第167話:本物
二人が来た道とは違う通路へ踏み込んだ。
「……」
空気が、
また変わる。
さっきまでの空洞とは違う。
狭い。
暗い。
壁の術式が、
細く伸びている。
俺が通った通路と同じような感じだ。
「ユーリス!いるかー!」
呼ぶ。
返事はない。
「……?」
だが、
奥に気配があった。
弱い。
今にも、
消えそうな気配。
俺は、
足を速めた。
通路を逆走する。
圧がさっきより軽い。
ほとんど感じない。
俺の中の火が、
それを焼いている。
「……」
角を曲がる。
さらに奥。
壁の光が、
一部だけ鈍く沈んでいた。
そこに、
いた。
「……ユーリス!」
ユーリスがいた。
壁にもたれかかっている。
膝は崩れ、
片手は胸元を押さえていた。
顔色が悪い。
唇から、
血の気が消えている。
息は乱れていた。
喉が、
うまく空気を掴めていない。
「……エ、ア……?」
かすれた声。
俺は、
すぐに膝をつく。
「大丈夫か?」
「……あは……」
ユーリスは、
笑おうとした。
だが、
途中で息が途切れる。
「だい、じょうぶ……では……
ない、ですね……」
「何が起きた」
「……魔力を……
持っていかれました……」
途切れながら、
ユーリスが言う。
「この通路の術式……
ただの、負荷じゃ……ありません……」
胸元を押さえた指が、
小さく震えている。
「内側の魔力を……
術式に、合わせさせる……」
「合わせさせる?」
「はい……抵抗すれば……
削られる……」
浅い吐息。
「合わせようとすれば……
もっと深く、絡まれる……」
ユーリスの視線が、
壁の術式へ向く。
「多分……選別用、です……」
「……選別……」
「魔力の質……
術式への適性……
耐性……精神の反応……」
声が、
どんどん細くなる。
「全部……
測って……それで……」
「もういい」
俺は、
短く言った。
「喋るな」
「……でも……」
「いい」
額に、
汗が浮いている。
完全に、
消耗していた。
魔力枯渇。
そういう状態なのだろう。
だが、
俺には分からない。
魔力の流れも。
量も。
何が足りないのかも。
……見えない。
「……くそ」
小さく漏れる。
分からないなら、
分かるものでやるしかない。
俺は、
手を伸ばした。
ユーリスの肩へ触れる。
冷たい。
いや、
冷たいわけじゃない。
中が、
空になっている感じがした。
「……エア、何を……?」
「火を通す」
「え……?」
「お前の中に、俺の火を通す」
ユーリスの目が、
わずかに開く。
一瞬だけ、
理解が遅れた。
けれど、
すぐに息を吐く。
「……普通は……そんなこと、したら……」
言いかけて、
小さく咳き込む。
「内側が……焼けます……」
「俺を信じろ」
短く言う。
ユーリスは、
俺を見る。
疑ってはいなかった。
怖がってもいない。
ただ、
それがどれだけ異常なのかを、
知っている顔だった。
「……はい」
かすれた声で、
それでも迷わず頷く。
「エアなら……
大丈夫です……」
「少し耐えろ」
「はい……お願いします……」
ユーリスが、
ゆっくり目を閉じる。
今にも、
意識が落ちそうだった。
「……」
俺は、
小さく息を吐いた。
火を、
落とす。
強くしない。
燃やさない。
壊さない。
細く。
穏やかに。
指先へ、
火を集める。
淡い火。
吐息みたいな火。
「……行くぞ」
ユーリスの肩へ触れたまま、
その火を通した。
「――っ」
身体が、
小さく震える。
だが、
拒絶はない。
俺は、
さらに火を弱めた。
「熱いか」
「……少し……だけ……」
掠れた声。
「でも……
嫌な感じ、じゃないんです……」
火が、
ユーリスの内側へ流れていく。
魔力は見えない。
だが、
空洞は分かる。
冷えている場所。
削られて、
何もなくなっている場所。
そこへ、
火を置く。
灯りを入れるみたいに。
「……」
壁の光が、
呼吸みたいに揺れた。
まるで、
こちらを観測しているみたいに。
構わない。
俺は、
さらに火を流す。
「……っ、は……」
ユーリスの息が、
少し深くなる。
胸の上下も、
さっきより大きい。
頬にも、
わずかに色が戻っていた。
「……すごい……」
小さく、
ユーリスが呟く。
「何がだ」
「火が……流れてる……」
「流してるからな」
「普通……こんな……」
呼吸を整えながら、
ユーリスが苦笑する。
「……エアの火は……
あったかいですね……」
「そうか……」
「……はい」
ユーリスが、
薄く笑う。
その顔は、
さっきよりずっとマシだった。
「……ほんとに……
なんでもありですね、エアは……」
「喋る元気が出たなら、
もう少し耐えろ」
「はい……」
俺は、
さらに火を奥へ通す。
絡みついていた術式の残滓が、
中にある感覚があった。
焼き消す。
無理やり剥がさない。。
こびりついたものを溶かし、
ユーリスの火を強める。
「……っ」
ユーリスが、
一度だけ大きく息を吸った。
止まりかけていた流れが、
戻るみたいに。
肩の力が、
少し抜ける。
「……戻ってきました……」
「立てるか?」
「……多分」
「多分じゃ困る」
俺は、
ユーリスの腕を取った。
引き上げる。
一瞬だけ、
膝が崩れかける。
だが。
「……っ」
ユーリスは、
踏みとどまった。
壁へついていた手が、
ゆっくり離れる。
「……立て、ました」
「なら進むぞ」
「はい……」
まだ、
足元は不安定だ。
だから、
俺は火を通し続ける。
消えかけた火種へ、
熱を分けるみたいに。
「……エア」
「なんだ」
「わざわざ来てくれたんですか?」
「……当たり前だ」
そう言うと、
ユーリスは少しだけ嬉しそうに笑った。
壁の光が、
淡く揺れる。
だが、
もうさっきほどの圧は感じない。
俺は、
ユーリスを支えながら、
来た道を引き返し始めた。
片手は、
ユーリスを。
もう片方には、
槍。
カツン。
カツン。
槍の石突きが、
床を叩く音だけが、
静かな通路へ響いていた。
「……」
ユーリスの呼吸は、
まだ少し乱れている。
だが、
さっきよりはずっといい。
火は、
まだ絶やさず流し続けている。
崩れないように。
消えないように。
「……」
その時。
ユーリスの視線が、
ふと槍へ向いた。
カツン。
また、
床を打つ。
そこで、
ユーリスの目が止まった。
「……あれ……?」
小さな声。
俺は、
少しだけ視線を向ける。
「なんだ」
「その槍……」
ユーリスが、
ゆっくり瞬きをする。
まだ意識は、
完全じゃない。
それでも、
違和感には気づいたらしい。
「前の槍と……
違います……?」
カツン。
俺は、
少しだけ槍を見る。
分厚い刃。
歪な穂先。
飾り気のない鉄。
古い火の匂い。
「……ああ」
短く返した。
「戻った」
「戻った……?」
ユーリスが、
かすかに首を傾げる。
「これが、俺の元の槍だ」
「……元の……」
そこで、
ユーリスが黙る。
数秒。
それから。
「……え」
息が、
一瞬だけ戻ったみたいに。
ユーリスの目が、
少しだけ大きく開いた。
「そ、それって……」
声が震える。
疲弊しているはずなのに、
その目だけが妙に冴えていた。
「つまり……これが……」
カツン。
槍が、
床を叩く。
ユーリスの視線が、
その音を追う。
ただの武器じゃない。
そう理解した顔だった。
「ほ、本物の……神器……?」
「神器じゃない」
俺は短く返した。
「俺の槍だ」
「……」
ユーリスが、
口を閉じる。
だが、
目は槍から離れない。
「いや……それを……
今の時代では、神器って言うんです……」
「そうなのか」
「そうなんです……でも……」
ユーリスは、
槍を見た。
「記録と……
全然、違う……」
呆けたように言って、
けれどすぐに息が乱れる。
「っ……」
足が、
わずかに崩れた。
俺は、
支える手へ少し力を入れる。
「喋るな」
「でも……」
「戻ってからにしろ」
「……はい」
ユーリスは、
それでも槍を見ていた。
信じられないものを見る顔で。
そして、
小さく呟く。
「……本当に……
取り戻したんですね……」
俺は答えない。
ただ、
槍を杖みたいに床へ突く。
カツン。
カツン。
その音だけが、
通路へ静かに響いていた。




