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第177話:...腹が立った


ルクナスは笑った。


どこか楽しそうに、

肩を竦める。


「それじゃ、早速出発しようか」


「待て」


低い声が割り込んだ。


セレスだった。


ルクナスを真っ直ぐ見ている。


「誰が、貴様の言葉を信用すると言った」


空気が少し張る。


ユーリスが、

小さく肩を揺らした。


ルクナスは困ったように笑う。


「えぇ~、まだ信用されてないのかなぁ?」


「当然だ」


即答だった。


「貴様は神を騙り、世界を実験場と呼び、神器を竜へ預けるなどと言い出した」


槍を握る手に、

わずかに力が入る。


「正気を疑うには十分だ」


「手厳しいなぁ~」


「黙れ」


セレスは一歩前へ出る。


「勘違いするな。

 私は貴様らに従うわけではない」


視線が、

ルクナスから俺へ移る。


「神器を見失うわけにはいかない」


そして……。


ほんの僅かに、

言葉が遅れた。


「……お前もだ、エア」


「俺?」


「ああ」


セレスは目を逸らさない。


「貴様が何を守ると言ったのか。

 ……その果てに何を選ぶのか」


風が吹く。


白い髪が揺れた。


「見届ける必要がある」


その言葉は命令ではなかった。


中央の命令でも、

白服としての義務でもない。


……セレス自身が決めた言葉だった。


「だから同行する」


「監視か」


「そうだ」


即答だった。


だが、

以前のような冷たい拒絶だけではない。


「監視であり、確認だ」


「何を確認する?」


セレスは少しだけ黙った。


それから、

銀色の瞳で真っ直ぐ俺を見る。


「お前が……本当に全てを守るのかを」


静寂。


ルクナスが小さく笑った。


「いいんじゃないかな?」


「貴様に許可を求めていない」


「うん、知ってる」


セレスの眉が僅かに動く。


ユーリスが、

慌てるように声を出した。


「あ、あの……その前に」


全員の視線が、

今度はユーリスへ向く。


少しだけ怯んだが、

すぐに胸元で手を握る。


「今ここって……アルケシアから、どれくらい離れているんですか?」


ルクナスが首を傾げる。


「正確な距離?」


「はい」


「かなり」


「かなりって……」


ユーリスの顔が引きつる。


ルクナスは悪びれない。


ユーリスは少し迷ってから、

俺を見る。


「その……エア」


「何だ?」


「少し、立ち寄りたい場所があります」


「どこだ?」


「ガルドさん達の村です」


その名前で、

少しだけ空気が変わった。


ガルド。

ロアン。

フィア。


渡りの風。


最初に会った冒険者達。


神話も神器も、

世界の裏側も知らない頃。


ただ旅をしていた時の顔が浮かぶ。


「……何故だ」


「師匠に手紙を送りたいんです」


ユーリスは言った。


「こんなことになって……何も伝えないままだと、きっと心配しています」


酒浸りで、

だらしなくて。


だが、

誰よりもユーリスを見ていた女。


「それに」


ユーリスの声が少し低くなる。


「学院が今どうなっているのかも、確認しないといけません」


ルクナスが頷いた。


「確かに、それは必要だね」


「直接アルケシアへ戻るのは危険です」


ユーリスは続ける。


「でも、ガルドさん達の村なら……たぶん手紙を出せます。

 それに、学院や周辺の噂も入っているかもしれません」


セレスが静かに聞いていた。


「その村は信用できるのか?」


「少なくとも」


ユーリスは少し迷い、

それから俺を見る。


「エアを、神様扱いしない人達です」


「……」


ロアンの顔が浮かぶ。


じいさん。


そう呼んで笑っていた男。


俺は小さく息を吐いた。


「なら行くか」


「いいんですか?」


「元々、竜の領域とやらの場所も知らん」


ルクナスを見る。


「道中、寄るくらいは問題ないだろ?」


ルクナスは肩を竦めた。


「僕は構わないよ。

 むしろその子が言う通り、状況は知っておいた方がいい」


セレスが低く言う。


「私も同行する」


「分かっている」


俺が返す。


「監視だろ」


「そうだ」


短い返答。


だが、

その瞳はまだこちらを見ていた。


疑い。


警戒。


そして……。


それだけではない何か。


俺自身、

まだ上手く言葉に出来ない。


マリスの件もある。


怒りが消えたわけじゃない。


だが――


不思議と、

そばにいること自体は嫌ではなかった。


それが少し厄介だった。


俺は槍を握り直す。


「決まりだ」


風が草を撫でる。


遠くに、

知らない森が見えた。


「まずは、ガルド達の村へ向かう」


ーーーーー


その後。


街道や街を避けながら進み、

ようやく村を見つけた。


「ありました!」


ユーリスがほっとしたように言う。


「では先に見てきますから、目立つので二人はここで待っていてください」


当然だ。


白服。


中央の人間。


二人が田舎の村へ現れれば、

余計な騒ぎになる。


ユーリスとルクナスが、

村の方へ向かっていく。


木々の間に、

二人の背が消えた。


「……」


林の中は静かだった。


遠くに村が見える。


煙突から細い煙が上がり、

畑の向こうで人影が動いている。


のどかな場所だった。


今の俺達には、

似合わないくらいに。


「……エア」


不意に、

隣から声がした。


俺は視線だけ向ける。


セレスだった。


白い外套を揺らしながら、

村を見ている。


「……何だ?」


セレスはすぐには答えなかった。


少しだけ間が落ちる。


風が草を揺らした。


「……」


何か言おうとしている。


それだけは分かった。


だが、

先に口を開いたのは俺だった。


「言っておくが……俺はまだ許していない」


セレスの肩が、

僅かに止まる。


「マリスのことだ」


静かな声。


責めるつもりはない。


だが……。


無かったことにも出来ない。


あの光景は、

まだ残っている。


白い槍。


倒れるマリス。


胸を貫いた穂先。


全部。


鮮明だった。


「……そうだろうな」


セレスは否定しなかった。


言い訳もしない。


ただ静かに受け入れる。


「私は刺した」


風が吹く。


「結果的に生きていたとしても、

 それは変わらない」


瞳は、

村へ向いたままだった。


「貴様が怒るのも当然だろうな……」


それで終わり。


そう思った。


謝罪もしない。

弁解もしない。


事実だけを置いて終わる。


いつもなら。


だが――


「……エア」


再び、

セレスが口を開く。


俺は少しだけ眉を寄せた。


今の声は、

どこか迷っているように聞こえた。


「一つだけ……」


小さな間。


風が抜ける。


白い髪が揺れる。


「……違う」


「何がだ」


セレスは答えない。


いや。


答えられないのかもしれなかった。


言葉を探している。


そんな姿を、

最近よく見るようになった。


「私は……」


瞳が僅かに伏せられる。


「敵だから刺したと思っていた……」


静かな声。


「危険だった。

 排除するべきだった」


聞き慣れた理屈だった。


白服の理屈。


中央の理屈。


以前のセレスなら、

何の迷いもなく言っただろう。


だが、

今のセレスはその言葉を口にしながら、

納得していなかった。


「違った……」


短く落ちる。


風が吹き、

木々が揺れる。


「マリスが貴様へ槍を向けた時」


そこで初めて、

セレスはこちらを見た。


銀の瞳。


揺れている。


異端を見る目でも。


敵を見る目でもなかった。


何かに戸惑っている目だった。


「私は……腹が立った」


「……」


思わず黙る。


嘘ではない。


それだけは分かった。


「……意味が分からん」


俺の言葉に、

セレスはまた少し黙り込む。


だが、

続けた。


「本来の私なら……こんな感情が生まれる理由がない」


拳が僅かに握られる。


苛立ちではない。


答えの見えない問いに対する、

戸惑いだった。


「敵が敵を狙う」


静かな声。


「それだけの話だ」


言葉が止まる。


そこで終わるはずなのに。


終われない。


そんな風に聞こえた。


「だが……違った」


セレスは小さく目を閉じる。


「気付けば、槍を向けていた」


風が通り過ぎる。


「貴様へ向けられた槍が、妙に気に障った……」


沈黙。


言い終えたあと、

セレス自身が一番困惑しているように見えた。


何故そうなったのか。

何故怒ったのか。

何故刺したのか。


答えを持っていない。


だから余計に、

嘘ではないのだろうと思った。


「……そうか」


返事はそれだけだった。


許したわけじゃない。


マリスのことも忘れていない。


あの時、

俺は本気でこいつを殴った。


怒りだった……。


少し当てつけだったかもしれない。


何も出来なかった自分への怒りと……。


勝手に信じて、

勝手に裏切られた時の感覚で我を忘れた。


だが、

それだけでもなかった。


屋上で見た涙。


夢の話をした夜。


そして今。


目の前にいるのは、

答えを失った白服だった。


それが妙に放っておけない。


理由は分からない。


分からないまま、

俺は黙る。


セレスも何も言わない。


林の向こう。


村では相変わらず煙が上がっている。


どこかの家から、

子供の笑い声まで聞こえた。


平和だった。


守るべきものの音だった。


だからこそ。


俺達の沈黙だけが、

妙に重かった。

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