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第186話:足跡を残さずに


村を出てから、

しばらく歩いた。


風が吹き、

草が揺れる。


街道の脇には、

低い丘と畑が続いていた。


遠くで鳥が鳴く。


空は青い。


雲は薄く、

ゆっくり流れている。


「……」


土の匂いがした。


踏み固められた道。


荷車の跡。


馬の糞。


どこかの家から流れてくる、

煙の匂い。


人が通る道だった。


昔、

初めて目を覚ました場所には、こんなものはなかった。


道も。

畑も。

人の気配も。


ただ草原と森と、

俺を喰おうとする獣だけがいた。


「……」


今は違う。


前に道がある。

後ろにも道がある。


隣にはユーリスがいて。


少し離れて、

セレスが歩いている。


先頭はルクナスだった。


マリスの身体で、

何の違和感もないように歩いている。


こちらとしては、

だいぶ違和感がある。


マリスは今どうなのか。


ルクスは、

どんな奴だったのか。


聞きたいことはいくつも浮かぶ。


それに……。


セレス。


「……」


視線が合っても、

すぐに目を逸らされる。


色々ありすぎて、

気にする方が面倒になってきた。


「まだ遠いのか?」


ルクナスは振り返らない。


「遠いね」


軽い声だった。


「かなり遠い」


「どれくらいだ?」


「歩くなら数か月?それ以上かも?」


ユーリスの足が止まった。


「数か月!?」


声が裏返る。


ルクナスは、

ようやく振り返った。


「うん」


「そんなにですか!?」


「そんなにだよ」


平然と言う。


「竜の領域は、

 大陸の端どころじゃない。

 海も越える」


「海……」


ユーリスの顔が青くなる。


セレスも、

わずかに眉を寄せた。


「なら船か」


「船だけでも足りないかな」


ルクナスが言う。


「陸路も長い。

 海路も長い。

 普通に行く場所じゃないからね」


「あの……学院から出る時に使った転移は?」


ユーリスが聞く。


ルクナスは、

少しだけ目を細めた。


「使わない方がいい」


「居場所がバレるからですか?」


「それもある」


短く言う。


「今の君達は、

 足跡を残すだけでも危ない。


 まして転移なんて、

 光を焚いて、ここにいますって叫ぶようなものだ」


「……」


ユーリスが黙る。


「それに」


ルクナスは肩を竦めた。


「僕も、あれは基本的に使えないと思ってくれていい。

 

 今はこの身体だし、

 状況も悪い。


 無理にやれば、

 どこに穴が開くか分からない」


「穴?」


「色々だよ」


それ以上は言わなかった。


面倒な言い方だった。


使えないなら、

それでいい。


やれる方法で進むだけだ。


「では、どう行くつもりだ?」


セレスが言った。


「本当に、

 このまま歩いていくつもりか?」


声はいつも通りだった。


だが、

少しだけ硬い。


村を出てから、

ずっとそうだった。


俺とは目を合わせない。


話せば返す。


だが、

それ以上は近付いてこない。


こちらからも、

何を言えばいいのか分からなかった。


昨夜のことがある。


あの月明かり。


触れた唇。


セレスの目。


その奥に、

一瞬だけ見えたもの。


「……」


分からない……。


俺は、

人の気持ちがよく分からない。


自分のものですら、

まだ分からないことが多い。


「それなら」


ユーリスが顔を上げた。


「高速輸送便を使えばいいんじゃないですか?」


「高速輸送便?」


俺が聞く。


「はい」


ユーリスが頷く。


「火線祭で移動に使った、

 大きな鳥の移動馬車があったじゃないですか。あれです」


「ダックに似た、あいつか……」


「普通の馬車よりずっと速いですし、

 街道沿いの停留所を繋いで移動できます」


今のあいつの子孫は、

輸送鳥とも呼ばれている。


人に飼われ、

荷を運ぶための生き物だ。


ルクナスがこちらを見た。


一瞬だけ笑う。


意味のある笑いだった。


「いい案だね」


「これでも元冒険者ですから!」


ユーリスが、

少し明るい顔になる。


「海までの距離をかなり縮められますし、

 港まで行ければ船も探せます。けど……」


「けど?」


ルクナスが首を傾げる。


「高いです……」


ユーリスの表情が引きつった。


「どれくらいだ?」


「距離によります……」


「今回だと?」


ルクナスは笑った。


「たぶん、今の手持ちじゃ足りない感じかな?」


空気が止まった。


風だけが吹いた。


「……確認しましょう」


ユーリスが言った。


「ま、まだ分かりません。

 実際の料金を聞くまでは…」


声は前向きだった。


だが、

顔はあまり前向きではなかった。


ーーーーー


夕方。


街道沿いの村に着いた。


大きな村ではない。


家が十数軒。


畑。

牧場。


小さな宿屋。


それと、

古い教会。


街道に面した場所には、

木で出来た停留所があった。


屋根の下に、

古い看板が下がっている。


そこに、

羽を広げた鳥の印が描かれていた。


「ここ、輸送便の停留所があります」


ユーリスが、

少しだけ安心したように言う。


「聞いてみましょう」


「分かった」


停留所の近くには、

数羽の輸送鳥がいた。


学院の鳥より、

二回りほど大きい。


脚が太く、

首が長い。


荷車を引くための革具を付けている。


一羽がこちらを見た。


黒い目。


何も考えていないようで、

どこか遠くを見ているような目だった。


「……」


料金を聞いた。


その結果……。


ユーリスが固まった。


手元の紙を見ている。


動かない。


「どうした?」


「高いです……」


小さく言った。


「そんなにか?」


「そんなにです……」


受付の男が苦笑する。


「長距離便だからなぁ。


 港方面までとなると、

 途中の乗り継ぎもある。


 護衛付きなら、

 さらに上がる」


「護衛なしなら?」


ユーリスが聞く。


「安くはなるが、勧めねぇな」


男は肩を竦めた。


「最近は魔物も増えてる。

 街道も、安全とは言い切れん」


セレスが小さく息を吐く。


「必要な額は?」


ユーリスが紙を見せた。


俺には、

数字の全ては分からない。


だが。


セレスの顔が、

わずかに曇った。


「高いな……」


「はい……」


ユーリスが頷く。


「全然足りません……」


「歩くか?」


「だから、

 遠すぎますって……」


「なら、また魔物でも狩ればいい」


「それは……駄目だと思います……」


「何?」


ユーリスは紙を畳んだ。


「私とエアは、冒険者登録があります。

 だから、依頼を受けること自体は出来ます」


「なら受ければいい」


「記録に残ります」


「……」


ようやく分かった。


「どこで依頼を受けたか。

 誰が受けたか、いつ達成したか。 

 全部残ります」


ユーリスの声が、

少し低くなる。


「アルケシア側がギルド記録を追えば、

 私達がここを通ったことが分かるかもしれません」


セレスが頷く。


「中央も、当然調べるだろうな」


「はい」


ユーリスは、

困ったように笑った。


「働けなくはないです。

 でも、働くほど足跡が残ります」


面倒だった。


金が必要。


だが金を得ようとすれば、

居場所が残る。


歩くには遠い。


転移は使えない。


輸送便は高い。


「……」


昔なら、

考えなかった。


必要なものは取った。


獣は狩った。


眠る場所は探した。


金というものがなくても、

生きるだけならどうにかなった。


だが。


今は違う。


ユーリスがいる。

セレスがいる。

マリスの身体にいるルクナスもいる。


全員を連れて、

海を越えなければならない。


一人で森を抜けるのとは違う。


「面倒だな……」


「これが現実です……」


ユーリスが言った。


その時だった。


「何だ?、あんたらそんなに金に困ってるのか?」


声がした。


振り向くと、

宿屋の前に主人らしき男が立っていた。


大きな腹。


日に焼けた顔。


布で手を拭きながら、

こちらを見ている。


「はい。

 少し訳ありで……」


ユーリスが答えた。


主人は料金表をちらりと見て、

「ああ」と納得したように頷いた。


「港方面か。

 そりゃ高いわな」


「何か仕事はありますか?」


ユーリスが聞く。


「出来れば、ギルドを通さないものがいいんですけど……」


「嬢ちゃんは……悪人って面じゃなさそうだが」


主人が目を細め、

俺を見る。


「何だ?」


「まぁ、多分平気か」


主人は笑った。


「旅人なんざ、大体訳ありだ」


それ以上は聞かなかった。


「そうだな……、それなら」


主人は顎を撫でる。


「神父様に聞いてみたらどうだ?」


「神父?」


セレスが反応した。


ほんの少しだけ。


「この村に教会があるのか?」


「ああ」


主人が頷く。


「うちは小さい村だからな。


困り事は、

大体神父様のところに集まる」


「ギルドではなく、

 教会が仕事を斡旋するのですか?」


ユーリスの問いに、

主人は不思議そうな顔をする。


「斡旋ってほどじゃねぇよ。

 ただの助け合いだ」


「……」


「畑の柵が壊れたとか。

 家畜が戻らないとか。

 夜に変な音がするとか」


主人は、

教会の方を指差した。


夕陽を受けて、

小さな石造りの建物が赤く染まっている。


中央の教会のような、

威圧感はない。


高い塔もない。


白い装飾もない。


ただ、

そこに。


村の家々と同じように、

建っているだけだった。


セレスは、

それを見ていた。


黙ったまま。


横顔は変わらない。


だが、何かを飲み込んでいるように見えた。


「……行くか」


俺が言う。


ユーリスが頷く。


「はい」


ルクナスは、

先に歩き出していた。


相変わらずだった。


セレスは少し遅れて、

俺達の後に続いた。


その距離が。


いつもより、

少しだけ遠かった。

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