第159話:流槍と獣槍
「すぅ……」
セレスが、
小さく息を落とす。
「……ふぅ」
その瞬間だった。
風が、
止まる。
「……?」
違和感。
今までと違う。
セレスが槍を両手で持つが……構えていない。
穂先は、
静かに下へ向いている。
力みがない。
肩も、
肘も、
指先すら。
ただ、
添えているだけみたいな立ち方。
「……何だ、それ」
思わず漏れる。
セレスは答えない。
白い外套だけが、
静かに揺れていた。
「……」
嫌な感じだった。
さっきまでみたいな、
“来る”感覚がない。
読めない。
獣と戦う時とも違う。
これは――
「……空っぽ? いや、無心か」
小さく呟く。
そうだ。
隙がないんじゃない。
何も見えない。
殺気も。
癖も。
重心も。
全部、
消えている。
セレスの目だけが、
こちらを見ていた。
静かに。
深く。
ーーーーー
観客席も、
妙な空気になっていた。
「……構え、変わった?」
「いや……あれ、構えてんのか?」
誰も分からない。
だが――
「……まずい」
カイナが、
低く呟いた。
その声に、
ユーリスが反応する。
「え……?」
「見たことがあるんですか?」
カイナは、
目を離さない。
「一度だけな……」
小さく息を吐く。
「昔、一度見たことがある。
あの構えは“導槍卿”が使っていた型だ」
空気が、
少し変わる。
白服達の顔色も変わっていた。
「まさか……」
「いや、でも……」
「セレス様が……あのお方の…」
ざわめき。
だが、
中央のセレスは動かない。
静かだ。
恐ろしいほど。
ーーーーー
「来い」
短い声。
次の瞬間。
踏み込む。
考えるより先に、
身体が動いていた。
間合いを潰す。
今動かなければ、
まずい。
そう本能が叫んでいた。
「――ッ!!」
槍を突き出す。
速い。
今までで、
一番鋭い踏み込み。
だが――
「……なっ」
消えた。
違う。
滑った。
セレスの身体が、
水みたいに軌道から外れる。
最小。
本当に、
紙一枚分だけ。
それだけで、
俺の槍が空を切った。
「遅い」
声が、
すぐ横で落ちる。
ゾワッ――。
反射で、
身体を捻る。
直後。
ギィンッ!!
鉄が弾けた。
「ッ!?」
いつの間にか、
槍が絡め取られている。
押されていない。
流されている。
「……チッ!」
無理やり引く。
だが、
引けない。
セレスの槍が、
蛇みたいに絡みついてくる。
「なんだよ、その槍……!」
初めてだった。
力で押してこない。
速さでもない。
なのに、
全部ズレる。
全部、
噛み合わない。
「……」
セレスは、
何も言わない。
ただ、
静かに槍を流してくる。
まるで。
こちらの動き全部を、
受け入れながら殺していくみたいに。
「……ッ!」
もう一度踏み込む。
横薙ぎ。
今度は重さを乗せる。
ガンッ!!
だが――
「なっ……!?」
受けられていない。
弾かれてもいない。
流された。
また、
空を切る。
その瞬間。
ヒュンッ。
軽い衝撃。
「……クッ!?」
喉元をかすれていく。
あと数センチ。
それだけで、
終わっていた。
観客席が、
静まり返る。
誰も、
声を出せない。
白服達ですら、
言葉を失っていた。
セレスは、
静かに槍を引いた。
「……これが」
小さく落とす。
「導槍卿…聖杭槍杖を経た者が到達する槍だ」
風が、
また静かに吹き抜けた。
「……ッ」
合わない。
槍が合わない。
呼吸が、
合わない。
間合いが、
合わない。
「チッ……!」
無理やり、
距離を取る。
息が熱い。
だが、
逆に頭は冷えていく。
(……ダメだ)
今の戦い方じゃ、
届かない。
セレスの槍には、
隙がない。
いや、
違う。
隙を作らせてもらえない。
こちらが動いた瞬間、
全部流される。
崩される。
対人。
完全に、
人を制するためだけに研ぎ澄まされた槍。
「……」
セレスは、
静かに立っている。
穂先を下げたまま。
何もしていないみたいに。
なのに、
近づくだけで嫌な汗が出る。
(合わせるのも無理か……)
だったら。
(…逆だ)
合わせない。
型に入らない。
読ませない。
頭じゃない。
もっと前。
もっと深い所。
「……」
呼吸を落とす。
思い出す。
森。
泥。
血の匂い。
獣。
牙。
飛びかかってきた、
あの化け物共。
「――」
身体を、
沈める。
地面すれすれまで。
観客席が、
どよめいた。
「なっ……!?」
「なんだ、あの構え……!」
槍を、
片手で持つ。
ただし、柄じゃない。
穂先近く。
ナイフみたいな持ち方。
ーーーーー
「……おいおい」
パコダが、
目を見開く。
「今度はエアの方がおかしくなったぞ……!?」
「……違う」
ザハクが、
低く呟く。
目は中央のまま。
「あれは……」
小さく息を吐く。
「獣だ」
ーーーーー
肩の力を抜く。
型を、
捨てる。
読み合いを、
捨てる。
「……ッ」
踏み込む。
今度は、
一直線じゃない。
地面を這う。
滑るみたいに。
「……!」
セレスの目が、
僅かに動いた。
槍が来る。
だが――
止まらない。
身体ごと、
捻る。
転がるみたいに、
懐へ入る。
「なっ――」
ガギィンッ!!
至近距離。
穂先近くを持った槍が、
異様な軌道で跳ね上がる。
重さじゃない。
荒さ。
読めない動き。
セレスの槍が、
真正面から弾かれた。
「……ッ!」
白い外套が揺れる。
そのまま、
追う。
低く。
荒く。
近い。
足を止めたら、
また流される。
だから、
止まらない。
槍を振る。
叩きつける。
突く。
弾かれたら、
柄を返す。
流されたら、
身体ごと回る。
崩れた姿勢のまま、
次の一撃へ繋げる。
ガギィン!!
火花が散った。
セレスが、
半歩下がる。
「……!」
そのわずかな後退に、
観客席が揺れた。
「押した……!?」
「いや、今のは……!」
「なんだあの動き……!」
だが、
セレスは崩れない。
槍を流し、
足を入れ替え、
すぐに間合いを作り直す。
白い槍が、
滑るように走った。
足元。
払われる。
「ッ!」
跳ぶ。
だが、
逃げるためじゃない。
空中で身体を丸め、
落ちながら槍を振る。
上からじゃない。
斜め下。
変な角度。
セレスの槍が、
一瞬だけ遅れた。
ガッ!!
柄同士がぶつかる。
そのまま、
身体ごと押し込む。
「……ッ」
セレスの足が、
砂を削った。
ざわっ――。
白服達の顔色が変わる。
止まらない。
止めない。
頭じゃない。
森で、
生き残る時の感覚。
獣が飛びかかってくる瞬間。
避けるんじゃない。
受けるんでもない。
噛みつかれる前に、
こっちからぶつかる。
ただそれだけ。
「ッ!!」
低いまま、
横へ滑る。
セレスの槍が走る。
白線。
今度は、
避けない。
潜る。
身体を捻り、
槍の内側へ入り込む。
「……!」
セレスの目が、
僅かに見開かれた。
ガギィンッ!!
至近距離。
槍が、
下から跳ね上がる。
荒い。
滅茶苦茶だ。
だから、
読めない。
白い外套が、
大きく揺れる。
「うぉぉ……」
「なんだよあれ……!」
観客席が、
ざわめき始める。
さっきまでの、
静かな槍の試合じゃない。
砂が舞う。
火花が散る。
白と黒の軌跡が、
闘技場を走り回る。
セレスの槍は、
相変わらず綺麗だった。
静かで、
流れるみたいで、
無駄がない。
対して。
俺の槍は、
荒い。
汚い。
ぐちゃぐちゃだ。
でも――
「ッラァ!!」
叩きつける。
セレスが流す。
その流れごと、
身体を回す。
半ば転びながら、
無理やり軌道を変える。
「なっ――」
今度は、
セレスの反応が遅れた。
ゴッ!!
鈍い音。
柄が、
セレスの肩を軽く打つ。
白い外套が、
揺れた。
「……!」
観客席が、
どっと沸く。
「入った!!」
白服達まで、
息を呑んでいた。
だが。
セレスは、
崩れない。
静かに距離を取る。
呼吸を整える。
その目だけが、
こちらを見ていた。
「……なるほど」
小さく落とす。
「これが……火を持たない貴様か……」
「…まぁな」
息が熱い。
汗が落ちる。
久々だ。
さっきまで、
何も届かなかった。
全部、
流されていた。
なのに今は、
届く。
届くなら。
もっと、
行ける。
「こっちの方が性には合ってる」
その瞬間。
セレスの口元が、
ほんの少しだけ動いた。
次の瞬間には、
また白い槍が走っていた。
ギィンッ!!
真正面からぶつかる。
今度は、
どちらも引かない。
流槍と獣槍。
真逆の槍が、
闘技場の中央で激突する。
火花。
衝撃。
歓声。
さっきまで静まり返っていた観客席が、
今は熱狂していた。
「行けぇぇ!!」
「セレス様ァ!!」
「エアぁぁぁ!!」
声が飛ぶ。
砂が舞う。
その中で。
俺達だけが、
ただ槍をぶつけ合っていた。
セレスが流す。
俺が崩れる。
崩れた姿勢のまま、
また前へ出る。
セレスが間合いを消す。
俺がその内側へ潜る。
綺麗な槍と、
汚い槍。
静かな呼吸と、
荒い息。
何度も、
何度も、
噛み合わないままぶつかる。
楽しい。
ふと、
そんな感覚が胸を突いた。
勝ちたい。
届きたい。
でも、
それだけじゃない。
この槍を、
もっと見たい。
この槍に、
もっと食らいつきたい。
「……ッ!」
白い槍が、
俺の足元を払う。
今度は跳ばない。
膝を抜く。
落ちる。
地面に手をつき、
ほとんど四つ足みたいな姿勢で、
横へ逃げる。
観客席が、
どっとざわめいた。
「今の避け方なんだよ!?」
「人の動きじゃねぇぞ!」
そのまま、
地面を蹴る。
低い位置から、
一気に跳ね上がる。
セレスの槍が、
真上から押さえに来る。
ガァンッ!!
衝撃。
腕が痺れる。
だが、
止まらない。
押さえられた槍を支点にして、
身体を半回転させる。
セレスの脇へ抜ける。
「……!」
初めて。
セレスの肩が、
大きく揺れた。
そこへ、
横薙ぎ。
ガンッ!!
セレスが受ける。
だが、
受けた槍ごと後ろへ滑った。
「おおおおお!!」
観客席が沸く。
俺も、
息を吐く。
笑っていた。
たぶん、
自分でも気づかないうちに。
「……」
セレスが、
静かに槍を構え直す。
穂先は下。
最初と同じ。
なのに、
もう同じじゃない。
さっきまでの空っぽな目ではない。
こちらを、
見ている。
異端でも、
監視対象でもなく。
今、
目の前にいる相手として。
「……行くぞ」
セレスが、
短く言った。
「ああ!!」
俺も、
槍を握り直す。
次で、
決まる。
そんな気がした。
風が吹く。
砂が浮く。
歓声が、
遠くなる。
セレスが動く。
白い槍が、
音もなく滑る。
俺も、
地面を蹴る。
低く。
深く。
真正面。
逃げない。
合わせない。
ただ、
ぶつかる。
ギィンッ!!
槍が噛み合う。
セレスの流れが、
俺の力を殺しに来る。
腕が抜けそうになる。
足が滑る。
それでも、
踏み止まる。
「ッ……!」
身体が、
勝手に動いた。
流される方向へ、
逆らわない。
そのまま、
さらに低く沈む。
セレスの槍の下を抜ける。
届く。
そう思った瞬間。
白い槍が、
するりと戻ってきた。
速い。
綺麗すぎるほど、
自然に。
「――ッ」
白い穂先が、
喉元へ戻ってくる。
避けない。
左手を、
突き出した。
「なっ――」
セレスの目が、
初めて大きく揺れた。
次の瞬間。
ズッ――。
熱が、
左手を貫いた。
「ッ……!」
痛い。
だが、
止まらない。
刺さったままの槍を、
左手で掴む。
逃がさない。
「捕まえた」
セレスの槍が、
初めて止まった。
流れない。
逃げられない。
動けない。
俺は、
そのまま前へ出た。
「ッ貴様、エア……!」
セレスが槍を引こうとする。
だが、
遅い。
刺さった槍ごと、
身体を押し込む。
一歩。
二歩。
砂が跳ねる。
セレスの足が、
後ろへ滑る。
「……ッ!」
白い外套が揺れる。
体勢が崩れる。
俺は、
そのまま押し倒した。
ドッ――!!
セレスの背が、
地面に落ちる。
歓声が、
一瞬で消えた。
俺は、
セレスをまたいで立っていた。
左腕には、
まだセレスの槍が刺さっている。
血が、
ぽたりと落ちた。
白い服に、
赤が滲む。
「……」
右手の槍はセレスの喉元。
寸前。
紙一枚。
静寂。
誰も、
声を出せない。
セレスも、
動かなかった。
ただ、
下から俺を見ていた。
驚きと。
悔しさと。
ほんの少しだけ、
違う何かを混ぜた目で。
「……これで」
息を吐く。
「届いた……」
血が、
また落ちる。
セレスの白い服に、
赤い点が増えた。
教師の声が、
遅れて響く。
「そこまで!!」
その瞬間。
闘技場が、
爆発した。
「うおおおおおおお!!」
「決まったぁぁ!!」
「今の何だよ!?」
「腕で止めたぞ、あいつ!!」
歓声。
悲鳴。
どよめき。
全部が、
一気に押し寄せる。
俺は、
肩で息をしながら、
槍を引いた。
左手から、
セレスの槍もゆっくり抜く。
熱い血が、
指先を伝って落ちる。
「エア……無茶なことをする……」
セレスが、
静かに言った。
まだ地面に倒れたまま。
俺は、
小さく笑う。
「普通にやったら、届かなかったからな」
セレスは、
少しだけ目を細め、わずかに息を漏らした。
笑ったのかもしれない。
俺には、
そう見えた。
その瞬間だけ。
ほんの少しだけ。
セレスの目から、
“異端を見る色”が消えていた。第159話:流槍と獣槍
「すぅ……」
セレスが、
小さく息を落とす。
「……ふぅ」
その瞬間だった。
風が、
止まる。
「……?」
違和感。
今までと違う。
セレスが槍を両手で持つが……構えていない。
穂先は、
静かに下へ向いている。
力みがない。
肩も、
肘も、
指先すら。
ただ、
添えているだけみたいな立ち方。
「……何だ、それ」
思わず漏れる。
セレスは答えない。
白い外套だけが、
静かに揺れていた。
「……」
嫌な感じだった。
さっきまでみたいな、
“来る”感覚がない。
読めない。
獣と戦う時とも違う。
これは――
「……空っぽ? いや、無心か」
小さく呟く。
そうだ。
隙がないんじゃない。
何も見えない。
殺気も。
癖も。
重心も。
全部、
消えている。
セレスの目だけが、
こちらを見ていた。
静かに。
深く。
ーーーーー
観客席も、
妙な空気になっていた。
「……構え、変わった?」
「いや……あれ、構えてんのか?」
誰も分からない。
だが――
「……まずい」
カイナが、
低く呟いた。
その声に、
ユーリスが反応する。
「え……?」
「見たことがあるんですか?」
カイナは、
目を離さない。
「一度だけな……」
小さく息を吐く。
「昔、一度見たことがある。
あの構えは“導槍卿”が使っていた型だ」
空気が、
少し変わる。
白服達の顔色も変わっていた。
「まさか……」
「いや、でも……」
「セレス様が……あのお方の…」
ざわめき。
だが、
中央のセレスは動かない。
静かだ。
恐ろしいほど。
ーーーーー
「来い」
短い声。
次の瞬間。
踏み込む。
考えるより先に、
身体が動いていた。
間合いを潰す。
今動かなければ、
まずい。
そう本能が叫んでいた。
「――ッ!!」
槍を突き出す。
速い。
今までで、
一番鋭い踏み込み。
だが――
「……なっ」
消えた。
違う。
滑った。
セレスの身体が、
水みたいに軌道から外れる。
最小。
本当に、
紙一枚分だけ。
それだけで、
俺の槍が空を切った。
「遅い」
声が、
すぐ横で落ちる。
ゾワッ――。
反射で、
身体を捻る。
直後。
ギィンッ!!
鉄が弾けた。
「ッ!?」
いつの間にか、
槍が絡め取られている。
押されていない。
流されている。
「……チッ!」
無理やり引く。
だが、
引けない。
セレスの槍が、
蛇みたいに絡みついてくる。
「なんだよ、その槍……!」
初めてだった。
力で押してこない。
速さでもない。
なのに、
全部ズレる。
全部、
噛み合わない。
「……」
セレスは、
何も言わない。
ただ、
静かに槍を流してくる。
まるで。
こちらの動き全部を、
受け入れながら殺していくみたいに。
「……ッ!」
もう一度踏み込む。
横薙ぎ。
今度は重さを乗せる。
ガンッ!!
だが――
「なっ……!?」
受けられていない。
弾かれてもいない。
流された。
また、
空を切る。
その瞬間。
ヒュンッ。
軽い衝撃。
「……クッ!?」
喉元をかすれていく。
あと数センチ。
それだけで、
終わっていた。
観客席が、
静まり返る。
誰も、
声を出せない。
白服達ですら、
言葉を失っていた。
セレスは、
静かに槍を引いた。
「……これが」
小さく落とす。
「導槍卿…聖杭槍杖を経た者が到達する槍だ」
風が、
また静かに吹き抜けた。
「……ッ」
合わない。
槍が合わない。
呼吸が、
合わない。
間合いが、
合わない。
「チッ……!」
無理やり、
距離を取る。
息が熱い。
だが、
逆に頭は冷えていく。
(……ダメだ)
今の戦い方じゃ、
届かない。
セレスの槍には、
隙がない。
いや、
違う。
隙を作らせてもらえない。
こちらが動いた瞬間、
全部流される。
崩される。
対人。
完全に、
人を制するためだけに研ぎ澄まされた槍。
「……」
セレスは、
静かに立っている。
穂先を下げたまま。
何もしていないみたいに。
なのに、
近づくだけで嫌な汗が出る。
(合わせるのも無理か……)
だったら。
(…逆だ)
合わせない。
型に入らない。
読ませない。
頭じゃない。
もっと前。
もっと深い所。
「……」
呼吸を落とす。
思い出す。
森。
泥。
血の匂い。
獣。
牙。
飛びかかってきた、
あの化け物共。
「――」
身体を、
沈める。
地面すれすれまで。
観客席が、
どよめいた。
「なっ……!?」
「なんだ、あの構え……!」
槍を、
片手で持つ。
ただし、柄じゃない。
穂先近く。
ナイフみたいな持ち方。
ーーーーー
「……おいおい」
パコダが、
目を見開く。
「今度はエアの方がおかしくなったぞ……!?」
「……違う」
ザハクが、
低く呟く。
目は中央のまま。
「あれは……」
小さく息を吐く。
「獣だ」
ーーーーー
肩の力を抜く。
型を、
捨てる。
読み合いを、
捨てる。
「……ッ」
踏み込む。
今度は、
一直線じゃない。
地面を這う。
滑るみたいに。
「……!」
セレスの目が、
僅かに動いた。
槍が来る。
だが――
止まらない。
身体ごと、
捻る。
転がるみたいに、
懐へ入る。
「なっ――」
ガギィンッ!!
至近距離。
穂先近くを持った槍が、
異様な軌道で跳ね上がる。
重さじゃない。
荒さ。
読めない動き。
セレスの槍が、
真正面から弾かれた。
「……ッ!」
白い外套が揺れる。
そのまま、
追う。
低く。
荒く。
近い。
足を止めたら、
また流される。
だから、
止まらない。
槍を振る。
叩きつける。
突く。
弾かれたら、
柄を返す。
流されたら、
身体ごと回る。
崩れた姿勢のまま、
次の一撃へ繋げる。
ガギィン!!
火花が散った。
セレスが、
半歩下がる。
「……!」
そのわずかな後退に、
観客席が揺れた。
「押した……!?」
「いや、今のは……!」
「なんだあの動き……!」
だが、
セレスは崩れない。
槍を流し、
足を入れ替え、
すぐに間合いを作り直す。
白い槍が、
滑るように走った。
足元。
払われる。
「ッ!」
跳ぶ。
だが、
逃げるためじゃない。
空中で身体を丸め、
落ちながら槍を振る。
上からじゃない。
斜め下。
変な角度。
セレスの槍が、
一瞬だけ遅れた。
ガッ!!
柄同士がぶつかる。
そのまま、
身体ごと押し込む。
「……ッ」
セレスの足が、
砂を削った。
ざわっ――。
白服達の顔色が変わる。
止まらない。
止めない。
頭じゃない。
森で、
生き残る時の感覚。
獣が飛びかかってくる瞬間。
避けるんじゃない。
受けるんでもない。
噛みつかれる前に、
こっちからぶつかる。
ただそれだけ。
「ッ!!」
低いまま、
横へ滑る。
セレスの槍が走る。
白線。
今度は、
避けない。
潜る。
身体を捻り、
槍の内側へ入り込む。
「……!」
セレスの目が、
僅かに見開かれた。
ガギィンッ!!
至近距離。
槍が、
下から跳ね上がる。
荒い。
滅茶苦茶だ。
だから、
読めない。
白い外套が、
大きく揺れる。
「うぉぉ……」
「なんだよあれ……!」
観客席が、
ざわめき始める。
さっきまでの、
静かな槍の試合じゃない。
砂が舞う。
火花が散る。
白と黒の軌跡が、
闘技場を走り回る。
セレスの槍は、
相変わらず綺麗だった。
静かで、
流れるみたいで、
無駄がない。
対して。
俺の槍は、
荒い。
汚い。
ぐちゃぐちゃだ。
でも――
「ッラァ!!」
叩きつける。
セレスが流す。
その流れごと、
身体を回す。
半ば転びながら、
無理やり軌道を変える。
「なっ――」
今度は、
セレスの反応が遅れた。
ゴッ!!
鈍い音。
柄が、
セレスの肩を軽く打つ。
白い外套が、
揺れた。
「……!」
観客席が、
どっと沸く。
「入った!!」
白服達まで、
息を呑んでいた。
だが。
セレスは、
崩れない。
静かに距離を取る。
呼吸を整える。
その目だけが、
こちらを見ていた。
「……なるほど」
小さく落とす。
「これが……火を持たない貴様か……」
「…まぁな」
息が熱い。
汗が落ちる。
久々だ。
さっきまで、
何も届かなかった。
全部、
流されていた。
なのに今は、
届く。
届くなら。
もっと、
行ける。
「こっちの方が性には合ってる」
その瞬間。
セレスの口元が、
ほんの少しだけ動いた。
次の瞬間には、
また白い槍が走っていた。
ギィンッ!!
真正面からぶつかる。
今度は、
どちらも引かない。
流槍と獣槍。
真逆の槍が、
闘技場の中央で激突する。
火花。
衝撃。
歓声。
さっきまで静まり返っていた観客席が、
今は熱狂していた。
「行けぇぇ!!」
「セレス様ァ!!」
「エアぁぁぁ!!」
声が飛ぶ。
砂が舞う。
その中で。
俺達だけが、
ただ槍をぶつけ合っていた。
セレスが流す。
俺が崩れる。
崩れた姿勢のまま、
また前へ出る。
セレスが間合いを消す。
俺がその内側へ潜る。
綺麗な槍と、
汚い槍。
静かな呼吸と、
荒い息。
何度も、
何度も、
噛み合わないままぶつかる。
楽しい。
ふと、
そんな感覚が胸を突いた。
勝ちたい。
届きたい。
でも、
それだけじゃない。
この槍を、
もっと見たい。
この槍に、
もっと食らいつきたい。
「……ッ!」
白い槍が、
俺の足元を払う。
今度は跳ばない。
膝を抜く。
落ちる。
地面に手をつき、
ほとんど四つ足みたいな姿勢で、
横へ逃げる。
観客席が、
どっとざわめいた。
「今の避け方なんだよ!?」
「人の動きじゃねぇぞ!」
そのまま、
地面を蹴る。
低い位置から、
一気に跳ね上がる。
セレスの槍が、
真上から押さえに来る。
ガァンッ!!
衝撃。
腕が痺れる。
だが、
止まらない。
押さえられた槍を支点にして、
身体を半回転させる。
セレスの脇へ抜ける。
「……!」
初めて。
セレスの肩が、
大きく揺れた。
そこへ、
横薙ぎ。
ガンッ!!
セレスが受ける。
だが、
受けた槍ごと後ろへ滑った。
「おおおおお!!」
観客席が沸く。
俺も、
息を吐く。
笑っていた。
たぶん、
自分でも気づかないうちに。
「……」
セレスが、
静かに槍を構え直す。
穂先は下。
最初と同じ。
なのに、
もう同じじゃない。
さっきまでの空っぽな目ではない。
こちらを、
見ている。
異端でも、
監視対象でもなく。
今、
目の前にいる相手として。
「……行くぞ」
セレスが、
短く言った。
「ああ!!」
俺も、
槍を握り直す。
次で、
決まる。
そんな気がした。
風が吹く。
砂が浮く。
歓声が、
遠くなる。
セレスが動く。
白い槍が、
音もなく滑る。
俺も、
地面を蹴る。
低く。
深く。
真正面。
逃げない。
合わせない。
ただ、
ぶつかる。
ギィンッ!!
槍が噛み合う。
セレスの流れが、
俺の力を殺しに来る。
腕が抜けそうになる。
足が滑る。
それでも、
踏み止まる。
「ッ……!」
身体が、
勝手に動いた。
流される方向へ、
逆らわない。
そのまま、
さらに低く沈む。
セレスの槍の下を抜ける。
届く。
そう思った瞬間。
白い槍が、
するりと戻ってきた。
速い。
綺麗すぎるほど、
自然に。
「――ッ」
白い穂先が、
喉元へ戻ってくる。
避けない。
左手を、
突き出した。
「なっ――」
セレスの目が、
初めて大きく揺れた。
次の瞬間。
ズッ――。
熱が、
左手を貫いた。
「ッ……!」
痛い。
だが、
止まらない。
刺さったままの槍を、
左手で掴む。
逃がさない。
「捕まえた」
セレスの槍が、
初めて止まった。
流れない。
逃げられない。
動けない。
俺は、
そのまま前へ出た。
「ッ貴様、エア……!」
セレスが槍を引こうとする。
だが、
遅い。
刺さった槍ごと、
身体を押し込む。
一歩。
二歩。
砂が跳ねる。
セレスの足が、
後ろへ滑る。
「……ッ!」
白い外套が揺れる。
体勢が崩れる。
俺は、
そのまま押し倒した。
ドッ――!!
セレスの背が、
地面に落ちる。
歓声が、
一瞬で消えた。
俺は、
セレスをまたいで立っていた。
左腕には、
まだセレスの槍が刺さっている。
血が、
ぽたりと落ちた。
白い服に、
赤が滲む。
「……」
右手の槍はセレスの喉元。
寸前。
紙一枚。
静寂。
誰も、
声を出せない。
セレスも、
動かなかった。
ただ、
下から俺を見ていた。
驚きと。
悔しさと。
ほんの少しだけ、
違う何かを混ぜた目で。
「……これで」
息を吐く。
「届いた……」
血が、
また落ちる。
セレスの白い服に、
赤い点が増えた。
教師の声が、
遅れて響く。
「そこまで!!」
その瞬間。
闘技場が、
爆発した。
「うおおおおおおお!!」
「決まったぁぁ!!」
「今の何だよ!?」
「腕で止めたぞ、あいつ!!」
歓声。
悲鳴。
どよめき。
全部が、
一気に押し寄せる。
俺は、
肩で息をしながら、
槍を引いた。
左手から、
セレスの槍もゆっくり抜く。
熱い血が、
指先を伝って落ちる。
「エア……無茶なことをする……」
セレスが、
静かに言った。
まだ地面に倒れたまま。
俺は、
小さく笑う。
「普通にやったら、届かなかったからな」
セレスは、
少しだけ目を細め、わずかに息を漏らした。
笑ったのかもしれない。
俺には、
そう見えた。
その瞬間だけ。
ほんの少しだけ。
セレスの目から、
“異端を見る色”が消えていた。




