第126話:ちゃんと人間
中庭。
音が遅れて届く。
風。
焦げた匂い。
誰かの気配。
腕の中に、重さがある。
「……」
視線を落とす。
皮膚が裂け、熱がまだ抜けきっていない。
呼吸は浅い。
だが――生きている。
「……バカが」
ぽつりと落とす。
ただ……焼いて、自分で削って、それでも止まらない。
「こんな使い方……俺は教えたつもりはないぞ」
セレスの触れる指先に、まだ熱が残っている。
あいつの火が、まだ奥でくすぶっていた。
浅い。
外だけ強くて、中が空だ。
だから――。
「下がれ」
低い声が落ちる。
現実が、戻る。
白服たちが、一斉に道を開いた。
現れたのは――ガレスだった。
真っ直ぐに、こちらへ歩いてくる。
止まらない。
その後ろから、数名の教師が続く。
「何をしている!」
「ここは訓練場ではないぞ!」
声は飛ぶ。
だが――
「黙れ」
ガレスの一言で、全て止まる。
空気が、凍る。
誰も、続けない。
ガレスは視線を動かさない。
俺と、腕の中のセレスだけを見ている。
「……医療班」
数人が前に出る。
その瞬間。
俺は、セレスを抱き直した。
少しだけ強く。
落とさないように。
それから、地面の槍に手をかける。
「待て、止まれ」
低く言う。
医療班の足が止まる。
白服たちの視線も、一斉にこちらへ向く。
ガレスだけが動かない。
「……こいつは」
俺は、ガレスを見る。
「このあと、どうなる?」
短く聞く。
ガレスはすぐには答えない。
まず、セレスを見る。
次に俺を、戦闘の傷跡、焦げた服、槍。
そして、周囲の白服たちを見る。
状況を測っている。
全部は分かっていない。
だが――
何が起きたかの輪郭くらいは、もう掴んでいる顔だ。
「……まず治療だ」
ガレスが言う。
「死なせる理由はない」
その言葉に、白服たちの空気がわずかに揺れる。
「学院側で預かる。
その後、学院長の判断により、必要であれば白塔同盟の審議にかけられる」
低く続ける。
「少なくとも、今この場で中央に引き渡すことはない」
「なんだと、セレス様に何をッ――」
白服の一人が口を挟もうとする。
だが。
「黙れ」
ガレスの声が落ちる。
それだけで止まる。
「ここはアルケシア、学院だ」
視線が、白服たちを一掃する。
「中庭を破壊し、学生を巻き込み、教師の許可なく戦闘を行った」
さらに、俺を見る。
「……お前も含めてな」
その言葉が落ちた、次の瞬間。
「――はいはい、そこまで」
軽い声。
場の空気に、まるで合っていない声音。
だが――
全員が、そちらを見る。
「今は説教してる場合じゃないでしょ?」
ノクシアだった。
気だるそうに歩きながら、手をひらひらと振る。
視線はもう、セレスにしか向いていない。
「その子、落ちるわよ」
一言。
それだけで、医療班の空気が変わる。
「ほら、ぼさっとしてないで」
前に出る。
躊躇がない。
セレスの状態を一目見て、すぐに手を伸ばす。
「……焼け方が最悪ね」
低く呟く。
指先が、わずかに光る。
「外だけじゃない。内側まで逝ってる」
眉をひそめる。
だが、止まらない。
「火を無理やり“通した”のね……誰よ、こんな使い方教えたの」
ちらり、とだけ俺を見る。
「いいから貸しなさい」
手を差し出す。
「このままじゃ、本当に崩れちゃうわよ」
短く。
はっきりと。
命令じゃない。
だが、逆らう理由もない声だった。
「……」
俺は、一瞬だけセレスを見る。
呼吸。
熱。
残っている火。
それから――
「……雑に触るな」
低く言う。
ノクシアは肩をすくめる。
「言われなくても分かってるわよ」
そのまま、セレスの身体に触れる。
迷いがない。
「医療班、支えなさい」
一気に場を掌握する。
「あと水。冷却じゃない、“流す”方で……先に“中を”」
指示が飛ぶ。
「外から冷やしたら、内側が弾けるわ」
数人がすぐに動く。
「ガレス、説明はあと」
振り返らずに言う。
「あんたは黙ってこの場を見てなさい。
それに、あんたも怪我してるじゃない。一緒に来なさい」
完全に現場の声だった。
「……」
ガレスは何も言わない。
ただ一歩、引く。
場を渡す。
俺も、今はノクシアの言葉に従う。
ノクシアにセレスを受け渡し、槍を支えに立ち上がった。
何事もなかったように。
足取りも、呼吸も、乱れていない。
だが、わずかに――
(少し……痛むな……)
周囲の視線が、集まる。
誰も口を開かない。
当然だ。
あれだけの戦闘をして、胸まで貫かれ、平然と立っている。
異常としか言いようがないだろう。
「俺は大した怪我はしていない……」
ぽつりと落とす。
ただ、それだけ。
「……はぁ」
小さく、わざとらしい溜め息が落ちる。
ノクシアだ。
セレスの処置を続けながら、ちらりとだけこちらを見る。
「ほんと、嫌になるわね」
ぼそりと。
誰に向けたでもない声。
「見た目だけなら、元気そのもの」
淡々と続ける。
「でも――」
一瞬だけ、視線が刺さる。
「骨と内臓、結構やってるでしょ?」
「……分かる、のか?」
ノクシアは当然のような顔で、頭から足先まで見直す。
「打ち合いの衝撃と、さっきの音……吹き飛ばされたわね?」
指先を動かしながら、そのまま言い当てる。
「あんたに火は効かない。でも、それ以外は別よ」
一瞬だけ、時間が止まったように感じた。
「ちゃんと“人間”ね」
皮肉でも、呆れでもない。
ただの事実。
だが、それがどこか嬉しかった。
「……ほっとけ」
「ほっといたら倒れるから言ってんのよ」
即答だった。
「いいからさっさとついてきなさい。まとめて診るわ」
それだけ言って、またセレスに意識を戻す。
「……」
俺は何も言わない。
ただ、そのままノクシアについていく。
―――――
中庭を離れ、そのまま医療棟へ向かう。
歩く。
騒ぎは、後ろに置いてきた。
「……」
視線を横にやる。
担がれているセレス。
呼吸は浅いまま。
火はもう見えない。
だが――
奥に、まだ残っている。
「ほら、こっち」
ノクシアの声。
そのまま部屋に入る。
「寝かせなさい」
短く指示。
医療班が、セレスを台に乗せる。
すぐに処置が始まる。
「水、外じゃない。中を流して」
「はい」
手際がいい。
「……」
俺は、その横に立つ。
離れない。
「……あんたもよ」
ノクシアが言う。
振り向かない。
「そこに突っ立ってないで座りなさい」
「必要ない」
短く返す。
「必要あるの」
即答だった。
一歩、近づいてくる。
「さっさとそこに……す、わ、れ」
今度は命令に近い。
「……俺よりあっちを見てやってくれ」
小さく舌打ちして、壁際の椅子に寄る。
「いいから、任せときなさい……それより……」
ノクシアが言う。
手は止めないまま。
「何したのよ?」
「……何がだ」
「さっさと言いなさい……そういうの嫌いなのよ」
一瞬だけこちらを見ながら、巻き布を強めに締める。
「分からん……だが」
俺は視線を、セレスに戻す。
「……あいつの火に、通しただけだ」
「通した?」
「内側にな……侵蝕とか言う流れを応用した」
ノクシアの手が、ほんのわずかに止まる。
「……へぇ」
すぐに動き出す。
「それで崩したのね」
「そうだ」
短く返す。
「……相手の体に直接……ね……」
ノクシアが、ぽつりと落とす。
「で? そもそもの原因は?」
手は止めない。
セレスの脈を見て、火の残りを流しながら。
「……カイナが警告した」
「警告?」
「中央が俺を狙う。
逃げろ、と」
ノクシアの指が、一瞬だけ止まった。
「……やっぱり」
低く言う。
「私が言った通りになったわけね」
「……ああ」
「それで?」
「それをレイヴァルトに見られた」
短く返す。
「カイナは規律違反として連れて行かれた」
ノクシアが、小さく息を吐く。
「それで追ったってわけ?」
「ああ」
「で、あの子を助けるために白服の中に突っ込んで、
セレスとやり合った」
「そうだ」
「あんた……馬鹿なの」
呆れたように言う。
だが、手は止まらない。
「カイナも、あんたも……」
そこで一度だけ、ノクシアの視線がセレスへ落ちる。
「……まあ、でも、あの子は少し違うかしら?」
「……」
俺は、セレスを見る。
焼けた頬。
浅い呼吸。
まだ奥に残る火。
「……あいつは、教えられた通りに燃えてるだけだった」
ノクシアの目だけが、こちらを向く。
「何それ?」
「見えた。火を通して」
「なんですって?」
「やり方は分からない……だが、見えた」
ノクシアは、そこで深くは聞かない。
「……そう」
短く落として、処置に戻る。
「なら、余計に面倒かもしれないわね」
「何がだ」
「その手の子は、自分が助けられたなんて思わないからよ……。
中央なら特に、ね……」
淡々と。
「折られた。
汚された。
負けた。
そのどれかにしかならない」
「……だろうな」
「分かってるなら、なんで助けたの?」
ノクシアが問う。
手は止めない。
だが、声だけは少しだけ低い。
「……」
俺は、セレスを見る。
焼けた頬。
浅い呼吸。
まだ奥に残る火。
「死なせたくなかった……」
短く言う。
ノクシアの目が、こちらを向く。
「……それだけ?」
「それだけだ」
そう返してから、少しだけ間が空く。
「……それに」
視線を外さない。
「ガキが死に急ぐのを、見捨てるほど落ちぶれちゃいない」
言葉にすると、思ったよりも腹が立った。
「あんなのを……ただ見てられるか」
ノクシアの手が、ほんの少し止まる。
「……ガキ、ね」
「そうだ」
短く返す。
「お前も、こいつも、カイナも」
ノクシアの眉が、わずかに動く。
「……私も?」
「俺から見ればな」
「……」
ノクシアは一瞬だけ黙る。
それから、呆れたように息を吐いた。
「ほんと、何様なのよ」
「……ただの父親だ」
嘘ではない。
誇張でもない。
俺にとっては、それが一番近い。
「……そう」
ノクシアは、それ以上聞かなかった。
驚きもしない。
笑いもしない。
ただ、セレスの処置へ視線を戻す。
「なら、父親らしく大人しく座ってなさい」
淡々と。
「子どもを助けたあとに、自分が倒れる馬鹿な親なんて……もうごめんよ」
「分かった……」
小さく息を吐いて、椅子に背を預ける。
部屋の中には、水の流れる音と、浅い呼吸だけが残った。
セレスはまだ眠っている。
俺はその顔を見たまま、何も言わなかった。




