第165話:継槍の儀
講堂へ戻る。
熱気が、
一気に押し寄せてきた。
音楽。
笑い声。
酒の匂い。
火線祭の晩餐会は、
まだ終わっていない。
「エアー!!」
真っ先に飛んできたのは、
ミリカだった。
「どこ行ってたにゃ!?」
勢いのまま、
こちらへ顔を近づける。
「……少し外だ」
「ふーん?」
ミリカの耳が、
ぴくりと動く。
猫眼が、
じーっとこちらを見る。
そのまま、
隣のユーリスへ視線が移った。
「……」
ユーリスが、
少しだけ肩を強張らせる。
ミリカは、
鼻をひくつかせた。
「……なんかあったにゃ?」
「な、何もないですよ!?」
即座にユーリスの答える。
あからさまに反応が早すぎる。
ミリカの目が、
さらに細くなる。
「怪しいにゃ」
「怪しくないです!」
「絶対なんかあったにゃ」
尾が、
ぱたぱた揺れる。
「エア、
なんか空気違うにゃ」
「そうか?」
「そうにゃ」
じーっと見てくる。
獣人特有の勘なのか、
妙に鋭かった。
その時だった。
講堂入口側の空気が、
少しだけ変わる。
「……」
白。
セレスだった。
白い外套を纏ったまま、
静かに戻ってくる。
白服達が、
自然と道を開けた。
中央席側の視線も、
一気に集まる。
いつものセレス。
白の象徴。
そう見える。
だが…、ほんの一瞬だけ。
セレスの視線が、
こちらへ向いた。
止まる。
すぐ逸れる。
だが、
ユーリスはそれを見ていた。
「……」
何も言わない。
ただ、
小さく唇を結ぶ。
その瞬間。
――カンッ……。
高く澄んだ音が、
講堂へ響いた。
音楽が止まる。
ざわめきも、
少しずつ静まっていく。
壇上。
学院長が、
ゆっくり前へ出た。
白髪。
長い外套。
穏やかな老人。
だが、
講堂全体が自然と静まる。
それだけの空気があった。
「諸君」
静かな声。
なのに、
不思議と全員へ届く。
「今年の火線祭も、
多くの優れた“技”と術”を見ることができた」
講堂へ視線を流す。
「競い合い。
ぶつかり。
時に傷つきながらも。
なお前へ進もうとする姿は、
我々教師にとって誇りである」
静かな拍手が起こる。
学院長は、
それを手で制した。
「だが」
空気が変わる。
「火線祭は、
祝祭だけでは終わらない」
ざわめきが消える。
「この後、選抜者のみが進む最終段階――」
学院長の杖が、
静かに床を打つ。
「継槍の儀へ移行する」
空気が、
わずかに張った。
白服側。
教師陣。
上位生徒。
皆、
顔つきが変わる。
「諸君らも知る通り、
継槍の儀は学院地下遺構への進入試験である」
静かな声。
「だが、これは名誉の場であると同時に――」
学院長の目が、
わずかに細くなる。
「死地でもある」
講堂が静まり返る。
「毎年、負傷者や重傷者も出る」
そして。
「……運が悪ければ、死ぬ」
その言葉を、
学院長は隠さなかった。
「故に」
杖を、
もう一度打つ。
「無理をするな」
静かな声だった。
「進めぬと思ったなら、
即座に戻れ」
講堂を、
真っ直ぐ見渡す。
「誇りのために死ぬな。
意地のために死ぬな」
空気が、
重く沈む。
「生きて戻ることを、
私は最優先とする」
その言葉だけ、
妙に重かった。
「継槍の儀は、
火を継ぐ者を選ぶ儀ではない」
学院長の声が、
静かに響く。
「火に呑まれず、
なお歩ける者を選ぶ儀だ」
誰もが、
言葉を失っていた。
「では」
学院長が、
巻物を開く。
「今年度、
継槍の儀への進入資格を認める者を発表する」
講堂の空気が張る。
「第一陣営推薦――セレス」
白服側が静まる。
「学院推薦――マリス」
水側の席で、
マリスが静かに目を細めた。
「特別観測指定――ユーリス」
「……え?」
ユーリスが、
目を見開く。
周囲もざわついた。
推薦ではない。
“特別観測指定”。
教師席の一部が、
小さく顔を見合わせる。
学院長が、
最後に視線を上げる。
「個人戦優勝者――」
静寂。
「エア」
その瞬間。
講堂全体の空気が、
大きく揺れた。
ざわめき。
視線。
白服側。
教師陣。
中央席。
全部が、
こちらへ向く。
「……」
俺は黙ったまま壇上を見る。
学院長だけが、
静かにこちらを見返していた。
ーーーーー
晩餐会が終わった頃には、
もう夜も深くなっていた。
部屋へ戻る。
窓の外では、
まだ火鳥の残光が遠くに揺れている。
「……」
静かだった。
祭りの熱が、
ようやく遠ざかっていく。
椅子へ腰を下ろす。
今日だけで、
色々ありすぎた。
セレス。
ユーリス。
継槍の儀。
地下迷宮。
「……」
小さく息を吐いた、
その時だった。
――コンコン。
扉が鳴る。
「……入れ」
扉が開く。
「はぁ〜……疲れたぁ」
ノクシアだった。
完全に仕事終わりの顔をしている。
礼装も少し崩れていた。
「……何だ」
「何だとはご挨拶ねぇ」
勝手に部屋へ入り、
そのまま椅子へ座る。
「お茶ある?」
「ない」
「気が利かない男」
好き勝手だった。
だが、
今日は妙に静かでもある。
「……」
少しだけ沈黙。
ノクシアは、
窓の外を見る。
「継槍の儀、
始まるわねぇ」
「……ああ」
短く返す。
「ユーリス、
驚いてたわね」
「特別観測指定…そんなのがあるんだな?」
「えぇ」
そこで、
ノクシアの空気が少し変わった。
さっきまでの軽さが、
ほんの少し消える。
「……あの子、
本来ならまだ、
あそこへ入る側じゃないのよ」
「……」
「でも選ばれた」
静かな声。
「理由は多分、
あの子の属性」
「……火と水か」
ノクシアが頷く。
「普通、二属性はどこかで偏るの」
静かな声。
「火が強くなれば水が崩れる。
水を制御すれば火が鈍る」
窓の外を見る。
「でもユーリスは違う」
「……」
「反発しないのよ、あの子」
部屋が静まる。
「混ぜてるんじゃない。
“共存”してる……だから見つかった」
ノクシアが、
小さく息を吐く。
静かな沈黙。
「……継槍の儀は、
ただの試験じゃない」
ぽつりと続ける。
「昔から、
“適性”を見てる」
「……神器か」
「さぁね。でも」
すぐ返ってくる。
「あそこには昔から、
そういうものが沈んでる」
窓の外で、
火鳥が弾けた。
赤い光が部屋を染める。
「だから来たの」
ノクシアの視線が、
真っ直ぐこちらへ向く。
「エア」
「何だ」
「ユーリスを守って」
即答だった。
「言われなくてもそのつもりだ」
「……ならいい」
だが、
ノクシアはまだ安心していない顔だった。
「……あの子ねぇ」
小さく息を吐く。
「自分のためなら、
意外と止まれるのよ」
「……」
「でも、
誰かのためになると止まれない」
脳裏に、
階段で感情をぶつけてきたユーリスの顔が浮かぶ。
「だから、
あんたが止めて」
静かな声だった。
「無茶するときも。
抱え込む時も。
……多分、地下でも」
「……ああ」
短く返す。
ノクシアは、
ようやく少しだけ肩の力を抜いた。
「ならいいわ」
立ち上がる。
「帰る」
「お茶は諦めるのか?」
「今度持ってきなさい」
「横暴だな」
「教師特権」
そんな事を言いながら、
ノクシアは扉へ向かう。
だが、
出る直前。
少しだけ止まった。
「……あと」
振り返らないまま、
小さく言う。
「あんまり女の子泣かせるんじゃないわよ?」
「……」
「ユーリスもだけど」
最後だけ、
少し笑う。
「ほんと、
罪な男よねぇ、あんた」
そのまま扉が閉まる。
静寂。
部屋に残ったのは、
火鳥の赤い残光だけだった。
ーーーーー
翌朝。
学院は、
昨日の熱をまだ少し残していた。
中庭には、
火線祭の装飾がまだ揺れている。
焦げた石畳。
崩れた訓練壁。
夜通し騒いでいた生徒達も、
まだ少し残っていた。
だが――
俺達が通された場所だけは違った。
中央棟の奥。
普段、
学生が近づけない区画。
窓のない石廊下。
音もない。
前を歩くのは、
ガレスだった。
黒い教師外套。
重い足音だけが、
静かに廊下へ響く。
隣でユーリスが小さく呟く。
「……こんな場所、初めてです」
ガレスが、
短く返した。
「普通は来ないからな」
それ以上は語らない。
その時。
前方の扉の前で、
ガレスが止まった。
重い石扉。
表面には、
幾重もの術式。
ガレスが、
片手を触れる。
低く魔力が流れた。
――ゴゥ……。
鈍い音。
扉が開く。
中は、
薄暗かった。
円形の部屋。
床一面へ、
巨大な魔法陣が刻まれている。
転移術式。
しかも、
かなり大規模だ。
「……」
視線を動かす。
既に、
二人いた。
セレスとマリス。
「……来た」
マリスが、
静かにこちらを見る。
いつもの調子。
だが、
妙に声が静かだった。
「……」
セレスもいる。
白い外套。
白槍。
昨日の涙など、
最初から存在しなかったみたいに立っている。
だが。
視線だけが、
ほんの一瞬こちらへ向いた…。
「…」
だが、それだけだった。
「全員揃ったな」
ガレスが口を開く。
部屋の空気が、
さらに張った。
「これより、継槍の儀を開始する」
低い声。
「諸君らには、
地下遺構深層区画へ移動してもらう」
床の術式が、
淡く光っていた。
「それと」
ガレスが、
机の上へ黒布を置く。
細長い布。
「移送中は、
これを着用しろ」
ガレスの手にある布を見て、
セレスが静かに言う。
「……目隠しか」
「地下区画への経路、
転移座標、
位置情報は機密指定だ」
ガレスは淡々としていた。
「学院生徒であっても例外はない」
ユーリスが、
少しだけ顔を強張らせる。
そこでマリスが聞く。
「従わない場合は?」
「参加資格剥奪だ」
部屋が静まる。
「……」
つまり。
学院内部でも、
地下迷宮そのものは完全秘匿。
知られていない。
「着用しろ」
ガレス達が、
順番に布を渡してくる。
受け取る。
黒布は、
妙に冷たかった。
ガレスの視線が、
ほんの一瞬だけユーリスへ向いた。
「……」
短い沈黙。
だが、
何も言わない。
ユーリスは、
その視線に少しだけ肩を強張らせた。
「……」
緊張している。
「怖いか?」
ユーリスが、
少しだけこちらを見る。
「……少しだけ」
正直だった。
だが。
「でも、行きます」
目は逸らさない。
「……そうか」
短く返す。
その時。
「……エア」
セレスだった。
視線が向く。
セレスは、
黒布を手に持ったまま、
静かにこちらを見ていた。
「昨日のことは、まだ整理できていない」
「……ああ」
「だが」
ほんの少し、
言葉が止まる。
「地下では、私情は持ち込まない」
静かな声。
「私は、聖杭槍杖だ……」
「……好きにしろ」
短く返す。
セレスが、
ほんの少しだけ目を細めた。
「……お前は、
本当にそういう男だな」
意味の分からない返答だった。
だが、
それ以上続けない。
黒布を巻く。
視界が閉ざされる。
暗闇。
その瞬間。
床の術式が、
強く光ったのが少し見えた。
ゴォォォ――……。
空間が唸る。
重力が、
一瞬だけ揺れた。
魔力の奔流。
俺でもそれが分かる勢いだった。
「――転移開始」
ガレスの声。
次の瞬間。
世界が、
落ちた。




