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第176話:鳥と竜


「……エア」


気づけば、

口を開いていた。


全員の視線が、

こちらへ向く。


ルクナスも。


ユーリスも。


そして――エアも。


まっすぐ見据える。


「お前は」


言葉を探す。


違う。


探しているわけではない。


確かめたいのだ。


今、

自分の中で引っかかっているものを。


「全てを守るつもりなのか?」


静寂。


だが、

奴は……。


「当たり前だ」


短い返答。


それだけだった。


その一言に、

迷いはなかった。


一切。


まるで最初から、

答えが決まっているみたいに。


「……」


言葉が出ない。


全てを守る。


簡単な言葉だ。


だが――


そんなものは出来ない。


守るためには選ばなければならない。


救うためには切り捨てなければならない。


教会もそうだ。


自分もそうだった。


歪みを焼く。


異端を裁く。


それが正しい。


それが必要だった。


全てを守るなどという考えは、

ただの理想だ。


幼い願望だ。


現実ではない。


そのはずだった。


なのに……。


目の前の男は、

それを当然みたいに口にする。


迷わない。


揺れない。


疑わない。


その姿は――


「……」


思考が止まる。


違う……分からない。


何故そう言えるのか。


何故そんな顔が出来るのか。


理解できない。


だが、

否定する言葉も出てこなかった。


胸の奥が、

妙に騒がしい。


「……そうか」


それだけを落とす。


それ以上は続かなかった。


続けられなかった。


ただ、

また……。


私は……エアから目を離せなくなっていた……。


ーーーーー


それ以上、

セレスは何も言わなかった。


だが。


銀の瞳だけが、

まだこちらを見ている。


「それで」


俺はルクナスを見る。


「話を戻すぞ」


ルクナスが肩を竦めた。


「うん。

 僕もそのつもりだった」


「あらかた状況は理解した。

 ……全部じゃないがな……」


弟だの器だのは、

納得できない部分が多すぎる。


だが、

まず俺にできること。


今やらなきゃいけないことは分かっている。


俺は槍へ視線を落とした。


手の中にある。


傷だらけの柄。


古い鉄。


ずっと握ってきた槍。


「一つ確かなことがある」


「何が?」


「この槍が面倒だということだ」


ルクナスが吹き出した。


「確かに、それは間違いない」


ルクナスが頷く。


「君自身も面倒だけど、その槍も相当だ」


「お前に言われたくない」


「ひどいなぁ」


軽口。


だが、

少しだけ空気が戻る。


それから俺は聞く。


「で、どうする?」


「何を?」


「槍だ」


ルクナスの笑みが少し消える。


「……ああ」


風が吹く。


「それなんだよねぇ……」


槍を見る。


俺を見る。


そして、

小さく息を吐いた。


「君が槍を持ち続けるのは危険だ」


セレスの眉が動く。


「ならば教会が――」


「駄目」


即答だった。


軽い声だったが、

否定に迷いはなかった。


「教会に渡せば奪い合いになる」


「貴様……」


「事実だよ」


ルクナスは肩を竦める。


「教会だけじゃない。

 学院も、国家も」


そして、

空を見上げる。


「今のそれは、

 ただの武器じゃない」


「……」


「神話そのものだ」


静かな声だった。


「君が持った。

 君が闇を払った。

 そして……君が未来を変えた」


風が草を揺らす。


「それを……僕達が見てしまった」


その言葉だけで十分だった。


「どれだけ隠しても、

 どれだけ埋めても、

 どれだけ時間が経っても」


ルクナスは続ける。


「誰かが探す」


俺が聞く。


「壊しても?」


ルクナスは少しだけ困った顔をした。


「壊すのは無理だろうけど。

 もし出来たとしても、

 たぶん別の形で再現される」


そう言って、

ルクナスはマリスが掴んでいた槍を持ち上げる。


ユーリスが息を呑む。


「そ、そんな……」


「神話ってそういうものだからね。

 それに、この世界はもう既に君たちが形作ってる」


苦笑する。


「人は理由を作り、

 物語を作る。

 伝承を作る」


そして、

槍を見る。


「だから困る」


俺は小さく息を吐いた。


「面倒だな」


「本当にね」


ルクナスは頷いた。


「正直、僕も答えを持ってない」


その言葉に、

俺は少しだけ眉を寄せた。


ルクナスが答えを持っていない。


それだけで十分だった。


状況は思ったより悪い。


「なら」


槍を肩へ担ぐ。


「俺が守るしかないだろ」


「それも最悪だね」


即答だった。


「君自身が目印になる。

 そうなれば、

 いよいよ君は本物の神様になるかもね?」


「ならどうしろと?」


「だから困ってる」


ルクナスは頭を掻く。


本当に困っている顔だった。


「どこか、誰も近付けなくて。

 誰も奪えなくて。

 神話の神々ですら手を出しづらくて。

 なおかつ信用できる相手がいる場所でもあれば――」


「そんな場所あるのか?」


「ない」


即答。


ユーリスが頭を抱えた。


俺も呆れる。


「……いっそ、竜にでも守らせるか?」


適当だった。


本当に。


ただ面倒になって言っただけだ。


だが、

ルクナスの動きが止まった。


「……」


「何だ?」


ルクナスは、

ゆっくりこちらを見る。


「今、何て言った?」


「竜にでも守らせるか、と言った」


沈黙。


そして。


「……ああ」


目が変わる。


「そうか……」


小さく呟く。


「それなら――」


その顔に、

久しぶりに答えを見つけた色が宿った。


「その手があったか」


「……まさか卵から育てるとでも?」


俺が聞く。


ルクナスは、

珍しくすぐには答えなかった。


何かを考えている。


いや――


思い出しているようだった。


「……エア」


「なんだ」


「この世界の竜について、

 どれくらい知ってる?」


「ほとんど知らん」


学院の図書で、

ちらっと見ただけだ。


「空を飛ぶ。

 強い。

 それくらいだ」


「だろうね」


ルクナスは苦笑した。


ユーリスも首を傾げる。


セレスは黙ったままだ。


「今の人類は、ほとんど知らない」


ルクナスは空を見る。


「竜は、今の人類より古い」


セレスが言う。


「神話級生物だ。

 当然だ」


「うん、その通り」


ルクナスは頷いた。


「でも、それだけじゃない」


少しだけ目を細める。


「彼らは文明から距離を取っている。

 ただの魔物や神話の類いじゃない。

 高い知性があるんだ」


「……」


「どの国にも属さず、

 自ら関わりを断った」


俺が聞く。


「自らだと?」


「彼らは、それぐらい強くなってしまったからだよ……今の君みたいに」


ルクナスは、

少しだけ笑った。


「だから、もしこの世界で」


視線が槍へ落ちる。


「僕達の都合にも、

 人間の都合にも、

 出来るだけ左右されない存在がいるとしたら……」


そこで一度区切る。


「たぶん竜なんだよ」


ユーリスが目を瞬く。


「でも……そんな簡単に協力してくれるんですか?

 竜なんて、それこそ私も本の知識でしか知りませんし……」


「普通なら……無理だろうね……」


ルクナスは頷いた。


「だから僕も今まで候補に入れてなかった」


そして、

ほんの少しだけ楽しそうに笑う。


「でも、君が言った瞬間に思い出した」


「何をだ」


ルクナスは俺を見る。


その目だけが、

少しだけ昔を見ていた。


「君が眠っていた間の続きを」


風が吹く。


「……続き?」


「ああ」


ルクナスは頷く。


そして、

少しだけ口元を緩める。


その笑みは、

さっきまでの困った顔とは違った。


久しぶりに、

希望を見つけた顔だった。


「行こう、エア」


「どこへ」


「竜の領域へ」


ルクナスは言った。


「答えがあるかは分からない」


少しだけ肩を竦める。


「でも、

 今のところ一番可能性が高い」


そして、

槍を見る。


「少なくとも――」


静かな声。


「槍を預けるなら、

 僕は人間より彼らを信用する」


セレスが聞く。


「何故だ?」


ルクナスは少しだけ黙った。


そして。


「覚えているからだよ」


「……何?」


ユーリスが首を傾げる。


ルクナスは遠くを見る。


まるで、

何百年も前を見るように。


「人は忘れる」


静かな声だった。


「国も。

 文明も。

 信仰も」


風が吹く。


「英雄も。

 神話も。

 約束も」


小さく笑う。


「でも彼らは違う」


その目に、

僅かな確信が宿る。


「ある意味、

 竜はこの世界では一番僕らに近い存在なのさ」


「……」


「そして始祖に近いほど、

 記憶は鮮明なはず」


セレスの眉が動く。


ルクナスは続けた。


「今の人類は知らない。

 彼らが何故、文明から離れたのか」


空を見る。


「何故、竜の領域を作ったのか」


セレスが聞く。


「竜は自ら人を避けたというのか?」


「そうだよ。

 でも、人を嫌ったわけじゃない。

 むしろ逆だよ」


少しだけ苦笑する。


「近すぎたんだ」


「……?」


ユーリスが首を傾げる。


「強すぎた力は、

 守るためにも距離が必要になる」


ルクナスは静かに言った。


「だから彼らは空へ行った」


風が吹く。


草が揺れる。


ルクナスは少しだけ目を細めた。


「彼らは長く生きる」


静かな声。


「人が生まれて、

 老いて、

 死ぬまでを何度も見送ってきた」


遠くを見る。


まるで、

その光景を実際に見てきたみたいに……。


いや、

見たのだ。


「国が滅びるのも。

 文明が消えるのも。

 何度も見てきた」


ユーリスが小さく息を呑む。


「だからこそ、

 忘れない」


ルクナスは言った。


「人が忘れても。

 歴史が失われても。

 神話になっても」


そして、

俺を見る。


「彼らは覚えている」


静寂。


風だけが吹いた。


そして。


ルクナスは、

ほんの少しだけ笑った。


「彼らは、

元は一羽の鳥だった」


ユーリスが目を瞬く。


「……鳥?」


「そう」


ルクナスは笑った。


「世界で一番面倒で」


少しだけ肩を竦める。


「世界で一番忠実な鳥だよ」


俺は眉を寄せる。


覚えがあった。


いや。


ありすぎた。


「……まさか」

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