第187話:これが俺の戦いだ
教会は、
村の外れにあった。
石造り。
小さい。
中央で俺が最初に見た教会よりも、
ずっと高さがない。
学院の施設のような立派さもない。
ただ。
村の家と同じように、
そこに建っていた。
ユーリスが扉の前に立つ。
「ここです」
木製の扉、
使い込まれている。
何度も開閉された跡が残っていた。
俺は扉を押した。
―――ギギギ
軋む音。
中は暖かかった。
「……?」
思わず足を止める。
最初に目に入ったのは、
暖炉だった。
火が燃えている。
その周囲には椅子。
奥には長机。
壁際には本棚。
子供が描いたような絵まで、
飾られていた。
教会というより。
誰かの家だった。
「いらっしゃい」
奥から声がした。
老人だった。
白髪。
丸い眼鏡。
黒い服。
神父らしい格好ではある。
中央の神官達のような、威圧感もない。
むしろ……。
畑仕事帰りの老人のようだった。
「旅の方かな?」
「はい」
ユーリスが答える。
「少し相談がありまして」
神父は頷く。
そして俺達を見た。
俺。
ユーリス。
ルクナス。
セレス。
その時だった。
「……」
セレスが止まる。
視線が、
部屋の中を見回していた。
神父が気付く。
「どうしたのかな?」
「……神像は」
神父が首を傾げた。
「神像?」
「主の像だ」
静かな声だった。
だが、少しだけ硬い。
神父はきょとんとした。
そして。
「ああ」
納得したように笑う。
「ないよ」
沈黙。
セレスの眉が、
僅かに動いた。
「ない?」
「うん」
神父は普通に答えた。
「必要ないからね」
空気が止まる。
「……必要ない、だと?」
「うん」
神父は暖炉へ薪を放り込んだ。
火が弾ける。
―――ぱちり。
小さな音。
「主は像の中にはいないだろう?」
当たり前のように言った。
セレスの目が細くなる。
「神への敬意はどうする」
「敬意?」
神父は少し考える。
それから、
暖炉を見る。
「こうして火を絶やさないことさ」
「……」
「寒い夜に、
隣人へ毛布を渡すこと」
薪が爆ぜる。
「腹を空かせた子供に、
飯を食わせること」
神父は笑った。
「そっちの方が、
きっと喜ぶ」
セレスは答えなかった。
ただ、
視線だけが神父へ向く。
「主の火は」
静かな声。
「穢れを焼く火だ」
神父は頷いた。
否定しない。
「……そうだね。
そういう面もある」
「異端を裁く火だ」
「……そうかもしれない」
「なら何故」
セレスの声が、
少しだけ強くなる。
「何故、そのような曖昧な教えになる」
暖炉が鳴る。
静かな空気だった。
だが、俺には少しだけ分かった。
セレスは怒っている。
神父にではない。
別の何かに。
神父はしばらく黙っていた。
それから、穏やかに言った。
「では、聞こう」
セレスを見る。
真っ直ぐ。
「火は誰のためにある?」
「……」
「裁くためかい?」
セレスが答えようとする。
だがその前に神父は続けた。
「寒い冬の夜。
親が子を抱き寄せる時。
家族で食卓を囲む時。
誰かの帰りを待つ時」
暖炉の火が揺れる。
その火も、同じ火だ」
神父は笑う。
「私は、こっちの方が好きだね」
セレスが黙る。
言葉が返らない。
いや、
返せないように見えた。
「……」
以前なら、
きっと。
それは間違いだ。
異端だ。
そう言って、
槍を片手に睨み付けていただろう。
横顔を見る。
何かを考えている。
何を考えているのかは、
分からない。
最近のセレスは、
ずっとそうだった。
話せば返す。
でも、どこか遠い。
奥でルクナスは、
それを見ていた。
少しだけ目を細めて。
何も言わない。
やがて、
ユーリスが小さく咳払いした。
「その……」
空気を戻そうとする。
「実は…お金が必要でして」
「なるほど?」
神父が振り向く。
「宿の主人から、仕事があると」
「あるにはある」
神父は頷いた。
だが。
その顔から、
笑みが少し消えた。
「少し妙な話なんだ……」
「妙?」
神父は窓の外を見る。
夕陽が落ち始めていた。
村の向こう。
森の方向。
「最近」
少しだけ、
声が低くなる。
「夜になると、石柱の近くで人が消える」
ルクナスの動きが止まった。
もしかしたら。
今、
俺が思い浮かべたものと、
同じ考えに至ったのかもしれない。
「……石柱?」
神父が頷く。
「ああ」
「古い柱だ。
…昔からある」
「アンカーか……」
「誰が建てたかも分からん」
暖炉が鳴る。
―――ぱちり。
その音だけが、
妙に大きく聞こえた。
ルクナスは、
窓の外を見ている。
表情は変わらない。
だが……。
嫌な予感がした。
「消えるとは?」
セレスが聞く。
神父は答える。
「最初は家畜だった」
一度、
言葉を切る。
「その日のうちに、
探しに出た狩人も消えた」
神父の視線が落ちる。
「そして今日……。
村の若者が一人」
暖炉の火が揺れた。
俺は窓の外を見る。
森の向こう。
見えない場所にある、
石柱を。
嫌な予感が、
止まらなかった。
ーーーーー
教会を出た。
外はもう薄暗い。
西の空だけが赤く染まり、
村の屋根を長く照らしている。
風は冷たかった。
昼間より、
少し強い。
畑の向こうで、
家畜の鳴き声が聞こえる。
誰かが戸を閉める音。
夕飯の匂い。
村は、
夜の準備を始めていた。
「……」
誰もすぐには話さなかった。
神父の話を考えているのか。
それとも、
別のことか…。
俺は空を見る。
夜が来る。
それは分かった。
そして…。
夜になれば、何かが起きる。
そんな予感がした。
「やめておいた方がいい」
最初に口を開いたのは、
ルクナスだった。
歩きながら言う。
軽い声。
だが。
少しだけ冷たい。
「何をだ?」
「その仕事」
即答だった。
「受けない方がいい」
ユーリスが目を瞬かせる。
「理由を聞いても?」
ルクナスは肩を竦めた。
「石柱。
人が消える。
最近になって急に」
指を三本立てる。
「嫌な予感しかしない」
「……」
俺も、
そう思っていた。
だから余計に面倒だった。
ルクナスは続ける。
「アンカー絡みだ」
風が吹く。
誰も喋らない。
「人が消えるだけならまだいい」
「良くないですよ!?」
ユーリスが目を見開いている。
「比較の話さ」
ルクナスは平然としている。
「問題は時期だ」
空を見上げる。
「君が槍を手に入れた。
あちら側は君を見失った」
そのまま、
静かに続ける。
「中央も動いている。
白塔同盟も動いている」
少しだけ笑う。
「そして今……。
このタイミングで」
振り返る。
金色の瞳が、
こちらを見る。
「アンカーで問題が起きる…おそらく誰かの意思で」
沈黙。
ルクナスは言った。
「馬鹿げてる」
珍しく。
少しだけ苛立っていた。
「本当に馬鹿げてる」
その声に、
ユーリスが少し驚いた顔をする。
ルクナスがここまで感情を見せるのは、
珍しい。
「誰かが誘っている、か…」
「誘う?」
セレスの言葉に、ルクナスは頷いた。
「そう、君達……いや」
少しだけ考える。
「僕達、かな」
そして、俺を見る。
真っ直ぐ。
「正確には、エアを」
風が吹いた。
畑の麦が揺れ、夕陽が沈む。
「僕なら無視する」
ルクナスは言う。
「放っておく」
「……」
「誰かが消えたんだぞ……?」
ルクナスは肩を竦める。
「残念だったね」
あっさり言う。
「運が悪かった」
ユーリスが眉を寄せる。
だが、ルクナスは止まらない。
「これでいい。
関わらない。
見ない。
近付かない。
それが正解だ」
声は静かだった。
冷たいくらいに。
「罠だと分かっている穴へ飛び込むのは、
死にに行くようなものだよ」
「……」
俺は黙っていた。
ルクナスは、
俺を見ている。
分かっているのだろう。
俺が何を考えているか。
「はぁ……。
君は違う顔をしているね」
小さく笑う。
「昔からそうだった」
「……何がだ」
「見捨てられない顔」
即答に腹が立つ。
だが。
否定できない。
ルクナスはため息を吐いた。
「だから嫌なんだ」
「何がだ?」
「そういうところ」
本気で嫌そうだった。
「最初の頃もそうだった」
空を見る。
どこか遠くを見るように。
「助ける。拾う。守る。抱える。
そして……全部背負う」
少しだけ笑った。
呆れたように。
「その結果、どうなったか忘れたのかい?」
「……」
言葉が出なかった。
忘れていない。
忘れるはずもない。
焼けた大地。
消えた村。
失ったもの。
守れなかったもの。
全部覚えている。
「だから、尚更だ」
ルクナスは言う。
「駄目だ。
今回は見捨てろ」
「……」
「これは君の戦いじゃない」
風が吹いた。
静かだった。
夕陽は、
もうほとんど沈んでいる。
村の灯りが一つ。
また一つと点き始めていた。
「エア」
ユーリスが小さく呼ぶ。
不安そうだった。
セレスは何も言わない。
ただ黙ったまま歩いている。
俺はまた空を見た。
そして。
思い出す。
神父の教会。
暖炉。
火。
『寒い夜に隣人へ毛布を渡すこと』
『腹を空かせた子供に飯を食わせること』
あの老人は。
たぶん、
強くない。
戦えもしない。
それでも。
村に残っている。
「違う……、昔からそうだ」
俺は言った。
ルクナスが目を閉じる。
予想していたように。
「これが、俺の戦いだ」
沈黙。
風だけが吹く。
ルクナスは額を押さえた。
本気で頭が痛そうだった。
「だから君は……」
小さく呟く。
そして、深くため息を吐いた。
「本当に……そういうところだけは変わらないんだよなぁ~」
呆れた声だった。
だが。
それ以上、
止めようとはしなかった。
夕陽が完全に沈んだ。
森の向こうでは。
見えない何かが、
動いている気がした。




