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第129話:白い衣


水の音が、途切れない。


部屋は静かだった。

セレスの呼吸も、さっきよりは落ち着いている。


だが――

完全ではない。


「……」


ノクシアの手は止まらない。


指先に集まった水が、ゆっくりと流れ込む。


外ではない。


内側へ。


「……ほんとに」


ぽつりと落ちる。


「基準が違うとは言え、不思議ね」


「何がだ?」


短く返す。


ノクシアは視線を向けない。


セレスの体を見たまま、続ける。


「あんたよ」


息を吐く。


「普通、他人の魔術器官に干渉なんてできないのよ?」


指先が、わずかに動く。


「外から火を抑えることはできる。

 でも“中”に触れるのは別。

 出来ても、こんなふうに誘導することくらいよ」


ノクシアは石を俺に見せながら、手の位置を変えた。


「構造を理解してるとか、そういう話じゃないわ」


水が、さらに深く流れる。


「それなのにあんたは――」


一瞬だけ、手が止まる。


「魔術だけじゃない。この子の中にある“火”そのものに触って止めた」


静かに言う。


「分かってるの?」


「分からん」


即答。


嘘ではない。


感覚でやったことを、説明なんて出来ないからだ。


「そうでしょうね」


ノクシアはあっさり返す。

それ以上は追わない。


ただ、もう一度セレスを確認する。


「……」


水の流れが、少し弱まる。


「これ以上は、私の領分じゃないわね」


手を引く。


「外側は整えたし、内側も暴発はしないように流した……けど」


初めてこちらを見る。


「維持は別」


「……」


「ここから先は、あんたに任せるわ」


「は?」


当然のように言う。


「あんたならできるわよね?」


それだけ言って、ノクシアは背伸びをして立ち上がる。


返事を聞く気はないらしい。


「火が暴れないように抑えるくらい簡単でしょ?」


軽く言う。


「やったんでしょ?」


「……ああ」


セレスの手に触れる。


まだ、不安定な熱が奥に残っている。

弱いが――消えてはいない。


この感じを……俺は知っている……。


この火は消してはいけない。


消えれば、冷たくなるだけだ……。


だからこのまま、消させない。


「……」


意識を落とす。


中へ。


そして、火に触れる。


「……」


暴れさせない。


だが、揺れている。


それでも保つ必要がある。


「……」


ゆっくりと、俺の火を流す。


焼かない。

削らない。


「……大丈夫だ」


小さく落とす。


セレスの指が、わずかに動く。


反応か。

それとも、ただの残滓か。


分からない。


だが――

火は、少しだけ静まる。


「……そう」


ノクシアが、横で呟く。


「やっぱりできるのね」


呆れでも、驚きでもない。


ただの確認。


「ほんと、意味分からないわ」


「俺もだ」


短く返す。


ノクシアは肩をすくめる。


「まあいいわ」


一歩引く。

完全に任せる形になる。


「何かあれば、外側は私が整えるから、中は任せたわよ」


それだけ言って、石を置き、立ち去る。


俺は座ったまま、しばらく手を離さずにいた。


「俺も怪我人じゃなかったか?……」


―――――


「……」


重い。


沈んでいた意識が、ゆっくりと浮かび上がる。


何かの音がする。


遠い。


はっきりしない。


「……」


瞼が、わずかに動く。


光……だが、少し暗い。


ぼやけた視界の中で、輪郭だけが浮かぶ。


(……夜……?)


分からない。


時間の感覚が曖昧だ。

どれくらい眠っていたのか、掴めない。


「……」


身体に意識を向ける。


痛みはある。


だが、焼ける感覚はない。


内側の火も――


(……静か……)


完全に消えてはいない。


「……起きたか?」


右手に、感触。


温もり。


「……」


視線を落とす。


掴まれている。


自分の手が。


「……なぜ」


声が、かすれる。


理解が追いつかない。


(……なぜ、離れていない……)


敵のはずだ。


排除対象。


それなのに――


「また、これか……」


指が、わずかに動く。


力は入らない。


それでも、触れている感触だけは確かだ。


(……温かい)


思考が、止まる。


「……何故だ」


「とりあえず、もう暴れるなよ? また面倒だ」


答えはない。


ただ、温もりだけが残る。


「……」


視線を落とす。


まだ掴まれている。


自分の手が。


(……ずっとか)


どれだけの間かは分からない。


だが――

離されていないのが分かった。


「……」


少しだけ、指を動かす。


自分でも、何故そうしたかは分からなかった……。


それでも。


ほんのわずかに――握り返した。


「……?」


「……」


お互い、それ以上は動かない。


理由も、意味も考えない……はずなのに……。


ただ、触れたままにした。


―――――


「……?」


わずかに、指に力が返る。


錯覚かと思った。


だが――違う。


ほんの僅かだが、確かに握り返されている。


「……」


視線を落とす。


セレスはまだ目を開けきっていない。


意識も、完全には戻っていないはずだ。


それでも――


「……セレス」


小さく落とす。


それ以上は言わない。


理由も、意味も、今は考える必要はない。


手は離さないまま、そのままにしておく。


「……起きてるなら」


短く。

確認だけ。


「そのまま……聞いてほしいことがある……」


それだけ言って、視線を外す。


部屋は静かだ。


中央。

学院。


今回の件で、両方とも動く。


セレスも――例外じゃない。


「……」


手を握ったまま、思考を整理する。


今回のきっかけは、カイナが拘束され、俺が襲撃したことだ。


つまり、俺も無責とはいかない。


しかも、セレスは中央として動いた。


学院も黙ってはいない。


(このまま放置すれば、絶対に……こじれる)


衝突は避けられない。


規模は分からない。


だが、小さくは済まない。


セレスを見る。


「…」


教会の基準。

中央の規律。


全部まとめて、一度、収まる形にする必要がある。


「……セレス」


名前を呼ぶ。

返事はない。


だが……続ける。


「入信試験」


簡単な言葉ではないのは理解している。


だが……決めるしかない。


「それで、最悪は避けられるはずだ……」


一瞬だけ、間を置く。


「お前にとっても悪くない話だ」


「……」


返事はない。


だが、続ける。


「俺はまだ、この学院から去るわけにはいかない……。

 お前もこのままじゃ、アルケシアから白塔同盟に引き渡される可能性もある……」


正直、気乗りはしない。


だが、俺の頭で考えうる、最善だった。


「だから――お前が必要だ。協力しろ」


「……」


言葉はない。


だが…わずかに、指に力が入る。


それだけで、十分だった。


―――――


それから、数日。


今回の件は――

表向き、正統光火教会の入信試験の一環として処理された。


詳細は伏せられたまま。


中央と学院の間で、静かに線が引かれる。


俺とセレスは、厳重注意処分という形で残された。


「……」


机の上に置かれたそれを見る。


白だ……。


純白の衣。


学院の黒。


制服ではない。


「……」


手に取る。


(気が重い……)


完全な所属ではない。


だが……。


「……はぁ」


袖に腕を通す。


サイズはぴったりだった……。


それが逆に、少しだけ気に食わなかった。


――コンコン。


扉が叩かれる。


一度だけ。


無駄のない音。


誰か、すぐに分かる。


「俺だ」


「ああ……今行く」


短く返す。


扉が開く。


立っていたのは――


「準備はできているな」


レイヴァルトだった。


―――――


廊下を歩く。


足音は二つ。


前にレイヴァルト。


その後ろを、少し離れて歩く。


「……」


視線が集まる。


当然だ。


学院の黒ではない。


白。


それだけで、意味は十分だった。


「……エア」


小さな声。


ユーリスだった。


足は止めない。

視線だけ向ける。


ユーリスは、何かを言おうとして――言えなかった。


その手が、胸元で止まっている。


俺が言ったからだ。


もう関わるな、と。


「……」


何も言わず、通り過ぎる。


その先に、パコダたちがいた。


誰も声をかけない。


ただ、目を伏せる。


責めているのか。

避けているのか。


どれでもいい。


今は、止まる理由にならない。


「……エア!!」


後ろから声が飛ぶ。


ミリカだった。


足が止まる。


振り返らない。


「なんで……」


声が震えている。


「なんで、そっちに行くにゃ!!」


廊下が静まる。


誰も口を挟まない。


「……必要だからだ」


短く返す。


「必要って……!」


ミリカの声が揺れる。


「そんなの!」


「お前には関係のない事だ」


「っ……!」


息を呑む音。


少しだけ間が空く。


「……私」


ミリカの声が、小さくなる。


「私は、あんたがそっちに行くの……嫌にゃ」


「……」


返す言葉はない。


レイヴァルトが前で止まっている。


こちらを見てはいない。

待っているだけだ。


「エア」


ミリカがもう一度呼ぶ。


その声だけが、廊下に残る。


「……俺は、お前達とは違う」


それだけ言って、足を動かす。


後ろは見ない。


見る必要がないわけじゃない。

見れば、止まるかもしれないからだ。


「行くぞ」


レイヴァルトが言う。


「ああ」


白い袖が、視界の端で揺れる。


重くはない。


だが――

それはまるで…鉛のようだった……。

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