俺達は村長の家へ向かった。
ーーーーー
村長の家は、
村の中央にあった。
決して大きくはない。
だが、
この村では一番しっかりした建物だった。
中へ入る。
木の匂い。
薬草の匂い。
暖炉の熱。
静かだった。
「おお!」
奥から村長が出てくる。
顔が明るくなる。
「戻ったか!」
「ああ」
「どうだった?」
「井戸も魔物も、あの石が原因だった。
だが、もう心配ない」
それだけで十分だった。
村長は大きく息を吐く。
肩の力が抜ける。
「何と……。
何と礼を言えばいいか」
本当に安心した顔だった。
ルクナスは困ったように笑う。
「礼を言われることじゃないかな。
まあ、でもこれで大丈夫なはずだよ」
村長は何度も頭を下げた。
「本当にありがとう」
「礼はいい」
俺は答える。
村長はありがとうと繰り返し、
それから奥を指差す。
「あのお嬢ちゃんは向こうだ」
客間だった。
扉を開ける。
ユーリスがいた。
毛布に埋まっている。
杖を抱いたまま。
完全に寝ていた。
「「「……」」」
寝ている。
本当に寝ている。
俺は近付いた。
「ユーリス」
反応はない。
「おい」
少しだけ肩を揺する。
すると。
「……ご飯ですかぁ……?」
目を閉じたまま言った。
「違う」
「じゃあ寝ますぅ……」
そのまま毛布へ潜る。
数秒後。
――ガバッ!
ユーリスが飛び起きた。
顔が真っ赤だった。
「ッ!?
い、今のは!?
違います!!」
慌てて叫ぶ。
「飯はまだだぞ?」
「~~~~ッ!?」
部屋の空気が止まる。
ルクナスが吹き出した。
「ぶっ」
「聞いてたんですねぇぇぇ!!」
ユーリスが頭を抱える。
耳まで赤い。
「いやぁ、完全に寝ぼけてたね」
「言わないでくださいぃ!」
毛布を引っ張る。
顔を隠す。
セレスが壁にもたれたまま言う。
「安心しろ」
「な、何がですか……」
「二回目だ」
「え?」
「腹が減ったと言って起きた時も、
同じ顔をしていた」
「村長さんまで見てたんですかぁ!?」
奥から村長の苦笑が聞こえた。
「すまんな」
「うぅ、恥ずかしいぃ……」
ユーリスがさらに真っ赤になる。
ルクナスが腹を抱えて笑う。
セレスも口元を押さえていた。
多分、
笑っている。
部屋の空気は妙に明るかった。
ーーーーー
笑いが少し落ち着く。
ユーリスも、
ようやく毛布から顔を出した。
まだ赤い。
「……もう笑わないでください」
「う~ん、無理?」
ルクナスがわざとらしく首を傾げる。
「酷いですぅ……」
再び毛布へ潜る。
村長が苦笑した。
「では、私は向こうにいるから。
宿が必要なら、今日は家に泊まっていくといい」
村を救ってくれた礼だと続けて、
村長はそのまま部屋を出ていった。
部屋の空気は穏やかだった。
だが。
ルクナスだけは、
少し考える顔をしていた。
「どうした?」
「うん、ちょっと気掛かりがね」
ルクナスは窓の外を見る。
村人達が働いている。
井戸の周りも賑やかだった。
「今回ので一つ分かった」
静かな声だった。
全員の視線が向く。
「何がだ?」
「アンカーだよ。
封じたから、しばらくこの辺りへの干渉は出来ない」
空気が少し変わった。
「だけど、きっと彼女は諦めない」
セレスが腕を組む。
「ノアリスか」
「うん」
ルクナスは頷いた。
「むしろ確信した」
窓の外を見る。
「かなり焦ってる」
ユーリスが首を傾げる。
「焦ってる……ですか?」
「馬車を壊す」
指を一本立てる。
「魔物を寄せる」
二本。
「井戸を枯らす」
三本。
「全部同時にやった」
小さく息を吐く。
「正直、彼女らしくはあるんだけど、
以前ならこんな無茶はしなかった」
セレスが聞く。
「無茶?」
ルクナスは少しだけ黙った。
それから答える。
「ノアリス側も、
簡単に干渉出来るわけじゃない。
少なからずリソースを使う。
それなのに、
こんなふうに畳み掛けてきた」
ルクナスは片目を閉じ、
悪い笑みを浮かべた。
「僕の後任になって、
少し焦ってるのかなぁって」
セレスが首を傾げた。
「後任?」
ルクナスは苦笑する。
「一応、僕もそれなりに偉かったんだよ?
この世界の管理を任されるくらいには」
さらりと言う。
「だから分かる」
ルクナスは続けた。
「今の彼女は功績を欲しがってる」
窓の外を見る。
遠くを見るように。
「上に認められたい。
成果が欲しい」
ユーリスが不安そうに聞く。
「じゃあ……また来るんですか?」
「来るね」
即答だった。
「多分、何度でも」
ルクナスは少しだけ笑った。
「もっとも、
同じ手は使えない」
全員を見る。
「今回のアンカーは閉じた」
窓の外を指差す。
「だから少なくとも、
この辺りにはもう触れられない」
セレスが目を細める。
「貴様の言うアンカーとは、
神杭なのだろう?
ならば、
行く先々にあるはずだ」
「そう」
ルクナスは頷いた。
「だから旅を続けるなら、
結局、他のアンカーも何とかしなきゃいけない」
俺は腕を組む。
「全部閉じるのか」
「そうなると思う」
ルクナスは少しだけ笑った。
「でも、むしろ僕達は、
それを目的にしてもいいのかもしれない」
俺は眉を寄せる。
「どういう意味だ」
ルクナスは椅子へ腰掛ける。
少し疲れた顔だった。
「アンカーだよ」
指を立てる。
「あちら側が、
この世界へ干渉するための唯一の窓口」
窓の外を見る。
「本来は、
世界を観測して維持するための設備だ」
小さく息を吐く。
「彼女達は、
そこを経由して触ってくる」
セレスが腕を組む。
「なら、閉じれば終わるのか」
「完全には終わらない」
ルクナスは首を振った。
「でも、相当困る」
少し笑う。
「というか、僕なら困る」
ユーリスが首を傾げる。
「そんなにですか?」
「うん」
即答だった。
「アンカーを作るのは簡単じゃない。
あれ自体にも膨大なリソースを使う」
窓の外を見る。
「そもそも、
この世界を作った時点でかなり消費してる。
だから新しく増やすのも難しい」
俺は聞く。
「なら、閉じてしまえば終わりか?」
ルクナスは少しだけ笑った。
「終わりとは言えないけど……」
そして。
「かなり困る」
今度は真面目な顔になる。
「干渉手段が消えるからね。
魔物を寄せることも。
天候を動かすことも。
僕達の居場所を追うことも」
一本ずつ指を折る。
「全部、難しくなる」
ユーリスが息を呑む。
「じゃあ……」
「うん」
ルクナスは頷く。
「全部閉じれば」
少し間。
「少なくともあっち側は、
しばらくこの世界へ触れなくなる」
セレスが聞く。
「しばらくとは?」
ルクナスは考える。
「数百年?」
首を傾げる。
「いや、千年くらいかな?」
さらに考える。
「状況次第では、
もっとだね」
ユーリスが固まった。
「長いですねぇ……」
「まあ、ちょっと長いかな」
ルクナスが笑う。
「君達からすれば、
十分すぎる」
俺は腕を組む。
窓の外を見る。
獣人領域。
竜の領域。
旅はまだ続く。
進む理由が一つ増えた。
だが、
俺はそれだけでは終われない。
旅が終わっても、
世界は残り続ける。
大切な者達が生きた世界。
そして。
守るべきものが、
また生まれる場所。
「……なあ」
俺はルクナスを見る。
「ん?」
ルクナスが顔を上げる。
俺は少しだけ考えた。
そして聞く。
「全部終わった後だ」
部屋が静かになる。
「アンカーを閉じて、
干渉も止めて。
槍も片付けて、
全部終わった後……」
少し間。
「俺はどうなる?」
ユーリスが瞬きをした。
セレスもこちらを見る。
二人とも、
言葉の意味を測りかねていた。
俺は構わず続ける。
「槍が危険なのは変わらない」
自分の手を見る。
今は俺が持っている。
手の届く場所へ置いておける。
何かあれば、
また取りに行けばいい。
だが。
「お前も、
向こうへ帰れるか分からない」
ルクナスは答えない。
「何もかも終えて……」
窓の外を見る。
村人達が働いている。
子供が走っている。
水を運んでいる。
この世界は生きている。
「この身体が朽ちた時、
俺はどうなる?」
静かな声だった。
「また、転生出来るのか?」
部屋が静まる。
誰も口を挟まない。
俺は続ける。
「俺は、守りたい」
遠くを見る。
「俺は残りたい…」
迷いはなかった。
「戦うために。
守るために」
ルクナスを見る。
「だから聞いてる」
風が吹く。
窓が小さく鳴った。
ルクナスは、
すぐには答えなかった。
困ったような顔だった。
何かを考えている。
やがて。
小さく笑った。
どこか寂しそうな笑みだった。
「君らしいね……」
俺は黙る。
ルクナスは少しだけ目を伏せた。
そして。
「正直に言うと」
そこで言葉を切る。
「まだ分からない」
静かな声だった。
「君は普通じゃない。
色々と混ざりすぎてる」
俺を見る。
「ルクスのこともある。
でも、それだけじゃない。
さっき話した君自身の成長。
そして、
君に与えた力自体が、
既に魂と一つになっている」
「一つに?」
ルクナスは頷いた。
「僕の性格は、
もう知ってるだろ?」
少しだけ苦笑する。
「実は最初から、
君が何かで死んだ時、
君の存在が僕の所へ戻るようにしていた」
「戻る?」
「うん」
ルクナスは自分の胸へ手を当てる。
「回収するためだよ」
少しだけ苦笑する。
「もう失わないためにね」
部屋が静かになる。
「そして、それとは別に、
君へ与えた力があるだろ?」
ルクナスは窓の外を見る。
「でも……君は前回の最後に、
自分の存在そのものを解いた」
その声が少しだけ低くなる。
「肉体を捨てて。
魂の輪郭も削って。
火になった」
覚えている。
あの瞬間。
身体が消えていく感覚。
存在自体を燃やす感覚。
火だけが残っていた感覚。
「だから変わった」
ルクナスは言う。
「君の火はもう、
僕が最初に組み込んだものとは別物になってる」
「別物?」
「ああ」
ルクナスは頷いた。
「君自身が変えた。
そこで一つになった。
でも、
それだけじゃない」
少し間。
「この世界も、
君をさらに変えた」
ユーリスが息を呑む音が響いた。
ルクナスは続ける。
「君の子孫達が、
やがて火以外の属性へ分かれていったように」
ユーリスが呟く。
「魔術の根源……」
「近いね」
ルクナスは答える。
「でも、それだけじゃない」
俺を見る。
「君は今、
神話にもなっている」
部屋の空気が少し重くなる。
「この世界の人達が君を語る。
祈る。
恐れる。
願う。
その全部が、
少しずつ君の火へ意味を与えている」
俺は眉を寄せる。
「……厄介だな」
「うん」
ルクナスは笑った。
「とても厄介だ」
だが。
すぐに真面目な顔へ戻る。
「でも同時に、
それが希望でもある」
「希望?」
「ああ」
ルクナスは小さく頷いた。
「君の火は、
虚飾に届いた」
静かな声だった。
俺は何も言えなかった。
ルクナスは続ける。
「そして今の君は」
少し間。
「もしかしたら」
言葉を選ぶように、
ゆっくりと言った。
「虚飾だけじゃない。
向こう側にいる連中にも、
届くかもしれない」
部屋が静まり返った。
ユーリスが固まる。
セレスも何も言わない。
俺はルクナスを見る。
「だから、
恐れているのか……」
ルクナスは、
すぐには答えなかった。
だが。
その沈黙だけで十分だった。
「……多分ね」
ようやく口を開く。
「消したい。
でも欲しい。
危険だから処分したい。
けれど利用出来るなら手に入れたい」
ルクナスは小さく笑った。
「本当に勝手だよ」
その声には、
いつもの軽さがなかった。
「君を核にすれば、
虚飾に対抗出来る世界を作れるかもしれない。
君を使えば、
今度こそ自分達に都合のいい世界を作れるかもしれない」
一度、
言葉を切る。
「だから君は、
敵であり、最高の素材でもある」
胸の奥は静かだった。
怒りではない。
驚きでもない。
ただ。
納得だけがあった。
「……そうか」
ルクナスがこちらを見る。
「色々ごちゃごちゃしてるのは分かった。
だが、俺は……」
既に誓った。
そして。
それが俺だ。
「守ると決めている」
それだけだった。
ルクナスが黙る。
「火が必要なら使う。
槍が必要なら持つ。
虚飾が来るなら焼く。
そして…連中が邪魔をするなら」
少し間。
「それも焼く」
ユーリスが息を呑んだ。
セレスの目が僅かに揺れる。
ルクナスは、
しばらく俺を見ていた。
そして。
困ったように笑った。
「本当に君は……」
声が少しだけ掠れる。
「ブレないねぇ〜」
「そうか?」
「うん…」
ルクナスは頷いた。
「だから……僕は困ってる」
ため息を吐きながら、
少し笑う。
「困るなぁ〜無茶を言うなぁ〜、ってね」
だが。
その笑みは、
すぐに消えた。
「エア」
静かな声だった。
ルクナスは俺を見る。
「今は確かにとは言えない。
でも、約束するよ」
その声だけは、
真っ直ぐだった。
「君がこの世界に残るつもりなら、
…守り続けるつもりなら。
転生でも何でも」
少し間。
「僕が何とかする」
部屋が静かになる。
「分かった」
「軽いね」
「お前が約束した」
「信用してくれるんだ?」
「今のところはな?」
ルクナスが吹き出した。
「そこは全部信用してよ〜」
「考えておく。
お前が何かを言い含む時は、大抵ろくなことじゃない」
「酷いなぁ」
ユーリスが小さく笑った。
セレスも息を吐く。
部屋の空気が、
少しだけ戻る。
だが。
さっきまでとは違った。
旅の目的は増えた。
アンカーを閉じる。
向こう側の手を断つ。
そして。
その先で。
俺自身が、
どうなるのかを知る。
俺は窓の外を見る。
この世界は続いている。
時代が変わり。
人が俺を忘れても。
それでも、
生きている。
なら。
進む理由は、
それで十分だった。




