第154話:白を纏う理由
観客席へ戻る。
ざわめきが、
まだ残っていた。
視線が集まる。
だが、
今はそれどころじゃなかった。
腕の中。
ミリカが、
完全に収まっている。
さっきまで暴れていたのに、
今は妙に静かだった。
「……」
首元へ顔を埋めたまま、
動かない。
尾だけ、
だらんと垂れている。
「……降りろ」
反応なし。
「おい」
「……すぅ」
カイナが呆れた声を出した。
「寝てる、な?」
ユーリスも目を瞬かせる。
「は、早くないですかぁ……?」
本当に、
寝ていた。
呼吸も静かで、
完全に力が抜けている。
さっきまで、
相手を半殺しにしていたとは思えない。
仕方なく、
そのまま席へ戻る。
ミリカは、
腕の中へ収まったまま動かなかった。
「……」
時々、
尾だけが小さく揺れる。
「情緒どうなってるんだ、こいつは……」
カイナが腕を組む。
「獣人は気性が荒い者もいるが……、こんな性格だったか?」
「……いや、違う」
ユーリスが、
苦笑しながらミリカを見る。
「でも……もしかしたら……」
少しだけ考える。
「“性格直せ”って、
こういうことだったんですかねぇ……」
「……?」
俺はユーリスを見る。
ユーリスは、
困ったように笑った。
「前に言ってたじゃないですか?」
「前……? あの時か」
「一族から“世界見てこい”って追い出されたって。
ついでに、性格直せって……」
カイナが、
小さく息を吐く。
「なるほどな……」
視線を、
ミリカへ向ける。
「確かにこれは、身内だけで育てたら危険そうだ……。
こっちが元の性格なのだろうな」
「危ないってレベルじゃなかったですけどねぇ……」
ユーリスが苦笑する。
「教師が止めても殴ってましたし……」
カイナが真顔で返す。
「完全に殺しに行っていたな」
腕の中。
「……」
ミリカは、
ぴくりとも動かない。
「でも……」
ユーリスが、
少しだけ柔らかく笑った。
「前よりは、かなり感情を出すようになったと思いませんか?」
ユーリスが覗き込み、
俺はため息を吐いた。
「……感情を出した結果、相手が半殺しなんだが?」
「そこはまぁ……」
苦笑が返ってくるだけだった。
その時。
「――ミリカ!!」
低い声。
空気が変わる。
「……?」
顔を上げる。
いつの間にか、
目の前に影が立っていた。
大柄な獣人。
ミリカより頭三つ以上大きい。
オルドやザハクといい勝負だ。
その後ろには、
もう一人。
少し細身だが、
同じ耳と尾を持つ獣人。
さらに後方。
腕を組んだまま、
あの母親――猫族の族長が立っていた。
「……」
空気が重い。
観客席が、
また静まり始める。
学院側までざわついた。
大柄な獣人の男が、
無言でこちらへ歩いてくる。
それから――
ガシッ。
「……んぐ!?」
ミリカの首根っこを掴んだ。
猫みたいに。
「起きろ」
「にゃッ!?」
ミリカが、
一瞬で目を開く。
「ちょ、はな――ッ!?」
じたばた暴れる。
尾がぶわっと膨らむ。
「やだ!! 離せッ!!」
「暴れるな」
「うるさいッ!! 兄ぃ嫌い!!」
「うるさいのはお前だ」
淡々。
そのまま、
片手で持ち上げる。
「にゃああああ!!!
エア!! 助けるにゃああ!!」
「無理だろ……」
「裏切った!?」
暴れている。
さっきまで寝ていたとは思えない。
細身の獣人――
もう一人の兄弟らしい男が、
小さく息を吐いた。
「相変わらずだ……。妹が世話になっている」
呆れている。
だが、
どこか慣れていた。
母親――族長が、
ゆっくりこちらを見る。
鋭い視線。
真っ直ぐ、
俺へ向いた。
「……」
周囲の空気が、
少し張る。
「勘違いするな」
低い声。
「今すぐ認めたわけではない」
「……?」
「人間……ましてや白服などッ」
吐き捨てるみたいに言う。
カイナが、
少しだけ眉を動かした。
「獣人の中にも、色々いるようだな……」
ぼそり。
母親は気にしない。
視線は、
俺へ向いたままだった。
「ミリカは未熟だ! 流されやすい!」
「お、おい母ちゃ……母上ぇ!!
あたしは別に流されてないにゃッ!!」
首根っこを掴まれたまま、
ミリカが暴れる。
「黙っとけ」
「にゃッ!?」
兄に頭を軽く叩かれる。
「……」
母親は続ける。
「だが」
少しだけ間。
「貴様を見ているのは、事実らしい」
ざわり。
周囲がまたざわめく。
「見定める」
短く。
「それまでは、勝手な真似は許さん!!!」
ミリカが、
さらに暴れる。
「話が違うにゃッ!?」
「うるさい」
「にゃあああ!!」
完全に捕まえられた猫だった。
兄弟の二人は、
慣れた様子でそのまま引きずっていく。
「離せぇぇぇ!! まだここいる!! エア〜!!」
俺は手を振った。
「にゃ!?!?見捨てるにゃあ〜!!」
観客席が、
少し笑いに包まれる。
さっきまでの殺気が、
嘘みたいだった。
母親は最後に一度だけこちらを見る。
それから、
踵を返した。
獣人席――要人用の来賓席へ戻っていく。
その後ろで。
「やだぁぁぁ!!!
降ろせぇぇぇ!!!」
ミリカの声だけが、
ずっと響いていた。
「……嵐みたいだな」
カイナが小さく息を吐き、
ユーリスがつぶやいた。
「……でも、なんか安心しました」
「安心?」
「いつものミリカでしたから」
「いつもの、で済ませていいのか、あれは……」
俺が言うと、
ユーリスは少しだけ笑った。
その時だった。
「――随分と、騒がしいな」
低い声。
空気が変わる。
ざわついていた白服達が、
一斉に道を空けた。
「……」
視線が向く。
白。
中央側の正装。
先頭を歩くのは――セレス。
その後ろに、
レイヴァルト達白服が続いている。
カイナが、
わずかに眉を動かした。
「セレス様……」
セレスは、
真っ直ぐこちらへ歩いてくる。
周囲の空気が張る。
学院側の連中まで、
口を閉じ始めていた。
「何をしている、カイナ。
貴様はわきまえているはずだが?」
「……」
静かな声。
怒鳴っていない。
だが、
それだけで周囲が静まる。
「ここは中央側の席だ。何故、学院の黒がいる?」
「……分かっています」
カイナが短く返す。
セレスの視線が、
こちらへ向く。
「エア」
名前を呼ばれる。
「お前もだ」
短く。
「今のお前は白を纏っている」
「……」
「立場を考えろ」
淡々としている。
だが、
ほんの少しだけ声音が硬い。
パコダ達が、
ちょうど階段を上がってきた。
「おー、やっと見つけ――」
止まる。
「……うわ」
パコダが顔をしかめた。
「なんで白の偉いのまでいるんだよ」
オルドが周囲を見る。
「騒がしかったからな」
ザハクは無言。
ただ、
セレスを見ていた。
セレスの目が、
わずかに細くなる。
「学院側の者が、
中央席へ当然のように入り込むな」
「は?」
パコダの眉が上がる。
空気が、
少しだけ張る。
「おいおい。
俺らは別に喧嘩売りに来たわけじゃ――」
「貴様の意見は関係ない」
被せる。
「白を纏った者が、
学院側と馴れ合う姿は好ましくない」
静かな圧。
周囲の白服達も、
同じ空気になっていく。
「……」
俺は小さく息を吐いた。
「こんな時にも、席で人を分けるのか?」
セレスの視線が止まる。
「必要な区別だ」
即答。
「今のお前は中央側だ」
「だから……こいつらと話すなと?」
「極端に言えばな」
少しだけ声が低くなる。
「余計な誤解を招くな、と言っている」
パコダが鼻で笑った。
「へぇ。
白服様は随分窮屈なんだな」
ユーリスが止める。
「パコダさん……」
だが、
パコダは止まらない。
「エアはエアだろ。
白だの学院だの、
勝手に決めてんのはそっちじゃねぇかよ!」
空気が変わる。
後ろの白服達が、
わずかに殺気立つ。
ザハクが小さく目を細めた。
「……やめろ、パコダ」
オルドが低く言う。
「今は揉める場面じゃねぇ」
「でもよ――」
「やめろ」
今度は、
俺が言った。
パコダが止まる。
「……エア?」
俺は少しだけ視線を落とす。
白。
自分の服を見る。
それから、
周囲を見る。
カイナ。
セレス。
白服。
そして、
パコダ達。
「……」
前に、
自分で決めたはずだった。
巻き込むなと。
距離を取れと。
白側へ入ったのも、
目的のためだ。
だから、
そのせいでこいつらが危険にならないようにと……。
なのに――
いつの間にか、また普通に隣にいた。
笑って、
騒いで、
当たり前みたいに。
「……はぁ」
小さく息を吐く。
「エア?」
パコダが眉をひそめる。
俺は視線を上げる。
「……悪いな」
短く言う。
「今は、戻れ」
空気が止まる。
パコダが、
露骨に嫌そうな顔をした。
「はぁ!?
お前まで何言って――」
「パコダ……よせ……」
ザハクが止める。
オルドも、
小さく息を吐いた。
ユーリスは、
少しだけ不安そうにこちらを見る。
セレスは何も言わない。
ただ、
静かにこちらを見ていた。
俺はそのまま歩き出す。
白側へ。
その瞬間。
胸の奥に、
妙な違和感が残った。
従ったわけじゃない。
納得したわけでもない。
ただ――
巻き込みたくなかった。
それだけだった。
ーーーーー
「……」
セレスが、
わずかに目を伏せる。
理由の分からない、
小さな安堵だけが残る。
だが同時に。
胸の奥には、
別の引っ掛かりも残っていた。
エアは、
白を選んだから戻ったわけじゃない。
守るために、
自分から離れただけだ。
「……」
レイヴァルトだけが、
それに気づいたみたいに、何も言わず目を細めていた。




