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第174話:ルクス


ルクナスは踵を返した。


向かった先は、

緑の残光がまだ僅かに残る大木だった。


誰も止めない。


ルクナスは木の前まで歩き、

見上げる。


「……しかし」


ぽつりと呟く。


「本当に凄いね」


その声に、

俺達の視線が集まる。


ルクナスは木へ手を触れた。


さっきまで光っていた場所。


「まさかここまで変質してるなんて」


小さく笑う。


「僕達の側にまで干渉してくるとは思わなかったよ」


ユーリスが首を傾げる。


「僕達の側……?」


ルクナスは答えない。


ただ、

どこか感心したように木を見上げる。


「これじゃほとんどアンカーじゃないか」


アンカー。

コルムナ。

神杭。


ルクナス達がこの世界を観測し、

干渉するための柱。


「この木が、か?」


ルクナスは肩を竦める。


「あぁ、本当に驚いたよ」


そして、

ゆっくりこちらへ振り返った。


いつもの笑顔。


だが、

どこか安堵したような顔だった。


「それじゃ」


片手を差し出す。


「エア、掴んで」


空洞が静まり返る。


何が起きるのか分からない。


どこへ行くのかも分からない。


「……」


だが、

俺は一歩前へ出る。


迷いは無かった。


差し出された手を掴むと、

ルクナスが少し笑った。


横。


セレスを見る。


「来い」


そう言って手を差し出す。


セレスは眉を寄せ、

すぐに視線を逸らした。


だが……。


何も言わず、

俺の腕を掴む。


さっきのこともある……。


お互いに納得はしていない。


それでも、

今は……。


「あ、あの……」


不安そうな声。


背後にいるユーリスだ。


思わず漏れた、

そんな音。


ユーリスはそのまま口を何度か開けたが、

声はない。


迷っている。


数秒……。


「ユーリス」


そして。


「行くぞ」


短く言う。


「え?」


ユーリスが目を瞬かせる。


「今更、置いていく気は無い」


その言葉に、

ユーリスが目を見開いた。


すぐに頷いた。


「は、はい!」


慌てて駆け寄る。


しかし。


どこを掴めばいいのか分からず、

その場で固まった。


「……」


セレスが小さく息を吐く。


面倒そうだった。


本当に面倒そうだった。


だが、

ゆっくりと手を差し出す。


「掴め……」


ぶっきらぼうな声。


ユーリスが目を丸くする。


「え……?」


「早くしろ」


セレスの声は変わらない。


だが、

拒絶でもなかった。


ユーリスは慌ててその手を取る。


輪のようになる。


ルクナス。


俺。


セレス。


ユーリス。


全員が繋がった。


ルクナスが満足そうに頷く。


「よし」


そして。


大木へ視線を向けた。


「それじゃ――」


ルクナスは目を閉じた。


風が吹く。


いや――違う。


空気そのものが揺れた。


「……?」


ユーリスが小さく声を漏らす。


大木の葉が鳴った。


カサ……。


カサカサ……。


静かだった葉音が、

次第に大きくなっていく。


ざわざわと。


まるで森の木々が目を覚ます時みたいに。


「……ッ」


セレスの眉が動く。


俺も気付いていた。


空洞そのものが、

薄く歪んでいる。


大木を中心に。


景色が揺れていた。


水面みたいに輪郭がぼやける。


墓標が。

壁が。

床が。


少しずつ滲んでいく。


「ルクナス……」


次の瞬間。


大木が光った。


緑だった。


さっきとは違う、もっと深い光。


根元から。

枝から。

葉から。


脈打つように溢れ出す。


空洞全体を包み込む。


視界が、

緑に染まった。


「なっ、エア!」


ユーリスの声。


セレスが目を細め、

掴む腕に力が入る。


だが、

もう何も見えない。


光だけだった。


温かい。


冬の日差しみたいな光。


そして――


落ちるような感覚。


浮くような感覚。


上下も。


距離も。


時間すら曖昧になる。


「……ッ」


思わず目を閉じる。


そして……。


風が吹いた。


今度こそ、

本物の風だった。


草の匂い。

土の匂い。


緑の光が、

ゆっくりと薄れていく。


世界が戻る。


最初に見えたのは空だった。


青い。


どこまでも高い。


雲が流れている。


ゆっくりと。


「……」


遠くで鳥が鳴いていた。


「ここは……」


ユーリスが呟く。


周囲を見回している。


見渡す限り草原だった。


建物はない。


道もない。


人の気配もない。


ただ風だけが流れている。


「成功だね」


ルクナスが息を吐く。


どこか安心したような声だった。


「本当に繋がった」


そう言って空を見る。


少しだけ懐かしそうに、

周囲を見回した。


草原。


森。


遠くの山。


その全てを確かめるように。


「地形はだいぶ変わったね」


小さく笑う。


「それもそうか」


独り言だった。


「ルクナス……ここはどこだ?」


ルクナスは少しだけ考えるように目を閉じた。


「君が最初に目を覚ました場所の近くだよ」


風が止まった気がした。


ユーリスが目を見開く。


俺は黙っていた。


「……近く?」


「あぁ」


ルクナスは頷く。


「正確には少し違うけどね」


空を見る。


「ここは昔、一度だけ……僕自身が直接干渉した場所さ」


静かな声。


「だから来れた」


それだけだった。


だが、

胸の奥が妙にざわつく。


完全に知らない景色のはずだった。


俺の最初の記憶とも一致しない。


なのに、

何かが引っ掛かる。


空の色。

草の揺れ方。


全部が遠い。


遠いはずなのに……。


「……」


ルクナスがこちらを見る。


そして、

少しだけ笑った。


「さて」


空気が変わる。


「約束だったね」


ユーリス達の視線が集まる。


ルクナスは肩を竦めた。


「まずは僕の状況から話そうか」


その笑顔は。


どこか諦めた人間の顔だった。


「その方が、君達も聞きやすいだろうし」


「……状況?」


ユーリスが小さく呟く。


ルクナスは頷いた。


「そう」


そして、

俺を見る。


「君が槍を手にした」


「……ああ」


「それで、僕が最初に見ていた未来はかなり崩れた」


風が草を揺らす。


「戦争で滅亡する未来の話だな」


「うん」


ルクナスは短く答える。


「正確には、

 神器を中心に膨れ上がっていく戦争だね」


セレスの目が細くなる。


「少なくとも、最初に見えていた滅び方ではなくなった」


ルクナスは淡々と言う。


「君が槍を手にした時点で、

 あの流れは折れた」


「なら終わりだろ」


俺が言う。


「俺の役目は終わったんじゃないのか?」


「そうなら良かった……」


ルクナスは少しだけ笑った。


だが、

目は笑っていなかった。


「そこで別の問題が起きた」


「別の問題?」


ルクナスは空を見上げる。


「僕の観測式を、

 勝手に複製して改造した子がいる」


「観測式……?」


「未来を見るためのものだよ。見ると言っても、予測の範囲だけどね」


軽く言う。


「ただし、僕用に組んだものだから、

 本来は他の誰かが扱えるものじゃない」


少しだけ眉を寄せる。


「それを無理矢理使える形にした」


「誰が」


俺が聞く。


ルクナスは、

ほんの少しだけ嫌そうな顔をした。


「彼女だ」


「彼女?……あいつか……」


「そう、ノアリス」


名前を聞くのは初めてだったが、

誰のことかすぐに分かる。


雪と同じ。


命をなんとも思っていない、

冷たい印象の女だ。


ルクナスは肩を竦める。


「僕の補佐をしていた子。

 いや、補佐というか……厄介者かな」


その言い方には、

呆れと、

少しだけ信頼が混ざっていた。


「彼女が僕の観測式を複製して、

 さらに改造した」


セレスが低く言う。


「それで何を見た」


ルクナスの表情から、

軽さが消える。


「君が白服、中央の上に立つ未来」


風が止まった気がした。


ユーリスが息を呑む。


セレスは動かない。


だが、

槍を握る手が僅かに強張った。


「……俺が?」


「そう」


「……あり得ない」


「いや、そういう未来もあったのさ」


ルクナスは頷く。


「彼らの歪みを正し、導き、世界を元に戻そうと中央を動かす君。

 そして…僕達の側を認識する君」


「認識……?」


ルクナスは続ける。


「そこまではまだいい」


「いいのか?」


「よくはないけど、

 まだ説明できる範囲で収まる。

 ……けれど」


ルクナスは静かに言う。


「問題はその先だ」


俺は黙って続きを待つ。


「君は、僕達と敵対した」


草原が広い。

空も高い。


なのに、

その言葉だけで周囲が狭くなった気がした。


「被害も出ていた」


ルクナスは言う。


「僕達の側に」


「理由は?」


ルクナスはすぐに答えなかった。


とても言いにくそうに、

目を閉じた。


それから、

しばらく空を見ていた。


「……説明すると」


ゆっくりだった。


ルクナスは言葉を選んでいる。


「かなり長くなる」


「話せ」


ルクナスは苦笑した。


「だろうね」


そして、

息を吐く。


「まず前提からだ。

 僕達を神様か何かだと思っているだろ?」


「……」


「でも違う」


ルクナスは言う。


「少なくとも僕は、

 自分を神だと思ったことは一度もない」


真面目な声。


「僕達は元々、

 君たち人間と同じような種族だった」


静寂。


ユーリスが固まる。


セレスの眉が動く。


「人間……?」


「うん」


ルクナスは頷く。


「ずっと昔。

 今の世界よりも遥かに発展した文明だ」


草原を見る。


「空の外を観測し、

 世界の外を覗き、

 別の世界へ干渉する技術を持っていた」

  

ユーリスが理解できない顔をしながら、

俺を見る。


当然だ。


俺も分からない……はずだった。


だが、

どこかで腑に落ちる。


「その結果」


ルクナスは続ける。


「僕達は見つかった」


その瞬間だけ。


声が少し低くなった。


「虚飾…そっちの二人には、

 闇って言えば分かるかな?」


ルクナスはそのまま続ける。


「僕達の世界は奪われた」


ルクナスは言う。


「文明は壊れ、

 人は死に、

 星は消えた」


淡々と。


起きたことを並べる。


「だから逃げた。

 肉体を捨てて、精神だけになって世界の外へ」


二人は静かにルクナスの話を聞く。


だが、

信じられないほど目は開かれている。


当然だ。


「そして……次を作った」


遠くの地平線を見る。


「それが君達の、この世界だ」


空気が止まった。


「……」


ルクナスは視線を逸らした。


「つまり、ここは実験場」


短く言う。


「虚飾に対抗するため、

 抗体を作るための新しい世界」


ルクナスは迷わず続ける。


「僕達はそこで、それぞれ生き物を作った。

 虚飾に勝つために」


ユーリスの顔色が変わる。


「じゃあ……それってつまり、私達は……」


「ある意味では僕が作った存在、かな?」


ルクナスは答えた。


「少なくとも最初はね」


重い沈黙。


そして、

ルクナスは続ける。


「だけど問題があった。

 僕達も無限じゃない」


少しだけ苦い顔。


「使える力にも限界がある。

 世界を作るためのリソースにもね」


そして、

俺を見た。


「だから勝手な介入は禁止されている。

 許可なく命を作るのも、

 世界へ力を与えるのも、

 本来は重罪だ」


俺は黙る。


嫌な予感がした。


ルクナスは視線を逸らす。


「だけど僕はやった……」


静かな声。


「……何故だ」


聞く。


ルクナスは、

しばらく沈黙した。


本当に珍しく、

再び言葉を探していた。


そして、

小さく笑う。


諦めたみたいに。


「……僕には……弟がいたんだ」


その瞬間。


胸の奥が妙にざわついた。


理由もなく。


「世界が壊れる時……」


ルクナスは続ける。


「僕は助けられなかった……」


見たことのない、苦しそうな顔。


「だから」


少しだけ声が震えた。


「残っていた欠片を集めた」


音が消えた。


静寂。


「欠片……だと……?」


その言葉に、

胸の奥底がさらにざわざわと騒ぎ立てる。


今まで気にしたことがなかったわけじゃない。


だが……。


ルゥがいて……。


リルやナハト、

リヒト達がいたから。


考える必要もないくらいに満ちていた。


埋まっていた穴が、

今更掘り返される。


「本来なら消えるはずだった残滓。

 本来なら許されない再構築。

 本来なら存在してはいけない生命」


ルクナスはようやく俺を見る。


その目だけは……。


今まで一度も見たことがないほど、

真っ直ぐだった。


「それが君だ」


ルクナスの言葉が鼓膜に響く。


「エア」


ルクナスは言う。


「君は僕の実験じゃない。

 成果でもない。

 奇跡でもない」


少し笑う。


泣きそうな顔で。


「僕の後悔だ」


そして。


ようやく。


口にする。


「君はルクス……僕の弟だよ」

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