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第195話:俺が火になるまで (前編)


「……」


服を握る力が伝わる。


離れない。


分かっている。


俺が、

傷付けた。


「……」


何か言うべきなのだろう。


謝ればいいのか。


違う気がした。


慰めればいいのか。


それも違う。


俺には。


今のセレスが、

何に苦しんでいるのか。


全ては、

分かってやれない。


教義のことも。

中央のことも。


…セレス自身のことも。


全部は分からない。


だが。


一つだけ、

分かる。


「……」


辛そうだった。


セレス自身ですら。


まだ、

上手く言葉に出来ていない。


俺は火を通して、

見てしまった。


セレスが。


どれだけ空っぽのまま、

立っていたのか。


どれだけ一人で。


崩れそうな自分を、

支えてきたのか。


「……セレス」


俺は、

昔からそうだった。


泣いている奴がいた。


怪我をした奴がいた。


助けを呼ぶ声があった。


だから。


手を伸ばした。


守れなかったこともある。


間違えたこともある。


それでも。


目の前にいるなら。


手が届くなら。


放っておくことだけは、

出来ない。


「俺は……。

 立派な奴なんかじゃない」


馬鹿だ。


本当に。


自分でも、

そう思う。


俺が傷付けた相手なのに。


俺が原因なのに。


それでも。


放っておけない。


「俺には…、

 …ここに来る資格もないのかもしれない」


腕の中の温度は小さい。


震えている。


セレスは。


強いわけではない。


ただ。


一人で、

立ち続けていただけだった。


俺には、

その痛みを少ししか分かってやれない。


「それでも……」


言葉が続かない。


言えなかった。


腕の中の震えだけが、

伝わってくる。


冷たい風が流れた。


長い沈黙が、

過ぎていく。


やがて。


「本当に」


小さな声だった。


消えてしまいそうなほど。


「……お前は、馬鹿だな」


怒っているわけではない。

呆れているわけでもない。


だが。


服を掴む指だけは、

離れなかった。


「……」


静寂が戻る。


長い沈黙。


その時だった。


不意に。


腕の中の温度が動く。


「……?」


セレスの身体が。


ゆっくりと、

こちらを向いた。


振り払うためではない。


離れるためでもない。


白い髪が揺れる。


次の瞬間。


温もりが伝わってきた。


首筋に。


身体に。


二人の間に残った隙間を、

埋めようとするように。


「セレス……」


呼ぶ。


返事はない。


ただ。


顔を隠すように。


逃げ込むように。


俺の胸へ、

額を押し付けていた。


「黙れ……。

 もう、何も言うな…」


肩だけが。


小さく、

震えていた。


「……」


風に、

白い髪が揺れる。


遠くで虫が鳴いていた。


月は変わらず。


静かに、

空へ浮かんでいる。


「……」


あの時とは少し違う温もりだけが。


そこにあった。


「……エア」


しばらく、

沈黙した後だった。


「今一度教えろ…」


俺の首筋へ、

額を預けたまま。


小さく言う。


「お前は…、何者だ」


風が吹く。


「何を見ている」


少し間を置く。


「何処へ向かう」


そして。


「何を成そうとしている」


「……」


少しだけ考える。


それから。


「……分かった」


そう言って。


俺は、

セレスの手を取った。


説明はしない。


セレスも、

何も聞かなかった。


ただ。


その手は、

振り払われなかった。


冷えた空気の中。


俺達は、

歩き出す。


石畳を抜ける。


灯りを離れる。


人の声が、

遠くなっていく。


やがて。


街の端へ辿り着く。


小さな水路。


月明かりだけが、

水面を照らしていた。


俺は、

その縁へ腰を下ろす。


流れる水を見る。


「……」


何も言わずとも。


セレスは、

隣へ座った。


今度は逃げない。


立ち去らない。


ただ。


静かに、

待っている。


だから。


俺は、

口を開いた。


「先に言っておく」


細いせせらぎが響く。


「長い話になる」


俺はしばらく、

水面を見ていた。


そして。


口を開いた。


「俺は。

 最初から、火を持っていたわけじゃない」


セレスは黙っている。


「俺がいた時代には。

 魔法も存在しなかった」


隣の気配が、

僅かに変わる。


「お前達が言う、

 主の火も。

 絶対神の火も。

 最初から、あったわけじゃない」


月光が水面で砕ける。


「俺はただ、生きていただけだ」


何も知らない草原。


獣。


崖。


滝。


血。


凍えそうな夜。


「自分が誰かも分からなかった」


少しだけ、

息を吐く。


「それを考えることすら、

 思い付かなかった。

 …何者でもなかった」


静かに言う。


「神でもない。

 英雄でもない。


 ただ……。

 死にたくなかった」


セレスは、

何も言わない。


「だが、そんな時代にも火はあった」


小さく息を吐く。


「石を打って作った火だ。


 濡れた身体を、

 乾かすための火。


 凍えずに、

 夜を越えるための火」


そこで一度、

言葉を止める。


俺は左手を出した。


二人の間に。


そして。


火を宿す。


詠唱はない。


魔法陣もない。


セレスは改めてそれを見て。


僅かに、

目を見開いた。


「今の火とは違う」


セレスが、

こちらを見る。


「俺が今使っている火は。

 その後に手に入れた」


言葉が重くなる。


「俺が……。

 …ルゥを失った時だ」


沈黙。


風が、

肌を撫でていく。


「俺は、ルゥを助けられなかった」


飾らない。

言い訳もしない。


「守るために戦った。

 

 だが…。


 何も持たない俺達には、

 全てを守り切ることは出来なかった」


あの夜が蘇る。


「村は影に襲われ。

 何もかもが、壊れていった」


守れると思っていた。


だが、

違った。


腕の中で。


少しずつ軽くなる温度。


消えていく気配。


「そして、声がした」


セレスが、

僅かに顔を上げる。


「アンカー。

 お前達が、神杭と呼んでいるものから」


俺は続ける。


「ルクナスが、

 俺へ呼び掛けてきた」


だから。


俺は、

ルゥを連れて走った。


生き残った者達を連れて。


アンカーを目指して。


「だが…。

 俺はまた、間に合わなかった」


そして。


残された、

小さな命。


「ルゥは消えた」


水面が揺れる。


「俺の腕の中には。

 子供だけが残った」


セレスの息が。


僅かに、

止まった気がした。


「リヒト」


水面に映る月を見る。


「俺とルゥの子だ」


しばらく。


何も言えなかった。


あの時も、

そうだった。


今も。


全てを言葉には出来ない。


「その後だ」


ゆっくりと、

息を吐く。


「この力が、

 世界へ落ちたのは」


俺は続ける。


「俺は、

 ルクナスと契約した」


そして。


同時に、

ルゥへ誓った。


「全てを守ると」


燃える左手を見る。


「焼くためじゃない。

 裁くためでもない。

 世界を正すためでもない」


冷たい空気が流れる。


「これ以上。

 誰にも、失わせないための火として」


左手の火が揺れる。


「俺は、燃やし続けた」


せせらぎだけが響く。


「だが、正直に言えば」


少しだけ、

目を伏せる。


「義務や使命だからなんて。

 そんな高潔なものではなかった」


低く言う。


「この火は。

 守るためであると同時に」


左手を握る。


「俺の中にある怒りを、

 外へ吐き出すためのものだったのかもしれない」


誇りではない。


綺麗な誓いでもない。


失った後に残ったものを。


ただ。


守りたかった。


それへ縋るように、

決めただけだった。


だが。


そんな綺麗事だけでもなかった。


「だから……。

 俺の火は、主の火なんかじゃない」


少しだけ、

間を置く。


「俺が勝手に、

 背負った火だ」


燃える左手を見る。


「失ったものを、

 忘れないために。


 残ったものを、

 これ以上失わないために」


火が、

僅かに強くなる。


「そして……。

 俺から全てを奪った闇を」


静かに告げる。


「燃やし尽くすために」


小さな流れが、

耳に残る。


「これは。

 俺が愛したものを、守るための火だ」


俺は一度、

火を消した。


左手を下ろす。


「それから。

 俺は、夜に立つようになった」


流れを見ながら言う。


「昼は。

 皆が生きる時間だった」


狩りをして。


家を作り。


子供達が、

走り回っていた。


「だが夜は違った」


再び、

左手へ火を灯す。


「影は夜に来る」


火が小さく揺れる。


「だから俺は。

 村の外に立った」


それで。


守れたものはある。


リヒト。

ナハト。


リル。

ラル。


村の者達。


確かに、

守った。


「だが」


声が、

少しだけ低くなる。


「その分。

 俺は昼にいなかった…」


足元で水が流れる。


「子供達が、

 何を考えていたのか。

 何を我慢していたのか。

 何を怖がっていたのか」


息を吐く。


「気付けなかったことが、

 多くある……」


不意に。


セレスが、

小さく声を発した。


「気に病むことではない」


俺は、

横を見る。


セレスは、

前を向いたままだった。


「戦いとは、

 そういうものだ」


夜の風が、

白い髪を揺らす。


「誰かを守るために立てば。


 別の何かを見る時間は、

 失われる」


静かな声。


責める響きはない。


ただ。


事実を述べている。


「……お前だけではない」


少し間を置く。


「親子など。


 私には、

 よく分からん」


銀色の光が流れる。


「それに……話を聞く限り」


セレスは続ける。


「お前が立たなければ。

 誰が立った」


答えられない。


答えは、

分かっている。


俺しか、

いなかった。


「守る者がいなければ。

 子供達は、朝を迎えられなかった」


セレスは続ける。


「戦う者とは。

 そういうものだ」


小さく、

息を吐く。


「守れなかったものを悔やみ。

 守れたものへ、目を向けられなくなる」


その言葉は。


どこか。


自分自身へ、

向けているようにも聞こえた。


「かもしれないな……」


俺は、

小さく笑った。


セレスの言っていることは、

分かる。


間違ってはいない。


実際。


あの時は、

俺しか立てなかった。


俺が外へ出なければ。


村は、

残らなかっただろう。


だが。


「それでもだ」


水路へ視線を落とす。


揺れる月明かり。


「俺は、あいつらの親だ」


静かに言う。


「守れば、

 終わりじゃない」


風が通り過ぎる。


「飯を食わせて。

 話をして。


 馬鹿なことで、一緒に笑ってやるのも」


少しだけ、

間を置く。


「本当は…、

 俺の役目だった」


小さな水音が続く。


「だから……。

 今でも思う…」


目を閉じる。


「もっと…出来たんじゃないかってな」


セレスは、

何も言わない。


否定もしない。


ただ。


聞いている。


俺は、

息を吐いた。


「俺は。

 その役目を果たせなかった…」


水面が揺れる。


「それどころか……。

 リヒトへ、押し付けてしまった」


流れだけが続く。


セレスは、

何も言わない。


俺は水面を見たまま。


少しだけ、

息を吐いた。


「……俺には。

 もう一人、息子がいた」


セレスの気配が、

僅かに変わる。


「名前は、ナハト」


月明かりが、

水面へ落ちている。


「ルゥとの子供じゃない」


セレスは、

黙ったままだった。


「母親の名前は、リル」


静かに続ける。


「ルゥが消えた後。

 俺に出来ないことを、

 リルが代わりにしてくれていた」


言葉を選ぶ。


「リヒトを抱いて。


村を見て」


俺が夜に立っている間。


昼のことを、

全て引き受けてくれた。


「ただ。

 側にいて」


同じ夜を、

越えた。


壁へ背を預けて、

眠った夜。


リヒトの泣き声。


隣へ座った、

リルの温度。


何も言わず。


ただそこにいた、

気配。


「リヒトが泣けば。

 代わりに、あやしてくれた」


セレスは、

黙って聞いている。


「その積み重ねだった」


流れの中で。


映る光が、

ゆっくりと崩れていく。


「気付けば。

 リルも、俺の家族になっていた」


少し間を置く。


「そして。

 ナハトが生まれた」


セレスが。


ほんの少しだけ、

こちらを見る。


「リヒトとは、違う子だった」


「……違う?」


「ああ」


俺は頷く。


「ナハトは真っ直ぐで。

 我慢が下手で、嬉しい時はすぐ顔に出る」


少しだけ笑う。


「考えるより先に走る」


朝の光。


川。


小さな火。


「だから、

 俺と同じ火が、自分から出た時もそうだった」


自分の手を見る。


「嬉しそうだった」


自分にも、

出来た。


俺と同じものがある。


そんな顔だった。


「でも……。

 俺は怖かった」


低く言う。


「火が恐ろしかったわけじゃない。

 ナハトにとって、危険だったからだ」


流れを見つめる。


「火は、ただ出せばいいものではない」


怒れば広がる。


焦れば。


守りたいものまで、

燃やしてしまう。


「嬉しさですら、

 火を前へ走らせる」


俺は、

目を伏せる。


「だから。

 最初は止めた」


ナハトの、

悔しそうな顔が浮かぶ。


「まだ早いと」


セレスは、

静かに聞いていた。


「だが、

 止めるだけでは、駄目だった」


俺は続ける。


「教えなければ、

 ならなかった」


冷えた空気が、

頬を撫でる。


「ナハトに。

 そして、リヒトにも」


少しだけ、

間を置く。


「火の使い方だけじゃない」


息を吐く。


「失敗してもいいことを。

 怖がってもいいことを。

 悔しがってもいいことを」


遠くで、

虫が鳴いた。


「俺が…。

 ちゃんと、教えなければならなかった」


沈黙。


水面に映った月光が、

ゆっくりと形を崩す。


「……だが」


喉の奥が、

少しだけ詰まる。


「結局。

 俺はそれを、

 少ししか出来なかった」


セレスは、

何も言わなかった。


俺も。


それ以上は、

続けなかった。


せせらぎだけが。


夜の中に、

残っていた。

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