第196話:俺が燃え尽きるまで (後編)
神話ではなかった。
英雄譚でもない。
聖典に記された、
主の火でもない。
語られていたのは。
失った女の話。
残された子供の話。
そして。
守れなかったことを、
悔やみ続ける男の話だった。
「……」
理解出来ない部分もある。
多すぎる。
私の常識など、
まるで届かない。
枠の外側にある話だった。
だが。
一つだけ、
分かることがあった。
エアは、
嘘をついていない。
少なくとも。
この話だけは。
誤魔化していない。
「……だが」
エアは、
静かに続けた。
「息子達は、
自分で立つようになった」
私は顔を上げる。
「俺が全部を教えたわけじゃない。
俺が導いたわけでもない」
エアは、
水面を見たまま言う。
「それでも。
あいつらは自分で選んだ」
少しだけ、
間が空く。
「リヒトは昼に立った。
ナハトは夜に立った」
その声には。
誇りに近いものがあった。
だが。
同時に。
どうしようもない寂しさも、
混じっていた。
「きっかけは……」
エアの声が、
少しだけ低くなる。
「リルが死んだ時だろう」
「……死んだ?」
思わず、
聞いていた。
エアは頷く。
「寿命だ」
短い言葉だった。
だが。
その一言で。
ようやく、
気付いた。
ルクナスから聞いた。
『ルゥは、
ゴブリンだった』
という言葉。
そして。
今、
語られたリルという女。
この男にとって。
寿命で誰かを送ることすら。
失うことの、
一つなのだ。
「そこから。
あいつらは変わった」
エアは続ける。
「リヒトは、
昼に立つ者になった」
少し間を置く。
「ラルの後を継ぐみたいにな」
「……ラル」
「村を導いていた男だ」
エアは、
僅かに目を細める。
「俺よりも。
ずっと、皆を見ていてくれた」
水面が、
静かに流れる。
「ナハトは。
俺の火を受け継いだ」
左手へ視線を落とす。
「同じように。
夜に立てる火だ」
そして。
「だから……。
あいつは、自分でそこに立った」
その声は。
少しだけ、
柔らかかった。
「俺の代わりに立てるほど。
成長した」
その言葉が。
少しだけ、
重く響いた。
「だから俺は。
村を離れることにした」
「……何処へ」
エアは。
この場にはない方角を見た。
遠い昔を、
見つめるように。
「西だ」
短く言う。
「雪の山脈がある場所。
もう一つの神杭」
夜気が、
冷たくなる。
「俺は。
あいつらに、同じ思いをさせたくなかった」
水の流れへ、
声が重なる。
「だから。
俺が夜に立てなくなる前に」
僅かに、
息を吐く。
「あいつらが、
立たなくてもいいようにするため、村を旅立った」
私は、
その横顔を見ていた。
神ではない。
英雄でもない。
だが。
その顔は、
どこまでも真っ直ぐで。
目を離せなかった。
エアは続けた。
地を駆ける鳥に跨がり。
雪の山脈へ、
辿り着いたのだと。
「そこで……。
俺は狼に出くわした」
エアの目が、
僅かに細くなる。
「だが。
ただの獣じゃなかった」
エアは、
狼達について話した。
人の形を取り。
言葉ではなく、
群れで動き。
何かを、
処理するように生きる者達。
「……獣人か」
エアは頷いた。
だが。
返答は、
少し曖昧だった。
「……かもしれないな」
エアが、
そこで見たものは。
新しい種族だけではなかった。
「あの場所では。
…命が軽かった」
低い声だった。
「死体が積まれていた」
月明かりが、
横顔へ落ちる。
「裂かれた狼の体が、
ただ捨てられていた…」
私は息を呑む。
「……同族の死体を、か」
「ああ」
エアは頷く。
「作業みたいに、
運んでいた」
捨てるために。
処理するために。
水面に映る月が、
僅かに揺れる。
「俺が最初に見た、
あいつらの世界は」
静かに言う。
「命が捨てられる場所だった」
エアは続けた。
「あの場所には。
群れを率いる奴がいた」
「……長か」
「多分な」
短い返答。
だが。
その声には、
少しだけ苦いものが混じっていた。
「でかかった。
速かった。
力もあった」
エアは、
自分の手を見る。
「俺は。
そいつと戦った」
「勝ったのか」
聞いた瞬間。
エアは、
小さく笑った。
「負けた」
あまりにも。
あっさりした言葉だった。
「槍は折れた。
腕も折られた」
少し間を置く。
「殺されかけた」
「……」
私は、
何も言えなかった。
この男が。
負けた。
それだけで。
話の重さが、
変わった。
エアは、
水面を見る。
「石の槍では届かない。
骨でも駄目だ」
静かに続ける。
「火で焼き尽くすだけなら。
勝てたかもしれない」
だが。
「それでは、
意味がなかった」
「何故だ」
思わず、
言葉が出る。
「お前なら。
簡単だったはずだ……」
「ああ」
エアは頷く。
「殺すだけならな」
少しだけ間を置く。
「俺は…。
止めたかったんだ」
「……」
「命が捨てられる、
あの流れを」
水の音だけが、
二人の間を流れる。
「だから。
折れない槍が必要だった」
「……折れない槍」
「ああ」
エアは、
静かに言った。
「お前は。
もう見ている」
私には分かった。
それは。
神から与えられた、
神器ではない。
祈りによって、
降りた聖具でもない。
この男が。
自分の手で、
作り上げた武器だった。
「それが……。
最初の鉄の槍だった」
エアは、
小さく息を吐く。
「殺すためじゃない」
左手を握る。
「折れないための槍だ」
「……」
私は。
何も言えなかった。
折れないため。
その言葉が。
妙に、
耳へ残った。
武器とは。
槍とは。
主の敵を、
貫くものだ。
打ち倒すためのものだ。
少なくとも。
私は、
そう教えられてきた。
だが。
エアは違った。
殺せる力を持ちながら。
殺さないために、
武器を作った。
「それで……どうなった」
私が聞くと。
エアは、
水面から目を離さなかった。
「もう一度。
群れの所へ行った」
静かな声だった。
「その場所は、
強いものだけを残す場所だった」
エアは言う。
「神杭の前で戦わせて。
立てなくなったものを捨てる」
少しだけ、
表情が硬くなる。
「ためらったものも殺す」
声が、
低く沈む。
「そうやって。
あいつらは、生き残るものを選んでいた」
私は眉を寄せる。
「……選別か」
「ああ」
エアは頷いた。
「俺はそこで。
長へ、もう一度挑んだ」
「勝ったのか」
「勝った……。
…とは、言えないかもしれない」
エアの表情が曇る。
「落としただけだ」
少し間を置く。
「……殺してやるべきだった」
衝撃だった。
今まで。
流れを止めるため。
折れないため。
そう言っていた、
この男が。
最後に。
『殺してやるべきだった』
そう言った。
私は、
その光景を想像する。
雪。
狼の群れ。
血の匂い。
神杭。
そして。
その中心で、
鉄の槍を持つエア。
「それで。
終わったのか……」
「いや」
エアは首を振った。
「その奥があった」
「奥?」
「山が裂けていた」
低い声。
「その中に。
でかい植物があった」
胸の奥が。
僅かに、
冷える。
「植物……?」
エアの目が、
少しだけ細くなる。
「ルゥを喰っていたものと。
同じ気配がした」
息が止まった。
ルゥを喰ったもの。
それが、
何を意味するのか。
完全には分からない。
だが。
エアの声で分かる。
それは。
ただの魔物ではない。
「ルクナスの話では。
恐らく、それが今の魔物の原点になった」
魔物の原点。
すぐには、
理解出来ない。
だが。
今は、
聞くしかない。
「あれが。
あの場所を歪めていた」
エアは続ける。
「狼達を強くしていた」
命を削り。
血を集め。
強いものだけを、
残すように仕向けていた。
「神杭の近くで、か?」
「ああ」
だから。
「俺は、
それを燃やした」
短い返事。
それはもう。
理解という枠を、
越えていた。
神杭。
正統光火教会に生まれた者なら。
誰もが、
知っている。
神杭は。
世界を支える柱。
主の火と、
繋がる場所。
魔を退けるもの。
人々を守るもの。
少なくとも。
私は、
そう教えられてきた。
だが。
エアの話は、
まるで違う。
神杭の周囲で。
狼達は、
殺し合っていた。
命を削り合っていた。
そして。
その奥には。
魔物の原点かもしれない、
何かがあった。
そんなものが。
神杭の傍に、
存在していた。
それ自体が。
私の知る教義と、
矛盾している。
あり得ない。
あってはならない。
だが。
エアは、
平然と話している。
誇張もない。
私を、
納得させようともしていない。
ただ。
見たものを、
語っているだけだ。
だからこそ。
理解が追い付かなかった。
嘘なら、
簡単だった。
異端の妄言だと。
切り捨てられる。
だが。
今の私には。
それが出来ない。
今、
この世界にいるルクナス。
そして。
知らないはずの、
エアとの記憶。
ルゥ。
エアが、
見てきたもの。
それらが。
少しずつ、
繋がり始めている。
そして。
繋がれば、
繋がるほど。
私の知る世界が。
形を、
失っていく。
それなのに。
聞くのをやめたいとは、
思わなかった。
むしろ逆だった。
私は。
知りたかった。
この男が、
何を見て。
何を失い。
何を抱えて。
今、
ここにいるのか。
知れば、
知るほど。
信じてきた神から、
遠ざかっていく。
それでも。
突き離せなかった。
「俺は、
それで終わったと思っていた」
エアは、
静かに言った。
「神杭は。
本来の光を取り戻した」
水面へ、
視線を落とす。
「俺はそれから、死んだ者達を弔った」
そして。
「狼達の中から。
何人かが俺についてきた」
私は、
黙って聞いていた。
「村へ戻った時」
エアの声へ。
僅かな温度が、
混じる。
「リヒトも。
ナハトも。
ちゃんと立っていた」
昼は保たれていた。
夜も、
守られていた。
「俺がいない間も。
あいつらは、村を守っていた」
それは。
確かに、
誇りだった。
だが。
エアの声は。
すぐに、
低く沈んだ。
「だから……。
俺は安心してしまった」
「……」
「俺がやったことは。
間違っていなかった」
西で、
神杭を解放した。
闇は。
世界から、
消え去る。
「息子達はもう。
何かを犠牲にして立つ必要はない」
そう。
思ったのだと。
水面を見る横顔へ。
苦い影が、
落ちる。
「だが…違った」
エアは続けた。
「終わっていなかった……」
胸の奥が。
僅かに、
冷える。
「落とした長が。
まだ、生きていた」
「……復習か?」
「いや」
エアは首を振った。
「そうじゃない。
それに、あれは生きていたとは言えない……」
その響きだけで、
分かった。
そこにはもう。
普通の命は、
残っていない。
「俺が燃やした植物には、核があった」
エアの手が。
ゆっくりと、
握られていく。
「そいつは。
燃え尽きる直前に、それを逃がした」
「……」
「長は、
それを喰った」
力を取り戻すためか。
生き延びるためか。
それとも。
ただ。
目の前に、
あったからか。
「今となっては分からない」
水の音が続く。
「だが。
喰った瞬間に変わった」
狼でもない。
影でもない。
「生き物とも。
言い切れない」
エアは低く言った。
「欠けたものになった」
「欠けたもの……」
「怒りもない。
復讐でもない。
目的もない」
静かな声だった。
「ただ、足りない」
その言葉だけが、
冷たく響く。
「それだけで。
動くものになった」
全ては、
理解出来ない。
だが。
その言葉には。
生き物とは違う、
何かがあった。
「そして。
そいつは、俺の村へ向かった」
私は息を呑む。
「何故だ」
「そこに。
命があったからだ」
エアは答える。
「子供がいて。
火があって。
戻る場所があった」
その目が。
僅かに、
細くなる。
「俺が守りたかったものが。
そこにあった」
「……」
「俺は、そこでようやく分かった」
エアの声は。
悔しさよりも、
静かだった。
静かすぎた。
「俺はあいつを止めたつもりだった…」
命を捨てる流れを。
止めたつもりだった。
だが。
「本当は……」
少しだけ、
息を吐く。
「死なせてもやれなかっただけだった」
その言葉に。
胸が、
詰まる。
殺さないために作った槍。
折れないための槍。
命を捨てる流れを、
止めるための戦い。
その果てに。
エアは今。
殺してやるべきだった。
そう言っている。
矛盾している。
だが。
矛盾しているからこそ。
痛かった。
「だから…、
今度は逃がさないと決めた」
エアは言う。
「俺の大事なものを」
僅かに、
拳を握る。
「全て、守るために」
声は荒れていない。
怒りもない。
「そして。
奴を迎えた」
短く言った。
「だが、俺一人じゃない」
少しだけ。
声へ、
誇りが戻る。
「リヒトも。
ナハトも。
村の皆もいた」
エアがいない間に。
村は、
変わっていた。
森の民だけではない。
西からついてきた、
狼達もいた。
「狼達が……?」
「ああ」
エアは頷く。
「俺についてきた奴らだ」
導いたつもりはない。
連れてきたつもりもない。
「最初と同じだ。
来るなら、止めなかった」
少し間を置く。
「そいつらも。
村の一部になっていた」
僅かに、
口元を緩める。
「俺の村も。
元々、そういうのには慣れていたからな」
敵だったもの。
命を捨てる場所にいたもの。
同族の死体を、
運んでいたもの。
それが。
エアの村へ入った。
あまりにも。
簡単なことのように聞こえる。
だが。
簡単では、
なかったはずだ。
「そして……。
そいつが来た」
エアの声が、
低くなる。
「欠けた長が」
水面が揺れる。
「もう、狼とは呼べなかった」
長でもなかった。
「ただ大きくなった。
空っぽのものだった」
「……空っぽ」
「怒りも復讐でもなかった。
俺を殺したいわけでもない。
ただ…足りない」
それだけで、
進んでくる。
その言葉が。
妙に、
冷たく響いた。
「最初は。
村全員で止めようとした」
エアは続ける。
「俺とナハトの火」
リヒトが、
皆を率い。
森の民の矢。
狼達の、
牙と爪。
「全部ぶつけた」
エアの顔から。
先程まであった温度が、
消えていく。
「だが……。
それでも、止まらなかった」
私は息を呑む。
「生き物じゃなかったからな」
痛みで止まらない。
怒りで動いているわけでもない。
「一切怯まない」
エアの手が、
さらに強く握られる。
「そのうち。
村の前まで来た」
声が。
少しだけ、
沈む。
「それ以上は、
…退けなかった」
私は。
何も言えなかった。
エアは、
淡々と続ける。
「だが。
その途中で、ナハトが核を見つけた」
「核……魔石か」
「ああ、恐らく」
胸の奥。
そこへ。
黒いものが、
集まっていた。
「だが、槍では届かなかった」
エアと、
ナハトの火も。
押し返された。
そして。
「だから……。
俺の全てで、行くしかなかった」
その一言で。
胸の奥が、
冷えた。
「……何をした」
聞く声が。
自分でも分かるほど、
硬かった。
エアは。
少しだけ笑った。
寂しそうな笑いだった。
「俺は……燃えた」
短い。
「俺自身が、火になった」
知っている。
それは。
私自身が、
身をもって知っている。
命を燃やす。
そういう類のものだ。
「リヒトとナハトへ。
少しだけ、言葉を残した」
エアは言った。
「ちゃんと育ったって」
少し間を置く。
「俺の誇りだって」
「……」
喉が詰まる。
「それから。
俺は奴へ向かった」
水面に映る月が。
細かく、
揺れている。
「火になった俺は、そのまま進んだ」
エアは静かに言う。
「俺の全てを、火の槍に変えた」
そして。
「核を貫いて、影を焼いた」
少しだけ、
間が空く。
「欠けたものは。
そこで終わった」
私は。
息をすることすら、
忘れていた。
「そして……。
俺もそこで終わった」
あまりにも。
静かな声だった。
だが。
何でもなかったかのように。
エアは笑った。
「一度な」
その顔は。
あまりにも、
温かくて。
私は。
「……笑うなっ!!」
気付けば。
そう、
叫んでいた。
エアが、
少しだけ目を見開く。
こちらを見る。
「そんな顔で……。
笑うな……」
責めるつもりはなかった。
だが、
声が震える。
視界が滲む。
頬を伝うものがある。
止まらない。
「……セレス?」
「っ……」
胸が苦しい。
息が。
上手く吸えない。
何故なのか。
分からない。
分からないのに。
苦しい。
苦しくて。
仕方がない。
死んだのだ。
一度。
確かに。
息子を残して。
村を残して。
守るために。
全てを背負って。
全てを置いて。
それでも。
前へ出た。
「……お前は」
声が掠れる。
「お前は……っ」
続かない。
喉が詰まる。
目の前の男は。
笑っていた。
寂しそうに。
懐かしそうに。
「……何でだ」
掠れた声が漏れる。
「何で……。
そんな顔が出来る」
拳を握る。
涙が落ちる。
止まらない。
「お前は……」
身体が震える。
肩が。
声が。
「息子を残して……。
村を残して……」
息が詰まる。
「全部置いて……!」
感情が溢れる。
もう。
抑えられない。
「何で!!そんなふうに笑える!!」
初めてだった。
こんなふうに。
声を荒らげたのは。
怒っているわけではない。
責めたいわけでもない。
違う。
苦しいのだ。
どうしようもなく。
目の前の男が。
そんなことを。
まるで。
大したことではなかったように、
話すことが。
許せなかった。
いや。
許せないという言葉も、
違う。
分からない。
何が。
こんなにも痛いのか。
何に怒っているのか。
何を失ったように、
感じているのか。
何一つ。
分からない。
それなのに。
涙だけが。
止まらなかった。
ども!酒飲めない飲んだくれです!
改めまして、ここまで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます!
そして、前作
『祈りの果てに ―無限の箱庭で笑う者―』
から引き続き読んでくださっている皆様も、本当にありがとうございます!
長い物語になっていますが、ここまで一緒に歩いてくださっていることが本当に嬉しいです。
もし「面白かった!」「続きも読むよ!」と思っていただけましたら、ブックマークや評価をいただけると、めちゃくちゃ喜びます!!
感想も、本当にありがとうございます!
実はメンタルが激弱なので、精神安静?のため基本的に返信はしていませんが(笑)、ちゃんと読ませていただいています!
本当に励みになっています!
これからも最後まで全力で書き切りますので、引き続きオリジェネをよろしくお願いしまぁああああす!!!
ではまた!次のお話でお会いしましょう!
追記
Xの公開告知にちょっとおまけも乗せてあるので、よければそちらの方もよろしくお願いします!




