第133話:白線、それでも…
石の床。
高い天井。
白い列。
「「「――正しき火よ」」」
声が重なる。
「「「我らの罪を焼き、導きを示せ」」」
揃っている。
毎朝。
同じ声。
同じ姿勢。
同じ言葉。
「「「――迷いを断ち、歪みを正せ」」」
(……くだらない)
意味を持たない言葉を、意味があるように並べているだけ。
「「「――我らは火の導きに従う」」」
毎日毎日……息が詰まる。
慣れない。
慣れるつもりもない。
「行くぞ」
横から声。
カイナだ。
「ああ……」
足早に廊下へ出る。
朝の光が差している。
それでも、白は白のままだ。
「……」
頭の奥に、声が残っている。
――正しき火よ。
――罪を焼け。
――歪みを正せ。
「……」
くだらない。
本当に。
ふと、別の声が混じる。
『最低にゃ……!』
「……」
足が、わずかに止まりかける。
止めない。
「……どうした?」
カイナが横から見る。
「何でもない……」
本当に、何でもない。
ここで止まるのは、違う。
「……」
廊下を曲がる。
その先に、人影。
小さい。
見覚えのある耳。
「……」
ミリカだった。
立ち止まる。
向こうも気づく。
一瞬だけ、目が合う。
「……」
ミリカの手が、自分の腕に触れる。
「……」
何も言わない。
言うことはない。
そう思った瞬間――
ミリカが、べっと舌を出した。
「あっかんべ〜!」
「……ミリカ?」
「バーカ」
すれ違う。
「バーカ、バーカ!」
そのまま歩いていく。
振り返らない。
足取りは早い。
だが――
逃げているわけでもなかった。
「……」
背中を見送る。
「……よかったな」
後ろから、カイナが言う。
「何がだ?」
「今のだ」
「……」
少しだけ考える。
「知らん」
短く返す。
「……そうか」
それ以上は聞かない。
「……」
胸の奥にあったものが、わずかに形を変える。
消えたわけではない。
軽くなったわけでもない。
だが――
「……」
あれなら、まだいい。
そう思った。
「行くぞ」
「ああ」
足を動かす。
くだらない祈りも。
白い服も。
集まる視線も。
何も変わらない。
それでも――
止まるわけにはいかない。
進む。
それだけだ。
―――――
訓練棟。
いつもより人が多い。
ざわめきが広がっている。
「……」
視線を流す。
帯の色は赤で揃っている。
見える範囲には同じ色だけだ。
「……?」
その中に。
隣にいるはずのない顔。
カイナ。
「合同らしいな」
小さく落とす。
「ああ」
視線が集まる。
白服。
その中でも――俺。
黒から白に変わった、無色。
「……」
分かっている。
見られている理由も。
その中で。
止まる視線。
赤帯の列。
白服が二人、こちらを見ていた。
見覚えがある。
以前、訓練棟の廊下で、ユーリスに火を向けた二人だ。
「……」
顔を見るだけで、あの時の火を思い出す。
廊下。
悲鳴。
ユーリスの手前で消えた炎。
そして――
『次はない』
そう言った相手。
その二人はこちらに気がつくと、目の前までやってきた。
「……お前らか」
短く落とす。
片方が、口元を歪める。
「覚えていたか」
「忘れるほど前じゃない」
もう一人が、こちらの白い袖を見る。
「無色の異端が、白を纏うとはな……主の導きだと?」
鼻で笑う。
「貴様のようなまがい物……認められるわけがない」
「……」
カイナが、わずかに前へ出る。
「セラフィン。リシェル」
小さく名を呼ぶ。
「やめろ。今は授業だ」
炎のような目をした方――セラフィンが、カイナを見る。
「黙れ、裏切り者が」
声が硬い。
「白を汚す異端なら、皆の前で火に晒すだけだ」
もう一人、リシェルは黙ってこちらを見ている。
怒りではない。
観察。
しかも、前より面倒な形で。
中央には、いくつもの白線。
教師が前に立つ。
「今回は、属性別の合同」
ざわめきが広がる。
「目的は、単独火力ではない。
相性、連携、距離管理。
それらを確認する。ペアを組め」
横を見る。
カイナがいる。
「俺とお前か」
「……そうなる」
短い返事。
「目付役だからか?」
「それもある」
前を見る。
「二対二の模擬戦を行う」
教師の声が落ちる。
ざわめき。
赤帯の中で、自然と組が分かれていく。
誰と組むか、声が飛び交う。
だが――
こちらは動かない。
最初から決まっている。
視線の先。
二人も動かない。
まっすぐこちらを見る。
「逃げないのか?」
セラフィンが笑う。
「逃げる理由がない」
短く返す。
「……ふん」
その一言で、空気が決まる。
もう一人――リシェルが、一歩だけ前に出る。
「ちょうどいい」
淡々とした声。
「もう一度、この目で確かめる価値はある」
「……好きにしろ」
それだけ。
教師の声が、遠くで落ちる。
「順に開始する」
だが――
待つ気はないらしい。
「先にやるぞ」
セラフィン。
一歩踏み出す。
「……やめろ、場を乱すな」
カイナが言う。
低く。
「黙れ」
即座に切る。
「お前は引っ込んでろ」
空気が歪む。
「白を汚した奴が、口を出すな」
カイナは、それ以上言わない。
言えない。
教師の動きも、一瞬止まる。
予定外の行動。
だが、止めるには遅い距離だ。
「おい、お前達はまだ――」
声を上げかける。
その時。
後方。
一段高い位置。
そこに立っていた男が、わずかに顎を引いた。
ガレス。
視線だけで、全体を見ている。
「……」
教師がそちらを見る。
ガレスは何も言わない。
ただ――
小さく、頷いた。
「……っ」
教師の口が止まる。
判断が下る。
「……いいだろう」
低く落とす。
「一番手だ」
周囲がざわつく。
予定が変わる。
だが、文句は出ない。
ざわめき。
赤帯の中で、道が開く。
「……」
セラフィンが先に歩く。
一直線。
迷いがない。
リシェルも続く。
距離を取りながら、同じ方向へ。
訓練場の中央。
円形。
白線で区切られた領域。
外周には、段になった観覧スペース。
その上から、全体を見下ろせる構造。
中央は平坦な石床。
焦げ跡が残っている。
何度も火が走った跡だ。
「……」
その中心へ、二人が上がる。
線を越える。
内側へ。
「……行くぞ」
カイナが言う。
「ああ」
歩き出す。
同じ道。
視線が集まる。
一瞬、視界の端に止まる気配。
「……」
ユーリス。
少し離れた位置。
こちらを見ている。
声はない。
「……」
視線が合う。
ほんの一瞬。
前なら――
何か言った。
だが。
何も言わない。
視線を外し、そのまま歩く。
その間際に、ユーリスの手が、わずかに握られる。
それだけ見えた。
それ以上は、見ない。
「……」
線を越え、内側へ。
足音が、変わる。
空気も変わる。
外とは違う。
閉じた場所。
白線の外と内で、同じ石床なのに温度が違う。
外は見ているだけの場所。
内は、火が届く場所だ。
「……」
さっきまで残っていた祈りの声も、ミリカの声も、少しだけ遠くなる。
代わりに残るのは、目の前の火の気配。
赤帯のざわめき。
そして、背中に刺さる視線。
「……」
振り返らない。
今は、それでいい。
「……」
向かい。
セラフィン。
燃えるような目。
リシェル。
揺れない視線。
横。
カイナ。
一歩だけ後ろ。
それでも、並んでいる。
「……」
観覧の段。
レイヴァルト。
そして、ユーリス。
同じ場にいる。
だが――
立つ場所が違う。
距離。
はっきりとした線。
「始め」
教師の声が落ちる。
音が消える。
次の瞬間。
火が、弾けた。




