表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
181/224

第180話:月明かりの中に…


土を返す。


クワを入れる。


起こす。


また入れる。


湿った土がひっくり返り、

黒い匂いが立ち上る。


「……」


悪くない。


耕せば応える。


その感覚は、

変わっていなかった。


「意外だな」


隣から声がした。


ガルドだった。


肩にクワを担ぎながら、

こちらを見ている。


「何がだ?」


「慣れてる」


短く言う。


「もっとめちゃくちゃになるかと思ってた」


俺はもう一度、

土を返した。


「やったことがある」


「いつだ?」


「俺が……二つ目の村を作った時だ」


「……」


ガルドが止まる。


数秒。


そして。


「……悪かった」


「謝ることじゃない」


そう言って、

クワを振った。


土が返る。


「俺は慣れるまで結構かかった」


「そうそう!」


少し離れた場所から、

フィアが声を上げる。


ユーリスと一緒に、

種を植えていた。


「この人ね」


フィアが笑う。


「最初、クワを何本も折ったのよ?」


「おい」


ガルドが眉を寄せる。


「事実でしょ?」


「……三本だ」


「五本よ」


ユーリスが目を丸くする。


「五本もですか!?」


「馬鹿力すぎてね」


フィアが肩を竦める。


「力任せに振るから」


「あ、あれは道具が悪い」


「道具のせいにしないの」


ガルドが顔をしかめる。


ユーリスがくすりと笑った。


畑に穏やかな空気が流れる。


その少し離れた場所。


セレスが一人でクワを振っていた。


だが、浅い。


土の表面しか削れていない。


ガルドが見て、

露骨に眉を寄せた。


「おい」


「何だ」


「浅い」


セレスがクワを見る。


もう一度振る。


やはり浅い。


「これでは駄目か?」


「……駄目だ」


俺は近づいた。


セレスの横へ立つ。


クワを受け取る。


土へ入れる。


深く腰を落とす。


体重を乗せる。


刃が沈む。


土が大きく返った。


「こうだ」


セレスが見る。


俺はクワを返した。


「腕で振るな」


「……?」


「腰だ。もっと開け」


セレスが従う。


「深く入れる」


クワが入る。


だが、

まだ浅い。


「違う」


横へ立つ。


柄を持つ位置を直す。


肩を少し押す。


「もっと下から起こせ」


「こうか」


「そうだ」


もう一度。


今度は深く入った。


土が返る。


セレスが小さく目を細めた。


「……なるほど」


「力ではないな……技術か」


「そうだ」


ーーーーー


その様子を、

ユーリスは少し離れた場所から見ていた。


「……」


手は動いている。


種も植えている。


だが、

視線だけが時々向く。


フィアが気付いた。


「どうしたの?」


「えっ?」


ユーリスが慌てる。


「な、何でもありません」


「そう?」


フィアは少し笑う。


ユーリスは種を埋める。


だが。


また視線が向く。


エア。

セレス。


二人とも、

真面目に畑を耕しているだけだ。


別に何もない。


何もないのだが。


「……」


胸の奥が、

少しだけ落ち着かなかった。


セレスは危険だ。


中央の人間だ。


エアと戦った。


正直……。


今も時々怖い。


だから気になる。


…そう。


たぶん、

それだけ。


そう思う。


思うのだが。


エアがセレスへ何かを教えている姿を見ると、

胸の奥が少しだけざわつく。


あの場所は。


ほんの少し前まで、

自分の場所だった気がした。


火を教わる時。


文字を教える時。


一緒に歩く時。


気付けば、

いつも隣にいた。


でも、

いつの間にか……。


「……」


だからだろうか。


なんとなく。


少しだけ。


面白くなかった。


フィアはそんな顔を見て、

少しだけ口元を緩めた。


「ふーん」


「な、何ですか?」


「別に?」


ユーリスの顔が少し赤くなる。


エアは気付かない。


セレスも気付いていない。


風が吹く。


耕した土の匂いが広がる。


遠くでは、

村の子供達の声が聞こえていた。


だが。


その全てが、

少しだけ遠く感じられた。


そして……。


夜が来た。


静かだった。


村の灯は、

もう消えている。


ガルドも。

フィアも。


皆、

眠った。


「……」


だが、

ユーリスは眠れなかった。


毛布の中で寝返りを打つ。


目を閉じる。


だが、

眠れない。


昼の光景が浮かぶ。


畑。


エア。


セレス。


「……」


理由は分からない。


ただ、

何となく落ち着かなかった。


少しだけ喉が渇く。


ユーリスはそっと起き上がった。


誰も起こさないように、

扉を開く。


夜風が頬を撫でた。


「……あ」


そこで気付く。


家の外。


月明かりの下。


エアがいた。


一人だった。


村外れの柵に腰を掛け、

空を見上げている。


昔を思い出しているのだろうか。


それとも。


竜のことか。


槍のことか。


「……」


少しだけ迷う。


話しかけようか。


そう思った時。


別の影が動いた。


「……」


セレスだ。


真っ直ぐエアの方へ、

静かに歩み寄っていく。


「……」


足が止まる。


声も出ない。


別に。


何でもない。


話をするだけだ。


それなのに。


……なぜか。


胸の奥が、

少しだけ重かった。


ユーリスは暗がりの中で、

二人の背中を見つめていた。


ーーーーー


夜。


村は静かだった。


家々の灯は消え、

聞こえるのは虫の声だけ。


俺は村外れの柵へ腰を掛け、

空を見上げていた。


星は、

昔より少ない気がした。


だが。


月は変わらない。


「……」


考えていた。


竜のこと。


槍のこと。


マリスのこと。


ルクナスが言うには、

ちゃんと生きているらしい。


だからといって、

手放しで喜べるかと言えば……。


「はぁ……」


気付けば、

足音が近付いていた。


「……眠れないのか」


先に言うと、

足音が止まった。


セレスだ。


「お前もだろう」


「そうだな」


短く返す。


セレスは俺の隣までは来ない。


少し離れた場所で立ち止まった。


沈黙。


風だけが吹く。


「お前は……何故ついて来ようとする。

 俺が言ったからか?」


俺は空を見たまま聞いた。


セレスは答えない。


長い沈黙。


やがて。


「……分からん」


小さな声だった。


俺は視線だけを向ける。


「分からない?」


「ああ……」


セレスは月を見上げる。


白い横顔。


だが、

昼間より少しだけ弱く見えた。


「私は異端を、敵を処理した」


静かな声。


「それが正しいと思っていた……」


マリス。

白い火。

槍。


あの日の光景が、

脳裏を過る。


「だが……今は分からん」


風が吹く。


長い髪が揺れた。


小さく息を吐く。


「分からなくなった……」


俺はしばらく黙っていた。


そして言う。


「マリスを刺したことは忘れていない」


セレスの肩が僅かに動く。


「……だろうな」


「許したわけでもない」


「それも分かっている……」


言い訳はない。

正当化もしない。


ただ、

受け止めるだけだった。


「……恨んでいるか?」


不意にセレスが聞く。


俺は少し考える。


「怒りはある」


正直に言う。


「だが、お前だけに向いているわけでもない」


白い火。


中央。


神器。


全部が絡んでいた。


セレスは静かに聞いている。


「……そうか」


それだけだった。


夜は静かで村の誰も起きていない。


世界から切り離されたみたいな時間だった。


「それでも……お前は私を殺さなかった」


セレスが言う。


「必要なかった」


即答する。


セレスは少しだけ目を細めた。


「……そうか」


風が吹く。


また沈黙。


だが、

今度の沈黙は重くなかった。


遠くで犬が鳴く。


村のどこかだろう。


「セレス、お前は何を探している?」


俺は聞いた。


セレスは少しだけ考える。


月を見る。


空を見る。


長い時間を置いて。


「分からない……だが、たぶん……」


静かな声。


「答えだ」


それ以上は続かなかった。


俺も何も言わない。


月だけが、

静かに夜を照らしていた。


「……」


少しして。


俺は隣の柵を、

軽く叩いた。


セレスがこちらを見る。


しばらくそのままだったが、

それからゆっくり近づいてくる。


隣に腰を下ろす。


近い。


だが、

触れてはいない。


「……」


許したわけじゃない。


マリスのこと。


あの白い槍が突き出た光景も、

まだ消えていない。


それでも。


隣に座ったセレスの気配を、

拒めなかった。


どこかに、

ルゥの温度がある。


証拠もない。


なのに感覚だけが、

違うと言い切らせてくれない。


「……エア」


セレスが小さく呼ぶ。


「……何だ」


「何故……隣に座らせた……」


俺は空を見たまま答える。


「俺も……答えが欲しいのかもしれない……」


本当に、

それしか言えなかった。


セレスは何も返さない。


ただ、

月明かりの下で静かに座っていた。


俺達の間を、

夜風だけが通り抜けた。


月を見ていると、

ふと昔を思い出した。


月明かりに照らされた夜。


あの頃、

夜はただ怖いものだった。


だから満月の夜だけは、

少しだけ息ができた。


「……」


焚火に照らされ。


隣に、

小さな体温があった。


何を話したわけでもない。


ただ二人で、

夜空を見ていた。


明るい月。


それだけで、

生き延びられる気がした。


「……」


隣を見る。


そこにいるのはセレスだ。


ルゥじゃない。


分かっている。


分かっているのに。


月明かりの中で黙っている横顔に、

あの夜の温度が重なる。


苛立ちはある。


中央の教えに染まった目も。


フィアを見た時の、

あの歪んだ距離も。


全部、

俺の中に残っている。


それでも。


同時に、

不憫だとも思ってしまう。


こいつはずっと、

そう教えられてきた。


焼くこと。

裁くこと。


異なるものを、

異なるものとして遠ざけること。


それが正しいと信じて、

ここまで来た。


その正しさが今、

少しずつ壊れている。


「……」


怒りも。


許せないものもある。


だが……。


どうしても……。


セレスが隣にいることが、

妙に落ち着いた。


「……」


気付けば、

俺はセレスを見ていた。


月明かりの中。


白い横顔。


静かに伏せられた瞳。


「エア……?」


セレスが気付いた。


こちらを見る。


白い瞳が、

月明かりを受けて揺れる。


その瞬間。


俺は動いていた。


「……」


何かを考えたわけじゃない。


手も伸ばさない。


頬に触れもしない。


ただ、

近付いた。


セレスの目が、

僅かに開く。


避ける間もなかったのだろう。


唇が触れた。


長い一瞬だった。


だが、

確かに感じた……。


「……」


離れる。


風が吹く。


虫の声が、

やけに遠く聞こえた。


セレスは動かない。


呼吸も止まっているようだった。


白い瞳だけが、

こちらを見ている。


揺れていた。


理解できていない顔だった。


「……」


俺は、

その目を見ていた。


確かめるように。


探すように。


胸の奥で、

何かが震える。


その奥に……。


あの夜。


満月の下。


隣にいた小さな体温。


あの温度が……。


確かに、

ここにあった。


「やっぱり……」


小さく漏れた。


その瞬間。


セレスの表情が変わった。


「やっぱり……だと……?」


ほんの僅か。


だが、

確かに変わった。


何かを理解した顔だった。


いや。


理解ではない……。


もっと深いところで、

何かに気付いた顔だった。


掠れた声。


「何が……なのだ」


俺はセレスを見る。


だが。


その目を見た瞬間に分かった。


今、

俺は間違えた。


セレスの中にある何かを見た。


ルゥを探した。


答えが欲しくて。


確かめたくて。


「……そうか」


セレスが小さく呟く。


声が、

ひどく静かだった。


「今のは……」


言葉が止まる。


白い瞳が揺れる。


怒りではない。


拒絶でもない。


ただ、

傷付いた目だった。


「お前が見るのは……私ではないのだな……」


胸の奥が、

嫌な音を立てた。


「セレス、待てッ」


呼ぶ。


だが、

セレスは立ち上がっていた。


柵が小さく軋む。


「……違う」


何に対しての言葉か、

分からなかった。


俺にか。


自分にか。


それとも、

中にいる誰かにか。


「私は……」


そこで止まる。


月明かりの下で、

セレスは一度だけ口元を押さえた。


さっき触れた場所。


だが、

その仕草に熱はない。


ただ、

何かを消そうとしているみたいだった。


「……今は」


低い声。


「ここには……いられない」


「待て!」


言った。


だが、

セレスは振り向かない。


白い髪が揺れる。


外套が夜に流れる。


一歩。


また一歩。


逃げるように、

村の闇へ歩いていく。


「セレス……」


止まらなかった。


白い背中が、

暗がりに消えていく。


「……」


俺は動けなかった。


ただ、

その背中を見ていた。


月は変わらず、

静かに夜を照らしている。


風が吹く。


隣は空いていた。


さっきまであった気配が、

もうない。


「……」


俺は目を閉じた。


分かっている……。


何をしたのか。


何を確かめようとしたのか。


答えが欲しかった。


ルゥを探した。


だから触れた。


そして……。


傷付いたのは、

セレスだった。


柵へ肘を置き、

小さく息を吐く。


「……」


あいつは今、

ようやく自分が何者なのかを探し始めている。


中央でもない。


ルゥでもない。


セレスとして。


その途中だった。


なのに俺は――


「……馬鹿が」


小さく漏れた声を、

夜風が攫っていく。


夜の冷えた空気の中。


月だけが……。


何も言わず、

空に浮かんでいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ