第169話:混色の火
マリスは答えない。
仮面の奥で、
歯を食いしばっている。
白い火が、
皮膚の下を走る。
「ッな!?」
その姿は、
かつて俺と戦った時のセレスと重なる。
普通なら、
焼ける。
裂ける。
崩れる。
だが、
マリスの体には同時に水が流れていた。
薄い水膜が、
マリスの身体を覆っている。
(冷やしているのか…)
燃え尽きる前に、
熱を逃がしている。
マリスは、
白銀の槍を握ったまま、
ゆっくり顔を上げた。
白い火。
水の膜。
仮面。
槍。
その姿を見た瞬間。
背後で、
空気が変わった。
「……貴様」
低い声だった。
怒りというより、
もっと深い。
もっと冷たい。
「貴様如きが、それに……触れるな……」
セレスが、
ユーリスの支えを振りほどこうとする。
だが、
身体がついてこない。
それでも、
目だけは燃えていた。
マリスを見ている。
いや。
違う。
マリスの奥にあるものを見ている。
この空間。
アルケシア。
そして、
その裏に潜む何かを。
「それは……」
セレスの声が、
震えた。
恐怖ではない。
怒りで震えている。
「我らが主へ捧げた形だ」
白い火を見て、
セレスの表情が歪む。
「聖杭槍杖の最奥。
命を焼き、信仰を通し、神へ至ろうとする火……」
唇が、
わずかに切れる。
「それを……」
目が、
鋭くなる。
「貴様らは、道具にしたのか!!!!!」
空洞が、
静まり返る。
仮面たちですら、
一瞬動きを止めた。
セレスの声が、
低く落ちる。
「アルケシア……」
その名に、
憎しみが混じった。
「学びの地だと?、中立だと?……笑わせるな!!」
白い火が、
マリスの身体を包む。
だが、
セレスの目は逸れない。
「裏でこんなものを作り、
神の加護を模し、
信仰の形を穢し……」
ぎり、と。
歯を噛む音がした。
「混ざりものに、
我らの神の加護を纏わせたか!!」
「セレスさん……」
ユーリスが、
セレスを支える手に力を入れる。
だが、
セレスは止まらない。
「許されない……」
声が、
絞り出される。
「マリス、貴様だけではない……」
その目は、
仮面の奥の少女を越えている。
「貴様らを作った者。
命じた者。
この場所で笑っていた者。
……すべてだ」
白い火が、
マリスの周囲で揺れる。
マリスは、
小さく息を吐いた。
「……そう言うと思った」
声は、
いつもより硬い。
「だから、
あなたをここで止める必要があった……」
「止める?」
セレスが、
低く笑った。
「違うな」
その目が、
完全に冷えた。
「貴様らは、
自らの愚かさを隠したいだけだ」
マリスは答えない。
その沈黙が、
また答えだった。
白銀の槍が、
さらに光を増す。
マリスの身体を覆う白火が、
一段濃くなる。
だが、
その下で水が流れ続けている。
焼けないように。
壊れないように。
「だから……
ネレイディア……。
マリスさんが……」
ユーリスが、
小さく呟く。
「火を扱うために……
水で自分を冷やす身体……
確かに理にはかないます……」
マリスの視線が、
一瞬だけユーリスへ向いた。
「賢いね、ユーリス……
だからあなたも選ばれた……」
「私が、選ばれた……?」
ユーリスの顔が、
青ざめる。
その瞬間。
「ふざけるなッ!!」
セレスの怒声が、
空洞を揺らした。
白い火が、
周囲へ爆ぜる。
「火は純粋でなければならない!!」
息を荒げながら、
それでも叫ぶ。
「命を燃やし!
信仰を捧げ!
己を焼き尽くした果てに神へと届くものだ!!」
槍を握る手が、
震える。
怒りで。
憎悪で。
「水で逃がすだと……!?
冷やして耐えるだと……!?」
セレスの目が、
マリスを射抜く。
「そんなものは火ではない!!
信仰ですらない!!」
マリスの仮面が、
わずかに揺れた。
だが、
セレスは止まらない。
「混ぜるな!!」
白い火が、
さらに脈打つ。
「穢すな!!
主へ捧げる火を、
そんな半端なもので語るな!!!」
ユーリスが、
息を呑む。
セレスの怒りは、
マリス個人へ向いていない。
信仰そのものを、
踏みにじられた怒りだった。
「……」
マリスは、
白銀の槍を握ったまま、
静かにセレスを見る。
仮面の奥で、
小さく息を吐いた。
「……だから、あなた達は壊れるんだよ」
その言葉に。
セレスの白火が、
爆発するみたいに揺れた。
「何だと?」
低い声。
だが、
さっきまでみたいな怒号じゃない。
どこか、
引っかかっている声だった。
マリスは、
構えを崩さない。
「純粋であれ。
混ざるな。
揺らぐな」
白い火が、
水膜の上で揺れる。
「そうやって、
自分達で自分達を壊してきた」
「黙れ……」
「それに……。
中央だってもう気づいてる」
マリスの声は静かだった。
「あなたが変わり始めてることに」
セレスの目が、
わずかに揺れる。
マリスは続ける。
「今のあなたは、理由もなく他の種族を嫌っていたあなたとは違う」
「……ッ」
「火だけしか見ていなかったあなたが、
今は火以外の人を見てる」
白銀の槍が、
低く脈打つ。
「中央はそれを疑った。
だから監視された」
セレスの呼吸が、
わずかに乱れる。
「それでも、まだ純粋なんて言葉にすがるの?」
「黙れと言っている!!」
白火が、
一気に膨れ上がる。
だが、
揺れている。
怒りだけじゃない。
迷いが混じっていた。
「……っ」
気づいてしまった。
今の言葉が、
刺さっている。
セレスは、
否定できていない。
火だけでは測れないものを、
既に知ってしまった。
それでも、
信仰へ戻ろうとしている。
だから。
揺れる。
「あなたは、もう戻れない」
マリスが、
静かに言った。
「昔みたいには……」
「……違う」
セレスが、
低く漏らす。
だが、
声に力がない。
「違わない……」
マリスの言葉は、
静かだった。
静かだからこそ、
深く刺さる。
「中央に疑われても、
それでもまだあなたは――」
「やめろ」
声だった。
低い。
静かな。
だが、
空気を断ち切る声。
全員の視線が、
俺へ向く。
俺は、
槍を肩へ担ぎ直した。
古い鉄が、
低く鳴る。
「御託はもういい」
一歩、
前へ出る。
カツン。
石突きが、
床を叩いた。
「壊れてるだの純粋だの……。
ねちねちと、そんな話をしに来たわけじゃねぇだろ……」
火が、
静かに漏れる。
赤い熱が、
槍の周囲で揺れた。
「セレス」
呼ぶ。
セレスが、
ゆっくりこちらを見る。
まだ、
揺れている目だった。
「お前もだ」
短く言う。
「頭冷やせ」
「……ッ」
セレスの眉が、
歪む。
だが、
言い返せない。
俺はそのまま、
マリスへ視線を戻した。
「マリス」
仮面の奥の目が、
細くなる。
「セレスを殺そうとするだけじゃなく、俺の目の前でそこまでしたんだ……。
……そう簡単に許すと思うな?」
白銀の槍が、
低く脈打つ。
火と水が、
マリスの周囲で揺れる。
「……そう」
小さく返す。
「なら――」
マリスが、
槍を構えた。
白い火が、
空洞を走る。
「やるしかないね……」
「最初からそうだ」
俺は、
槍を握り直した。
次の瞬間。
マリスが消えた。
白火を引きながら、
一直線に踏み込む。
速い。
さっきまでとは違う。
白銀の槍が、
空気を裂いて迫る。
だが。
「遅い」
俺も踏み込む。
――ガァンッ!!
槍と槍が、
真正面からぶつかった。
空洞が揺れる。
大木の葉が、
激しく鳴った。
白火と赤火が、
噛み合う。
マリスの火が、
削るように侵食してくる。
だが、
止まらない。
俺の槍が、
それごと押し返す。
「ッ……!」
マリスの足が、
床を滑った。
「エア!!」
ユーリスの声。
横から、
仮面たちが同時に動く。
だが。
「邪魔だ」
槍を振る。
それだけ。
火が、
円みたいに広がった。
――ドォンッ!!
仮面たちが、
まとめて吹き飛ぶ。
石壁へ叩きつけられ、
空洞へ鈍い音が響いた。
「……っ」
マリスが、
歯を食いしばる。
白銀の槍が、
さらに光を増す。
火が、
暴れ始めていた。
制御しきれていない。
水膜が、
蒸発していく。
「……まだだよ」
マリスが、
低く言う。
「私は...」
その瞬間。
白火が――暴走した。
「……ッ!」
熱量が、
一気に跳ね上がる。
空洞の空気が、
歪んだ。
大木の葉が、
焼けるみたいに縮れる。
白銀の槍から、
光が噴き出した。
「マリスさん!!」
ユーリスが叫ぶ。
だが、
マリスは止まらない。
いや――
止まれない。
「……ッ、ぁ……!」
白火が、
水膜ごと身体を押し潰している。
仮面の下で、
息が乱れていた。
それでも。
マリスは、
槍を離さない。
「まだ……!」
白火が、
さらに膨れ上がる。
次の瞬間。
――ドォンッ!!
衝撃が、
空洞全体を揺らした。
仮面たちが巻き込まれ、
まとめて吹き飛ぶ。
石壁へ叩きつけられ、
悲鳴が混ざる。
「な……」
ユーリスが、
息を呑む。
違う。
さっきまでとは。
力の質そのものが変わっている。
白火が、
暴れている。
だが、
その暴走に、
マリス自身が押し潰されていない。
水が薄い膜みたいに、
絶えず循環している。
燃える端から、
冷やしている。
壊れる前に、
無理矢理繋いでいる。
だが、追いついていない。
「どいつもこいつも……無茶苦茶だな」
思わず漏れる。
だが、
強い。
さっきまでとは比べ物にならない。
「エア……!」
セレスが、
低く言う。
「邪魔だ、下がってろ!」
俺は、
槍を握り直した。
白火が走る。
一直線。
今度は速い。
本当に、
消えたみたいな踏み込みだった。
「ッ!」
槍を合わせる。
――ガァァンッ!!
押し込まれる。
床が割れ、
石が沈む。
「……ッ、は!」
マリスが、
息を吐く。
白火が、
槍を通して侵食してくる。
削る火。
喰う火。
だが。
「だからどうした?」
俺は踏み返す。
赤火が、
槍を走る。
噛み合う。
白と赤。
ぶつかった火が、
空間を削る。
「ッ――!」
マリスが、
さらに踏み込む。
速い。
だが、
一直線だ。
「見えてる」
槍を流す。
ずらす。
白銀の槍が、
俺の肩を掠める。
熱が走る。
そのまま、
懐へ入る。
「止まれ」
左手を伸ばす。
狙うのは槍じゃない。
身体だ。
セレスの時と同じ。
内側へ流す。
火を通す。
「……ッ!」
だが。
マリスが、
半歩引いた。
水膜が、
一瞬だけ膨らむ。
俺の火が、
弾かれた。
「なっ!?」
感触が違う。
通らない。
いや。
“触れさせていない”。
マリスは、
分かっている。
俺が何をしたのか。
セレスを、
どう止めたのか。
だから。
近づかせない。
火を、
内側へ入れさせない。
「……なるほど」
俺は、
小さく息を吐く。
「頭は回るな」
マリスは、
返さない。
白火が、
さらに荒れる。
水膜が、
蒸発する。
だが、
次の瞬間にはまた補充される。
燃えて。
冷やして。
壊れて。
繋ぐ。
無理矢理だ。
なのに、
成立している。
「……ッ!!」
マリスが、
再び消える。
左右。
上。
軌道が読めない。
白火そのものが、
残像みたいに空間へ残る。
「エアッ!!」
ユーリスの声。
遅い。
もう来てる。
「チッ」
槍を横へ振る。
――ギィンッ!!
火花が散る。
白銀の槍が、
真横から突き刺さっていた。
重い。
押される。
床が裂ける。
「……まだ、止まらない……!」
マリスの声が、
掠れていた。
限界だ。
なのに、
止めない。
白火が、
さらに暴れる。
仮面に亀裂が入る。
水膜が、
蒸発音を上げる。
それでも。
マリスは、
槍を押し込んでくる。
「私は……まだ……!」
「……バカか、お前」
俺は、
低く吐く。
「そんなもん、
続けたら今度はお前が壊れるぞ」
「……ッ!」
マリスの目が、
わずかに揺れる。
だが。
止まらない。
むしろ、
さらに火が膨れ上がった。
分かってる。
こいつ、
もう自分で止まれない。
だったら――
「無理矢理でも止める」
俺は、
槍を強く握り込んだ。
赤火が、
一気に噴き上がる。
白と赤。
二つの火が、
真正面から噛み合った。




