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第179話:槍の行く先


布を解く。


白い外套が、食卓の窓から差す日差しの下に現れた。


セレス。

そして俺。


ロアンが持ってきた麻布を外すと、

部屋の空気が少しだけ変わった。


ガルドの眉が、露骨に寄る。


「……白か」


低い声。


嫌悪というより、

警戒だった。


フィアも一瞬だけ手を止めた。


皿を並べていた指先が、

ほんの僅かに固まる。


だがすぐに、

何事もなかったみたいに動き出す。


「……座って」


声はいつも通りだった。


ただ、

視線だけは一度セレスへ向いていた。


ロアンは椅子に肘をつき、

にやにやしながら全員を見ている。


「いやぁ、すげぇ絵面だな」


「何がだ?」


「白服が同じ食卓ってだけで、

 村の連中が見たら腰抜かすぜ」


「黙れ。耳障りだ」


セレスが短く言う。


ロアンは肩を竦めるだけだった。


「はいはい」


飯が並ぶ。


焼いた肉。

根菜の煮込み。

黒パン。

薄い酒。


派手ではない。


だが、

温かい。


少し奮発してくれたのかもしれない。


俺は椅子に座る。


隣にユーリス。

少し離れてルクナス。


セレスは一瞬だけ席を見てから、

俺の向かいに座った。


ガルドはその様子を見て、

さらに少し顔をしかめた。


「……で」


腕を組む。


「何があった」


ロアンが笑う。


「早ぇな」


「聞くだろ」


ガルドは俺を見る。


「お前ら、普通に村へ寄ったって顔じゃねぇ」


その通りだった。


俺はパンを手に取りながら、

少しだけ考える。


どこまで話すか……。


中央。

神器。

ルクナス。

竜。


その全部を、

ここでそのまま出すには重い。


「面倒なことになっている」


短く言う。


ガルドの目が細くなる。


「だろうな」


ロアンが身を乗り出す。


「面倒ってどのくらい?」


「中央が動くくらいだ」


「うっわ、最悪」


ロアンは即答した。


フィアの表情も少しだけ曇る。


「アルケシアで何かあったの?」


ユーリスが小さく頷く。


「……色々、ありました」


「色々じゃ分からん」


ガルドが言う。


ユーリスは困ったように俺を見る。


ルクナスは、

どこか他人事みたいに肉を眺めていた。


「僕が話そうか?」


「ややこしくなるから黙ってろ」


俺が言う。


「ひどいなぁ」


「誰だ、お前?」


ガルドが即座に聞いた。


ルクナスはにこりと笑う。


「通りすがりの協力者かな」


「信用できねぇな」


「正しい判断だよ」


ガルドの眉がさらに寄る。


ロアンが少し笑ったが、

既にルクナスの何かを見通しているようだった。


「……自分で言うんだな。

 厄介そうだなぁ、お嬢さん」


「よく言われるけど、

 実はお兄さんなんだよね」


「「「え……」」」


事情を知っている俺達以外の三人は固まったが、

ルクナスは楽しそうだった。


その時。


皿を置く音が、

少しだけ硬く鳴った。


セレスだった。


目つきが悪い。


皿ではない。


皿を置いたフィアの手を見ている。


そして、

フィアの耳。


そこへ一瞬だけ視線が向いていた。


俺は見逃さなかった。


「……セレス」


呼ぶ。


セレスの視線が、

こちらへ戻る。


「何だ」


「今、何を見た」


部屋の空気が止まる。


フィアが動きを止める。


ガルドの顔つきが変わった。


ロアンの笑みも消える。


セレスはすぐには答えない。


沈黙。


だが、

誤魔化さない。


「……珍しいと思っただけだ」


低い声。


「人間の村に、

 エルフが当たり前のようにいる」


フィアは目を伏せない。


ただ、

静かにセレスを見ている。


「当たり前よ」


短い声。


「私はここに住んでるもの」


ガルドが椅子から少し身を起こした。


「文句あんのか?」


空気が張る。


セレスの指が、

わずかに動いた。


だが、

槍には触れない。


「……文句ではない」


「じゃあ何だ」


ガルドの声は低い。


「確認だ」


「確認?」


「中央では珍しい」


セレスは淡々と言う。


「人間以外の種が、

 人間の村で自然に受け入れられている光景は」


その言い方に、

フィアの目が少しだけ細くなった。


少し怒っている。


だが、

表に出しすぎない。


「でしょうね」


静かに返す。


「中央はそういう場所だもの」


ユーリスが小さく拳を握った。


知っている顔だった。


前にも似たようなことがあったのだろう。


耳のこと。

寿命のこと。

種族のこと。


ロアンが、

わざと軽く笑う。


「ま、ここは中央じゃねぇからな」


「……」


セレスはロアンを見ない。


ただ、

フィアを見ていた。


その目には、

まだ硬さがある。


排除ではない。

敵意でもない。


だが、

染みついた距離があった。


俺はパンを置く。


「セレス」


もう一度呼ぶ。


「ここではやめろ」


セレスの白い瞳がこちらへ向く。


「何をだ」


「その目だ」


短く言う。


「ここにいる間、フィアを中央の理屈で見るな。

 それが出来ないなら、俺はお前を置いて行く……倒してでもな」


沈黙。


ガルドも。

ロアンも。

フィアも黙っていた。


セレスがこちらを見る。


その顔は、

少しだけ不服そうだった。


だが、

反論はしなかった。


「……分かった」


短い返答。


それだけ。


ガルドはしばらくセレスを睨んでいたが、

やがて椅子へ座り直した。


「……飯が冷める」


低く言う。


フィアも小さく息を吐く。


「そうね」


皿が並ぶ。


止まっていた空気が、

少しずつ戻る。


ロアンがわざとらしく手を叩いた。


「はいはい、食おうぜ」


「重い話は腹に入れてからだ」


「お前は軽すぎる」


ガルドが言う。


「俺が重かったら終わりだろ?」


「それはそうだな」


少しだけ、

フィアが笑った。


ユーリスもほっと息を吐く。


セレスだけは、

まだ少し硬い顔のまま皿を見ていた。


箸も匙も取らない。


「食わないのか」


「……食べる」


そう言って、

セレスは匙を取る。


ぎこちない。


その様子を、

ロアンがじっと見ていた。


観察するように。


「……あんたさ」


「何だ」


「本当に中央の人間なんだな」


セレスの手が止まる。


「そう言ったはずだ」


「いや、そうなんだけどよ」


ロアンは頬杖をつく。


「でも、なんか変だなって」


「……変?」


「ああ」


ロアンは俺を見る。


それからセレスを見る。


「中央の白服が、じいさんの隣で飯食ってる」


にやりと笑う。


「普通じゃねぇ」


「……」


セレスは一瞬、何かを突かれたように止まったが、

ロアンの軽口は流れていったらしい。


「えっと……無視ですか?」


「当然だな」


ガルドが呆れたようにため息をつき、

少しだけ空気が緩む。


俺は煮込みを口に運ぶ。


温かい。


胃に落ちる。


生きている味だった。


「うまい……」


「当然だ」


ーーーーー


その後。


飯を終え、

机を囲んだままガルドが腕を組み直した。


「で、結局」


視線が俺へ戻る。


「お前らは今、何をしようとしてる」


フィアも静かにこちらを見る。


ロアンは笑っているが、

目は笑っていない。


ユーリスは、

少しだけ背筋を伸ばした。


俺は匙を置く。


「竜を探す」


三人の動きが止まった。


「……は?」


ロアンが一番早く声を出した。


「竜?」


ガルドの眉が寄る。


フィアも息を呑む。


「竜って……あの竜?」


「たぶんな」


「たぶんな、じゃねぇよ」


ロアンが呆れる。


「またとんでもねぇ話持ってきたな、じいさん」


俺は槍を見る。


壁へ立てかけた古い鉄槍。


「槍を預ける場所を探している」


ガルドの顔つきが変わる。


「……まさか」


ガルドの視線が、

壁際の槍へ向く。


ロアンも遅れてそちらを見た。


「これが?」


立ち上がり、

近づく。


だが、

途中で足を止める。


「……マジかよ」


ロアンは槍を見下ろした。


古い鉄。


傷だらけの柄。


飾りもない。


神々しさもない。


「いや……」


ぽつり。


「思ったよりボロいな」


「ロアン」


フィアがたしなめる。


だが、

気持ちは分かる。


伝承に残る神器。


国が欲しがり、

教会が奇跡と呼び、

学院が研究対象にするもの。


それが、

ただ壁に立てかけられている。


汚れた古い槍にしか見えない。


「そっちのお嬢ちゃんが持ってた方じゃなくてか?」


ロアンが言う。


「そっちの方がよっぽど、それっぽかったぞ」


「違う」


俺は短く返す。


「こっちだ」


ガルドは黙っていた。


ロアンもそれ以上笑わない。


茶化さない。


ただ、

槍をまじまじと見ている。


ガルドが低く言う。


「……そうか」


「あれがお前の槍か」


「ああ」


「なら面倒だな」


「そうだ」


ロアンが振り返る。


「いや、納得早くねぇか?」


ガルドは腕を組んだまま答えた。


「こいつがそう言うなら、

 そうなんだろ」


「雑だなぁ」


「こいつに理屈は通じないのは分かってる」


「それに……」


ガルドの目が細くなる。


「ただの槍なら、そんな顔で見ねぇ」


その言葉に、

部屋が少し静かになった。


フィアも槍を見る。


セレスも。


ユーリスも。


ルクナスだけが、

どこか懐かしそうに笑っていた。


「……で」


ロアンが息を吐く。


「そのボロ槍を本当に竜に預けるって?」


「そうなる」


「はは」


乾いた笑い。


「相変わらず、

 話の規模だけは馬鹿みてぇにでかいな、じいさん」


俺は槍を見る。


「俺もそう思う」


本当に、

面倒なものになった。


ただの槍だったはずなのに。


握って。

振るって。

守るために使っただけのものが。


いつの間にか、

誰かの旗になっていた。


ロアンがあっけらかんと言う。


「壊せないのか?溶かすとか?」


「それはやめた方がいいかな」


ルクナスが口を開いた。


「内包されてる力もそうだけど、

 それ自体が余計なものを作り出さないための蓋にもなってる」


ロアンの顔から、

軽さが少し消えた。


「……蓋?」


「うん」


ルクナスは槍を見る。


「壊せば終わりなら、

 楽だったんだけどね」


部屋が静かになる。


誰も、

すぐには口を開かない。


俺は槍を見た。


昔から、

ただ握ってきたもの。


戦うために。

守るために。


それだけだったはずなのに。


今はもう違う。


誰かが意味を重ねた。

誰かが名を与えた。

誰かが旗にした。


「だから……もう誰にも振らせない」


静かに言う。


ロアンの笑みが消えた。


ガルドも、

フィアも黙っている。


セレスの視線だけが、

俺へ向いていた。


「そのために竜を探す」


短く告げる。


「この槍を、人の手の届かない場所へ置く」

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