第155話:槍を用いて
ゴォン――。
鐘が鳴る。
もう何度目だろうか……。
教師が、
巻物を開く。
「次の試合――レイヴァルト」
どよめき。
白服側の空気が、
一気に変わる。
「来た……」
「彼か」
「噂に聞くレイヴァルトか」
学院側まで、
ざわついていた。
教師は続ける。
「対するは――」
視線が、
こちらへ。
「エア」
空気が止まった。
「……」
離れた場所にいるパコダが、
ゆっくりこちらを見る。
「おいおい……」
オルドが小さく息を吐き、
ザハクの耳がわずかに動いた。
ユーリスも、
緊張した顔になる。
白服側。
レイヴァルトが、
静かにこちらを見ていた。
「……」
感情は読めない。
だが、
視線だけは真っ直ぐだった。
「……ようやくか」
短く言う。
席を立つ。
その瞬間。
「エア……」
セレスの声。
振り返る。
セレスは、
静かにこちらを見ていた。
「既に決まっているとは言え……無様は晒すな」
短い言葉。
それだけ。
だが――
その視線は、
ほんのわずかに揺れていた。
「……くだらねぇ」
俺は短く返す。
それから、
階段へ向かった。
観客席が、
ざわめいている。
「マジかよ……」
「あいつがレイヴァルトと?」
「待ってました! 大本命……!」
石段を降りる。
空気が重い。
中央。
学院。
白服。
全部の視線が、
集まっているのが分かった。
舞台へ降りる。
反対側。
レイヴァルトが、
ゆっくり歩いてくる。
白の外套。
無駄のない足運び。
「……」
近づく。
「双方、準備はいいか?」
互いに数歩の距離で止まる。
「……無事、ここまで来られたみたいだな?」
いつもの調子で、
レイヴァルトへ声をかける。
だが――
「……」
返事はない。
レイヴァルトは、
ただ静かにこちらを見ていた。
妙だった。
「……?」
空気が違う。
観客席のざわめきも、
どこか遠い。
レイヴァルトが、
ゆっくり息を吐く。
それから――
腰へ手を伸ばした。
「……何だ?」
白布。
細長い包み。
あの長さ……見覚えがある。
「……おい」
空気が、
変わる。
白服側がざわついた。
「まさか……」
「あれは……」
レイヴァルトは、
白布を解く。
現れたのは――
白い槍。
見るだけで分かる。
異質だった。
空気が、
火に焼かれているような気配がある。
「……聖杭槍杖」
誰かが、
呟いた。
ざわめきが広がる。
「な、なんでレイヴァルトが!?」
「正式継承はまだのはずだろ!?」
「候補段階じゃ……! いや、待て、二槍あるぞ……!」
「……二本?」
俺は、
その槍を見る。
確かに、
二本あった。
レイヴァルトが、
静かに口を開く。
「中央へ報告した」
短く。
「セレス様の異変……そして……」
ほんの僅か、
目が細まる。
「お前が、聖杭槍杖の火を扱ったことを」
空気が凍る。
ーーーーー
「……何……だと?」
言葉が、
漏れていた。
視線が、
レイヴァルトへ向く。
中央へ報告した。
今、
確かにそう言った。
「聞いていない……」
理解が、
一瞬遅れる。
聖杭槍杖。
それは中央でも特別だ。
候補段階のレイヴァルトが、
独断で動かせるものではない。
なら――
「……教会が、動いた……?」
胸の奥が、
ざわつく。
何故、
通達がない。
何故、
自分を通していない。
「……」
レイヴァルトが、
もう一本を取り出す。
白布。
同じ火。
同じ圧。
観客席が、
完全にどよめいた。
「二本……!?」
「馬鹿な……!」
「……」
理解した瞬間。
胸の奥で、
何かが軋んだ。
「レイヴァルト……貴様……」
中央は、
何を見ている。
何を確認しようとしている。
「……何故だッ」
声が届いたのか。
レイヴァルトが、
ようやくこちらを見る。
「確認が必要だと判断されたのです」
短く。
「あなたは今、危うい……だからこそ、この場で見る必要がある……」
「……」
「我らの火が、何を選ぶのか」
火。
選ぶ。
その言葉で、
胸の奥が強く揺れた。
主の火。
選ばれた者だけに許された加護。
エアは、
教会の範疇にはない火を持っている。
この身を主の火に捧げた時……。
あの時…入り込んできた。
あいつの火は…私を焼かなかった。
「……」
無意識に、
手を押さえていた。
触れていた場所。
あの時、
掴まれていた感覚だけが、
まだ残っている。
温かい。
あり得ない。
「ッ……違う!」
小さく、
否定する。
以前なら、
これも試練だと切り捨てられた。
主が与えた揺らぎ。
乗り越えるべき火。
そう、
納得できた。
だが――
今の瞬間、
私は……。
「……」
指先に、
力が入る。
まるで。
あの温もりが、
消えないように押さえているみたいだった。
「ッ…」
呼吸が乱れる。
「そうか……これか…」
即座に、
押し殺す。
「……異常だ」
そうでなければならない。
これは、
迷いではない。
執着でもない。
「……」
火が、
揺れている。
自分の中で。
「いいだろう……」
ーーーーー
セレスの言葉を受け、
レイヴァルトは今一度、俺を見て近寄る。
そして、
もう一本を俺に向けた。
「使え」
静寂。
学院側まで、
完全に止まる。
「……は?」
遠くで、
間の抜けたパコダの声が聞こえた。
「……」
俺は持っていた槍を教師に投げ渡し、
レイヴァルトから白槍を受け取る。
不思議と、
手に馴染んだ……。
今まで扱ってきたものよりも、
長さは明らかに短い。
杖の役目もあるからだろう……。
だが。
しっくりと来る。
昔から、
知っているみたいに。
そして次の瞬間。
ボゥ――……
火が、
静かに灯った。
観客席が、
悲鳴みたいにどよめく。
「なっ……!?」
「灯った!?」
「馬鹿な……!!」
自分でも分からない。
まだ俺は、
火を流していない。
なのに槍の方から、
火を灯した。
「……これは何だ?」
「……」
レイヴァルトは、
相変わらず沈黙していた。
だが、
表情が変わっていた。
目と口を開けたまま、
固まっている。
声にならない。
そんなはずはない。
そんな言葉が、
今にも浮かんできそうな顔だった。
ーーーーー
……あり得ない。
思考が、
止まっていた。
聖杭槍杖は…『選ぶ』。
それは、
中央で学んだ最初の教えだった。
真の火は平等ではない。
祈れば与えられるものでもない。
選ばれた者だけが、
触れられる。
選ばれた者だけが、
耐えられる。
だからこそ、
価値がある。
そして人間は、
世界に火をもたらした絶対神エンラの直系。
だからこそ、
我らが正統な継承者なのだと。
「……」
だが――
目の前で起きた現象は、
その全てから外れていた。
エアは、
まだ何もしていない。
火を流していない。
詠唱も、
祈りも、
加護もない。
それなのに。
聖杭槍杖の方から、
先に火を灯した。
「……」
理解できない。
教会で、
嫌というほど叩き込まれてきた。
聖杭槍杖は、
意思を持たない。
だが、選別する。
主の火を“降ろす器”を。
そして、もし使えるのなら。
使用者の火へ反応し、
定着を補助する。
だから…。
勝手に灯るなど、
あり得ない。
まして――
「……拒絶すら、ない……?」
小さく、
言葉が漏れる。
普通なら、
まず揺らぐ。
適性があっても、
最初は火が暴れる。
拒絶する。
最悪、
精神ごと焼く。
だが、
エアにはそれがない。
あまりにも自然だった。
まるで――
最初から、
そこへ収まる場所だったみたいに。
「……何だ、これは……」
喉が、
わずかに乾く。
あの戦域ですら、
ここまで感覚が乱れたことはない。
エアの戦い方を見た。
だが今、
それとは比にならない……。
目の前の“現象”だけで、
身体が警鐘を鳴らしていた。
危険。
違う。
もっと根本だ。
理解してはいけないものを、
見ている感覚。
「……」
それでも、
目を逸らさない。
逸らしてはいけない。
自分は、
中央からこれを預かった。
候補者として。
セレスと同じ場に立つ者として。
そして――
この異常を、
確認する役として。
「……」
エアを見る。
火が、
静かに槍で揺れている。
似合ってしまっている。
それが、
何より異常だった。
本来なら、
異物であるはずだ。
教義の外。
加護の外。
中央の外。
それなのに。
「……何故だ」
答えはない。
だが、
一つだけ分かる。
これは、
見なかったことにしてはいけない。
もし、
ここで目を逸らせば。
俺は…。
正統光火教会、信仰そのものが揺らぐ。
セレスの異変。
エアの火。
聖杭槍杖の反応。
全部が、
一本の線で繋がり始めている。
なら――
確かめるしかない。
例え、
命を落とそうと。
ここで。
「……エア」
俺は、
ゆっくり聖杭槍杖を構えた。
白い火が、
唸る。
「手加減は無用……本気で来い」
低く落とす。
「さもなければ殺す……」
白い火が、
大きく揺れる。
「貴様も」
一歩。
「学院の獣共も」
さらに一歩。
「……そして、あの混ざりものもだ!!」
空気が、
震えた。
その瞬間。
観客席全体が、
息を呑んだ。




