第168話:仮面の正体
カツン。
槍の石突きが、
床を叩く。
カツン。
隣で、
ユーリスの呼吸がまだ乱れている。
「……もう少しだ」
「はい……」
火を通し続け、
通路の先へと進む。
淡い光が見えた。
さっきの空洞だ。
「着くぞ」
「……はい」
その瞬間だった。
――ガンッ!!
硬い音が、
空洞の方から響いた。
「……?」
続いて。
金属が擦れる音。
床を抉る音。
短い息。
そして――
「ッ……!」
セレスの声。
俺は、
足を速めた。
ユーリスを支えたまま、
通路を抜ける。
視界が開く。
巨大な木。
墓標みたいな槍。
白銀の槍。
その前で――
セレスが、
膝をつきかけていた。
「……何?」
状況が、
一瞬だけ分からなかった。
セレスの周囲。
仮面をつけた者たちがいた。
一人ではない。
三人。
いや、
奥にもいる。
全員が、
槍を持っている。
白服ではない。
学院でもない。
息を殺したみたいな動き。
足音がない。
だが、
殺意だけがあった。
「セレスさん……!?」
ユーリスが、
掠れた声を漏らす。
セレスは、
槍を構えようとしていた。
だが遅い。
疲弊している。
さっきの通路で削られたまま、
まともに動けていない。
仮面の一人が、
低く踏み込んだ。
穂先が、
喉元へ走る。
だがセレスは反撃して弾き飛ばす。
弾き飛ばされた仮面、その横。
「……マリス?」
マリスがいた。
セレスの側ではない。
仮面の者たちと、
同じ側に。
マリスの魔法が、
セレスの足元を裂いた。
セレスの動きが、
一瞬止まる。
「……貴様……ッ」
セレスが、
低く呻く。
マリスは答えない。
顔色は悪いまま。
けれど、
その目だけは冷えていた。
「……」
俺は、
状況を理解できなかった。
なぜ、
マリスがそっちにいる。
なぜ、
セレスが襲われている。
なぜ、
こいつらは白槍に似た槍を持っている。
分からない。
だが。
セレスの首へ、
仮面の槍が届く。
それだけは、
分かった。
「ユーリス」
「え……」
俺は、
ユーリスの手を離した。
「立ってろ」
次の瞬間。
床を蹴った。
カツン、と。
槍の石突きが、
一度だけ鳴る。
その音が消える前に、
俺はセレスの前へ入っていた。
「――ッ!?」
仮面の穂先が、
俺の槍に当たる。
軽い。
それに、
遅い。
俺は、
槍を横へ振った。
刃ではない。
柄で。
まとめて払う。
――ドンッ!!
三人の身体が、
同時に吹き飛んだ。
石床を転がり、
墓標の槍へぶつかる。
一本が折れた。
乾いた音。
空洞に、
響いた。
「……」
セレスが、
俺の背後で息を呑む。
「エア……」
「てめぇら、何をしてる」
俺は、
前を見たまま言った。
「説明しろ」
答えはない。
仮面の者たちが、
ゆっくり起き上がる。
折れた槍を捨て、
別の槍を構える。
奥から、
さらに影が出てくる。
五人。
六人。
全員、
仮面。
全員、
槍。
「……多いな」
俺は、
槍を握り直す。
だが、
多いだけだ。
手の中の重みが違う。
今まで使っていた槍とは違う。
身体の奥にある火と、
この槍が噛み合っている。
力が、
余っている。
抑えても、
まだ溢れる。
「……」
仮面の一人が、
横から踏み込んだ。
動きは遅くない。
だが。
俺が槍を少し動かしただけで、
そいつの槍は弾け飛んだ。
「ッ――」
体勢が崩れる。
俺は肩で押した。
仮面の身体が床を滑り、
石に叩きつけられ動きが止まる。
「……なんだ、こりゃ?」
思わず漏れた。
軽すぎる。
いや。
敵がじゃない。
俺の方が、
前より重い。
強い。
槍が、
俺を押し上げている。
「……」
セレスが、
背後で立とうとした。
だが、
膝が落ちる。
「動くな」
「命令するな……!」
声は強い。
だが、
身体はついてきていない。
「セレスさん!」
「私に構うな!」
「ダメです!!」
「……ッチ」
ユーリスが、
少しふらつきながらセレスを支える。
そのまま視線が、
マリスへ向いた。
「マリスさん……どうして……?」
マリスは、
答えない。
ただ、
静かにこちらを見る。
その目が、
一瞬だけ俺の槍へ落ちた。
古い鉄。
荒い刃。
本物の槍。
ほんのわずか。
マリスの表情が、
痛むみたいに歪んだ。
だが、
すぐに消える。
「……エア、そこをどいて」
声は、
いつもより低かった。
「“その槍”をこちらに渡して。
あなたは中央の信徒ではないはず」
マリス……知っているのか……。
「どちらも断る」
即答した。
マリスの目が、
少しだけ細くなる。
「その人は……
ここで死ぬべきだった」
空気が、
止まる。
セレスの呼吸が、
背後で乱れた。
「……何だと」
「白服が何を企んでいるかは、
既に掴んでいる」
マリスが、
淡々と言う。
「だから……その人は儀式で耐えられずに死んだ……」
少しだけ間。
「そういうことにする……。
それが一番、被害が少ない……」
「そうか、貴様……学院の裏の者か」
セレスが、
歯を噛む。
「最初から、
知っていたというわけか」
マリスは、
答えない。
その沈黙が、
答えだった。
代わりに。
マリスは、
仮面をつけた。
そして、
足元の槍を拾い上げる。
「……」
その姿を見た瞬間。
胸の奥で、
何かが引っかかった。
仮面。
槍。
静かな構え。
感情のない立ち姿。
旧実技棟。
暗い地下。
倒れていたミリカ。
そして……。
槍を持った仮面。
「……お前」
記憶が、
重なる。
「お前が……あの時の」
マリスは答えない。
だが、
仮面の奥で、
目がわずかに細くなった。
次の瞬間。
火が走った。
「……ッ」
水じゃない。
火。
床を舐めるように、
赤い線が走る。
俺の足元へ。
いや。
俺じゃない。
背後のセレスへ。
「チッ」
槍を床へ突く。
カツン。
火が、
俺の前で裂けた。
左右へ割れ、
石床を焼きながら消える。
「……マリスさんが、火を……?」
ユーリスが、
息を呑む。
セレスも、
目を見開いていた。
「貴様……水ではなかったのか……」
マリスは答えない。
仮面の奥の視線だけが、
こちらを見ている。
俺は、
槍を握り直した。
「マリス……」
あの時。
ミリカを倒し、
俺を測った仮面。
削るような火。
詠唱のない炎。
「お前だったのか」
マリスは、
ゆっくり槍を構える。
「……退いて、エア」
「断る」
仮面たちが、
同時に動いた。
槍が六本。
左右から、
セレスへ向かう。
狙いは俺じゃない。
あくまで、
セレスだ。
「ユーリス!」
「はい!」
返事は早かった。
ユーリスが、
セレスの腕を支えたまま、
片手を前へ出す。
術式が浮く。
小さい。
不安定。
だが、
確かに組まれている。
「セレスさん、右です!」
「指図をするな!!」
セレスが、
歯を食いしばって槍を振る。
白い火が、
細く走った。
本来より弱い。
だが、
ユーリスの術式がその火を受け、
軌道を変える。
仮面の足元へ。
「ッ」
一人が止まる。
そこへ、
セレスの槍が入る。
深くはない。
だが、
動きが崩れた。
この二人、
即席にしては悪くない動きだ。
俺は前へ出る。
別の仮面が割り込んだ。
槍の穂先が、
俺の脇へ伸びる。
「邪魔だ」
俺は、
槍を軽く回した。
――ガンッ!!
相手の槍が、
根元からへし折れる。
「……ッ!?」
仮面の動きが止まる。
俺はそのまま、
柄で胸を打った。
――ドッ!!
仮面の身体が、
真横へ吹き飛ぶ。
墓標の槍を二本巻き込み、
石壁へ叩きつけられた。
「……」
マリスの火が、
上から落ちる。
旧実技棟の時と同じ。
振り下ろすような火。
削る火。
俺は、
避けなかった。
槍を一度、
上へ向ける。
火が触れ、消えた。
俺の槍が、
その火を噛み砕いたみたいだった。
「……」
マリスの動きが、
わずかに止まる。
俺も、
手元を見る。
今の時代では、
もっと意識して近づいてから火が消えた。
だが、
これは違う。
槍が噛み砕いた火が、
俺の中を通る。
呼吸とともに力が湧き上がる感覚が走る。
「……なるほどな」
俺は、
小さく呟く。
「これが神器になった俺の……、今はこういう感じか」
マリスが、
一歩下がる。
仮面たちも、
動きが鈍った。
数で押せばいい相手じゃないと、
ようやく分かったらしい。
「……本当に……それを使えるんだね」
マリスの声が、
仮面の奥から落ちる。
「俺の槍だからな」
短く返す。
「使えるも何もない」
マリスは、
一瞬だけ目を伏せた。
「……だから困ってる」
その声は、
小さかった。
けれど、
確かに聞こえた。
セレスは、
ユーリスに支えられながら、
低く言う。
「エア……油断するな。
その女は……」
「お前が言うな」
「……」
「立てるのか?」
「……立つ」
「無理するな」
「貴様等に……守られる理由はない……」
「理由なんか知らん」
俺は、
前を見たまま言った。
空洞が、
静まり返る。
仮面たちが、
再び槍を構える。
マリスも、
構えを取った。
まだ状況を飲み込めていない。
だが。
槍を握る手だけは、
迷わなかった。
俺は、
更に一歩前へ出た。
古い鉄が、
低く鳴った。
「まずは、こいつらを止める!!」
仮面たちが、
一斉に踏み込んだ。
左右。
正面。
背後へ回るものもいる。
だが、
遅い。
見えている。
それ以上に、
力が違う。
一本目を弾く。
二本目を折る。
三本目は、
触れる前に石突きで床を打つ。
カツン。
火が床を走る。
仮面の足場が、
赤く沈んだ。
踏み込みが止まる。
そこへ槍を振る。
刃ではない。
柄で。
まとめて、
押し潰す。
――ドォンッ!!
三人が、
同時に膝をついた。
床が割れる。
「……っ」
ユーリスが、
息を呑む。
「これ……前より……」
「エア……貴様……」
セレスも、
低く呟く。
「その力は……いったい……」
マリスは、
その光景を見ていた。
そして。
ゆっくりと、
白銀の槍へ視線を向けた。
巨大な石台座。
そこに突き立てられた、
神々しいほど綺麗な槍。
人工の神器。
俺の槍を模したもの。
「……」
マリスが、
一歩下がる。
逃げるためじゃない。
白銀の槍へ。
「おい」
俺は、
目を細める。
「何をする気だ?」
マリスは答えない。
仮面たちが、
時間を稼ぐように前へ出る。
だが、
意味はない。
俺が槍を振るたび、
一人ずつ吹き飛ぶ。
火も。
術式も。
横槍も。
ほとんど意味を成さない。
力が、
噛み合っていない。
昔の槍を握った俺と、
今のこいつらでは。
「……無駄だ」
俺は、
低く言った。
マリスの手が、
白銀の槍へ伸びる。
「取らせるな!」
セレスが声を上げた。
だが――
マリスの指先が、
柄に触れた。
その瞬間。
白銀の槍の術式が、
一斉に光った。
空洞全体が、
震える。
大木の葉が、
ざわりと鳴る。
「……っ、く……!」
マリスの喉から、
苦しげな声が漏れた。
仮面の奥で、
息が詰まる。
握った指先から、
白い光が皮膚へ食い込んでいた。
拒んでいる。
槍が、
マリスを拒絶している。
それでも、
マリスは手を離さなかった。
「……っ、まだ……」
声が、
震える。
「私は、使える……」
白銀の槍の光が、
さらに強くなる。
セレスが、
目を見開いた。
「馬鹿な……混ざりもの如きが……」
ユーリスが、
掠れた声で叫ぶ。
「マリスさん!!」
マリスは、
仮面の奥で息を吐いた。
「……ッ!!」
白銀の槍が、
台座の中で低く鳴る。
まるで。
眠っていた別の何かが、
無理やり目を覚まされようとしているみたいに。




