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第194話:今ここにいるのは


長い沈黙だった。


ルクナスも。

ユーリスも。

ユスティも。


俺も。


セレス自身ですら。


誰も、

言葉を出せない。


「……」


肩が震えている。


荒かった呼吸が、

少しずつ落ち着いていく。


だが、

その代わりに。


目から、

怒りが消えていった。


残ったのは。


疲れだった。


「……分かるわけがない」


小さな声。


さっきまでとは、

別人のようだった。


俯く。


握っていた拳が、

ゆっくりとほどける。


何かが、

切れてしまったように。


「……」


誰も何も言えない。


言ってはいけない気がした。


セレスは、

ゆっくりと椅子へ手をつく。


立っているのも、

辛そうだった。


だが。


座らなかった。


代わりに。


ふらりと、

身体の向きを変える。


「セレスさん……」


ユーリスが、

思わず呼ぶ。


返事はない。


「おい」


俺も声をかける。


一度。


セレスの足が止まった。


だが振り返らない。


小さく、

手を上げる。


追うな。


そう言っているようだった。


そして。


そのまま、

歩き出す。


足取りは、

少しだけ危なっかしい。


酔っているからか。


それとも。


別の理由か。


分からない。


酒場の客達が、

道を開ける。


誰も止めない。


やがて。


扉の前まで行く。


セレスの足が止まった。


ほんの一瞬だけ。


肩が揺れる。


何かを、

言おうとしたのかもしれない。


だが。


結局、

何も言わなかった。


―――ギィ……。


扉が開く。


夜風が、

酒場の中へ流れ込み。


セレスは、

そのまま外へ出ていった。


「……」


ユーリスが俯いていた。


さっきまでの怒りは、

もう消えている。


代わりに。


酷く、

後悔している顔だった。


「ごめんなさい……私……」


掠れた声。


「こんなつもりじゃ……」


最後まで、

続かなかった。


ルクナスは黙っている。


ユスティも。


酒場の客達ですら、

何も言わない。


「……」


俺は、

閉じた扉を見る。


夜の向こう。


あいつは今。


一人で歩いている。


教義も。

火も。

神も。


全て、

分からなくなったまま。


「……」


胸の奥が、

少し重かった。


理由は分からない。


ただ。


あのまま放っておいては、

いけない気がした。


俺は、

椅子から立ち上がる。


「エア……?」


ユーリスが顔を上げる。


俺は、

その頭へ軽く手を置いた。


「行ってくる」


自分でも分かる。


きっと。


苦い笑い方だった。


俺は、

酒場の扉へ向かった。


ーーーーー


夜風が吹く。


石畳の上を渡り。


火照った頬を、

冷やしていく。


「……」


歩く。


ただ歩く。


どこへ向かうわけでもない。


酒場から離れるように。


人の声から、

逃げるように。


「……」


最悪だった。


頭を押さえる。


酔いは…まだ残っている…。


さっき何を言ったのかも。


…全て覚えていた。


「……っ」


唇を噛む。


何を叫んだ。


何を見せた。


何を口走った。


酒場で…あんなものを。


「……」


肩に力が入る。


聖杭槍杖。


中央最上位。


神の火を代行する者。

迷ってはならない者。

疑ってはならない者。


それなのに。


『何故、そんな者が存在する』


自分で言った言葉だった。


酒場で。


皆の前で。


「……」


何故。


本当に。


何故なのだ。


苦しい。


「……」


夜の街は静かだった。


遠くで、

笑い声が聞こえる。


窓から漏れる、

暖かな光。


それを見て。


不意に。


あの歌を思い出した。


火を持って、

夜へ向かった男。


守るための火。


誰かのための火。


そして、重なる。


夢ではない。


私自身の記憶。


握られた手の温もり。


エアの身体の熱。


重なった…唇の感触。


「……馬鹿げている」


足が止まる。


「何故なんだ……」


掠れた声。


神も。

火も。

教義も。


そして。


自分も。


「私は……」


そこまで言って。


言葉が止まる。


その時だった。


後ろから、

足音が聞こえた。


規則正しい。


迷いのない足音。


「……」


振り返らなくても、

分かった。


聞き慣れてしまった、

足音だった。


「帰れ」


「嫌だ」


即答だった。


しかも、まるで子供みたいに真っ直ぐに…。


少しだけ、

安心してしまう。


本当に…少しだけ。


…私は目を閉じた。


「……何故、来た」


「放っておけなかった」


「余計なお世話だ」


「知ってる」


「なら帰れ」


だが、

気配は消えない。


何故だ。


何故、

この男は。


いつも、

そうなのだ。


「お前と一緒じゃなきゃ帰らん」


馬鹿みたいな言葉だった。


子供でも言わない。


だが。


「……」


胸の奥が、

僅かに揺れた。


違う。


これは、

私ではない。


私は何だ。


酒場で叫んだ言葉が、蘇る。


教義も。

神も。

火も。


分からない。


では。


それらを失った私に…何が残る?。


「……」


答えがない。


何も、

出てこない。


火を失った私は

教義を失った私は。


何者なのだ。


「……っ」


息が詰まる。


考えたくない。


だが、

止まらない。


夢を見る。


知らないはずの、

記憶を見る。


火の前で。


抱き締められた。


「……ルゥ」


小さく漏れる。


エアが探し続けた女。


神の妻。


もし。


もし今の私の迷いが。


今の私の痛みが。


私自身のものではなく。


ルゥが残した、

何かだとしたら。


「……」


胃の奥が冷える。


私は。


私自身を、

信じられなくなることが。


…怖い。


私はセレスだ。


そう思いたい。

そうでなければならない。


だが。


そのセレスとは、

何だ。


答えられない。


何もない。


教義を剥がした先に。


私自身が、

存在していないような気がした。


「……お前のせいだ」


掠れた声が漏れる。


後ろから、

足音が近付く。


「……来るな」


「嫌だ」


こいつは、

少しも変わらない。


私が、

どれだけ迷っていても。


どれだけ、

壊れていても。


こいつだけは、

変わらない。


だから。


だから、

苦しい。


だから――。


少しだけ…羨ましかった。


「……セレス」


振り返らない。


振り返れば。


何かが、

崩れてしまう気がした。


「……何だ」


掠れた声で返す。


少しだけ、

間が空く。


それから。


「……無理するな」


馬鹿みたいな言葉だった。


思わず、

笑いそうになる。


自覚はなかった。


だが。


そうでないのなら。


酒場で、

あんなことにはなっていない。


「……」


返事はしない。


だが。


次の言葉は、

来なかった。


説教もない。

慰めもない。


ただ。


足音だけが、

近付いてくる。


「来るなと言っ――」


その瞬間。


不意に。


背中へ、

温もりが触れた。


「……っ」


息が止まる。


腕だった。


後ろから、

抱き締められている。


強くはない。


逃げようと思えば、

逃げられる。


だが。


振り払えなかった。


「な……」


言葉が出ない。


怒るべきだった。


拒絶するべきだった。


だが。


身体が動かない。


「……」


エアも、

何も言わない。


ただ。


抱き締めている。


まるで。


どれだけ大事なのかを、

伝えるように。


「……違う」


何が違うのか。


自分でも分からない。


ただ。


一つだけ、

分かる。


これは、

ルゥではない。


今ここにいるのは。


セレスだ。


それなのに。


胸が痛む。


もし。


もしエアが見ているのが、

ルゥなら。


この温もりは。


私のものではない。


もし…。


ルゥを取り除いた時。


エアが、

私を見なかったら。


「……」


怖かった。


自分が分からなくなるよりも。


さっきよりも。


ずっと、

怖かった。


私は…ルゥではない。


私はセレスだ。


「……っ」


知らず。


服を握っていた。


自分でも、

気付かないうちに。


震える指で。


後ろにいる男の服を。


「お前は……」


言葉が続かなかった。


これを聞いてしまえば。


もう、

戻れない気がした。


それでも。


「どうして……ここに来た」


エアは、

少し考えた。


「分からん」


殴ろうかと思った。


本気で。


本当に考えたのかと、

疑うほどの答えだった。


握り締めた拳が、

動くより先に。


エアは続けた。


「だが……」


背中越しに。


声が落ちる。


「お前が、辛そうだったからだ」


それだけだった。


教義も。

神も。

ルゥも。


何も、出てこない。


ただ、

それだけ。


「……」


息が止まる。


そんな答えがあるか。


そんな理由で。


そんな理由だけで。


「馬鹿か、お前は……」


声が震えた。


本当に。


どうしようもない、

馬鹿だ。


こいつには。


教義も。

中央もない。


私が何に苦しんでいるのかも。


半分すら、

理解していないだろう。


それなのに。


「……あぁ。そうか」


私は、

あの時。


唇が重なった、

あの夜に。


この言葉を、

聞きたかったのかもしれない。


「……」


握っていた服を、

離せない。


離した方がいい。


離さなければならない。


そう思うのに。


指は、

動かなかった。

ども!酒飲めない飲んだくれです!


ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます!


毎日読んでくださる皆様に励まされながら、ここまで書き続けることができていますm(_ _)m


この作品も最後まで必ず書き切りますので、

これからもエア達の旅を見守っていただけたら嬉しいです!


次回は、原初編を振り返るような総集編・総括編としての側面もあるため、

第195話・第196話を二話連続で投稿します!


現在のセレスへ語られる形で、

エアが歩んできた道と、その火の始まりを描く前後編になります。


引き続き、お付き合いいただけると嬉しいです!


これからもよろしくお願いしまぁああああす!!!


追記:Xの方に少しだけおまけを載せています!

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