第162話:見なければならない
晩餐会は、
その後も続いていた。
音楽。
笑い声。
酒。
火線祭の熱は、
まだ講堂の中で揺れている。
「エアこれ食えって!」
「肉ばっか持ってくるな……」
「にゃっ!? それあたしのにゃ!!」
騒ぐ声。
ユーリスの悲鳴。
パコダの笑い。
ミリカの尾。
全部、
少し離れた場所から聞こえていた。
「……」
少しだけ、
空気を吸いたくなった。
講堂を抜ける。
夜風が、
ほんの少し火照った身体を冷ました。
学院の廊下は静かだった。
遠くから、
音楽だけが聞こえてくる。
「……」
ぼんやり、
窓の外を見る。
火の灯り。
祭りは、
まだ終わっていない。
その時だった。
「……あらぁ?」
間延びした声。
振り向く。
「エアじゃない? ひっく」
ノクシアだった。
少し頬が赤い。
酒だ。
教師用の礼装のまま、
壁へ寄りかかっている。
「何してんのよ、
こんなとこで?」
「別に。
お前こそ、こんなとこで一人飲みか?」
ノクシアが、
にこにこしながらふらっと近づいてくる。
妙に機嫌がいい。
完全に酔っていた。
「中、すごいわよ〜?」
ノクシアが、
面倒そうに手を振る。
「貴族だの中央だの、
おっさん達ずーっと難しい話してるし」
「お前も参加してたんじゃないのか」
「してたわよぉ?
した上で逃げてきたの」
駄目な教師だった。
ノクシアは、
窓の外を見る。
「でもまぁ……」
小さく笑う。
「今年は面白かったわねぇ」
「……何がだ」
「全部」
くすっと笑う。
「白服が暴れるし、
学院側はキレるし、
獣人の族長は娘の嫁入り始めるし、あれ最高だったわよ〜」
「……見てたのか」
ノクシアは何か思い出したのか、
突然吹き出した。
「ふふっ……セレスも、
あれは流石に予想外だったわ〜。
まさかあんな大胆なことするとはねぇ〜」
「……」
「中央の上、
顔死んでたもの」
ノクシアが、
肩を震わせながら笑う。
「“白の象徴が何してるんだ”って顔!
おかしいったらありゃしない!」
「知らん」
ノクシアは、
ちらっとこちらを見る。
「それで〜?」
「何だ」
「気になる?」
「何が」
「セレス」
即答だった。
「別に」
「はい嘘〜」
酔ってるせいで、
妙にうざい。
ノクシアは、
にこにこしたまま壁へ背を預ける。
「ま、いいけどねぇ。
あんたが誰を気にしようが」
「……」
「でも」
少しだけ、
目が細くなった。
酔っている。
だが、
その奥だけは妙に冷めていた。
「あの子のことは、
ちゃんと見てやりなさいよ」
「セレスか?」
「違うわよ」
ノクシアは、
軽く指を振る。
「ユーリス」
「……ユーリス?」
「そ」
ノクシアは、
窓の外へ視線を流す。
「本人はまだ、
憧れだとか恋だとか何だとか、
そういう名前を付けられてないでしょうけどねぇ」
少し笑う。
「でも、
ここまであんたを追いかけて来た」
「……」
「分かってるでしょ?」
答えられなかった。
ノクシアは、
それを見て小さく息を吐く。
「まあ、あんたからすればってやつ?」
その言葉に、
少しだけ視線を向ける。
ノクシアは笑っていた。
「分かってるわよ。
あんたが何を見てるかくらい」
酔った声。
だが、
言葉は静かだった。
「私も。
ユーリスも。
セレスも。
カイナも、他の子達も」
だが、
その目の奥はまっすぐに俺を見ていた。
「あんたの目には、
きっと全部、放っておけない子どもに見えてる」
「……」
否定はしなかった。
ノクシアは、
肩をすくめる。
「でもねぇ」
少しだけ、
声が柔らかくなる。
「あの子達はそんなの知った事じゃないの。
ちゃんと一人の女なのよ」
「……」
「守るだけじゃ、
足りないこともある」
遠くで、
晩餐会の笑い声が弾けた。
ノクシアは、
その音を聞きながら続ける。
「ユーリスは、
あんたを失う未来を怖がってる」
「……」
「あの子、
昔からそうなのよ。
大事なものほど、
自分から握るのが下手」
少しだけ、
口元が緩む。
「だから背中くらいは押したわ」
「押した?」
「ええ」
ノクシアは、
こちらを見る。
「会えなくなるのが嫌なら、
追いなさいって」
「……」
「それでここまで来た」
静かな声だった。
「だから」
ノクシアは、
指先をこちらへ向ける。
「引っ掻き回すなら、
責任は持ちなさい」
「何の責任だ」
「決まってるでしょ」
目が、
少しだけ鋭くなる。
「子ども扱いして守るだけじゃなくて、
ちゃんと相手の選んだものも見る責任よ」
「……」
「ユーリスがあんたを選ぶなら、
それを“子どもの迷い”で片付けないこと」
一拍。
「セレスがあんたを見て揺れるなら、
それを“危なっかしいから”だけで遠ざけないこと」
ノクシアは、
ふっと笑った。
「先祖気取りで、
全部まとめて抱えて、
全部に優しくして、
最後に一人で消えるとか」
声が、
少し低くなる。
「そういうのは許さないわよ」
「……」
「少なくとも、
ユーリスにはね」
酔っているくせに。
その声だけは、
妙に真面目だった。
「……」
少しだけ沈黙が落ちる。
遠くで、
また笑い声が弾けた。
ノクシアは、
ふらっと窓へ背を預ける。
「まぁいいわ、あんたそこは馬鹿じゃないし」
ぼそり。
「セレスなら、
さっき見たわよ」
視線が向く。
「……どこでだ」
「医療棟の方よ」
軽く言う。
「一人だったわねぇ。
白服も連れてなかった」
「……」
「声掛けようとしたんだけど」
ノクシアが、
少しだけ肩をすくめる。
「顔見たらやめた」
「何でだ?」
「面倒くさそうな顔してたから」
ノクシアなりの本音だった。
「今の話のあとでそれを言うか?」
「だって私はユーリスの味方だもの?」
味方。
酒飲みでどうしようもないノクシアだが、
そこは揺るがないらしい。
「ふふふ」
小さく笑う。
「“分かんなくなってる顔”してたわよぉ〜」
「……」
「だから放っといた」
あっさり言う。
「私、あの子の事情までは知らないし」
そのまま、
ちらっとこちらを見る。
「でもまぁ」
口元が少しだけ上がる。
「原因には心当たりあるんじゃない?」
「俺も……分からないことがある」
小さく吐き出す。
ノクシアが、
少しだけ目を細めた。
「だから会いに行く」
夜風が吹く。
遠くの音楽が、
一瞬だけ静かになった気がした。
「……ふぅん」
ノクシアは、
壁へ背を預けたまま笑う。
「それ、ちゃんと本人に言いなさいよ?」
「何をだ」
「“分からない”ってこと」
即答だった。
「変に大人ぶって、
一人で答え出そうとすると、余計こじれるわよ」
「……」
「特にあの子みたいなのはねぇ」
ノクシアは、
少しだけ天井を見る。
「正解ばっか教え込まれてきた子って、
“分からない”を一番怖がるから」
静かな声だった。
「負けるのも。
揺れるのも。
誰かに触れて変わるのも」
一拍。
「全部、“間違い”だと思っちゃうのよ」
「……」
セレスの顔が浮かぶ。
抱きついてきた時の熱。
震えていた肩。
何をしたのか、
自分でも理解できていないみたいな顔。
「……面倒だな」
ぽつりと漏れる。
ノクシアが吹き出した。
「ほんとそれ」
くすくす笑う。
俺は、
小さく息を吐く。
「……行ってくる」
そのまま歩き出そうとする。
だが。
「エア」
ノクシアが呼ぶ。
振り向く。
ノクシアは、
少しだけ笑っていた。
「ちゃんと戻ってきなさいよ」
「……?」
「誰かを置いて勝手に消えたりするんじゃないってことよ」
その言葉だけ。
妙に真っ直ぐだった。
「……分かった」
短く返す。
ノクシアは、
満足そうに頷く。
「よし」
それから、
またいつもの調子へ戻る。
「あとユーリス泣かせたら、
今度こそ解剖するから」
「今日はだいぶ酔ってるな」
「酔っててもやるわよ〜?」
駄目な教師だった。
背後で、
ノクシアの笑い声が響く。
俺はそのまま、
静かな廊下を歩き出す。
医療棟の方へ。
遠くで、
祭りの火がまだ揺れていた。




