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第125話:ただの父親


カイナは、自分でも気づいていなかったみたいに。


すぐに片手で目元をこすり、顔を背ける。


「……」


短い沈黙。


それから、視線を中央へ戻したまま言う。


「誰だろうと……」


声は低い。


さっきの怒鳴りの熱が、まだ少しだけ残っている。


「意味もなく、無駄に潰されるのが嫌なだけだ……」


それだけ。


飾らない。


言い訳もしない。


ただ、落とす。


「……」


ミリカが黙る。


噛みつくみたいな目のまま。


だが、もうさっきみたいな勢いはない。


ユーリスは、その横顔を見る。


カイナは中央から目を離さない。


白服なのに。


白服だからこそ、分かっている顔だった。


「……」


その瞬間。


――ガンッ!!


中庭の中央で、また激しい金属音が弾けた。


全員の視線が、一斉にそちらへ戻る。


槍がぶつかる。


火花が散る。


土がえぐれる。


「……ッ」


ユーリスが息を呑む。


さっきよりも近い。


さっきよりも速い。


それなのに――


「……見えてる」


小さく、漏れる。


エアの動きが。


今度はただ押し返しているんじゃない。


受けて、流して、踏み返している。


「また、変わった……」


カイナが言う。


短く。


「あいつは、戦いながら合わせてる……」


ユーリスが呟く。


「すごい……」


「普通は出来ん……」


ザハクが低く言う。


目は中央のまま。


「だが、あいつはやってる」


パコダが舌を鳴らす。


「なんなんだよ、あいつ……」


答える者はいない。


中庭の中央。


セレスが踏み込む。


白い軌跡。


速い。


重い。


だが――


「……ッ!」


エアが、外す。


噛み合わせをずらし、衝撃を流し、逆に前へ出る。


カン、カン、カンッ。


金属がぶつかり合う音の中に、


ズゥガンッ。


重い一撃が混ざり始めた。


「押してる……!」


今度ははっきりと、ユーリスの口から出た。


ほんの僅か。


だが、確かにセレスが押し返されている。


白服たちの空気が揺れる。


ざわめきまではいかない。


だが、沈黙の質が変わる。


「……あり得ない」


誰かが、小さく漏らした。


「聖杭杖槍が……」


別の誰かが、息を詰める。


それでも、誰も動かない。


動けない。


「……」


ミリカが、低く言う。


「エア……」


そこに怒りはない。


ただ、祈るみたいな緊張だけがある。


オルドが、ミリカの肩に置いた手を離す。


ザハクも、腕を押さえる力を抜いた。


もう、止める必要がないと分かったからだ。


今ここで暴れれば、逆に邪魔になる。


それくらい――


あの中心にあるものは、重い。


「……」


カイナが、わずかに目を細める。


「セレス様も……本気だ。

 だが……まだ上がある」


その言葉に、ユーリスが反応する。


「え?……」


視線は中央。


その瞬間。


中庭の空気が、びり、と張り詰めた。


全員が分かった。


今のやり取りは、まだ前座だったのだと。


そして――


中央で、セレスの構えが変わる。


見たことがないほど、静かに沈む。


「……ッ」


ユーリスの喉が鳴る。


エアもまた、槍を握り直した。


一歩も引かない。


青空の下。


二人の間だけ、まるで別の世界みたいに空気が凝っていく。


誰も、声を出さない。


出せない。


次の一瞬で、何かが決まる。


そんな予感だけが、全員の背を冷やした。


その時だった。


「貴様ら……」


白服たちの列が、静かに割れる。


「何をしている……?」


誰かが、息を呑む。


現れたのは――ガレスだった。


歩みは止まらない。


一直線に、中庭の中央へと視線を向ける。


―――――


セレスが、一度引いて槍を収めた。


「終わりか?」


「……」


問いに答えず、息を整え、まっすぐに俺だけを射抜いている。


その目は、もう揺れていない。


「貴様……は、やはり……捨て置けん」


セレスが、槍を持ち上げる。


構えじゃない。


――何かを、引き寄せている。


「……?」


違和感が走る。


さっきまでと違う。


空気が、流れていない。


沈んでいる。


溜まっている。


「お前……それは!」


次の瞬間だった。


槍が、光る。


白い火が――逆流した。


穂先からじゃない。


柄を通って、そのままセレスの手へ。


腕へ。


肩へ。


「ッ――!!」


火が、セレスの身体を這い上がる。


皮膚が焼ける。


服が焦げる。


「……ッ!?」


思考より先に、声が出た。


「あれは――」


知っている。


いや、違う。


“似ている”。


あの時の――


「……っ」


セレスの身体が、わずかに揺れる。


ほんの僅か。


だが、見逃すわけがない。


火に、喰われている。


宿しているわけじゃない……。


削られている。


「……おい」


思わず、一歩出る。


槍の構えも忘れて。


「やめろ……」


低く、出る。


だが、届かない。


セレスは止まらない。


白い火は、容赦なく全身を焼きながら巡っていく。


腕。


首。


頬。


皮膚の下に、光の線が走る。


「……っ、ぐ……!」


声が、漏れる。


初めてだ。


こいつが、苦しんでいる。


それでも――止めない。


「教会のためにも」


焼けながら。


「信仰のためにも」


削れながら。


「主のためにも――」


踏みとどまる。


自分の肉を燃やしながら。


「この命に換えても、必ず……」


その目は、一点に固定されている。


俺だけを見ている。


「貴様を、ここで滅ぼす……!」


「――このッ、バカ!!」


声が出た。


完全に、反射だった。


「何やってんだお前ッ!!」


一歩、踏み込む。


「それは……!」


言葉が詰まる。


違う。


同じじゃない。


俺のあれは――


「そんな使い方じゃねぇだろ!!」


叩きつけるように言う。


セレスの身体は、明らかに焼けている。


削れている。


代償を払っている。


火に“変わっている”んじゃない。


火に“喰われている”。


「止めろッ!!」


だが――


セレスは、笑った。


ほんの僅かに。


焼けた頬のまま。


だが、揺れていない。


「これが……我らの神の力だ!!」


槍を構える。


白い火が、さらに強く脈打つ。


「貴様らのようなまがい物には与えられなかった力だ!!」


一歩、踏み出す。


石が割れる。


空気が裂ける。


「……チッ」


舌打ちが漏れる。


「ほんとに、バカなガキが……」


小さく吐く。


だが、構えは崩さない。


一歩、踏み込む。


「だったら……俺が止めてやるしかねぇだろ!!!」


白い火が、唸る。


次の瞬間。


セレスが――消えた。


(速ッ!?)


考えるより先に、視界の前。


もう、いた。


距離がない。


槍が、一直線に――胸へ。


速いなんてもんじゃない。


間に合わない。


弾く?


流す?


――無理だ。


今の構えじゃ、間に合わない。


「……ッ!」


咄嗟に、腕を出す。


槍じゃない。


セレスの腕。


燃えている、その腕を――掴む。


「ッ!!」


嫌な感触だった。


セレスの腕は焼けて、皮膚がずれる。


だが、関係ない。


止めた。


確かに止まった。


しかし……次の瞬間。


白い火が――収束する。


セレスの腕から、槍へ。


一点に。


(まずい――)


「貫け!」


低い声。


次の瞬間。


ズンッ――


衝撃。


身体が、止まる。


「……っ」


視界が揺れる。


遅れて、理解する。


――貫かれている。


槍が。


俺の胸を。


背まで抜けている。


(……ああ)


他人事みたいに、思う。


痛みは――ない。


いや、違う。


それよりも。


「……っ」


身体が、ガクッと落ちる。


膝が、僅かに沈む。


それは痛みじゃない。


ダメージでもない。


火が――流れ込んできている。


セレスの火が。


「……ッ」


その瞬間。


何かが、分かった。


見えた。


こいつの火は――


「……浅い」


ぽつりと、漏れる。


外は強い。


だが、中が空だった……。


「可哀想に……」


「……は?」


セレスの目が、わずかに揺れる。


その時。


「エアァァァッ!!」


誰かの叫びが、遠くで弾けた。


ユーリスか。


ミリカか。


分からない。


ただ、確かに聞こえた。


(……うるせぇなぁ)


小さく思う。


まだ、終わってない。


「……ッ」


その瞬間だった。


俺の中で、燃やす。


抑えていたもの。


人として、今として、押さえ込んでいた火。


それが――


……熱が、満ちる。


血の中に。


骨の奥に。


もっと深いところにある火が、一気に噴き上がる。


「……っ」


セレスの火に胸を貫かれたまま。


それでも、火は止まらない。


赤い光が滲む。


皮膚の下を、火が走る。


「な……ッ」


セレスの目が揺れる。


俺は、そのまま槍を掴む。


貫かれたまま。


抜かない。


逃がさない。


「何を……!」


セレスが、力を込める。


引き抜こうとする。


だが――


抜けない。


俺が、掴んでいる。


「……離せッ!!」


「離すか……」


低く返す。


火が、さらに上がる。


今度は隠さない。


俺自身の中から、溢れた火が、そのままセレスへ触れていく。


「……ッ? なんだ……これは……」


セレスの顔が歪む。


白い火とは違う。


押しつける熱じゃない。


もっと深い。


もっと近い。


「これはな……」


静かに言う。


「そうじゃねぇんだよ」


そのまま――


俺の火を、流す。


押さない。


弾かない。


ただ“通す”。


セレスの火の中へ。


そのまま――内側へ。


「……っ、な……!」


セレスの身体が、震える。


分かっていない。


何が起きてるか。


だが――


もう遅い。


絡める。


ほどく。


崩す。


内側から。


「……ッ、やめ――」


言葉が切れる。


白い火が、歪む。


揺れる。


崩れ始める。


「……ッッ!!」


セレスが歯を食いしばる。


維持しようとする。


だが――


無理だ。


「お前のは、ただの“痩せ我慢”だ」


さらに深く、侵す。


火を。


流れを。


根を。


「だから、止まる」


バチッ。


と、音がした。


次の瞬間。


白い火が――消えた。


内側から。


「……は?」


無防備な声が、一つ落ちる。


火を失った。


加護が切れた。


支えが消えた。


その一瞬。


「終わりだ」


俺はセレスと同時に火を消して、拳を引く。


踏み込む。


距離は、ゼロ。


「――ッ!!」


ズドンッ!!


拳が、そのままセレスの腹へめり込んだ。


鈍い音。


息が止まる。


セレスの身体が、くの字に折れる。


「がっ……!」


崩れ落ちる身体に、そのまま腕を回す。


抱き止めるみたいに受ける。


落とさない。


槍はまだ、俺の胸を貫いたままだ。


それでも構わない。


セレスの身体から、力が抜けていくのが分かる。


「……お前は、……一体……」


焼けた頬。


揺れる目。


さっきまでの圧は、もうない。


「……ただの父親だ」


俺は小さく息を吐く。


熱が、まだ全身を巡っている。


「……」


セレスの身体が、腕の中でかすかに震えた。


中庭が、静まり返っている。


誰も、動かない。


ただ――


俺だけが立っていた。


焼けた女を抱えるように支えたまま。


周囲の火だけが、まだ静かに揺れていた。

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