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第171話:助けてくれ


轟音が、

嘘みたいに消えていた。


焦げた匂い。


砕けた石。


折れた墓標の槍。


空洞の中央。


俺は、

マリスを抱えていた。


「……」


軽い。


火で削られたか…。


思ったより、

ずっと軽かった。


「馬鹿が……」


思わず漏れる。


肩も。

腕も。

身体も。


こんなになってまで……。


お前は、そこまでして。


何を守ろうとした……。


何を背負った……。


そんなもの……、

最初からおまえが一人で抱えるな……。


「……」


胸の奥が、

嫌な熱で焼ける。


セレスへの怒り。

マリスへの怒り。


そして。


守れなかった自分への怒り。


全部が混ざっていた。


あと少し早ければ。

あと少し気付いていれば。


止められたかもしれない。


そんな考えが、

頭から離れない。


「……クソッ」


小さく漏れる。


それ以上は出ない。


怒鳴ったところで、

何も戻らないからだ。


「マリスさん……!」


ユーリスが駆け寄る。


膝をつく。


震える手で、

傷口を見る。


そして。


顔色が変わった。


「そんな……」


声が震える。


目元も。


既に涙で滲んでいた。


それでも。


必死に息を整える。


泣くな。

慌てるな。

まず見ろ。


そう自分に言い聞かせているのが、

分かった。


「ユーリス、お前も水を使えたよな?」


「……駄目です」


返事は早かった。


だが、

声が掠れている。


「傷が深すぎます……」


震えている。


それでもユーリスは、

傷口から目を逸らさない。


「それだけじゃない……」


指先が胸元へ触れる。


血。


白火の焼け跡。


観察している。


理解しようとしている。


助ける方法を探している。


涙を零しながら。


「こんな……」


唇が震える。


「こんなの……」


もう一度。


だが。


続きが出ない。


「マリスさん……」


返事はない。


瞳も閉じたまま。


呼吸だけが、

かろうじて続いている。


その呼吸すら、

弱い。


今にも消えそうだった。


「……」


空洞が静かだ。


焦げた匂いだけが残る。


その時。


――ガラッ。


小さく石が転がった。


俺とユーリスが同時に振り向く。


壁際。


崩れた瓦礫の向こう。


「……っ」


セレスだった。


白い外套は破れ。


頬には少し血が流れている。


意識だけは戻ったらしい。


ゆっくりと身体を起こそうとしていた。


「……セレス」


ユーリスの声が落ちる。


いつもの“さん”付けはない。


だが、

怒鳴る声でもなかった。


……震えていた。


ユーリスは両手の拳を握り、

立ち上がる。


一歩。


セレスへ近付く。


「……」


セレスも視線を向ける。


ユーリスの目は赤かった。


涙を堪えている。


それでも。


真っ直ぐ見ている。


「……どうしてですか」


小さい声だった。


責める声じゃない。


本当に分からない。


そんな声。


「どうして……あんなこと……」


セレスは答えない。


数秒。


沈黙だけが流れる。


ユーリスの唇が震える。


視線が落ちる。


マリスを見る。


血だらけ。


白火の痕も残っている。


呼吸も弱い。


「マリスさんが……」


声が掠れる。


「死んじゃいます……」


ぽろりと涙が落ちた。


それでも。


ユーリスは顔を上げる。


「セレス」


呼ぶ。


今度ははっきりと。


「今は理由じゃないです」


震えながら言う。


「後でもいいです……」


一歩近付く。


「だから……」


唇を噛む。


「助けてください」


空洞が静まる。


セレスの目が、

わずかに揺れた。


ユーリスは続ける。


「お願いです……」


もう涙を隠せていなかった。


「マリスさんを……助けてください……」


セレスは答えない。


ユーリスは涙を拭わない。


ただ真っ直ぐ見ている。


責めてもいない。

怒鳴ってもいない。


ただ助けて欲しいと願っている。


だからこそ。


セレスは困ったように目を伏せた。


「……」


言葉が出ない。


何を言えばいいのか、

分からない顔だ。


敵。


危険だった。


だから刺した。


その判断を後悔しているわけではないのだろう……。


しかし、

目の前のユーリスにそれを言う気にもなれなさそうな顔色だった。


「セレス……」


ユーリスがもう一度呼ぶ。


震える声で、縋るように。


セレスは小さく息を吐いた。


それから。


静かに首を横へ振る。


「……無理だ」


掠れた声だった。


ユーリスの肩が震える。


セレスは続ける。


「私は治療術師ではない」


セレスの火は…。


戦う。

焼く。

滅ぼす。


それだけだ。


「その傷を塞ぐ術は持っていない」


ユーリスが唇を噛む。


何か言おうとして。


言葉にならない。


セレスもそれ以上は言わなかった。


代わりに、

地面へ転がっていた聖杭槍杖へ手を伸ばす。


柄を握る。


そして、

杖代わりに身体を支えた。


「……っ」


足元が揺れる。


それでも立ち上がる。


白い外套が、

ゆっくり揺れた。


ユーリスはまだセレスを見ている。


信じられないという顔で。


助けてくれると思っていたわけじゃない。


それでも。


何かあると思っていた。


そんな顔だ……。


「……セレス」


今度は、

俺が名を呼んだ。


空洞が静まる。


セレスが、

真っ直ぐにこちらを見ているのを感じる。


俺はマリスを抱えたまま、

しばらく何も言わなかった。


怒鳴る気になれなかった。


ただ。


分からなかった。


「……何故だ」


低く漏れる。


セレスの眉が、

僅かに動く。


「……何故、とは?」


「お前なら分かっていたはずだ……」


短く言う。


「マリスは限界だった……」


腕の中を見る。


弱い呼吸。


血。


焼け跡。


もう立っていることすら奇跡だった。


「俺もいた」


視線を戻す。


「仮面共も残っていた」


静かな声。


「だが、終わっていた」


空洞に落ちる。


「時間の問題だった」


セレスは黙っている。


「お前なら見えていたはずだ。

 この戦いは、俺が槍を手にしている時点でもう終わっている……」


セレスは頭が回る。


感情だけで動く人間じゃない。


戦場を読む。


敵を見る。

流れを見る。


だからこそ。


分からない。


「何故……マリスを刺した」


沈黙。


セレスは答えない。


「危険だったからか?」


返事はない。


「敵だったからか?」


返事はない。


空洞が静まる。


「俺には分からん」


本当に分からなかった。


白服として。


中央の信徒として。


そういう理屈なら、

まだ理解できる。


だが。


最近のセレスは違った。


屋上で泣いた。


夢に揺れた。


ルゥの記憶に戸惑った。


火だけでは測れないものを見始めていた。


マリス自身にも、

そこを突かれていた。


だから。


少しは変わったのだと。

少しは分かるのだと。


「……お前にも」


ぽつりと漏れる。


「分かっていると思った……」


振り返り、

セレスを見る。


瞳が揺れている。


不安そうな表情で……。


やはりそこに居るのは、

以前のセレスではない。


でも、

だからこそ……。


「だが違う」


静かな声だった。


怒鳴りもしない。


責めもしない。


その代わり。


少しだけ、

疲れた声だった。


「俺の勘違いだった」


セレスの目が大きく揺れた。


「……」


視線を落とす。


腕の中。


マリスを見る。


そして。


もう一度だけ、

セレスを見る。


「お前は」


短く言う。


「やっぱり……ルゥじゃない」


その一言だけが、

妙に重く空洞へ残った。


「……」


セレスは何も言わない。


言い返さない。


言い返せないのか。


言葉が見つからないのか。


それすら、

もうどうでもよかった。


視線を切る。


腕の中。


マリスを見る。


「……っ」


呼吸がさっきよりも弱い。


俺はすぐに手を伸ばした。


胸元へ触れる。


残った火を探る。


繋ぐ。


無理矢理にでも、

消えないように。


だが。


「ッ……駄目かッ……マリス……」


小さく漏れる。


火が弱い。


弱すぎる。


残り火ですらない。


風が吹けば消える……。


そんな火だった……。


「エア……」


ユーリスの声。


振り向かない。


考える。


出口まで戻るか……。


来た道を……。


あの通路を……。


普通に戻るのは危険だ……。


今のマリスじゃ耐えられない。


なら術式を壊しながら、

強引に……。


「……」


駄目だ。


間に合わない。


距離がある。


今のマリスじゃ、

途中まで持たない。


抱えて走っても同じだ。


むしろ揺れだけで死ぬ。


「……クソッ」


歯を噛む。


時間がない。


本当に……もう無い……。


腕の中で、

最後の火が消えていく……。


少しずつ……。


「マリス……」


返事はない。


呼吸だけ。


それも、

今にも途切れそうだった。


どうする……。


考えろ!!


出口は遠い。


ノクシアもここにはいない。


ユーリスでも無理だ。


俺の火でもなにもできない。


何もかも――足りない。


「……ッ」


その時だった。


ぽたり。


何かが落ちた。


腕の中。


マリスの頬。


一瞬、

何か分からなかった。


遅れて気付く。


俺の涙だった。


「……」


泣いているつもりなんて、

なかった。


ただ。


どうしようもなかった。


守れなかった。


止められなかった。


助けられない。


それが。


どうしようもなく悔しかった。


「……すまない」


視界が揺れる。


その時。


ふと。


視界の端に、

大木が映った。


墓標の槍を抱く木。


この場所の中心。


ずっとそこにあった木。


「……」


見上げる。


何故だろう。


本当に何故かは分からない。


確信なんて無い。


理屈も無い。


ただ……。


この世界では……俺の火も変わった。


……槍も変わった。


昔には無かったものが、

今はある。


なら――


もしかしたら。


そんな、

馬鹿みたいな考えだった。


「エア……?」


ユーリスが戸惑う。


俺は答えない。


ゆっくり立ち上がる。


マリスを抱えたまま、

大木へ向かう。


一歩。


また一歩。


やがて根元へ辿り着く。


膝をつく。


「……」


大木は何も答えない。


ただ、

そこにある。


何百年も。


何千年も。


ずっと……。


「……頼む」


掠れた声だった。


自分でも、

何に言っているのか分からない。


神か。


墓か。


槍か。


昔の仲間か。


それとも――全部か。


震える手を伸ばす。


大木へ触れる。


冷たい樹皮だった。


「助けてくれ……」


小さく漏れる。


情けない声だった。


きっと今までで一番。


「皆……」


返事はない。


風も吹かない。


何も起きない。


それでも……。


木から手を離せなかった。

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