第160話:消えた異端の色
歓声が、
遅れて押し寄せてくる。
(倒された…)
音が遠かった。
今は、
それよりも。
目の前の男から、
目が離せなかった。
(……なんだ、これは)
初めてだった。
あの人以外に負けたのも……。
他人をこんな風に見続けたのも……。
エアは、
異常だった。
火。
熱。
底の見えない圧。
まるで人ではない何か。
だからこそ、
見極めようとしていた。
そう、
見ていたはずだった。
だが――
今、目の前にいたものは違う。
思い出す。
低く沈んだ姿勢。
地を這う動き。
獣みたいな踏み込み。
型などなかった。
技術として見れば、
荒削りもいいところだ。
なのに。
あの槍は、
私の知るどの槍よりも重かった。
力ではない。
技でもない。
もっと別の……。
生命そのものを、
叩きつけられているみたいだった。
「……エア……」
ぽつりと、
言葉が漏れる。
「?」
エアの視線が、
こちらを向いた。
自分でも、
意味が分からなかった。
何故、
呼んだのか。
エアの火は……焼くための火じゃない。
壊すための熱でもない。
誰かを守るために、
抱え込んだ火。
そんな風に、
感じてしまった。
「……」
胸の奥が、
騒ぐ。
知らない感覚だった。
こんなもの、
今まで知らない。
人を見て、
こんな風に感じたことなどなかった。
必要なのは判断。
異端。
危険。
監視対象。
そうしていたはずなのに。
もっと見たいと、
思ってしまっている。
「……何なんだ、お前は……」
小さく漏れる。
その瞬間。
エアが、
こちらへ手を差し伸べた。
血まみれの左手。
私の槍で、
貫いた手。
「……ッ」
エアが、
一瞬だけその手を見た。
そして、
引っ込めようとする。
右手へ変えようとした。
だが――
気付けば、
身体が動いていた。
ガシッ――。
「……!」
その手首を掴んだ。
自分でも、
分からなかった。
何故、
掴んだのか。
離したくない。
逃がしたくない。
胸の奥から、
そんな感情が一気に溢れてくる。
理解できない。
こんな衝動、
知らない。
「セレス……?」
エアが、
少し目を見開く。
だが、
次の瞬間には。
躊躇なく、
その左手で私を引き上げた。
「ッ……」
痛みはあるはずなのに。
血だらけなのに。
そんなこと、
気にもしていないみたいに。
力強く。
真っ直ぐに。
立ち上がった瞬間だった。
身体が、
自然に動いた。
「「「え……」」」
観客席が、
一瞬静まり返った。
自分でも、
何をしているのか分からない。
だが、
気づけばエアを抱きしめていた……。
止められなかった。
温かい。
エアの熱が、
胸へ伝わってくる。
鼓動が、
聞こえる。
「……セレ、ス?」
エアの声。
だが、
離したくなかった。
胸の奥が、
妙に苦しい。
なのに、
安心する。
矛盾した感覚が、
ぐちゃぐちゃに渦巻いていた。
(……なんだ、これは)
分からない。
本当に、
分からない。
ただ――
今だけは。
この熱を、
離したくないと。
そう、
思ってしまっていた。
ーーーーー
ざわっ――。
闘技場が、
一気に揺れた。
「え……?」
「な、何して……」
「セレス様が……抱き……?」
誰も、
理解できていない。
白服達ですら、
言葉を失っていた。
教師まで、
完全に固まっている。
俺も、
動けなかった。
いきなりで、
理解できなかった。
「……」
気がつけば、
セレスの身体が押し付けられている。
鍛えてある、
しなやかな腕。
震える呼吸。
血と汗の混じった匂い。
引き剥がせばいい。
『何をしてるんだ、離せ』
そう言えば終わる。
なのに――
できなかった。
「……なっ」
喉が、
少し掠れる。
胸の奥が、
妙にざわついていた。
温かい。
この感覚…。
この熱…。
「……違う」
小さく漏れる。
あり得ない……。
こんなこと……。
これは違う、違うはずだ。
体の大きさも。
声も
髪も。
匂いも。
何もかも、
違う。
なのに。
抱きしめられている時の、
この感覚が――
頭の奥に、
妙なものを走らせる。
夜。
冷たい床。
寄り添う熱。
小さな身体。
体格差があった。
だから眠る時だけ、
こうして抱きついてきた温もり。
「……ッ」
鼓動が、
変に速くなる。
違う。
そんなはず……ないのに。
セレスの腕が、
服を掴む。
ぎゅっと。
離れたくないみたいに。
その感覚が、
妙に胸を締め付けた。
「……セレ、ス?」
呼ぶ。
だが、
セレスは離れない。
肩へ顔を埋めたまま、
小さく息をしている。
観客席は、
まだざわついていた。
教師が、
たじろいだ声を出す。
「せ、セレス……? エアも……その……離れろ……?」
だが。
俺は、
動けなかった。
右手で槍を支えたままの形。
自分でも、
分からない。
ただ――
この温もりを。
…懐かしいと思ってしまった。
「……」
その時だった。
頬を、
何かが伝った。
「……?」
風穴の空いた赤い手。
その横で、
すくい取った。
涙。
自分でも、
何で泣いているのか分からなかった。
その時。
赤色に染まっていく雫の向こう。
ユーリスと、
目が合った。
「……エア……?」
ハッとする。
熱が、
一気に引いた。
(何やってるだ、俺は)
「……セレス」
小さく呼ぶ。
無理やり、
引き剥がすことはしなかった。
代わりに。
血まみれの左手で、
軽く背中を叩く。
ぽん、と。
「もういい、離れろ」
静かに言う。
その瞬間。
セレスの肩が、
僅かに震えた。
ゆっくりと、
身体が離れる。
「……」
一度だけ。
セレスと、
目が合った。
だが。
セレスは、
すぐに視線を逸らす。
まるで。
自分が何をしたのか、
理解できていないみたいに。
「……ッ」
胸元へ、
そっと手を当てる。
鼓動を確かめるみたいに。
その姿は、
さっきまで槍を使っていた女とは思えなかった。
どこか。
まるで、
か弱い少女みたいで。
「……」
セレスは、
何も言わない。
静かに槍を拾う。
白い外套が、
揺れる。
そして。
そのまま、
背を向けた。
観客席のざわめきの中を、
静かに歩いていく。
誰も、
声を掛けられなかった。
ただ。
白い背中だけが、
遠ざかっていく。
「え、えぇ〜……オッホン!」
教師が、
慌てて咳払いする。
だが、
空気は戻らない。
観客席は、
いまだざわついたままだ。
「しょ、勝者エア――!!」
声が、
少し裏返る。
「火線祭・個別戦技試験……個人戦、優勝!!」
その瞬間。
闘技場が、
再び歓声に包まれた。
「うおおおおおおお!!」
「エアぁぁぁ!!」
「大金持ちだぁあ!!」
「なんだ今の試合!!」
「やっべぇぇぇ!!」
熱狂。
歓声。
叫び。
だが。
俺は、
遠ざかっていく白い背中を、
ただ黙って見ていた。
ーーーーー
その後。
火線祭の閉会式は、
半ば強引に進められた。
ざわめきが、
最後まで消えない。
当然だった。
誰も、
見たことがなかったからだ。
白服の象徴。
中央の槍。
あのセレスが、
試合後に相手へ抱きつくなど。
教師達ですら、
完全に動揺していた。
「……オッホン!」
何度目かの咳払い。
壇上へ出た学院長が、
静かに杖を鳴らした。
ゴォン――。
低い音が、
広場へ響く。
それだけで、
少しずつ空気が静まっていく。
「――諸君」
学院長の声。
穏やかだが、
よく通る。
「今年の火線祭も、見事じゃった」
視線が、
闘技場へ向けられる。
「火、水、土、風。
各々の技。知恵。
そして何より――」
一拍。
「“生き様”が見える、
良い戦いだった」
ざわめきが、
少しだけ止まった。
学院長は、
ゆっくり周囲を見渡す。
「勝者も、敗者も。
諸君らは確かに、前へ進んだ」
その言葉に、
観客席の空気が僅かに変わる。
張り詰めていたものが、
少しだけ緩む。
「本日の火線祭は、
これにて閉幕とする」
杖が、
再び鳴る。
ゴォン――。
次の瞬間。
空へ、
光が打ち上がった。
「おぉ……!」
歓声。
魔術花火が、
空へ広がる。
ちゃんと祭りだ。
本来は。
勝敗も、
政治も、
中央も学院も関係なく。
火線祭は、
戦争終結を祝う祭り。
だから。
街の広場では、
すぐに音楽が鳴り始めた。
屋台が開く。
酒が運ばれる。
学生達が騒ぐ。
さっきまで殺気立っていた白服達ですら、
どこか落ち着かない顔で言葉を交わしていた。
「いや、でも今のは……」
「見たか?」
「セレス様が……」
話題は、
どこへ行っても同じだった。
「エアぁぁぁ!!」
パコダが、
遠くから叫びながら走ってくる。
「お前何だあれ!?
最後どうなってんだよ!!」
「うるさい……」
肩を押さえながら、
小さく返す。
左手が痛い。
今更みたいに、
熱を持ち始めていた。
「エア!」
今度はユーリス。
顔を真っ青にして駆け寄ってくる。
「て、手!! 貫かれてるじゃないですか!!」
「ん……」
言われて、
ようやく見る。
血は、
まだ止まりきっていなかった。
「いや“ん……”じゃないですよ!!
何でそんな平然としてるんですか!?」
「……途中で忘れてた」
「忘れないでください!!」
涙目で怒鳴るユーリス。
その様子に、
周囲から小さく笑いが漏れる。
祭りの空気が、
少しずつ戻っていく。
だが。
「……」
俺だけは、
まだ引き戻されていなかった。
視線が、
自然と人混みを探す。
白。
長い髪。
白い外套。
だが――
もう、どこにも見えない。
「……」
胸の奥が、
妙にざわついたまま。
さっきの熱が、
まだ残っている。
歓声も。
音楽も。
魔術花火の光も。
全部、
遠かった。
俺はただ、
もう見えない白い背中を、
探し続けていた。




