表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
174/224

第173話:説明は後


空洞は、

まだ静かだった。


緑の光は消えた。


さっきまで満ちていた雨上がりの森みたいな匂いも、

今はもう消えかかっている。


その奥に。


焦げた石の匂い。


焼けた壁の臭い。


現実が、

ゆっくり戻ってきていた。


「……」


ユーリスは未だに言葉を失っている。


当然だ。


俺だって、

まだ整理できていない。


マリスは生き返った。


だが、

今ここにいるのはマリスじゃない。


ルクナスだ。


そのルクナスが、

逃げろと言った。


何から。


どこへ。


何故。


聞きたいことは山ほどある。


だが、

ルクナスの目だけが、

いつもの軽さを失っていた。


「今は時間が無い」


「何から逃げる?」


「それも後」


短い。


珍しかった。


こいつがここまで話を切るのは。


俺が眉を寄せる。


だが、

ルクナスは首を振った。


「本当に後だ」


声だけが、

少し重い。


「今は逃げないと」


空洞が静まる。


その時だった。


「……ならば」


セレスが前へ出てきた。


白い外套を揺らしながら、

一歩前へ出る。


聖杭槍杖を握る。


まだ顔色は悪い。


白火の反動も、

傷も残っているはずだった。


それでも。


白服として。


聖杭槍杖として。


既に立ち直っていた。


「中央へ向かう」


ユーリスが振り返る。


セレスは続けた。


「元よりその予定だった」


静かな声。


「神器を回収する。

 それが我らの役目」


俺を見る。


ルクナスを見る。


そして……。


二本の槍を見る。


「抵抗があれば排除する」


白服の作戦かなにかなのか……。


最初から決まっていたのだろう。


その言葉に迷いは無い。


だが、

ここでもルクナスは即座に首を振った。


「駄目だ」


セレスが眉を寄せる。


「何?」


「それは一番駄目だ」


今度ははっきり言った。


笑っていない。


軽さも微塵も無い。


「中央へ行くのは絶対に駄目だ」


空気が変わり、

セレスの目が細くなる。


「何故だ」


「説明すると長い」


「説明しろ」


ルクナスは珍しく、

苛立ったように頭を掻く。


「だから今は無理なんだ。

 何度も言わせないでほしいな?」


その声に、

ユーリスが少し驚く。


今までの軽い調子じゃない……。


「中央は駄目」


ルクナスは繰り返す。


「学院に留まるのも駄目」


「……」


「どっちも駄目だ」


セレスが低く言う。


「意味が分からない」


「うん」


ルクナスは頷く。


「君には分からなくていいよ?」


セレスは黙ったまま、

ルクナスを睨み付ける。


槍杖を握る手に、

力がこもる。


空気が張り詰めた。


「セレス、やめろ」


セレスは横目で見る。


やがて。


ゆっくり目を閉じた。


圧が消える。


「……」


納得したわけではなさそうだ。


「ありがと」


ルクナスが笑う。


「それじゃ」


空洞が静まる。


そして、

何でもないことみたいに。


こちらへ歩いてきて、

俺の前で止まった。


「行こうか?」


ただ、

片手を差し出す。


「……ッ」


その時だった。


一瞬だけ、

視界が揺れた。


砂のように崩れていく建物……。


割れる空……。


遠ざかる人影……。


そして――


誰かが。


こちらへ手を伸ばしていた……。


「エア?」


静かな声が落ち、

俺は現実へ引き戻された。


「……?」


ルクナスが立っている。


「さぁ……行こう」


それだけだった。


説明もない。


説得もない。


当然みたいに、

俺が付いてくると思っている。


「……」


実際、

付いていくつもりだった。


聞きたいことは山ほどある。


何から逃げている。


何故ここにいる。


何故マリスの中にいる。


だが、

少なくともルクナスは昔から約束を破らない。


火をくれた。


子供達を生かした。


導いた。


信頼できるかは怪しい。


しかし、

信用する理由なら十分あった。


俺は黙ったまま、

その手を取ろうとした。


その時だった。


「ま、待ってください!」


ユーリスだった。


ルクナスが振り返る。


「ん?」


「行くって……どこへですか!?」


ユーリスの声が響く。


「エアも行くんですか!?」


不安そうだった。


当然だ。


突然現れたルクナス。


突然蘇ったマリス。


そして今……。


俺を連れて行こうとしている。


「……」


ルクナスは少し考えた。


そして、

にこりと笑う。


「秘密」


「は?」


ユーリスの顔が固まる。


「いや秘密じゃ困ります!」


「大丈夫だよ」


軽い。


いつもの調子だ。


「死ぬような所じゃないから」


「そういう問題じゃありません!!」


珍しく声が大きかった。


ルクナスが少し驚く。


「お?」


感心したように。


「君、結構怒るんだね?」


「怒ります!!」


一歩前に出る。


「エアをどこへ連れて行くつもりなんですか!?」


空洞が静まる。


ルクナスは少しだけ困った顔をした。


そして、

俺を見る。


「どうする?」


他人事みたいに聞く。


「あんまり多くても困るんだよねぇ……」


相変わらずだった。


その時。


――カツ。


小さな音が鳴った。


全員の視線が動く。


セレスだった。


聖杭槍杖を握り。


一歩前へ出る。


白い外套が揺れる。


先程まで消えていた圧が、

再び……。


殺気と共に空洞へ広がった。


「行くのは構わん」


静かな声だった。


「好きにしろ」


感情は読めない。


「だが」


聖杭槍杖の穂先が下がる。


向けたのは人ではない。


槍だった。


俺の槍。


そして……。


ルクナスが持つ槍。


「それは置いていけ」


空気が止まる。


「二本ともだ」


ユーリスが目を見開く。


ルクナスは瞬きをした。


「……へぇ」


少しだけ笑う。


セレスは続ける。


「神器は中央の管理下に置かなければならない」


淡々としていた。


「聖なるものは、然るべき場所にあるべきだ」


ルクナスが肩を竦める。


「断るよ」


即答だった。


セレスの目が細くなる。


「拒否すると?」


「するよ?」


ルクナスは笑った。


「これは渡せない」


そして、

少しだけ視線をずらす。


「もちろん……エアのこともね?」


セレスの目が鋭くなる。


ルクナスは続けた。


「だって、渡したら君たち滅びちゃうし?」


空気が止まった。


セレスが僅かに眉を寄せた。


「……何だと?」


その時、

ユーリスがぽつりと呟いた。


「エアが言ってた……戦争……ッ!?」


それだけ言って、

ユーリスはハッとして自分の口をふさいだ。


それをセレスの目は逃さなかった。


鋭い目つきが、

さらに細くなる。


「貴様……何を知っている?」


「えと……色々……」


その言葉のおかげか、

セレスの殺気が少し弱まる。


「滅び、だと?」


「そう。だからとにかく今は逃げるんだよ」


ルクナスは急かすように腕を組み、

指を叩く。


「……ルクナス」


俺が口を開いた。


全員の視線が集まる。


「セレスも連れて行く」


今度こそ。


本当に空気が止まった。


「……何?」


セレスが呟く。


ユーリスも目を見開く。


ルクナスだけが、

ぱちぱちと瞬きをした。


「おや?」


少しだけ楽しそうだった。


俺はセレスを見る。


白い外套。


聖杭槍杖。


相変わらず気に入らない。


さっきのマリスのことも許していない。


だが……。


それでも。


「セレス、お前もこいつに聞きたいことがある」


静かな声だった。


「俺にもだ」


セレスの目が揺れる。


「……何を言っている」


「黙って付いて来い」


短く言う。


「断る……と言ったら?」


だが、

俺も引かない。


「なら、ここでやるか?」


空洞が静まる。


セレスの瞳が細くなる。


「……」


俺は槍を握る。


ルクナスも横で笑っていた。


「正直」


俺は続ける。


「今のお前に」


セレスを見る。


「俺と」


横を見る。


ルクナスを見る。


「こいつを相手にして勝てるのか?」


ユーリスが息を呑む。


セレスは答えない。


答えられない。


顔色は悪い。


消耗もしている。


何より……。


目の前には、

神器とされているものを持つ正体不明のルクナス。


そして、

俺。


勝てるとは、

本人も思っていないはずだ。


長い沈黙。


やがて。


セレスが静かに目を閉じる。


白い睫毛が震えた。


「私だけでは……勝てんな……」


小さく。


認める。


だが次の瞬間。


再び目を開く。


その瞳は真っ直ぐだった。


「だが」


槍を握り直す。


「私は聖杭槍杖だ」


その一言だけで、

セレスという人間が全部詰まっていた。


逃げない。


折れない。


間違っていると思っても、

役目だけは捨てきれない。


ルクナスが、

困ったように頭を掻く。


「まったく……」


ため息を吐く。


「本当に、君は変わらないね」


だが、

その顔は少しだけ笑っていた。


「そういうところまで、

 残るんだね……」


「何の話だ?」


ルクナスは答えない。


俺を見た。


いや……。


俺の奥を見た。


そんな気がした。


「……」


一瞬だけ、

胸の奥が妙にざわつく。


火ではない。


もっと深い場所。


名前のない、

古い何か。


ルクナスの目は、

そこを見ていた。


「……何を見てる」


思わず聞く。


ルクナスは、

いつもの調子で笑った。


「さあね」


軽い声。


だが、

その笑みは少しだけ寂しそうだった。


「まぁ、いい……」


俺は小さく息を吐く。


「逃げるんだろ?」


短く言う。


「セレス、監視でも何でもいい。

 今は動くぞ」


セレスは答えない。


だが、

聖杭槍杖を握る手から、

わずかに力が抜けた。


それが返事だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ