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第132話:獣には関係ない


廊下。


白の中を抜け出る。


視線は、相変わらず集まる。


「……」


その先。


壁際に、立っていた。


「……来たか」


カイナだった。


腕を組んだまま、動かない。


待っていたのが分かる。


「……カイナ? 何か用か?」


短く返す。


「行くぞ」


それだけ言って、歩き出す。


並ぶ形になる。


「……?」


少しだけ間。


カイナが口を開く。


「レイヴァルトからの指示だ」


淡々とした声。


「俺は、お前の目付役だ」


「……お前が?」


カイナが止まる。


「……そうだ」


小さく落とす。


「だが……建前だろうな」


視線だけ向ける。


少し目を閉じ、カイナは前を見たまま続ける。


「お前と俺」


短く区切る。


「中央にとっては、どちらも見る必要がある者だ」


カイナの目は、どこか遠くを見ていた。


「まとめて置いた方が都合がいい。

 監視も、処理も」


そう言って、再び歩き出した。


「それだけの話だ」


「……」


カイナの歩調が、ほんの僅かに乱れる。


揃っていたはずの足音が、一拍だけ外れる。


「らしくないな」


「……何がだ?」


「お前だ」


短く返す。


「……」


カイナは答えない。


前を向いたまま。


「……俯いてるぞ」


その一言だけ落とす。


「……」


呼吸が、わずかに止まる。


足も止まる。


ほんの一瞬。


「……気のせいだ」


低く返す。


すぐに歩き出す。


だが――


今度は、距離が僅かに開く。


「そうか」


それ以上は追わない。


歩幅を合わせる。


何もなかったように。


「……」


足音は戻る。


揃っている。


だが――

さっきと同じではない。


「……」


言葉にはならない。


だが、分かる。


何かを背負っている。


理由は知らない。


知る必要もない。


「……」


それでも――

ほんの僅かにだけ、元に戻っていた。


―――――


廊下。


足音は二つ。


「……」


その先。


人影。


五人。


ユーリス、ミリカ、パコダ、オルド、ザハク。


立ち止まっていた。


「……」


視線が合う。


空気が固まる。


「……エア」


ユーリスが小さく呼ぶ。


だが俺は立ち止まらない。


「……っ」


しかし、一歩、ミリカが踏み出した。


そして、そのまま――


「カイナ!!」


声が弾ける。


一直線に詰め寄る。


「っ――」


腕を掴む。


強く。


白い袖を、乱暴に引き寄せる。


「お前のせいにゃ!!」


叫ぶ。


「……」


カイナは動かない。


抵抗もしない。


ただ――


視線を落とす。


「お前が捕まったから!!」


さらに力が入る。


「エアがおかしくなったのは、お前のせいにゃ!!」


ミリカの声が揺れる。


「なんで……なんで、あいつがこんなことになってるにゃ!!」


「……」


答えはない。


だが代わりに――


「……ミリカ、やめろ」


だが――

離れない。


ミリカの手は、カイナの腕を掴んだまま。


力は緩まない。


仕方なく、間に入る。


「離せ」


短く落とす。


「……いやにゃ!!」


即答だった。


視線が刺さる。


「こいつのせいにゃ!!」


だめだ。


今のミリカには話は通じない。


俺はミリカの腕を掴む。


強く。


「っ……!?」


そのまま、力を込める。


「離せ……」


そして、もう一度だけ低く告げる。


「……っ、痛――」


ミリカの顔が歪む。


それでも離さない。


「三度目はない。離せ」


さらに力を込める。


骨に触れる。


耐えきれず――

指が、ほどける。


カイナの腕から、手が離れる。


「……なんで」


ミリカが呟く。


腕を押さえたまま。


震えている。


「……なんで、そんなことするにゃ……」


声が、崩れる。


「前は……そんなことしなかったにゃ……」


視線は落とさない。


「獣には関係ない」


短く。


それだけ。


言えば、切れる。


そう思った。


「……っ」


言葉が止まる。


ミリカの目が揺れる。


理解してしまう。


届かない。


もう――

前と同じじゃない。


息を呑む。


「ッ……最低にゃ……!」


吐き出す声。


そのまま背を向ける。


走る。


足音が、廊下に響く。


「ミリカ!」


ユーリスの声。


後を追うために踏み出す。


だが――止まった。


「……」


視線が来た。


真っ直ぐ。


測るように。


「……」


逸らさない。


だが、何も返さない。


「……っ」


息を呑む音。


「ミリカ、待ってください!」


そして、すぐに駆け出す。


足音が遠ざかる。


「……」


残る気配は三つ。


空気が重い。


その横を通り過ぎようとした。


「……おい」


前に出てくる足音。


遮る位置に立たれる。


「……今の、なんだよ」


いつも脳天気な声が、やけに静かだ。


抑えているが、滲んでいる。


「……あいつ、泣いてたぞ」


詰めてくる。


「それ見ても、何も思わねぇのか?」


「……」


何も返さない。


必要がない。


「お前のこと、気に入ってたのによ……失望したぜ」


歯を食いしばる音。


「行くぞ……」


短く、吐き捨てる。


離れていく足音。


もう二つ、続く。


遠ざかる。


「……」


静かになる。


残っているのは――


カイナ。


「……」


動かない。


ほんの僅か。


右手が上がる。


さっき掴まれていた場所。


白い袖の上から、指でなぞる。


「……」


力は入っていない。


ただ触れているだけだ。


「……」


視線は落ちたまま。


言葉もない。


「……行くぞ」


短く落とす。


「……」


返事がない。


「……カイナ?」


もう一度だけ呼ぶ。


「……」


わずかに、指が止まる。


それから――

ゆっくりと手を離す。


「……すまない」


小さく。


それだけ。


「……必要ない」


短く返す。


それで終わりだ。


「……」


それ以上は続かない。


続ける意味もない。


「……行くぞ」


それだけ落とす。


足を動かす。


止まる理由はない。


背後で、布が擦れる音。


「……ああ」


短く、返ってくる。


遅れて、足音が重なる。


「……」


廊下は、変わらない。


白はそのまま。


視線も、消えない。


それでも――

足は止まらない。


止めない。


「……」


進む。


それだけだ。


―――――


廊下の角を曲がる。


足がもつれる。


それでも止まらない。


「……っ」


視界が揺れる。


前が見えない。


「……っ、は……」


息が乱れる。


苦しい。


理由は分かっている。


分かっているのに――止まらない。


「ミリカ!」


後ろから声。


「待ってください!」


ユーリス。


追ってきている。


「……来るなにゃ!!」


振り返らずに叫ぶ。


声が掠れる。


それでも止まらない。


「……っ」


曲がる。


さらに奥へ。


人の少ない場所へ。


壁に手をつく。


「……っ、は……っ」


息が荒い。


指が震える。


「……なんで……」


落ちる。


小さく。


「なんでにゃ……」


力が抜ける。


そのまま――崩れるように座り込む。


「……っ」


膝に顔を埋める。


止まらない。


涙が落ちる。


「……あんなこと……」


掠れた声。


「……するやつじゃ、なかったにゃ……」


握る。


自分の腕。


さっき掴まれた場所とは違う。


それでも――強く。


「……痛いにゃ……」


ぽつりと落ちる。


違う。


腕じゃない。


胸を押さえる。


「……なんで」


分からない。


理解できない。


「……」


思い出す。


夜。


目を開けた時、自分は腕の中にいた。


「……」


温かかった。


それだけは覚えている。


何があったのかは、ほとんど知らない。


誰と戦ったのかも。


どれだけ危なかったのかも。


見ていない。


だけど――


「……エア」


助けに来たのは、あいつだった。


抱えて運んでいたのも、あいつだった。


「……なんでにゃ……」


あの時は、放っておかなかった。


面倒でも、関係なくても。


それなのに――


『獣には関係ない』


その声が、頭の中で繰り返される。


「……っ」


胸が痛い。


腕よりも、ずっと。


「……あいつ……」


声が震える。


「助けてくれたくせに……」


喉が詰まる。


「なんで今さら……そんなふうに言うにゃ……」


分からない。


怒りたい。


嫌いになりたい。


最低だって、切り捨てたい。


なのに――


あの時の温かさだけが、消えない。


「……っ、嫌にゃ……」


膝を抱える。


「そんなの……嫌にゃ……」


「……ミリカ」


声がした。


追いついてきたユーリスが、少し離れた場所で足を止めている。


「……」


ミリカは顔を上げない。


「……来るなって言ったにゃ」


「はい」


静かな返事。


「でも、来ました」


「……」


ユーリスはゆっくり近づく。


無理に触れない。


ただ、隣にしゃがむ。


「……痛かったですね」


「……」


「腕も」


「……っ」


ミリカの肩が震える。


「……なんでにゃ……」


小さく漏れる。


「なんで、あんなこと言うにゃ……」


「……」


ユーリスはすぐには答えない。


しばらく、ミリカの震える背中を見ていた。


「……たぶん」


静かに言う。


「嘘です」


「……嘘?」


ミリカが、少しだけ顔を上げる。


涙で滲んだ目。


「……何がにゃ」


「あの言葉です」


ユーリスは言う。


「獣には関係ない、って」


「……」


「本気なら、あの人は最初から関わらない」


小さく続ける。


「助けもしない。

 抱えて帰りもしない」


「……でも」


ミリカの声が震える。


「あいつ、痛くしたにゃ……」


「はい」


ユーリスは否定しない。


「それは、ひどいです」


「……」


「でも……たぶん、そうしないと離れてくれないと思ったんです」


「……っ」


「今はきっと、自分から突き放したいんです」


ユーリスの声は静かだった。


「私たちを、巻き込まないために」


「……そんなの」


ミリカは歯を食いしばる。


「勝手にゃ……」


「はい」


即答。


「勝手です」


「……」


「でも、あの人はそういう人です」


ユーリスは、目を伏せる。


「危ない場所に、一人で行く」


「……」


「誰かを助けるためなら、

 自分が傷つくことを数に入れない」


「……」


「そして、助けた相手には何も言わない」


ミリカは黙る。


「……そういう人です」


ユーリスは続ける。


「だから、きっと」


そこで一度、言葉を止める。


「……戻れます」


「……ほんとにゃ?」


「分かりません」


正直に返す。


「でも」


ユーリスは、ミリカを見る。


「私は、あの人を諦めません」


「……」


ミリカの目から、また涙が落ちた。


「……ばかにゃ」


小さく。


「ほんとに……ばかにゃ……」


ユーリスは何も言わない。


ただ、隣にいる。


「……っ」


ミリカは膝を抱えたまま、声を殺して泣いた。


それでも。


その手はもう、胸を押さえてはいなかった。

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